盾の護衛士

秀田ごんぞう

盾の護衛士

 ――これはある王子の一行が繰り広げた旅のしおりの一部である――R・E

 

 オイコット帝国――この世界を統べる一大国家である。古来より続くオイコットの王家には他国とはちょっぴり変わった伝統があった。

 それは、王子が王位を継承する際に、人の上に立つ王として自らの見聞を広めるために帝国統治領内の五つの主要都市を巡るというものだ。

 十二歳になるファラ王子も国の伝統に則って旅に出ることが決まっており、出立の日はもうすぐそこまで迫っていた。


 …………。


 ……ここまで読んで、なんだか堅苦しそうな設定で、よくある長い旅物語でも始まるのだろうかと読者諸君は思ったかもしれない。

 安心して欲しい。この物語の主人公であるファラ・オイコット王子は微塵もそんな御大層なことを考えてはいない。

 ほら、今だって王子は――



 城の窓縁に頭をもたげ、ぼくはぼんやりとどこともなく遠くを見つめていた。

 ファラ・オイコット。由緒正しきオイコット王国の王子だ。

 近衛メイドのドロシーが荷造りしてくれたおかげで出発の準備はすでに整っている。おそらく明日の朝にでも出発式が開かれて、オイコットを出ることになる。そこから草原の国エルデ、海沿いの工業都市マリンピア、魔導都市レーン、アスガン渓谷領を抜けて、最後にサフランの大樹に名を刻む。おおまかな旅程は毎回こんなところだろう…………とはいえ、はっきし言って、そんなことはぼくにとってどうでもいい。あくまで表向きは伝統のための旅だけど、城を出て旅に行くなんてのはおまけみたいなものだ。

 ぼくの本当の目的は、長いことずっと欲しかったアレを手に入れること。

 ラケルならきっとわかってくれると思うけど、頭のお堅い連中には理解してもらえないだろう、淡い希望だ。

 想像するだけで手が疼く。早く、やってみたい。書物で読んだことはあるものの、実際手に持って遊んだことは一度もない。

 きっとめちゃくちゃ面白いんだろうなぁ……。早くこの手でやってみたいなぁ…………

 

 『てれびげーむ』。


 ま、もう少しの辛抱だ。城の外に出ちまえば誰も邪魔するものはなし。城下町で大流行しているという『てれびげーむ』を思う存分楽しめるというわけである。

 ……にやにや笑ってる場合じゃない。あくまで表向きはマジメな旅だからな。きちっとしないときちっと!

 そんなことを考えていると部屋の戸をノックする音がした。入ってきたのはメイドのドロシーだ。

「失礼します王子。王様が謁見の間にてお待ちです」

「ああわかったドロシー。それと……荷物の準備、ありがとう」

「いえ。私は王子に仕えるものとして当然のことをしたまでですから」

「……本音は?」

「えへっ。王子に褒められちゃった? 徹夜のしがいもあるってものねっ!」

「は、はは……」

「さ、参りましょう王子!」

 ドロシーは昔からこんな感じで、いつも表の顔と裏の顔を使い分けている油断ならない女だ。彼女の猫かぶりがばれてからはぼくにだけ本音を見せるようになったのだけれど……にやけ顔からマジメ顔に戻るまでのスピードといったらもはや達人と言える。

 ぼくはドロシーの二重人格ぶりに苦笑しつつ謁見の間へと向かうのだった。

 

 

 そう――ぼくの旅の目的は由緒正しい伝統を守るためなどでなく、城下の庶民たちの間で瞬く間に大盛況となった『てれびげーむ』なる娯楽遊具機器を堪能するためだったのである。フッフッフ――



 恭しく礼をして謁見の間を訪れたぼくを、王様が柔和な笑顔で迎える。一方、傍に立つ大臣はなんだか妙に疲れた顔をしていた。

「来たか、ファラ」

「はい。それで……用事というのは何でしょう父上?」

 父は立派なあごひげをさすりながらつぶやく。

「うむ……ファラよ。お前の出立の日取りが決まったのだ」

「なるほど。して……いつに?」


「……今すぐ」


 父の発言の意味が理解できなくて、思わず、間の抜けたような返事が口をついて出てきた。

「あの……今すぐというのはどういう……?」

「そのまんまの意味だが?」

「いやいやいやちょっと待ってください父上! 今すぐってのはいくらなんでもいきなりすぎませんか!?」

「……旅の準備なら完了しているとドロシーからすでに聞いていたが。何か問題でもあるのか?」

 偉大なる父王の瞳は全然笑ってなくて、なにやら事態が非常に切迫していることを予感させる……そんな目をしていたので、ぼくも返答に窮してしまう。

 すると隣に立っていた大臣が小さく溜息をついて言う。

「王子が驚くのも無理はありませんが……仕方がないのです。王子もよく知っておいででしょうが、王様は一度決めたことは、よほどのことが無い限りすぐにでも実行するお方ですから」

「……それにブレーキをかけるのが、大臣! キミの役目ではないのか!?」

「面目次第もございません」

 とはいえ大臣を責め立てていても仕方ない。こうなったら父は無駄に頑固なのだ。

「よいかファラ。すぐに荷物を持って、中央広場へ向かうのだ。今より一刻の後、広場にて出立の儀を執り行うことになっておる。よいか、遅れるでないぞ!」

「……わかりました。けど、せめてなぜ急に出立が前倒しになったのかくらいは教えてもらえませんか、父上」

 ぼくの問いかけに、我が偉大なる父王は憮然とした態度できっぱりと答えた。



「ヒマだからじゃ」



 その場にいたぼくと大臣、ついでにドロシーも呆けてしまったのは言うまでもない。




「いやはや大変なことになりましたね王子」

「ああ。まさかぼくも今日出発するとは思ってなかったよ。我が父ながら、自由すぎるだろあのオヤジ」

 あれからドロシーに手伝ってもらって急いで旅支度を調え、城下町の中央にある広場へと向かった。今からここで出立に際しての式典が執り行われるらしいのだ。いかにも伝統行事と言う感じで堅苦しい感じがするなぁ。

 まぁ出発が急ではあったけど、ポジティブに考えれば、早く『てれびげーむ』ができるって事だ。

 とにかく、真面目に出発したふりをして、すぐに闇市のげーむしょっぷに向かうとしよう。ふっふっふ……。

「王子、顔がにやけています。」

 ドロシーに指摘され、ぼくはきりっと真面目な表情に切り替える。いけないいけない。表向きはちゃんとした行事にすることになっているのだ。

 ちなみにドロシーは、ぼくが実はただ『てれびげーむ』をやってみたいがために旅に出たいと思っていることを知っている。これでも小さい頃から一緒にいる近衛メイドだし、彼女には隠し事をしても看破されてしまうのだ。


「あ、ファラ様! どちらに行かれるのですか?」


 ぼくを見つけて話しかけてきたのは許嫁のミルフィだ。名家の出で、今は城下町に居を構えて暮らしている。年はぼくと同じの12歳で、なんというか……天真爛漫という言葉がよく似合う女の子である。ミルフィにはちょっと困ったところがあって……。


「父上に言われて、旅に出ることになって……」

「旅、ですか!? わたくしもついて行きます!」

「え!? ダメだよミルフィは! なんかあったら危ないでしょ」

「そんなの関係ありません! わたくしはファラ様の許嫁ですもの!」

「いやいやいや。頼むからミルフィは城下にいてくれよ」

「嫌です!」


 ……と、このように自分の意見を頑固に曲げない節がある。言い方を変えると、ちょっと面倒くさい娘なのだ。

 このままだとミルフィのペースで話が進んでしまいそうだったので、ぼくはドロシーとその場を逃げることにした。

「あ~っ、ファラ様お待ちくださいませ~!」




「……良かったのですか、王子。ミルフィ様にあんな態度を取って……」

「しょうがないでしょ。意地でもついてくるつもりなんだから」

「まぁ王子の目的ぶっちゃけ『げーむ』ですもんね」

「ぐっ……! まぁそういうことだ」

「そーいえば、王子。お供の者はどうするおつもりですか?」

 旅には危険が付きもの。ぼくも王子であるからには、旅に出る際にはその辺の身辺警護やらなんやらを任せるお供の従者を連れていくわけだ。

 とは言っても……くそ真面目な聖騎士を連れて行ったところで旅の真の目的が達成できるとは言い難い。やはり連れて行くなら、あの男しかいないだろう。

「うん。やっぱり連れて行くならラケルかなぁ」

 すると、ドロシーは渋面をつくり、苦虫を噛み潰したような顔でつぶやく。

「えー……ラケル殿を連れて行くんですか!? 悪い人ではないことはわかってますけど。王子は庶民に大流行の『てれびげーむ』とやらの体験の為に行くつもりなんでしょうけど、一応歴とした真面目な行事ですからね、今回の旅」

「わかってるって」

「それならわざわざラケル殿を連れて行かなくても……」

 ドロシーが難癖を付けるのにも理由がある。ラケルという騎士は、城内での評判がすこぶる悪いのだ。かく言うドロシーもラケルのことはあまり快く思ってないらしい。

「ま、キミが言うことも一理あると思うけどね。ぼくは彼を連れていくつもりだよ。あいつは多少素行に問題があるとはいえ、なんだかんだいっても信用できる男だし、それになにより……強い」

「はぁ……まぁ旅にでるのは私じゃないし。王子の好きにすればいいんじゃないですか。あ、死んだときの遺産は是非とも私がすべて相続できるということでお願いいたします」

 ……さらっとそんな物騒なことを口にするこいつこそが一番の危険人物なのではないだろうか?




