消せない傷


(お前は俺のうしろにつけ)


 あたたかい声だった。

 その背中は、手のひらは大きくて、見つめてくるまなざしはいつも優しかった。


(まずは戦場の匂いを覚えろ。それから、俺のやり方をよく見るんだ)


 最初の派遣先。配属されたのは怪人ノワールのみで構成された小隊だった。

 成員のほとんどは旧式だったが、経験豊富な猛者揃いで、中でも隊長を務めていたその男は、卓越した判断力と指揮能力を有し、隊員たちからの信頼も厚かった。

 彼は、訓練との差異に戸惑うユリーに、戦場での心得を一から教えてくれた。

 だが、すべてはあっけなく崩れ去った。

 対峙していた相手国が、ユリーたちのいる戦線に英雄ブランを投入した。

 圧倒的な強さを誇る英雄ブラン

 怖気づいた司令部は戦線を放棄。ユリーたちの小隊は殿に残された。

 どうせ旧式ロートルばかり、失っても惜しくないと判断されたのだ。

 これまで命懸けで尽くしてきた者に対する雇い主からの報酬が、これだ。

 追い詰められ、追い詰められ、最後には隊の中からも裏切り者が現れた。

 それでも彼は踏みとどまり、ユリーを逃がしてくれたのだ。

 お前には未来があるから、と――





「ハァ……ッ、ハァ……ッ! やった……!」


 一気に膝から力が抜け、シュガーは床にへたり込んだ。

 ほどなく、シャーリーもやってくるだろう。

 ユリーは仰向けの状態で床に横たわったまま、ぴくりとも動かない。


「べつに、あんたに認めてもらう必要なんてこれっぽっちもないけど……これで、証明できたんじゃない? あたしが、戦場でもやっていけるって」

「判断するのは……上の人だよ」


 口をひらいたと思ったらこれか。

 どうしても見た目のせいで、生意気なクソガキと思ってしまう。


「ええ、ええ。そーでしょうとも! だったらあんたも難癖つけてくんじゃねーって話だから!」

「まあ……認めてやってもいいけど。すくなくとも個の力では、僕を上回ってるってね……」

「はあ? なに勘違いしてんのよ」


 よたつきながらも、シュガーは立ち上がった。


「あたしが勝てたのは、あたし一人の力じゃない。シャーリーがいてくれたおかげだよ」


 彼女が身体を張って、ユリーの手の内を暴いてくれた。

 それがなかったら、絶対に勝てなかっただろう。

 だから、きっぱりと断言する。

 それを聞いたユリーのほうは、苦虫を嚙み潰したような顔をしていたけれど。


「まあ、相談もなしにあれこれした件については、あとで説教だけどね」

「こえー女」


 ひとしきり肩を震わせたあと、ユリーは長い息をついた。


「久しぶりに思い出した」

「なにを?」

「楽しかったことと、苦しかったこと」


 ああ――

 ふたたびの吐息。

 長く、長く、かすれて――


「そうか……僕は、飲み込むことができなかったから……だから、忘れようとしたんだな」

「あんたにもいたんだ。大切な人が」


 ユリーの目が、シュガーのほうを向いた。

 なにか訊きたそうだったが、シュガーは機先を制した。


「そういえば――さ。青の技って、結局なんだったの?」

「……僕の顔を上から覗いてみろ」

「えっ、やだ」

「あのなあ……もう勝負はついてるんだ。いまさらおかしな真似するかよ」


 いわれたとおりにすると、ユリーは大儀そうに首を傾けた。

 彼の右目が見ひらかれ、青い光を発する。

 思わず腕を上げて防御しようとしたが、もちろん間に合うはずもない。

 だが、光は妙に温かく、浴びた箇所からは戦闘で受けた傷の痛みが、陽光に溶ける雪のように消えていった。


「これは……!」


 シュガーは両腕を擦り合わせた。

 小太刀によってできた傷も、きれいになくなっている。


「治癒光線……今日は、使うつもりなんてなかったんだけど……期待させてたなら悪かったね」

「ああ、うん……ありがとう?」

「なんで疑問形なんだか」


 ニヤリと笑ったあとで、ユリーは苦しげに身をよじった。


「だ、大丈夫? やりすぎたかな」

「同情すんなって……」


 険しかったユリーの表情は、憑き物が落ちたようにすっきりとしていた。

 そうしていると、まるで本当に十代の少年そのもののようだった。





 訓練から一週間後――

 正式にシュガーの戦線復帰が決まった。

 派遣先はトライドン。

 かつて、ヘルラが戦場として駆けた国のひとつである。

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アンチヒーローズ・ウォー 葦原青 @Takamagahara_Yukari

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