2:少女と剣とその振るい方


 朝起きて、飯を食い、行くべきところへ行って、やるべきことをやって、帰るところに帰って、飯を食い、体を洗って、夜には寝る。

 大まかに言えば、やることは変わらなかった。行くべきところが高校から検査室になり、やるべきことが勉強や部活から身体検査になり、帰るところが悠静院の居室になり、それから合間に体力づくりの為の軽い運動が差し込まれたぐらい。

 なんだ、そんなことか。耀あかるはそう思っていた。そう言い聞かせていた。自分の体内に「魔力」が存在するとか言われたが、なんかよくわかんないけどすごいなぁ、と思う程度だった。療養も、何十日も掛かるものではないと医者も言っていた。大丈夫。きっと、いずれ、最初みたいにふとした瞬間に元の生活に戻れる。そう言い聞かせていた。

 言い聞かせながら、5日ほどが経った頃のこと。灰色のボサボサ頭の医者──エンはこう言った。



「……つーワケで耀、とりあえずー、剣、持ってみっか」

「ハァ??」



 悠静院ゆうせいいんとは、読んで字のごとく悠々と静かに暮らすための場所。詰まるところの医療施設。そして月翔隊げっしょうたいとは、悠静院に所属する医療団。事件や事故、災害の現場に駆けつけて、怪我人の救助や治療、必要に応じて悠静院への搬送を行う。現地で魔物が暴れているとあれば、安全確保のために討伐したり追い払ったりが必要になることもあるので、全ての団員はある程度の戦闘技術を有している。


 その技術を習得、維持するための場所が、悠静院地下に存在した。


 掘り開いた空洞に土や砂を敷き、梁や柱で簡易的に整備した地下修練場。高校生の感覚で言えばバスケのコート2面分くらい──多分。壁際には木製の様々な形の武器や革製の防具が立て掛けられていたり棚で保管されていたりで、ここに来れば誰でも手に取れるようになっていた。

 その片隅にエンとゲツェットとリム。それから、すっかり包帯が取れた頭にポニーテールを結び直し、寝間着から動きやすいTシャツとズボンに着替えた耀。握らされた木剣を地面に引きずり、へっぴりごしの不安満面で言った。

「ほ、本当にやるの……?」

 それに対し、エンは「そりゃー勿論」と頷く。

「あれからー、知り合いに頼んでー色々と調べてもらったんだ。その検証? その辺もー兼ねてな」

「検証?」

「ま、細かいこたぁやりゃー分かる」

「え? な、何すんの?」

「そうだなー……その剣をー何回か振ってみろ。型だなんだはー気にすんな。自分が振りやすいように、適当に」

「ふ、振る、って……」

 耀は木剣を両手で持ち上げるが、ただの木製の剣と思えぬ重さに小さく呻く。小学校の修学旅行のお土産で買った木刀とは訳が違った。まあ、持ち上げられないことはない。うろ覚えの剣道の構えを取り、真っ直ぐ打ちおろす。またゆっくり持ち上げ、横へ薙ぐ。勢いあまって姿勢がよれた。

「えっとあの、これあと何回?」

 3人に見られている中での公開処刑のような所業に、早くも抗議の目線をエンに向ける。当のエンは腕を組んで小さく頷いた。

「あー、大丈夫だ。剣は降ろしていい。しばらくーそこに立っててくれ」

 そしてエンは壁際から耀が持っているものと同じ形の剣を手に取って、離れた場所へ歩いていく。

「え、えええええっ!? 何!? なんか説明は!? 無いの!? え、何!? 急にドーンッて来んの無しだからね!? ねえちょっと! なんか言ってよー!!」

 喚く耀。離れていくエン。不安げに成り行きを見守るゲツェットとリム。なんだかんだで耀とエンの距離は30メートル程度になっただろうか。エンはゆっくりと振り向いた。灰色の前髪の下から、濃い群青色の瞳がこちらを見た。

 違う。睨んだ。

 耀の神経という神経をが這いずり駆け巡った。淀んだ空、枯れた森、腐臭漂う悍ましい咆哮──

 そしてエンの姿がブレる。ふた足で距離を詰め、大上段から剣を振り下ろした。


 次の瞬間、身構えたゲツェットとリムが見たものは、大きく踏み込み腕を突き出す耀と、その腕に覆いかぶさるように脱力する、背中から木剣の先端を生やしたエンだった。


「え?」

 ゲツェットが唖然と呟く。リムは翠緑の目を見開き両手で口元を押さえ、恐る恐るで言う。

「…隊長が、斬り下ろす前、に…耀が踏み込んで、突いた…てこと?」

「どうやらーそうらしいなー」

 そしてエンは何処からか3人の側に姿を現わす。後退りするゲツェットとリム。耀に刺し貫かれていたエンは、口を放された風船のような音を立てて煙になって消え、残された耀は姿勢を戻そうとして、膝から崩れ落ちた。