 そうこうしているうちに広場に着いた。

 広場にはすでに人だかりができていて、騎士達が群衆の整理に四苦八苦していた。

 しかし、式典が始まると一転、興奮していた人たちも静かになって、広場は厳かな静寂に包まれた。


 式典は滞りなく進行し、筆頭騎士の挨拶で幕を閉じた。ま、そんな真面目な話はぼくにとって、どうでもいいんだけどね。


 式の終わりと共に聴衆は散っていき、ぼくたちも城へ戻った。ほっと一息着いてから出発しようかと思ったが、円卓の部屋へ来いとの父上のお言葉。


 円卓の間は大臣たちの会議にも使われるような、非常に大きな場所である。壁のあちこちに豪華絢爛な模様があつらえてあるのもさすがである。


 部屋に入って、思わず目を見開いた。

 円卓の間には、およそ城で働いているほとんどすべての人が集められていたのである!


「王子、これはいったい何事でしょう?」

 と、ドロシーも目をぱちくりと瞬かせている。

「さぁ? 父上の考えていることはぼくにもわからないよ――と、どうやら父上がいらっしゃったみたいだ」


 威厳たっぷりに歩いてきた父上は、円卓を見渡せる位置に腰を下ろし、集まった面々を眺め回してからおほんと大きく咳払いをする。


「皆の者、集まってくれてありがとう。早速だが、話を始めよう。……ファラよ、ちょっと来なさい」

「は、はい!」

「今日、皆に集まって貰ったのは他でもない。ファラの旅について行く、従者を決めるためなのだ!」

 そうかなるほど。それで城のみんながここに集められていたというわけか。

「父上、従者ならすでに決めております」

「ほう……誰を連れて行くつもりだ?」


「ラケルです」


 彼の名を口に出した途端、皆がざわざわとざわめき出す。今更だが、やはり彼の評判はすこぶる悪いらしい。しかし……


「ふむ、ラケルか……まぁ、あの男なら護衛も務まるだろうな」

 そんな父の言葉一つで、シンと部屋のざわめきは静まった。

「聞いていたんだろうラケル。すまないが、王子の旅に同行してはくれんかね?」


 すると、部屋の隅から一人の男がぬるっと姿を現す。その風体はおよそ王宮騎士とは思えないほどにお粗末で、髪はボサボサ、マントはぼろぼろだった。


「話は聞きましたよ。要は旅の途中、王子を護衛しとけば良いんですよね」

「ああ、そうだ。よろしく頼む。旅に必要な物資は何でも頼るが良い。期待してるぞ」

「はっ。王の頼みとあらば、このラケル。断る道理がありません」

「ぼくからもよろしくねラケル。君は護衛にかけては……」


「ちょっと待った!」


 その時、突然の一声がぼくの言葉を遮った。

「王様。失礼ながら申し上げますが、王子の護衛は私こそ適任に思われます!」


 凛として発言した騎士はラスティナ・エリオット。先の式典でも挨拶を任された我が国の筆頭騎士である。


「ラスティナよ。そなたの剣技は疑う余地もないが、今回はラケルに任せると決めたのだ」

「し、しかし!」

「とにかく、話はこれで終わりだ。ファラよ、旅の無事を祈っておるぞ」

「はい!」


 そんなわけでぼくはラケルと一緒に旅に出ることになった。

 ……なんかラスティナがこっちを恨みがましく睨んでたけど。


   ◇ ◇ ◇


 衛兵たちに見送られ城の門を出たぼくたちはしたり顔で顔を見合わせる。

「……というわけだから、これからよろしくねラケル」

「こちらこそ。よろしくお願いします王子」

「…………」

「……なんでしょう王子?」


 首を傾げるラケルに対し、ぼくは清々しいほどの仏頂面でつぶやいた。


「まず、その演技をやめろ」

「……やっぱバレました?」


 てへっという仕草のラケル。正直、ぼくにとっては、彼に敬語で話しかけられると全身からじんましんが出そうになる。


「へっへへ王子には適いませんねまったく。ま、仰るとおり俺は俺で目的があって王子の旅についていくんで、よろしくっす」

「んな事だろうと思ったよ。キミが何もなくついてくるはずないもんね。……それで? 今回の目的は何なのさ。カジノでも行くつもりかい?」

「……王子。それを男に聞くのは野暮ってもんですぜ」


 ラケルはそうつぶやいて、悪そうな顔でにやりと微笑する。ま、これ以上つっこんでも仕方ないし、そもそもそんなことに興味は毛頭ないからべつに、いいか。


 そんなこんなで二人でたわいもない話をしているうちに、ぼくたちは城門の前までやってきた。

 門を守る衛兵達に見送られ、ぼくとラケルはオイコット帝国を出国した。

 天気は雲のない快晴空で、出発にはいい日和だった。だから油断していたのだろうか。

 ぼくもラケルも、この時、ぼくらを追跡している影の存在に気づくことはなかったのだ。



 一つの影がつぶやいた。

「――王子が、なんと言おうと私はついて行きますからね。ラケルなどという怪しい男に王子の旅を任せてはおけませんからね…………」



 別の影が城門から離れた尖塔の上からファラとラケルをじいっと見つめている。

「……それは本当なのかしら、ドロシー?」

「ええ。王子の口から直接聞いたので間違いはないかと」

「……そう。そうなのね……ファラ様ったら。ふふ……ふふふふふ…………」

「あ、あのう……ミルフィ様……?」

「そんなに楽しそうなことにわたくしを誘ってくれないなんて……いいわ。絶対ついていきますからね。フフフフフフ……」

 彼女の薄笑いがあんまりにも恐ろしくて、隣にいたドロシーは何も言えなかった。




   ◇ ◇ ◇



 さて。城門を出て少し歩くと、道が二つに別れた場所へやってきた。

「王子、道が分かれてますけど。こっちが港町で、もう一方が隣国領に続いているっぽいっすね。どうします?」

 本来の旅では城門を出たぼく達は隣国に行かなきゃいけないんだけど、ラケルと協議した結果、そこは華麗にスルーして、港町ゼトの方へ向かおうという事になった……のだが。


 ゼトの方へ歩こうとした途端、突如、後ろから凄まじい勢いで何者かの剣が迫ってきた!


「あっぶねぇ!」


 ラケルが、持っていた盾で不意の攻撃をぎりぎりのところでいなす。

 襲撃者はサーカスの演者のごとく空中で華麗な後ろ宙返りをした後、剣を鞘に収めた。

 ふぅと一息ついてから、猛烈な勢いで語り出した。

「ちょっと待ってください! あなた達、そっちは道違うでしょう! 何考えてんですか!?」

「んなことより、テメェ! いきなりなにしやがる!」

「ふん。あの程度、護衛なら防げて当然です」

「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでラスティナがここにいるの!?」


 そう……、ぼくらを襲ってきたのは、今は城にいるはずの王室筆頭騎士、ラスティナ・エリオットだったのだ。


 ラスティナは冷たい微笑をたたえたまま、ぼくの問いに答える。

「それは勿論……ファラ王子が心配だから来たんですよ」

「いや、大丈夫だよ。護衛にはラケルがいるし、わざわざ来て貰って悪いけど、キミは城に帰ってくれまいか」

「そうだよそうだよ。王子の言う通りだぜ、殺人未遂女や~い」


 ラケルの一言に、ラスティナが恐ろしく鋭い眼光で彼を睨む。


「誰が殺人未遂女ですって?」

「ヒッ!」

 反論する気が失せるような恐ろしい眼光に、さしものラケルも二の句が出ない。

 途端にラケルは蛇に睨まれたカエルのようになってしまった。


「……失礼ながら、王子。やはりこの男に護衛の任を任せてはおけません。なにせ城門を出てからものの十分とたたないうちに道を間違う始末です。これではいつ王子の旅が終わるのか、わかったもんじゃありません」


 うん……間違ったというか、わざとこっち来たんだけど、言ったらぶち切れそうだなラスティナ。ここは黙って彼女に口裏を合わせておくべきだろう。なんとか彼女を説得して城に帰ってもらってから、またゲーム探しの旅を始めればいいわけだし。うん……そうしよう。



 しかし――である。ぼくが連れてきた男はどうしようもなく……バカだった。



「道が違うだぁ? 何いってやがる? 俺たちはなぁ港町ゼトにゲームと女漁りに行こうと思ってたんだ。何も間違ってねぇじゃないか。バカかお前?」


 バカはお前だぁぁぁぁぁぁ!


