対象者1 小川啓吾の場合(行き場をなくした男の話)

 何度空を見上げたって状況は何も変わらない。今以上悪くなることはないが、今以上良くなることもない。

「ははっ」

 そこまで考えて、思わず笑ってしまった。すごく軽い笑いだ。自嘲、っていうのか。

「こんだけ最悪な状況から、どうやってこれ以上悪くなるんだよ、無理だろ、むしろ。今の『むしろ』の意味よくわかんねーけど、」

 心のうちとは正反対にすがすがしい空がまぶしい。昼下がりの公園、近くの幼稚園の園児たちが、何人かの先生に見守られながら楽しそうな声をあげて遊んでいた。そんな中、彼、小川啓吾は、空間に向かって独白を続ける。

「あれか、ついに俺も謎ポジティブを発揮する日が来たのか。『おみくじで凶をひいたら次は上がる!!』的なやつ? よし、俺もこれから運気上昇、成長一遍、楽しくなる一方!! ……んな上手くいくかっつーの!! むしろこれから死ぬまでずっと凶引き続ける自身あるわ俺!! …あ、」

 彼が唐突に大声を出したので、園児が振り向き、先生の『計らい』で少し離れていった。

 「あー…、とりあえず…帰るか…。」


 自宅に帰ってみたものの、することは何もない。この後の予定も何もない。毎日のスケジュールを真っ黒にしていた明日以降の仕事は、つい先ほどなくなった。つまり、

「………………無職かぁ……………」

 そういうことである。


 「明日からどうしよっかなぁ……………ハロワとか行ってみちゃう?でもオレ、何の資格もねぇし………体力買われて雇ってもらった先が超ブラック企業で、上司の賄賂チクったらクビになりましたとか、そんな怪しいやつ取ってくれる企業なんてこのご時世ないよなー………知ってたー………」

 こんな時、慰めていれる彼女の一人や二人でもいればよかったのに、いや、二人はまずいな、一人だけでいいから…――

 そこまで考えて、また思考停止した。今、頭に思い浮かべているのは、最後に付き合っていた彼女のことだ。最後に会ったのはいつだったっけ?毎日毎日、朝から晩まで仕事に駆り出されて、仕事のことしか頭になくて、気が付いたら、愛想をつかされていた。大学時代から付き合っていた彼女だった。

 美人だったよな。とがった顎を、少し斜めに眺めるのが好きだった。凛としてて、綺麗で、オレには不釣り合いなくらい。いや、不釣り合いだったんだろうな。昔っから周りのやつらに、お前には勿体ねぇって言われてたもんな…。そういやあの時一緒にいた大学時代の友達は今どこで何やってるんだ?就職してから、誰かに合った記憶もないな…。

 思考は渦巻式に進んでいったが、結局のところ、今すぐ連絡が取れるほど親しい人間がいないことに改めて気づいただけだった。むなしい気持ちだけを抱えながら、いつの間にか、思考は夢の中に放り出されていた。





 

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イキガミ M @moet_

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