「…あっ」

「耀!」

 2人は慌てて駆け寄る。両腕をだらんと下ろして俯く耀は、心配そうに声をかけて来る2人に反応して、驚愕に引きつった顔を上げて言った。

「あ、アタシ、今……」

 刺した? と、か細い声で呟く耀。その正面にエンがしゃがみ込んだ。

「おう、見事だったなー」

 そう言って、自分が持っている木剣の切っ先を耀の腹にふらりと向けた。

「ふむ……仮説を立てるにはー、十分か」

「隊長!」

 ゲツェットが叫ぶ。

「いくらなんでもやり過ぎじゃねーのかよ!? もうちょっと心の準備とかさ、これからー、そのー、ちょっと斬りかかるかもしんねーけどーとかさ!」

「…いくら、なんでも、かわいそう」

 両手で耀の肩を支えるリムはエンを睨んだ。

「あー、まあなー……」

 しゃがんだままのエンは、目の前のリムと少し高い位置のゲツェットの顔を交互に見ると、ほんの一瞬、うっすらと口元に笑みを浮かべた。

「『耀に心の準備をさせないままやってみたいことがある』ってー言ったは言ったがー、こーれは流石にやり過ぎだったな。すまんすまん」

「へあ?」

 耀が間の抜けた声を上げる。

「ああ、あらかじめーこの2人には話しておいたんだ。なんかあったらフォローに回ってもらえるようになー」

「そ、そっすか……」

「さーて」

 エンはそのまま地面に胡座をかいた。お前らも腰下ろせ、と促し、3人は各々楽な姿勢に落ち着く。

「ここでーお前ら3人に聞きたいことがある」

「え、あ、アタシも?」

「ああ。まーまずはー聞きたいことっつーか確認だ。耀、アンタ、これまでにー剣術の経験は?」

 ゲツェットとリムがハッと耀を見る。

「い………い、いやいやいやいや! 無い、無いです! 無いったら無い、です……」

「じゃー次だ。これはまあ、申し訳ねーとは思ってるがー……さっき、俺はー自分の幻影に耀斬りかからせた」

 耀は口を引き結んだ。

「で、だ。俺がー、耀を最初に見つけた時だ。『失せ物の森』だったなー」

 耀はエンを見据えて無言で小さく頷いた。

「あの時ー耀の周りには魔物が2体とー、魔物の体液で汚れたがあった。んで更に言うとー、離れた場所にー何ヶ所かにまとまって魔物の死骸があったわけだ。いずれもー首やら腹やらをぶった切られててー、傷口から溢れた以外に体液がこう、一方向に向かってー点々と飛び散っていたんだ」

 エンは自分の傍に木剣を突き立てて点線を描くように何度か地面をつつくと、

「──耀の方に向かってな」

 耀の前に木剣を倒した。カタン、と乾いた音がした。

「そこでー思ったワケだ。耀はあの剣を使ってー魔物を倒しつつ移動していたんじゃねーのかなってなー」

「耀が……?」

 ゲツェットは目を丸くした。エンは心なしか声のトーンを落として続けた。

「嫌なことを思い出させるようでーまたアレなんだけどよー……あの森で魔物に襲われた時、耀はー、どうした?」

 3人が耀を見た。耀は少し俯いて目を細める。

 握りしめた拳の中に汗と共に滲み出てきたのは、重い衝撃。エンを貫いた時とよく似た──もっとも先のエンは幻影だったらしいが──手に持った剣で肉を裂き骨を断つ感覚。死にたくない一心でむちゃくちゃに走っていたけれど、確かに腕を振った先にそれはあった。頭では忘れていても、体が覚えていた。