 見ればラスティナのこめかみがピクピクと脈動している! あれはマジで理性が無くなりそうな人に起こる現象だ。まずい。早くここから逃げないとぼくも巻き込まれそうだ。


 なんて考えてる間もなく。


 ラスティナの放つ稲光のごとき刺突がラケルの鳩尾を見舞った!


「グ……ガハッ……!」

 倒れたラケルに冷たい微笑を向けた後、彼女はくるりとぼくの方に向き直る。

「どういうことか説明してくれますか……王子?(にこり)」


 笑ってない! 全然、笑顔が笑ってない。


「えっと……その……」

「はい」

「ぼくは……知らない! 何も知らないよぉぉ!」


 ぼくは、逃げた。だって怖いんだもんラスティナ。


「王子! 待ってください王子!」

「待てと言われて待つ人がいるわけないよ!」

「ちょ、待て王子、こおらっァ!」

 ラスティナの口調がチンピラ風になりはじめた。どうしよう……ぼくはどうすればいいんだっ!



 それからぼくは決死に逃げたが、所詮騎士団きってのエリートである彼女から逃げおおせるわけも無く。

「はぁはぁ……」

「王子。知らぬ存ぜぬは通りませぬ。よもや、あのクズ男の言うとおり、下賤な目的のためにゼトへ向かうとでも?」

「はっはは……そんなわけ、ないじゃないかぁ」

「ならば何故! 黙っていては、このラスティナ、納得できません!」

「えっと、だから……」


 このとき、ぼくの脳裏に奇跡的な天啓が響いた!


「そう! これは民達の暮らしを見聞するための寄り道なんだ! ただまっすぐに目的地を訪れるよりも、見聞を広めることができると思ったんだ。ラケルは……ヤツはシャイだからさ。ラスティナにほんとのこと言いたくなかったんだよ。ここだけの話、彼はキミのこと、ずっと気になっているみたいなんだ」


 ラケルが気絶しているのをいいことに、ぼくはあることないこと語る。どうにかラスティナが納得してくれれば、僥倖である。


「なるほど。王子の話は分かりました」

 元来、真面目な性格の彼女である。どうにか信じてもらえたみたいだ。いやーよかったよかった。

「……なんて言う訳ないでしょう! 王子、嘘はやめてください!」


 ……やっぱりダメだったみたいだ。



   ◇ ◇ ◇



「さ、行きますよ王子! 旅程の遅れを取り戻さねばなりません!」

 結局、ラスティナも旅についてくることになってしまった。ぼくとしては残念極まりないのだけど、彼女の逆鱗に逆らう力はなかったのである。ぼくは己の無力を密かに嘆いた。


 ――だが、ヤツは未だ虚しい抵抗を続けていた。


「待て待てそこの女。急いては事を仕損じるとも言うじゃないか。ここは一つ、とりあえずこのまま港町へ行ってみるのも手だと思うが」

 にやけた顔で提案するラケルを見て、ラスティナは溜息をしてつぶやいた。

「ようやく気絶から回復したと思えば……ラケル、あなたには騎士としての自覚があるのですか?」

「……風の噂で聞いたんだが、最近、港町で盗賊の一団が幅をきかせてるって話なんだけどな……」

「それが何か? 私たちの目的は盗賊退治ではありません」

「……だってよ。王子、どう思います?」

 なるほど。ラケルの言わんとすることがぼくにも理解できた。

「まぁラスティナの言うとおり、盗賊退治が旅の目的ではない。……けれど、それでいいのかな?」

「王子、どういうことでしょう?」

「つまり……困っている民を見捨てて己の目的のためだけに旅をするのは、後に国を治めるであろう王子のやることなのか、と聞いている」

「っ! しかし!」

「決まりだな。俺たちはゼトへ向かう。ついてきたきゃ勝手にするんだな。冷酷非道の騎士サマ」

「ぐぬぬ……わ、かりました。そういうことであれば……」

 ラケルに言い負かされた格好になり、ラスティナは相当悔しそうに顔をゆがめていた。

 一方のラケルはそんな彼女を後目に、そっとぼくに耳打ちしてきた。


(王子、やりましたね!)

(キミもよく頭が回るものだね。どうせ、盗賊の噂なんてでまかせだろ?)

(あ……やっぱ、王子にはわかっちゃいます?)

(それくらいわからなくて王子は務まらないよ)


 こう見えて、ぼくも仮にもオイコット帝国の王子なのだ。街々での事件や噂は意識せずとも耳に入ってくる。とりあえず港町ゼトに関しては、ラケルが言っていたような盗賊騒ぎに関する話はぼくの耳に入ってきていないし、すぐに彼の嘘だと分かったのだ。

 そもそもラケルなんかに説得されてしまうラスティナにも問題がないとは言えない。彼女は良くも悪くもマジメすぎるのかもしれない。

 でもまぁ。ラケルの機転のおかげで、港町でゲーム探しができるというものである。




 そしてやってきた港町ゼト。

 この近辺では最も栄えている港町であり、他大陸からの船舶の往来も盛んであり、町全体がいつも賑わっている活気に満ちた町である。……といってもぼく自身も本で町のことを知っているだけで、自分の目でこうして町を見て歩くのは初めてだ。

 門をくぐると、海に面した大通りに露店が立ち並ぶ。港に面した大通りでは大きなマーケットが開かれていて、潮風に乗ってあちらこちらからおいしい料理の匂いが漂ってくる。広場の方では大道芸人が自慢の芸を披露している。

 騒がしくも楽しいこの雰囲気がぼくはすぐに気に入った。

 城の暮らしではありえないことばっかりだ。

 本当に初めて見るものばかりで、『てれびげーむ』抜きにしてもこの旅は非常に有意義だったと言える。町の人たちの遠慮のない会話や、笑い声。そして――


 …………ぼくはこんなに鼻の下を伸ばして歩く大人を見るのは初めてだった。


「ラケル……ぼくは不審者扱いはごめんだからね」

「わかってますって王子。へへへ……にしてもやっぱりゼトには上玉が多いなヒッヒッヒ」

 まるで三流悪役のような台詞をつぶやきながら歩く護衛の姿にぼくは軽くため息をついた。ラケルがこうして公共の福祉に反する顔立ちでいられるのも、ラスティナが今日の宿を探しに行ってくれているからに他ならない。真面目一筋の彼女がいれば、ラケルは即斬まったなしである。

 だが、ぼくとしても今はチャンスだった。ラスティナがいてはおちおちゲームショップを物色することさえできやしない。真面目すぎる護衛というのも、ほんと考えものだ。


 さて、時間を有意義に使うためにぼくはラケルを引き連れ通りの一角にあるゲームショップの前に来ていた。事前の調査(ドロシーに手伝ってもらった)によれば、他国の貿易船の寄港も盛んな港町ゼトには、城下町を軽く凌駕する品揃えのゲームショップがあるらしい。だから、ぼくは旅に出る前からこの町に来ることをとっても楽しみにしているのである。

 ラケルは多少不満そうな顔をしていたけれど、そこは王子の権限でついてきてもらう。

 彼は酒と女にしか興味がないらしく、ゲームはガキの遊びと馬鹿にしていたが、ぼくもラケルくらいの年になればそんな風になってしまうんだろうか。


 ……こんな女の尻ばかり追いかける大人に、なりたくないなぁ。

 と、そんなことより今はゲームだゲーム。


 店内に入った瞬間、ぼくの目に真っ先に映ったのは一つのポスター。『マジックモンスター』というタイトルで、ぼくと同い年くらいの少年少女が、小さな魔獣、モンスターを従えて戦っているゲームだ。


 ぼくの調査(協力ドロシー)によれば城下では赤い帽子にヒゲがトレードマークの男がキノコを片手に大亀から姫を救うゲームが大流行しているらしいのだが、店のポスターのゲームはそれとはまったく趣を介するゲームである。

 それに何よりぼくの心を打ったのはゲームマシンの形態である!

