人殺しの屋上

松岡清志郎

人殺しの屋上

「ねえ、聞いた?あの子、使らしいよ」

「え、もう使の?うそでしょ?」


 昼休み。

 今日の時間割で一番面倒な物理が終わって、ゆるんだ空気の教室の中。コンビニの袋を鞄から取り出し、昼食を食べに行く準備をしていると、そんな女子たちの会話が耳に入った。


 それはあまりにもありふれた、言ってしまえば手あかのついたトークテーマ。

 高校に入学したての頃ならいざ知らず、学年が進むにつれ恋愛や受験なんて、たわいもない会話がばかりになったが、しかし今でもこの話は、いつもみんなの関心を集めている。



***



 ――中学校でも何度も説明を受けていると思いますが、15歳を迎えた皆さんには、ある権利、ものすごく簡単に言ってしまえば、「」が認められます。


 高校に上がってすぐの特別授業。校外から派遣されてきた女性講師のかっちりとしたスーツ姿を思い出す。


 ――でももちろん、皆さんがナイフで人を刺したらそれは立派な犯罪。殺人罪になってしまいます。この権利を使うには、役所に行って簡単な手続きを踏む必要があります。そうすると、皆さんがした相手を、国の専門職員が排斥、つまり殺害する、というわけですね。


 あの時は殺害、という直接的な単語に、教室の空気が一瞬固まった。しかしそんな様子にも慣れているのだろう。講師の女性は張り付けたような笑顔を浮かべて、すぐに言葉をつづけていた。


――もちろん本当に誰でも殺せるわけではありません。まず、もちろんですが15歳になっていない子どもを指名して殺すことはできません。あと、本人同士の面識がない場合、例えばテレビで見たムカつく芸能人なんかをすることはできないわけですね。


 悪戯っぽく最後に付け加えたその一言に、何人かの生徒が乾いた笑いを上げた。


 ――そして、一番重要な条件ですが、あー、じゃあこれは誰かに聞いてみよう。この権利は「万人が一つずつ持てる刃であると同時に、盾でもある」なんて言いますけど、これはどういう事かな。そこの眠そうな彼、答えてみよう。


 ――……あっ、えっ?はい。えーっと、権利を持っている人は、権利では殺されない、ってことだと思います。


 ――うーん。まぁ、すごく大雑把には正解。いいですか、誰かから指名されたとしても、自分がまだ誰もしていなければ、死なずにすみます。両方の権利は消失しますけどね。つまり、この生涯で一度だけ使える権利は、誰かを殺そうと時と、誰かに殺されそうになった時、消失するのです。


 そこで講師は一拍置くと、教室の生徒を見渡した。誰も彼も中学の時から聞き飽きたこの説明に興味なさそうで、真面目に聞いている奴の方が少ないくらいだった。もちろん僕もその一人だったのだが。



***



 そしてその権利を使った、使わないというのは、噂話としてはもってこいで。


「でも、私らの年で使なんてことなくない?この先怖いじゃん」

「それがどうも男関係らしいよ、チジョーのもつれでショードー的に、ってやつ」

 男子高校生の目から見れば過剰なほどに小さな弁当をぱくつきながら、彼女らは僕の隣の席に目をやると、女子特有の高い声で騒ぐ。


 人の生死にかかわるこの話題も、高校生の手にかかれば、誰かが初体験を済ませたかどうか、と同じ程度で交わされる話題となるようだ。

 そして僕の隣の席の杉本が、もうこの権利を誰かに使だという噂は、2年に進級したあたりからクラスに流れ始めていた。


 とはいっても、集団の中で少し変わった奴が、すぐにそういう噂を立てられるのは分からない話でもなく。

特に学校という組織の中にあって、頑なに誰ともかかわろうとせず、そのくせ排斥されるほど関心を引かれるわけでも無い彼女が、そんなレッテルを張られているのは別段意外でも何でもなかった。


 そんな、授業終了のチャイムが鳴り終わるのを待たないうちにもう教室から消えていた彼女の席を一瞥して、僕も食事をとるために席を立った。



***


 

