死線
一度死んだことで、ここから先――あと一歩、踏み込んだらやられるって勘が働くようになるんだって。
戦場で味わった、その感覚。
垣間見た、あの瞬間。
死という暗闇。
そこから伸びてくる手につかまれたら、二度とは戻ってこれないという予感。
全身が竦んだ。
踏み出そうとした足は動かなかった。
その結果好機を逃し、逆に攻撃を受けた。
身を守るはずの直感に、裏切られたかたちだ。
左膝の裏側に痛みを感じる。小太刀で斬られたのだ。
体重を支えることができず、がくりと膝をついた。
「これでゆっくり話ができるかな?」
笑みを含んだ声とともに、虚空から滲むようにユリーが現れた。
「いいザマだね。ほら、助けを呼んでもいいんだよ? そうしたら、大好きなお友達が助けにきてくれるかもしれないからね」
「わかってていってんでしょ」
くちびるをひんまげてシュガーは返した。
シャーリーをやったのは自分だろうに、よくいう。
「そうだね。自分でもひねてると思うよ。でも、これが僕らのあるべき適応なのさ」
すうっ……とユリーの目が細められた。
なにもかもを突き放し、ふれさせまいとするかのような目。
「僕らはひとり――ひとりだ。いつだって、どこでだって。僕らが
「なにをいってるの?」
「利用され、身代わりにされ、打ち捨てられる。誰も、なにも信用できない。それが
ユリーが吼え、斬りかかってきた。
斬られた膝の腱は――肉を変形させ、出血を抑えたのでなんとか動かせる。
横に跳んで避けた。痛みに悲鳴をあげそうになる。機動力は三割……いや、四割減といったところか。
「お前らみたいな甘ちゃんは!」
空中からユリーが降ってくる。
靴の踵に仕込まれた刃が喉笛を狙ってきたが、これもなんとかかわした。
「どうせ戦場に戻っても犬死にするだけなんだよ!」
しかし、体勢が崩れて反撃に移れない。その隙にユリーはまたしても保護色を使って姿を消す。
「だから、僕がここで殺してあげてもいいよねえ?」
シュガーが床に這いつくばっていると、勝ち誇ったような笑い声が頭上で響いた。
音や匂いで居場所を探ろうにも、建物内の反響で声の出所は判然としないし、体臭も元々薄いらしく、感じ取ることができない。
当然、忍びの術に長けた者が本気で気配を断とうとすれば、物音などいっさいしなくなる。
知覚できない相手から、いつ攻撃を受けるかわからない状況というものは、想像以上に精神的負担が大きく、恐怖や不安といった感情を一秒ごとに増幅させていく。
「ふ……くく……」
シュガーは、喉の奥からこみあげてくるものを抑えることができなかった。
くく……くくく……うずくまったまま、肩を震わせる。
「なんだ。おかしくなったのか?」
「いや、ちょっとね。優しいじゃん、って思って」
「なに?」
ユリーの声が、わずかに裏返った。
「だって、あたしらが戦場にいったら酷い目に遭うから、その前に止めてくれてるんでしょ?」
「止めるもなにも、殺すっていってるんだけど」
「本気でやらないとわからない的な?」
「そんなわけないだろ!」
建物の壁が、ユリーの怒声でびりびり震えた。
「いいさ。お喋りはもうおしまい。いまから殺すよ!」
恐怖はまだ消えない。
でも、相手が感情を露わにするたび、すこしずつ和らいでいった。
というより、だんだんと正体がわかるようになったというほうが正確か。
一度死んだ経験は、記憶からは消えても肉体に刻み込まれている。
それは――
ユリーのいう、一線を越えれば死ぬという直感は――
一方で、そこを越えれば確実に相手を倒せるという、勝機を見出す瞬間とも近しい。
戦闘経験の浅い者はその判別を誤り、しばしば命を散らすことになる。
だが、シュガーの場合はどうだ?
死というものが感覚的にわかる者にとっては、それはアドバンテージとなるのではないか?
もしそうならば、再生怪人はかならずしもヴァージン・ノワールより劣った存在ではない。
視界の端に赤い光が見えた。
停止光線。
薄皮一枚の似姿を残し、床と同化しながらの回避。次の瞬間には、デコイがまっぷたつにされる。
「へえ。さっきも、そうやってよけたのか」
ユリーが、なるほどとうなずいた。
「
後退りして距離を取るユリーの身体が周囲の景色に溶ける。
「赤の光線とは相性が悪いみたいだ」
「そうよ。あんたの攻撃なんて怖くないんだから!」
「おいおい、自分でも信じてないことをいうもんじゃあないよ。わかってるだろう? 僕には黄色の雷撃もある」
シュガーは口をつぐんだ。
ユリーがここまで、雷撃を一回しか使っていない理由――考えられるのは、連射がきかない、発射までに溜めが必要、エネルギーの消耗が激しい――こんなところか。
まさに切り札。
最初に撃ったのは、シュガーたち三人をまとめて攻撃したかったのと、ゾルダ相手に有効な攻撃手段だったからだ。
機動力の低下。
逃走が困難な限定的空間。
一方的に位置を補足されているこの状況。
はっきりいって、雷撃は撃てば当たる。
ユリーにしてみれば、完全に勝ちが確定したと思っているだろう。
だが、それは間違いだ。
クリーチャー街道まっしぐらとまでシャーリーにいわれた変身能力。
これまでの訓練と、戦闘中いろいろ試してみて、できると確信した。
それは――
「なに!?」
二階の天井付近から、狼狽するユリーが現れた。
首と四肢には触手が巻きついている。
シュガーはまず、身体のおよそ半分を、視認が困難なほど細い糸に変えた。
そして、それを網目状に張り巡らせ、床から天井まで、そこにある物すべてを覆った。
これで、ユリーがどれだけ巧妙に姿を隠したとしても、たちどころに補足できる。
「くっ……このっ!」
ユリーは激しく抵抗し、巻きついている触手を小太刀で切りつけた。
痛みに耐えかね、シュガーは触手をほどいた。
だが、こうなることも計算済みだ。
ユリーを放り出したのは、空中。
どんなにすばやく動ける
「どあああああああ!」
全力での助走――からの跳躍。
振りかぶった右腕が、みるみる膨らんでゆく。
「名付けて、ミートボール・スパイク!!」
巨大な肉球がユリーをとらえ、凄まじい反発力で反対側の壁に叩きつけた。
バウンドし、もどってきたところへダメ押しの一発。全体重を乗せて床に押しつける。
衝撃もさることながら、柔らかな肉球を顔面にあてられれば呼吸ができなくなる。
たっぷり二分置いて腕を元にもどすと、ユリーは白目をむいた状態でのびていた。
手首の端末からブザーが鳴り響く。
『ケット・シー・チームの両名、行動不能! 以上で訓練を終了する!』
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