 城下での調査(協力ドロシー)によれば『てれびげーむ』はある程度広い場所に機械を設置して遊ぶものという認識だったが、この店に置いてあるゲームマシンはぼくでも片手で持てるサイズだ。この大きさならこっそりベッドの中で遊ぶこともできる、ぼくみたいな地位の人間にとってはまさに理想的といえるだろう!


 ぼくは急ぎ、カウンター裏でせわしなく働いている店主に声をかける。

「いらっしゃい。……ああ、マジモンね。ちょうど在庫があと少しだけ残っていたよ。お客さんラッキーだったね。本体は持っているの?」

 マジモンとは『マジックモンスター』の略称のようだ。

 ゲームを遊ぶためにはそれを起動させるための本体マシンがセットで必要らしい。ぼくはもちろん持っていないので、今日、本体マシンも一緒に購入するつもりだ。

「はいはい。ゲームゾーイも一緒に購入ね。ちょっと値段張るけど大丈夫かい? 3000ルッツだけど……」


 ゲームが高価な品物だという噂はどうやら本当だったらしい。3000ルッツは平民の収入半月分に相当する価格だ。ぼくにとってははした金額だけど、庶民が気軽に買える金額ではない。だから、数少ないゲーム機のある家にこぞって皆で集まっていたというわけか。う~ん、ぼくも行きたかったなぁ。

 だが、今日これを買えば、自分の部屋で好きなときに好きなようにゲームに興じることができるのだ。ふっふふふふふ。


「大丈夫大丈夫。早く本体マシンとソフトを頼む」

「ははは。お客さんたいそうゲームが好きと見た。ちょっと待ってなさい」


 店の奥に引っ込んだ店主はすぐに戻ってきて、カウンターに本体マシンと二つのソフトを並べた。……ん? 二つ?


「あの、注文したソフトはそこのポスターのやつだけなんだけど」

「うん。だから持ってきたでしょ。……ああ、もしかしてお客さん知らなかったか。『マジモン』は2バージョンあるんだよ」

 そ、そうだったのか!? 知らなかった……見れば、ソフトの表面にはそれぞれ茶、紫と書いてある。おそらくこれがバージョン名なのだろう。

「バージョンが違うと何が違うの?」

「バージョンによって出てくるマジモンがちょっとだけ違うのさ。だから違うバージョンを買った友達と、ほら、この通信ケーブルを使って交換したりもできる」

 友達と通信で交換…………なななな、なんて面白そうな遊びだ!!

 こんな面白そうなゲームを誰かと一緒に遊べるなんて、なんて素晴らしいことを制作者は思いついてくれたのか!

 だが、興奮している時間はぼくにはあまり無かったのである。


 物憂げに棚を物色していたラケルがそっと耳打ちする。

「王子、急いでください! 早くしないとあの女がここを嗅ぎつけるのも時間の問題ですよ?」


 ラスティナに見つかったら絶対ゲームなんて買ってもらえないだろう。そうなればぼくが旅に出た意味が無くなってしまう!

 とりあえず今のところはバージョンを二つとも買って、あとでドロシーにでもやってもらうとしよう。うん、そうしよう。


「バージョン両方ともお願い」

「両方だって!?」

「う、うん……知り合いに買ってきてって頼まれてるんだ」

「そ、そうだよね……びっくりした。二つ一緒だと200ルッツに500リーヴル追加だけど持ち合わせは大丈夫かい?」

「うん、ラケル早く財布!」


 …………? ラケルの様子がおかしい。あいつなんで青ざめた顔してるんだ?


「ちょっとラケル! 時間ないんだから早く!」

「……いやぁ」


 にへらっとした顔をして男はつぶやいた。


「すっかり忘れてましたよ。王子俺ら、あの女に宿取っておくように言ったじゃないすか」

「ああ。それがどうし…………ハッ!」

「ええ……財布はあの女の手の中に。今の今まですっかり忘れてました」


 しまったぁぁぁぁっ!!!


 ぼくとしたことが一生の不覚!


 まさかこの大事な、非常に大事な場面でよもや一文無しとは!


「あの、お客さん大丈夫かい?」

「だ、大丈夫、大丈夫(ダラダラ)」


 落ち着け、落ち着くんだ。父上に渡された道中の路銀は全部財布に入っていて、その財布はラスティナが持っている。だからぼくのお金は現状使えない。


 だけど、まだ諦めるのは早いんじゃないか。ラスティナに財布を預けたけど、ここにラケルがいるじゃないか。ラケルはぼくと違って大人だし、いい大人が他人に全財産渡しておくようなことするだろうか? よほど相手を信頼しているなら別だけど、ラケルはラスティナと仲が悪そうだったし、ちょっとくらいのお小遣いは手元にあるはずだ。第一、ラケルだって女遊びに出かけるつもりだったはずだしね。

 ぼくはその手の事情には疎いんだけど、大臣の話によればその手の遊びには金がかかるものらしい。大臣も夫人にグチグチ言われていたっけな。


 ともかく、この場はラケルからちょっとお金を借りてゲームを買おう。借りたお金は後でラスティナに財布を返してもらったら、なんのかんの言い訳付けてラケルに返すようにしてもらえば良いし。うん、それで一件落着。我ながらナイスアイデアだ。


「……ラケルちょっと」

「なんすか王子? あ、もしかして俺のおすすめの嬢ですか?」


 そんなことは聞いていない。頭の中がスケベ一色の護衛に僕はため息をつく。


「今だけでいいからお金貸してくれないか? ラスティナに財布返してもらったらすぐに返すから」


 しばしの沈黙の後、ラケルがつぶやいた。

「……俺、金持ってないすけど」


 なにぃぃぃぃぃっ!?


「ちょ、冗談はよしてよ。ラスティナに見つからないうちにゲーム買いたいんだから!」

「王子の財布はあの女が持ってるんでしょ? だから今は金無いって……」

「だからキミの財布からちょっとだけ貸してくれれば良いんだ! ……まさかラケルもラスティナに財布預けてるのか?」

 すると、ラケルは一つ納得した顔で頷いた。

「いやいや。俺そもそも一文無しで出てきたんで」


 な、なな、なにぃぃぃっっっ!

 財布を預けてしまっていたか……とは思ったけど、そもそも文無しだったとは、そこまでダメな大人だったなんて予想できなかった。

 ていうか、え? 一文無しってコイツ何考えてんの?


「お前、一銭も無いってどういうことだよ!?」

「はは、とうとう『お前』呼びになりましたね王子」

「いいから訳を言え訳を! そんなアホなこと納得できるかっ!」

「いやだって俺、王子の護衛で旅してるわけでしょ? じゃあ、必要経費は王子が全部持ってくれるし必要ないかなって」

「ラケル、お前、正気か!? 正気でそんなことを言ってるのか!? ……まさかいかがわしいお店にも僕のお金で行くつもりだったのか!?」

「そりゃ、そうっすよ。他に誰がお金出してくれるんすか?」


 俺。なんかおかしいこと言った? というような顔で言ってのけるラケルがぼくは恐ろしかった。恐怖を感じた。ラスティナにぶん殴られれば良いのにと強く思った。


 ラケルは呆れを通り越して恐怖を抱いている主人をよそに話を続ける。

「王様も言ってたじゃないすか。旅に必要な物資は何でも頼るが良いって。だから俺はご厚意に甘えさせていただいただけですよ」


 マジか。こいつ、マジか。


 ……どうしよう。ラケルはほんとにお金持ってないみたいだし、でもせっかくここまできたんだから『マジモン』買いたいし……。でも、お金ないし…………。

 まずいぞ、本気で手詰まりだ。早くしないとラスティナが来ちゃうし…………。


 そんな時、不意に店主がつぶやいた。

「お客さん、今手持ちが無いんだったら、コレお取り置きしておきましょうか?」


 ――お取り置き!! そうか、その手があったか、ナイスだ店主!!