「必死過ぎて何があったかなんて覚えてないんだけど……でも、死にたくないから、襲ってくる何かを斬ったってのは、なんとなく……」

「そうか……いや、ありがとう」

 エンは耀の前に倒した木剣を手に取って自分の後ろへ置いた。

「で、残念ながらーこっからが本題だ。俺が何を聞きてーか、分かるか?」

 耀は俯いたまま、ゲツェットとリムはエンと耀を見つめて沈黙した。

「さっきー俺が斬りかかった時。それとー、失せ物の森で耀が魔物に遭遇した時。その共通点はーなんだ?」

 答えたのは、耀。

「……アタシが、

 視線は真剣そのもの。しかしその声は小さく震えている。

 エンは深く頷いた。

「求めていた以上の話が出て来たな。耀が今言ったこととー、俺がこの4、5日調べたことが正しいならー……」


 耀の身に尋常ならざる何かが起こっている──エンはそう断言した。



***



 時間はいったん遡って5日前、あの長い夜の終わりのこと。エンは「異形の闇と救世の光の伝説」というものについて話をした。


 おおよそ500年前のこと、この世界は一度、滅亡の危機に瀕した。


 ある時南の島を割って噴き出した異形の怪物が世界に降り注ぎ、あらゆる厄災が八方から陸海空の生命を脅かした。陸は枯れ、海は濁り、空は淀み、文明を築き暮らしていた者達も、数え切れないほどに食い散らされ踏み潰された。

 しかしそれは始まりと同じくらいに唐突に止んだ。多くの者達が、諸悪の根源となった南の島から白い光が迸るのを見たという。その光は世界中へ広がって美しく煌めき、暴れ回る異形の怪物を瞬く間に鎮め、それまでの混沌が嘘のように平穏になったのだ。

 一体、何が起こったのか──人々は南の島へ向かったがそこに人はおろか生き物の影形も見当たらず、かつては森林だったとされる荒れ果てた台地の中心に、清浄な水が湛えられた泉とそこに突き刺さる一振りの剣があるばかりだった。

 遥か天上におわす神々が救済の為に光臨なされたのだ、と、人々は結論づけた。信心深い者はかの光を「白き光の神」と呼んで今日に至るまで敬い崇め続け、泉に刺さる剣は新たな日々の始まりの象徴として「始まりの剣」と名付けられた。


 当時南の島を調べに行った人々が見たものは詩となり、現在も多くの吟遊詩人に語り継がれているという。



 始まりと終わりを刻む剣

 歯車は回り 時は廻り

 始まりと終わりを見守る輪

 花は咲き 時は先へ


 其れは水底へ縫われた

 輪が封じた 剣が閉ざした

 その手は風の向こうへ発った

 輪を残した 剣を見守った


 其れの鼓動を忌め 雪の重さに全て委ねよ

 其れの吐息を拒め 月の声にて包み秘めよ

 其れの悠久を望め 花の命に祈りを捧げよ

  



 これを聞いた耀は「1個多くね?」などとぼやいたのだが、「何が?」とゲツェットが問えば「なんとなく」と返すので、奇妙な間と苦笑いを挟んでその一言は無かったことにされた。ここで重要なのは、詩に出てくる「始まりの剣」というのが耀が持っていたあの剣そのものなのではないか、という話である。共に出てくる「輪」とやらがなんなのかは不明だが、泉の底に栓をするように突き刺さっていたという状況や、刀身に刻まれていた文言が符号するのである。


 トザス フタタビ ヒラクタメニ

 ヒラク フタタビ アユムタメニ


 閉ざすことを終わり、開くことを始まりとすれば、文字通り「始まりと終わりを刻む剣」となる。そして何より、耀がその剣を引っこ抜くことが、この不可思議な事態が決定打となった。



「──と、この辺までがーこないだ話したことだな」

 時は戻って、耀がエン(の幻影)を刺し貫いた後の地下修練場。耀、ゲツェット、リムの3人は神妙な面持ちでエンの話を聞いている。

「で、こっからなんだがー……耀が持っていたあの剣がー本当に始まりの剣だったとして、だ。始まりの剣ってのはーそれを手にした人間にーまあ途方もない力を与えるってー言われてんだ」

 神と共に語られる武具。耀がパッと思いつく辺りで、ロンギヌス、グングニル、レーヴァテイン。実在したかはさておきこれらは「強大な力」の代名詞として一部界隈で常に羨望や夢想と共にあった。ここで名が出た「始まりの剣」もその類なのだろう。大いに納得した耀は頷いた。

