第6話『ぬし』

「あ」

引越しの段ボール中から、君がまた何か見付けた。

「うわ、おっもい」

それはカエル色の鉄の塊の扇風機で、随分旧くてもう何時頃造られたのかも定かではないけれど、父方の実家を整理した時に貰って来たものだ。

「ぬしさま!」

と、君が素っ頓狂に大声で呼んだ。

「ぬしさま?」

「部屋の」

「掛け軸とかの方が良くない?」

「掛け軸なんか無いじゃない」

「うん」

「丸っこくて、どっしりして、布袋様みたいだよ」

「うん」

コンセントを差すと、カエル色の扇風機は、ぶわん、と勢いよく回り出した。さっぶいと言って、君は思わず胸を抱いた。


「あのね」「そうなのかな」「えー、おっかしー」

夜遅く帰ると君の話し声が漏れて聞こえた。

「ただいま」

誰かと電話でもしてるのかと思って扉を開けると、君はカエル色の扇風機と話していた。僕は要領が悪くて新しい職場に慣れず長い残業が続いていたから、きっと君は淋しいのだと思い、ただただ申し訳ない様な気がした。

「おかえり。大変ね」

「うん」

扇風機の羽根に煽られてふるふる震える君の声が、何だかとても遠くに感じた。


久々の休日、昼前に起きた僕に、君が「ぬしさまが動かない」と言った。どうせ単純な作りだから簡単に修理出来るんじゃないかと考えたけれど、君はあっさり「おじいちゃんだもんね」と言って退けたので少し拍子抜けがした。

「ちょっと牛乳買って来るね」

そのまま君は帰って来なかった。


三か月近く意識を戻さなかった君を、梅雨の終わりの非道く蒸せる日に見送った。一人ぼっちになってしまった部屋で、僕はじっとり厭な汗を掻いて項垂れていた。ふと生暖かい風を感じて顔を上げると、カエル色の扇風機が消魂く唸り立てながら、きょろきょろと首を振っていた。

「何だお前、眠ってたのか」

僕がぬしさまに話し掛けたのはそれきりだ。


八月の第四水曜日の大型不燃ごみの日に、僕は無闇に重いカエル色の扇風機を引き摺り出し、職場の後輩と週末の約束を交わした。

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八百物語 最寄ゑ≠ @XavierCohen

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