 とりあえず本体機器とそふとをキープしておいて、後でどうにかして買いに来れば良いのだ。これが今、ぼくにできる最善の手段だ。


「た、頼むよ! 必ず買いに来るから!」

「いいのかおっさん。大事な商品なんだろ、この王……こどもいつ買いに来るかわからんぜ?」

 ちっ、ラケルめ、要らぬことを。店主が考えを変えて、じゃあやっぱ取り置きはなしで、とか言い出したらどうするつもりだ。ぼくは一生お前を恨み続けるぞ。

 だがしかし、人の良い店主はにこにこと笑顔をぼくに向け言った。

「大丈夫ですよ、小さなお客さん。この商売始めてから、あんたほどゲームにキラキラした目を向けている人を見たのは初めてだ。私は今、猛烈に感動している」

「マジかおっさん」

「ありがとう恩に着る。数日の内に必ず戻る。それまで待っていてくれ」

 ぼくは店主に深く礼をしてから、これ以上ラケルが余計なことを言い出さないうちに店を出た。


 ところが、店の扉を出た瞬間、頭が何かにぶつかってよろけた。

「いてて……前を見て歩かないと危ないであろうが…………」

 頭を押さえ立ち上がった時、ぼくは見てはいけないモノを見てしまった。

「………………町中散々探し回って、ようやく見つけましたよ王子ィ」

「ヒッ……!」

 鬼の形相とはまさにこういう顔のことを言うんだろう。

 旅に出て、ぼくはまた一つ学んだ。



◇ ◇ ◇



 ラスティナが取ってくれた部屋で、ぼくは正座させられていた。

 ――王子なのに、正座させられていた。

 ラスティナが握りこぶしを手のひらに打ち付けながらつぶやいた。振動で隣の部屋からヒャッ!!という声が聞こえた。

「王子、私、だいぶ探したんですけど。噴水広場で待っておくように私、言いましたよね?」

「あ、うん」

 口調は至ってにこやかだが、ラスティナの目は笑っていなかった。まるで賭場で全身を剥かれた男達を見るような、そんな哀れな目でぼくを見つめていた。

 ……王子なのに。


 ラスティナがこうも機嫌が悪いのにはわけがある。ぼくが言いつけを破って、ゲームショップへ行っていたからというのもあるけど……それだけではない。


 あ、一応言っておくと、ゲームショップへ行っていた件にはどうにか誤魔化すことができた。『庶民の暮らしを自分の目で見て学ぶ』などというもっともらしい理由を懇切丁寧に説明したら、若干不満な顔をしつつも納得してくれた。ラスティナは真面目すぎるため、意外とチョロい一面があるのだ。ただ、今後は彼女に報告してから行動するように、ときつく言われてしまった。まったく、ぼくは子供じゃ無いのに、これだから真面目騎士は困る。


 話がそれたな。そうそう、ラスティナが起こっている一番の原因は、ここでぼくと一緒に正座させられるはずの男がいないからだ。

 ラケルは、事前にラスティナの気配を察知したのか、いつの間に姿を消していた。それでぼくだけがこうして不幸にも正座させられているという次第である。


「王子、それであのクズ男は王子を置いて一体どこへ? 王子が奴のことを信用してるのは承知しておりますが、護衛の任を置いて他になにをするべきことがあるというのでしょうか。私は彼の騎士としての資質をまったくもって信用できません!」

 と、さっきからかれこれ三十分ほどぷりぷり怒っているのだ。

 そんなことぼくに言われても、あいつがいなくなったことにぼくも気がつかなかったし。

 だいたい、ラケルもラケルだ。何にも言わずどこかへ行くなんて、仮にも王子の護衛だろうに何を考えてるのやら。

「むぅ、もしかして王子はホントにヤツの行き先に心当たりが無いのですか?」

「さっきからそう言ってるでしょ、もう!」

「…………どうやら本当に王子はあの男の行方を知らない様子。ならばヤツは一体どこへ?」

「ぼくが聞きたいよ!」


 こんな時にホント、ラケルはどこへ行ったんだ!?


 ラスティナは少し思案してから、おもむろにつぶやいた。

「王子。あの男、ひょっとすると何か事件に巻き込まれているのでは?」

「事件? この町の平和な様子はラスティナも見てたでしょ? 事件なんて起こるわけ無いって」


 港町ゼトはまさしく平和な町だった。そりゃあ市があるから賑わいに満ちているけれども、治安の悪いような様子はぼくが見た限りでは見当たらなかった。ほら、町の掲示板とかには悪人の手配書とか尋ね人の依頼とか張ってあるもんだけど、この町の掲示板には一切そういうの見当たらなかったしね。

 そんな町で何か事件が起こるなんて思えない。


「それならば……余計問題です。王子の護衛という大切な任を放って、ヤツは何をしているというのですか!? 護衛士として、私にはあの男の神経が理解できません!」

「ラスティナ。ラケルはそもそも常人に理解できる神経の持ち主ではないんだよ」


 ぼくの金でいかがわしいお店に行こうと企んでいたなんて、ヤツはとても普通の神経をしていない。まず間違いなく精神異常者の類だろう。なぜ、ぼくはヤツを護衛として連れてきてしまったのか、若干の後悔を感じ得ない。


 ラスティナは張り付いた笑顔のまま言った。

「王子、失礼を承知で申し上げます。あの男を連れ戻す任、私に任せてはもらえませんか」

 彼女はどうあってもラケルを連れ戻して、ふん縛ってボコボコにしたいらしい。

 ぼくとしてもヤツだけが自由に遊び歩いているのは許し難い。

「わかった、ラスティナ。ラケルのことはキミに任せる。早くあいつを連れ戻してきてくれ。ぼくらの旅路は長いんだ。いつまでもゼトで油を売っている暇は無いからね」

「はっ。このラスティナ、必ずやヤツを連れ戻して見せます」

「ああ、頼んだよ」

 ぼくがそう言うと、ラスティナはすぐさま装備を調えて部屋を出て行った。


 ……かと思えば、早足で戻ってきた。


「……王子、一応言ってきますけど、部屋から出ないでくださいね。間違っても町をぶらついたりしないように。いいですね?」

「わ、わかってるさ! キミに言われなくとも勝手に外に行ったりしないって!」

「……二度はありませんからね、王子」


 冷たい声でそう言うと、今度こそ本当にラスティナは部屋を出て行った。

 はぁ……疲れた。

 ぼくはぐったりと椅子にもたれかかると、ラスティナが出て行った部屋の戸を見てニィっと笑った。

「……チャンス到来だ」



◇ ◇ ◇



 一方、その頃ドロシーはミルフィ様のわがままに付き合って、ファラ王子達の後を追いかけていた。ミルフィ様はファラ王子たちが港町に寄ることに驚いていたが、いつも王子の側で仕事をしているドロシーにはわかっていた。王子の今回の旅の目的は、欲しかった『てれびげーむ』を入手することであって、国の伝統とか、領地の見聞とかそういうご大層なものはいわば口実にすぎないのである。


 ミルフィ様はそんなこと露知らず。けれど、ファラ王子のことが気になって仕方ないらしく、こうしてドロシーを半ば連行する形で港町ゼトまで来てしまったのである。幼い頃からの許嫁とはこういうものなのだろうか? ドロシーにはわからないが、ミルフィ様の行動力の根本はファラ王子への熱い愛故なのだろう。なにしろ、ファラ王子が好きすぎて、わざわざ自分の国を出てオイコット帝国にやってきたくらいだ。

 大人達の仕組んだ政略結婚なのかもしれないけれど、とりあえずミルフィ様は幸せそうである。……ファラ王子がどう思ってるのかはともかく。


「ねぇ、ドロシー。やっと港に着いたのはいいけど、ファラ様をどうやって探そうかしら?」

「大丈夫です。ファラ王子の行きそうな場所には見当がついています」

「本当に! 頼りになるわねドロシー!」

「いえいえ」


 ファラ王子に港町ゼトの人気ゲームショップの場所を教えたのは、何を隠そうドロシーである。王子の護衛はあのラケルだし、今頃ファラ王子はアドバイス通り店にいる頃だろう。

 そんなわけでドロシーは件のショップまでミルフィを連れていこうと思ったのだが…………ドロシーの足がはたと止まった。


「……ドロシー? どうしたの、早く行きましょう?」


 ミルフィ様は何も感じていないらしい。

 だけど……さっき感じたのは紛れもなく…………。

 とにかくこのままここにいるのは危険かも知らない。ドロシー一人ならともかく、今はミルフィ様が一緒についている。慎重な行動を心がけるべきである。


「ミルフィ様、ファラ王子を追いかけるのも結構ですが、まずは今日の宿を取りませんと。歩いてオイコットに帰るには夜になってしまいますし、夜道はやはり危ないので」

「う~ん…………それもそうね」


 ミルフィ様が納得してくれたようで何よりだ。ファラ王子の捜索はちょっと引き延ばすしか無いか。

 先ほど感じた違和感……。何か良くないことが町で起きているような、そんな予感がした。面倒なことにならなければいいのだけど…………。


「ファラ王子、どうかご無事で」

 ドロシーは主人の身を案じて一人つぶやいた。



◇ ◇ ◇



 ラスティナは息つく間もなく屋根から屋根へと飛び移る。俊敏な動作はもはや芸術的でさえあった。彼女の剣技、とりわけその技術力の高さは帝国騎士団随一であり、ラスティナは今、東洋のおとぎ話に登場する忍者のごとき素早さで町を疾駆していた。