「俺が何を言いたいかー分かったってー顔だな」

 エンの言葉に耀は再度頷く。言ってみろ、とエンは促した。

「アタシが引っこ抜いたのは『始まりの剣』で、その剣を手に入れたからアタシは……なんていうか、剣術の達人みたいになってる」

「達人どころかー既にバケモンの域に達してる可能性もあるなぁ」

 エンは低い声で言った。

「ば、バケモン……!?」

「まーあくまでー可能性だし推測だ。それからー……」

 エンは傍らに置いた木剣を拾って立ち上がると、その切っ先をゆっくりと耀の顔へ向けた。

「耀」

「へ、はい?」

「今からもう一度幻影に斬りかからせる。剣を持て」

「え、何? また?」

 耀(とゲツェットとリム)が慌てふためくのをよそに、エンは木剣を振り上げ首筋目掛けて袈裟に斬り下ろした。

「えっちょっと待っ──」

 耀は叫ぶ。ゲツェットとリムには、そこから先の出来事がまるでコマ送りのように見えた。


 耀が側の木剣を右逆手で取る。

 耀が振り抜いた木剣がエンの木剣を弾く。

 耀は、しゃがんで背中と木剣の切っ先をエンに向けた体勢から勢いよく立ち上がる。

 そして鉄山靠の要領でエンの腹に木剣を突き立てた。

 更に、数瞬の内に体を離しながら木剣を逆手から両順手に持ち替えて、斬り払った。


 エンが斬り下ろしてから幻影が消失する音で耀達が我に帰るまで、1秒と少しの出来事であった。


「なあ、耀……」

 ゲツェットが声を震わせながら問うた。

「お前、本当に、剣術の経験……無いんだよな?」

「なっ、んな訳ないでしょ!?」

 呼応するように耀の目も震える。

「そんな、アタシこんなこと、やったことない! アタシどうしちゃったの!? 何が起こってるの!?」

 木剣を取り落とし、自分の手を見つめておののく。リムは耀の元へ飛んで行ってはその両手を掴み、耀の顔を見上げる。

「…大丈夫。耀は、悪く、ない。あの剣と、隊長の、せい。耀は、悪くない」

「んなこと言ったって……」

 うろたえる耀。妙なこと言いやがってとばかりにリムはゲツェットをものすごい剣幕で睨みつけ、ゲツェットはバツが悪そうに小さく三角座り。そんな中、エンは柏手をひとつ打った。

「つー訳でー、やることは決まったな」

「…隊長、おしおき」

「そーそー俺の仕置き……え?」

「…さっきから、色々と、ひどい」

 そーだそーだー、とゲツェットが小さく小さくヤジを飛ばす。エンは呆れ笑いで肩を竦めた。

「確かにー申し訳ねーな。耀にー色々と辛いことをさせてしまった。ただ……」

 言葉を切ったエンの濃藍の瞳が鋭くなる。

「これはー確かめる為でもあった。耀はー自分自身に対する明確な殺意に対して問答無用で反応してー、殺意を向けた相手をー確実に殺害する行動を取る。元がどうだったのかー知ったこっちゃねーが、耀

 耀達3人の表情が険しくなる。エンは続けた。

「耀、お前ーサクラとやらをー見つけたいんだな?」

 耀は頷いた。

「そうなるとー今んとこアテになるのはーお前自身の記憶だけだ。つまりはーお前自身が色々な場所を旅してー探す必要がある。更に、だ。『失せ物の森』ほどひでー場所も珍しいがー、街から一歩出りゃあそこにはー人を襲う魔物がうろついている。魔物並か、ソレ以上に悪意のある人間も多い。これがどういうことかー分かるか?」

「殺意を向けられることが増える……」

 耀の答えにエンは深く頷いた。

「これは非常ーーに危険だ。相手の息の根を止めようとする過程でー余計な被害が出る可能性が高い。無関係な人間を巻き込んだりー、余計な魔物を触発したりな」

 つまりだ、とエンはいつの間にやら手にしていた木剣を耀へ向ける。

「その力さえありゃあ耀の命は保証されるんだろうがー、耀の心が死んじまうようなことになったらー……目的のヤツを見つけたところでー、まあ、って感じだな」

 はぐらかすエンだが、耀は表情を引き締めた。

「というわけでー、耀にはこれからー剣術の戦闘訓練を受けてもらおう。確実に身を守るのはー勿論、自分に向けられる殺意、それに対するー耀自身の感情をコントロールするってのがー目的だ。一刻も早く友達を見つける為にもーお前の力が必要だ。分かってくれるか?」

 夢にまで見た剣と魔法の世界がこんなにも過酷なチュートリアルを強いてくるとは。耀は正直言ってもう帰りたくて仕方がなかったが、帰る方法なんて分からないし、もしここでエン達と手を切ってしまおうものなら行くアテも生きるアテもまるで無いのは火を見るよりも明らか。

「……分かった。頑張る」

 不安。焦燥。それから、決意、というより思考放棄。そんな諸々が入り混じった返事にエンは口の端を吊り上げた。

「月翔隊の訓練は厳しいが、街の外はそれよりもずーっと厳しいぞ? ここで音ぇ上げるようならー友達を見つけるのは不可能だと思えよー」

「よ……よろしッ、よろしくお願いします!」

 耀はやや噛みつつ自棄っぱちで叫んだ。いずれそれが本当のになると願って。

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少年少女異世界理由紀行 万路唯波/バンロイヴァ @LiVaika9090

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