 どの教室へ向かうよりも多くの階段を上り、どの教室よりも重い扉を押し開ける。


 用務員のおっさんが親父の親友らしく、その縁で手に入れた屋上の鍵。おかげでここでは完全に一人になることができた。

 入学してからずっと、同級生の声よりも風の音がよく聞こえるこの場所には、昼休みのたびに訪れている。


 僕は持ってきた菓子パンをさっさと食べ終わると、いつものようにライターと携帯灰皿を取り出して、咥えた煙草に火をつけた。


 ちなみに殺人権はまだ持っていても、当然僕は未成年ながら煙草を吸う権利は持っていない。

 こんなことをしていると僕も教室で<使用済み>とか噂されるのだろう。

 いや、もうされているのかも。そんなことを考えながら、屋上の強い風に一瞬で流れる煙を見つめていた。

 

「美味しいの?それ」


 後ろからふいに声をかけられて、一瞬肩が跳ね上がった。

「わざわざこんなところで隠れて吸うくらいなんだから」

 振り返れば杉本が屋上に立っていた。それを見て鍵を閉め忘れたのを思い出す。


「吸うために隠れてるんじゃなくて、隠れたいから隠れてるんだよ。ついでだからタバコも吸ってみてるけど」

 なぜか見られたのが杉本で安心してしまい、普段教室でクラスメイトと話すより、よほど肩ひじ張らないで返答ができた。

「それじゃあ、君は何から隠れてるの?」

「なんだろう。クラスメイトかな」

「あら、じゃあ見つけちゃって悪いことしたわね」


 そう言って楽しげに笑う杉本を見て、少しだけ僕の心臓が鼓動の速度を上げる。


「そういえば、杉本」

 そんなことを、動揺しているのを悟られたくなくて、思わず僕はその話題を出してしまったのかもしれない。

「もう使だって、本当?」


 そう言ったとたん、杉本の表情が、先ほどの笑顔からいつもの、教室の中で浮かべているような無表情になり、僕を見るその目がクラスメイトの皆を見ている時の目に戻った。


「い、いや、なんか教室で女子がそんな噂話してて。ちょっと興味本位で聞いてみたっていうか……」

 とっさに口をついた言い訳がましい言葉に、自分でも嫌気がさす。


「……みんな何言ってるんだろうね」


 すると、正面に立つ杉本が、呆れたようにそう言った。わかってないよと。


「法律とか権利とか。そういうものじゃないよ。あんな権利なんて、あっても無くても変わらないじゃない」

 そう言いながら、杉本はゆっくり僕の方へ歩いてくる。

「……変わらないってことはないだろ。あれば憎い奴を殺せるかもしれないし、無かったら誰かので殺されるかもしれないんだから」


「変わらないわよ」


 杉本の顔がすぐ目の前に迫る。彼女より少し身長の高い僕を見上げる大きな目が、至近距離ではっきりと見える。


「だって結局のところ、殺すのは私だもの」


 杉本がその手を伸ばし、僕の首に触れた。彼女の両掌が、僕の喉を、僕の命を握っている。

 空気を求め僕があえぐ。苦しいのに、その手を振り払いたいのに、彼女の瞳から目が離せない。


「権利だろうがナイフだろうが、何を使うにしたって、結局は私の意志が殺すんだから。そうでしょ。あなたが権利を持っていたからって、私のこの手は止められないわよ」


 引き寄せた僕の耳元でそう小さく言うと、杉本はそっと僕の喉から手を離し、そして教室の誰も見たことがないであろう笑顔を浮かべると、踵を返して屋上を後にした。



 彼女が去った屋上で、僕は一人タバコを吹かす。

 煙は相変わらず一瞬で流れてゆき、余韻も何もあったもんじゃない。


 結局本当のところはわからないが、もしクラスの皆が言う通り、杉本が使だというのなら。

 そんな彼女に選ばれた相手が、僕は少しだけうらやましかった。

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人殺しの屋上 松岡清志郎 @kouhai

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