 それもこれも一人で行方をくらましたラケルを探すためだ。ファラ王子から直々にラケル捜索の任をいただいたので、彼女にとってこれはもはや王命と同じだった。



◇ ◇ ◇



 ……さぁて、今度はきっちり財布も持ったし準備はバッチリだ。ラケルは何しに行ったのかわからないけど、まぁおそらくヤツの気まぐれだろうね。行方をくらましたラケルが上手い具合にラスティナを引きつけてくれている今がチャンス。ラスティナが戻ってきたら、今後この街のげーむしょっぷに行ける機会はおそらくもう無いだろう。

 そうして、宿屋をこっそり出たところ……。


 何者かの手が伸びてきて、いきなりぼくを羽交い締めにした。


 助けを呼ぼうにも猿ぐつわを噛まされて思うように声が出てこない。そのままロープで縛られ、人通りの少ない裏路地へと連れて行かれた。犯人は顔を黒塗りのフードのようなもので覆っていて、男なのか、女なのかも分からない。

 ただ、ぼくを片手で苦も無く担ぎ上げるほど力があり、宿屋の前でぼくを待ち伏せ、誰かに気づかれる前に素早く裏路地へと連れ出すその手腕は只者では無い。

 ぼくが意識を保っていられたのもそれまでのことで、犯人が布きれをぼくの鼻先にあてがうと、ぼくの意識はそのまま吸い込まれるように落ちて行った。



◇ ◇ ◇



「――い。おい、起きろ!」


 強引に体を揺すられて目が覚める。目の前に男が立っている。彼は無精ヒゲを伸ばしっぱなしにした粗野な顔でぼくを睨み付けている。彼の後ろには少なく見積もって三十人はいるだろう男達が控えていて、ニヤニヤと笑いながら、縄に縛られて身動きのとれないぼくを見て悦に浸っている様子だった。


 ここは……どこだろう…………どこかの室内だと思うけれど、埃とカビが入り交じった匂いがする。宿屋の前で誘拐されてからどれだけの時間がたったのかもわからない。

 普通なら殺されるんじゃないかと思って慌てふためくところだが、ぼくは仮にもオイコット王国の王子。王子たるもの、これしきで取り乱したりはしない。


「ようやくお目覚めかい」

「貴様ら、何者だ?」

 ぼくが口を開くや否や、男はいきなり短刀を取り出してぼくの前に突き出した。


「おっと、話しているのは俺だ。アンタは黙って聞いてりゃいい。いいな王子」


 つまり、余計なことは口にするなということだろう。現状、話の主導権はヤツが握っている以上、ぼくは大人しく頷くしかなかった。


「ようし、良い子だ。まず……お前はオイコット帝国の王子、ファラ・オイコット・アルテナで間違いないな?」


 ぼくは頷いた。

 それに合わせて後ろで控えている男達がヒューヒューと口笛を吹き始める。王子の誘拐に成功したとなれば、一体どれだけの身代金を要求できるのか。


「ファラ王子。俺たちの目的は一つ。察しはついてると思うが、オイコット国王を脅迫し、そうだな…………俺ら全員が一生遊んで暮らせるだけの金で我慢してやるとするか。アンタにはそのための交渉材料になってもらうぜ。悪く思うなよ」

「一つだけ」


 口を開いた瞬間、ナイフの刃が首筋に当てられる。


「俺はしゃべるな、と言ったはずだが?」

 そのとき、後ろにいた一団の中から一人がすっくと立ち上がり、つぶやく。

「まぁそうカッカすることも無いさ。どうせそこの王子には何もできやしないんだ。ちょっと話を聞いてやるくらい構わないだろう?」

「……お頭がそう言うなら」

 立ち上がった男はこいつらの頭領らしい。

 ぼくは首からナイフが離れたのを見て、ゆっくりと口を開いた。


「貴様らの目的はわかった。だから一つだけ聞かせて欲しい。貴様らはどこの国の者だ? 誰の差し金で動いている?」


 ぼくの問いに、頭領の男はこれぞ悪人であらんとばかりにニッと笑ってから答えた。

「さぁてね。王子が知る必要は無いんじゃ無いかな? …………とはいえ、何も知らぬまま俺らに利用されたあげく殺されちまうってのは……まぁ、かわいそうだしな。冥土の土産に教えてやるよ」


 頭領は身につけた黒いマントを無意味にひらりとはためかせた。

「俺たちは独立盗賊団ブラックシルフィー。ファラ王子、俺らに目を付けられた時点でアンタの人生は終わっていたんだよ! ハハッハハハハ!」


 盗賊団、ブラック……シルフィー…………だと!?


 ぼくを誘拐したその計画的な手口からみて、おそらくクーデターの噂が絶えないデンフェンス領の貴族が放った刺客と思っていたが……これは思ったよりもだいぶやっかいな相手らしい。


 独立盗賊団ブラックシルフィーと言えば、最近、黒い噂の絶えない有名な盗賊団である。

 その起源はオイコット帝国が領地統一を図る以前から存在していた闇の遊軍部隊であるとも言われているが、推測の域をでない。

 とにかく残忍かつ狡猾なやり口で、王族が被害に遭ったという報告こそ受けていないものの、ギオンテ伯の屋敷が襲われたという事件も記憶に新しい。メンバーは名前を含めて素性が明らかにされていないが、かすかな目撃証言を頼りにした人相票があちこちの街に配られ、全帝国領内で指名手配されている超危険な盗賊ギルド……それが今、ぼくの目の前にいる男達――独立盗賊団ブラックシルフィーなのだ。

 彼らはもっぱら海から離れた山岳地帯を根城にしていたはずで、まさか港町ゼトで大胆にもぼくを誘拐せんと待ち伏せていたなんて……。


「ハハハハ! この状況……俺がアンタの立場なら、泣いて命乞いするとこだが、さすがは王子、根性座ってやがる」

「頭領。たしか王子には護衛がついていたはず。そいつらがここを嗅ぎつけちまう前にとっとと仕事しちまおうぜ」

 盗賊団の一人が言うと、頭領はすっと切れ長の瞳をぼくに向ける。

「……だとよ。戯れの時間もこれまでだ。俺たちはこれからアンタの首を材料にオイコット国王を脅迫する。ま、万事済むまで俺たちにかかりゃあ半日くらいか。それが済んだら、俺も鬼じゃあねぇし、あんたを無事極楽に送り届けてやるよ。フハッ。フフフハハハ!悔しいか? 悔しいだろうなぁ、これで人生が終わっちまうんだもんなぁ。何か最後に言っておきたいことがあるなら、俺たちが聞いてやるよ。シッハハハハッ!」


 高笑いをする盗賊団の頭領の姿を見て、ぼくは小さく息を吐く。そして、言った。


「……最後の一言、ねぇ。いい加減飽きた。これでいいかい?」


 その瞬間に頭領の表情が怒りの色に染められる。

「何ィ?……テメェ、自分の立場ってモンをわかってんのか? 俺がその気になりゃ今すぐお前を殺したって良いんだぜぇ?」


 高笑いから一転、額に青筋浮かべて、頭領はマジギレモードである。正直、ここまで三流詩人の話に出てきそうな悪役の台詞を並べ立てることができるなんて、すごい。しかも、ふざけてやっているんじゃなく、本人はいたって本気なんだからなおさらだ。もはや一種の才能と言って良いかもしれない。


「耳悪いのかなぁ? もうそのクソ寒い台詞は聞き飽きたって言ってるの。頭領クン。キミの話は一ミリも面白くなかった。まさしく時間を無駄にした気分だよ」


 そこで頭領の怒りが限界を超えて沸騰してしまったらしい。彼はいよいよもって湾刀を手に部下に命令する。

「テメェ! 黙って聞いてりゃ図に乗りやがって! もういいやっちまえテメェら!」

 黒装束の盗賊が短刀を手にぼくに襲いかかってきた。だからぼくは小さく一言つぶやいたのだ。


「……もういいでしょこの茶番。ラケル、さっさと終わらせろ」


 つぶやいた瞬間、ぼくに襲いかかってくる盗賊はひたりと向きを変えたかと思うと、持っていた短刀を盗賊達の方へと投げつけた。短刀は鋭い軌道を描いて盗賊の一人の肩のあたりに命中した。同志の突然の裏切りに、盗賊団の面々は混乱していた。

 当然だ。仲間の一人がいきなり裏切ったのだから。……まぁぼくは最初からわかっていたんだけどね。


「王子、さすがの演技でしたぜィ。にしてもよく俺だってわかりましたね」

 フードを脱いでラケルが言った。


「あまりぼくを見くびるなよ。起きてすぐ、キミがいたのはわかっていたけど、一応こいつらの素性を暴いておく必要があったからね」


 そんなぼくの言葉に、盗賊達の頭領はひどく動揺していた。それもそうか。彼らは今の今までぼくとラケルの手の上で踊らされていた。その事実に気づいてしまったんだから。


「な、ななお前ら何を言っている!?」


「さっきから言ってるだろ。王子が茶番には付き合ってられんとさ。お前らにはここで退場してもらうぜ、頭領さんよ?」


「生意気いいやがって。見りゃ、武器らしいもん持ってねぇじゃねぇか。そんな盾一つで俺たちをどうにかできるって思ってんのか? アァッ!?」


「御託は良いからかかってこい、ブサイク」


「~ッ! もういい、お前ら、こいつら二人殺っちまいなぁッ!」

 頭領の怒号を皮切りに盗賊達がラケルに向かって一斉に飛びかかった。


 盗賊達の得物は短刀が主。短刀の剣先は一見すると不自然な色をしていて、たぶん毒か何かが塗られているのかもしれない。一撃が致命傷となり得る、盗賊らしい武器である。

 対するラケルは大きめの盾を持ってはいるが、それ以外に武器らしい物は見当たらない。


 だが、ラケルの表情は落ち着いていた。その顔に不安や焦りの色はない。


 先頭にいた盗賊が両手の毒付きナイフを投げ放つ。ラケルは慌てるそぶりも見せず、片手に持った盾でナイフを防ぐ。盗賊が二撃目を仕掛けようとしたが、それに反応するようにラケルの盾から拳大の石つぶてが射出された! 不意の一撃をよけられるはずもなく、盗賊の一人はもんどりうって地面に伸びてしまった。


 それから追い打ちをかけるように、ラケルの盾から怒濤の石つぶてが射出される。石砲とはよく言ったもので、石つぶてと言えばそれほど脅威には感じられないかもしれないが、ラケルのそれは言ってみれば迫撃砲であった。その威力は折り紙付きで、三発も当たればレンガの壁にぽっかり穴を開けることだってできるだろう。腹に命中した盗賊も死んじゃいないだろうが、床に転がって物言わぬ物体と化している。

 そんな威力の石つぶてが乱射されたのだ。何人かはとっさに避けたり、仲間を立てたりしながら石の嵐を耐えしのいだようだが、始めは三十人以上いた盗賊達も、今や、立っているのは片手で数えるほどだけだ。


「貴様! 何をしたッ!?」


「何も特別なこたぁしてない。向かってくる奴がいたから迎撃しただけのこと。……にしてもお前ら盗賊団ブラックキャッツだっけ?」


「ブラックシルフィーだ!!」


「ああそうそうブラックシルフィーね。お前ら、よえーなマジで」


「言わせておけば若造が! 盾一つに何ができる!? お前ら、絶対こいつらをここで殺せ! さもなくば全員極刑だぞ!」


 いかにも頭の悪そうな頭領の台詞を聞いて、ラケルは後頭をぽりぽりと掻きながら言う。


「御託はいいからかかってこいよ」

「このクソガキがぁぁッ!!」


 残った盗賊達は石つぶての乱射を恐れてか、口と顔面の凶悪さと真逆に動きは慎重だった。確かに、先ほどまでの盗賊達には油断があったのかもしれない。今は頭領の命令で前列は毒刀でラケルの動きを牽制しつつ、広報からは吹き矢でいつでも機を伺っている。陣形を組み、少ない人数ながら、連携をとれた動きで彼らはラケルににじり寄る。


 ラケルはあくまでぼくを守る都合上、自分から積極的に攻勢に出ることはできずにいた。そのため状況はじわりじわりと盗賊達に優勢のように見えた。

 だけどぼくはちっとも心配していなかった。護衛士としてのラケルを信じているからだ。


 先に動いたのは盗賊達だ。三方から息の合ったタイミングで、毒が塗られているであろう矢を飛ばす。

 いかにラケルといえど、三方から飛来する矢を盾ではじき落とすのが精一杯だ。

 そうしたできた隙に、短刀持ちの盗賊が懐に入り込んで、脇腹に刃を突き立てた!


 ……かと思ったが、その寸前、ラケルは人間的に不自然な動きで体をねじり盾の面で懐に入り込む盗賊を吹き飛ばした。その勢いに乗じて、接近していた盗賊二人を盾で殴り倒し、吹き矢を持っていた奴らは石つぶてを飛ばして片付けた。


 瞬く間の出来事に、頭領も驚きを隠し得ない様子だった。

「ば、バカな……。あいつらは幹部だぞ? あいつらが、こんな簡単にッ!」


 もはや怯えの表情さえ見て取れる頭領を前に、ぼくは言った。


「幹部だか昆布だか知らないけどさ、アンタちょっと勘違いしてない?」


「……ッ! 王宮でのんびり暮らしてるガキに何が分かる!」


「分かるさ。ぼくはオイコット帝国の王子だ。アンタみたいな輩は嫌と言うほど目にしてる。襲われたことだって、それこそ数え切れないくらいだ。だけどただ一度を除いて、ぼくが少しでもケガをしたことは無いんだ。どうしてか分かる?」


 頭領は答えを探すように目を泳がせたが、返答は無い。

 ぼくは前に立つラケルを指して言った。

「いつもこいつがいたからだ。見た目はチャランポランだけど、こいつ……ラケルがいつもぼくの護衛についていてくれたから」


「王子、チャランポランは俺の格が下がるんでやめてもらえませんか?」


「事実を言っただけだ」


 ぼくはマントをバサリとさせて、居丈高に頭領を見据えて口調を変えて問うた。

「私はオイコット帝国の王子、ファラ・オイコット・アルテナ。そしてこの男は王家専属の護衛士だ、その意味が分かるか?」


 威圧された頭領は最初の頃の自信たっぷりな様子が嘘のように、ヘビに睨まれたカエルよろしく口を開けてあわわとぼくを見ていた。


「ラケルはこの国一の護衛士ってことさ」


 大盾を携えたラケルが頭領と対峙する。


「国一番の護衛士? それがなんだ! 俺様はな、盗賊団ブラックシルフィーの頭領なんだァッッ!!」


 腰に付けた鞘からすらりと長い湾刀を取り出し、豹のような動きでラケルを斬りつけんと襲いかかる。それはまさしく捨て身の、決死の特攻だった。

 追い詰められた頭領が繰り出す連撃は端から見ていてもすさまじいもので、ラケルも盾を使ってはじいたりいなしたりするので手一杯で、有効打を決めることができない。


「ヒャハ、ウヒャハ、イヒヒッヒイィィイイ!!」

 もはや狂気と化した頭領だが、攻撃の手は緩む気配が無い。


 だが、目の前のラケルにばかり意識が向いていたためか、床に転がっていた仲間に気がつかなかった。いや、ラケルが攻撃をいなしながらそこに誘導したと言うべきか。

 頭領は気絶した仲間に躓いて、一瞬攻撃の手が止まった。


 その隙を逃さず、ラケルは盾の発射口で頭領を捉え、必殺の石つぶてを撃ち出す!


 ……だが、無情にも石つぶては射出されず、ただ煙がぽふっと出ただけだった。


「しまったっ、弾切れだ!」

「何やってんだお前ぇぇぇ!」

「はっ。バカが相手で助かったぜ。散々バカにしてくれやがって、これで終いだ!」


 頭領は足場を整えてから、軽やかに跳躍し、上からラケルの脳天目指してぶった切る構えだ。


「ちぃっ。脱臼しそうになっからから使いたくなかったが、仕方ねぇか」


 ラケルは盾を片手で持つと後ろに振りかぶった。その体勢のまま、上空からの頭領を迎え撃つ。


「はっ、そんなんで今更何ができる。死にさらせクソがぁ!」


 剣先がラケルに届くと思われたその刹那――まるで蒸気か何かのようにラケルの盾から白い煙がわっと吹き出した!



「俺の肩を犠牲に繰り出す必殺技――くらえ! ビッグシールドバッシュ!!」



 ラケルの言葉と同時に、突き出した盾が勢いよく前進して、それはまるで稲妻の如き速度で頭領に衝突した。頭領は空中で二回りして壁に激突し、レンガの壁にぽっかりと人型の穴を開けた。


「へっへへ。やっぱコレやると肩痛ってえな……」


 立っている盗賊は一人もいない。

 ラケルはたった一人で三十を超える盗賊達を倒してのけたのだ。


 そのとき、小屋の戸が勢いよく開け放たれた。


「王子、ご無事ですか! このラスティナが来たからにはもう大丈夫……って、何ですかこれ~っっ!?」


 いや、突然やってきたラスティナに驚いているのはぼくもラケルも同じなんだけど。

「ラスティナ!?」


「あ、ファラ王子! ご無事で良かった。実はあの男を捜すため街中で聞き込み調査を行っていたところ、何やらきな臭い噂が聞こえてきまして。港町ゼトに有名な盗賊団が潜伏していて、そいつらはあろうことか、我がファラ王子の誘拐を画策している、とかなんとか。まさかとは思いましたが、宿屋に行ってみれば王子はいないし、私、もう気が動転してしまいまして!」


「分かったから少し落ち着いて話してよ」


 ラスティナは一度目を閉じて呼吸を整えてから、また話し始めた。

「まず状況を教えて欲しいのですが……王子はここで何を?」

「ぼく? ぼくはこの人達に誘拐されてここにいただけ。ラスティナは?」

「いやその……誘拐を軽いテンションで語らないでください王子」

「ん。それでキミはここへぼくを捜しにやってきた、と?」

「はい。街の住民数人をボコすと、何やら怪しげな荷物を抱えている奴の目撃証言がとれまして」

 さらっと怖いこと言ったなこの人。

「それですべてを投げ出してここへ馳せ参じたわけですが……これは…………」


 部屋のあちこちで白目を剥いてぶっ倒れている盗賊達の様子を見て、ラスティナは事件のあらましを察したようだ。


「……王子がこれほどまでにお強いとは……不肖、ラスティナ改めて王子のことを尊敬致しました!」


 いや、やっぱり彼女は何も分かってなかったみたいだ。


「ラスティナは勘違いしてるようだけどね、ぼくはそんなに強くないし、この人達を片付けたのはそこの男だよ」

 そう言ってぼくは少し疲れた顔のラケルを指さす。


「ら、らららラケル!? あなた一体今までどこにいたのよ!?」

 どうやら今の今までラケルがいたことに気がついてなかったらしい。ホントの意味で彼女の目にはぼくしか映ってなかったようだ。


 ラケルは状況説明するのも面倒そうで、ぼりぼりと気怠そうに背中を掻きながらラスティナに言った。

「あー訳は後で説明するからよ、とりあえず盗賊どもをふん縛るの手伝ってくれねぇか。こいつら気絶してるだけで、起きたら何しでかすかわかんねぇだろ」


「そ、それを早く言いなさいよ! バカ!」


 それからラケルとラスティナは手分けして、床に伸びている盗賊達を身動きできないようロープで縛り上げた後で憲兵達に引き渡し、ぼくの誘拐事件は幕を閉じた。



◇ ◇ ◇



 三人宿屋に戻ってくると、開口一番ラスティナがつぶやいた。

「それじゃ、きっちり説明してもらいますからね二人とも」

 ぼくもラケルも正直ヘトヘトだったが、ラスティナがこのまま見逃してくれるはずも無く、ぼくらはしぶしぶと事件のあらましを彼女に語って聞かせた。


「……それじゃ、ラケル。あなたはゲームショップでどこかへ遊びに行っていたと思っていたけれど、その実、王子の誘拐を画策する盗賊団のアジトにドブネズミのごとく潜入していたのね?」


「お前、もうちょい言い方なんとかなんねぇのかよ! ……まあいいや。お前に説明した通り、俺は盗賊団のアジトを突き止めて、仲間のフリをして潜り込んでた」


「よくバレなかったよね。ふつー、ラケルのその見た目なら一発でバレそうなんだけど」


「衣装は適当に見つけた盗賊の一人をボコしてかっぱらった。ま、王子、俺もやるときにはやるってことですよ」

 やってることはもはや盗賊だと思うけど、そこはツッコまないでおく。


「上手く潜り込めたのは良いんだが、あの時点ではまだ奴らの素性が分からなかったからな……下手に領内の貴族と問題を起こすと、王子や王様に火の粉が降りかからないとも限らん。そういうわけで俺はしばらく、成り行きを見守っていた。……ところが、問題が発生した」


「不幸にもぼくが誘拐されたわけだね。ちょろっとその~、外を散歩しよっかなって思っただけなんだよホントに! いや~マジでごめん」


 するとラスティナがいきなりぼくを抱きしめた。その目には涙が浮かんでいる。

「ぐすっ……ひくっ……本当に無事で良かったですファラ王子~!」


「ラスティナ……ぐるじぃ…………」


「ったくいきなり泣きつく護衛があるかよ。……にしても王子、よくあの時話しかけたのが俺だってわかりましたね」


「ん? ああ、だってぼくのフルネーム知ってる人間は限られてるからね。ファラ王子、くらいは領民にも普及してるけど、ファラ・オイコット・アルテナというフルネームを知ってる人間は限られている。ぼくの出自にも関わる、一応機密事項だからね」


 ラケルはずっとぼくの護衛をしてきたから知ってるけど、家族を除けば他には大臣とかしか知らないと思う。


 ……ふわぁ…………。今日は色々あってちょっと眠くなってきたなぁ。

 なんだか頭がぼんやりして、ベッドに入ったらすぐに寝てしまいそうだ……。

「おい、ラスティナ。ファラ王子はもうおねむのようだ。今日はお疲れだしな。話の続きは王子を寝室へ連れて行ってからにしようぜ」

「ええ、そうね。ファラ王子、行きましょう」

「……ん、む……」

 ラスティナに手を引かれてベッドまで運んでもらい、布団をかけてもらうと、ぼくはあっさり眠りに落ちた。

 ……zzz。



◇ ◇ ◇



 ラスティナはファラ王子の眠りを妨げぬよう、別室でラケルと話の続きをすることにした。彼女にはまだラケルに聞いておきたいことがあったのだ。


「ホントに王子が無事で良かった。それにしても、ラケル。この町に盗賊がいることにいつから気づいてたのよ? あなた、そんな素振りちっとも見せなかったじゃない」


 そんなラスティナの問いにラケルは酒瓶片手にしれっとした顔で答えた。

「街に入ったときから何となくきな臭いな、と思ってた」


「それなら早く言いなさいよ!! ていうか、護衛士が酒なんか飲んで言いわけ!?」


「るせぇな、いいだろちょっとくらい。息抜きは必要だぜ」


 そう言ってラケルは酒の入ったグラスをぐいっと呷る。

「……ったく。大体、お前こそ護衛士って言えるのかい、ラスティナさんよ?」


 その言葉にラスティナはグッとつばを飲み込む。ラケルの言うことは図星だった。


 今回の事件、ラスティナは強烈な自己嫌悪感に苛まれていた。結果的に王子が無事だったから事なきを得たものの、一歩間違ったら、それこそ大変な事態になっていたかもしれない。

 だが、ラスティナが不甲斐ない行動に時間を食っている間、この男はどういうわけか王子に迫る危険を事前に察知し、王子を無事救出している。


 城内ではろくでもない噂ばかりで、ラスティナ自身も護衛士には城の人間で最も不適格であると思っていた、ラケルが……である。その事実がラスティナにはどうしても信じられず、ことのあらましを詳細に、本人の口から聞いておきたかった。


「……ラケル、どうして街に入ったときから、この街に盗賊が潜んでいることに気づいていたの? 港町ゼト付近にいる憲兵からは、盗賊の情報は城に上がっていないわ」


「それはそうだろ。城に情報がいけば、すぐに騎士団が編成されて周辺の警備を固めるし、手配所が街中に出回る。そうなれば盗賊達も動くに動けない。迂闊に情報を漏らすなんてバカな真似、さすがにあいつらでもやらんだろ」


「じゃ、じゃあなんであなたはわかったのよ?」


「……お前、おかしいと思わなかったのか?」


「何をよ?」


「この街の様子だよ。おかしい点はいくつもあった。門を通るときに一切検査されなかった。門番がいて、大なり小なり街に入るための審査を受けるのが普通だろ。他にも、例えば街の住民達。やつらはどこか無理して笑っているように見えたな。笑顔が引きつっているというか、何かを隠しているみたいに。それに宿屋だ。普通こういった交易の盛んな街では宿屋が幅をきかせてるもんだが、どういうわけか、わざわざお前が宿取りに時間がかかるくらい宿屋がない。……おかしいとおもうだろ」


「まさか……それ、全部…………」


「何者かが、この街を占拠している。それこそ住民一人一人に及ぶまで完璧な支配でな。ヤツらはどこかで王子が旅立つことを知り、誘拐の計画を立てた」


 街中を占拠するなんて、普通の盗賊のやることじゃない。

 王子の話によれば、ラケル達が戦ったのは盗賊団ブラックシルフィーと言うではないか。

 盗賊団ブラックシルフィーと言えば………冷酷かつ残忍なやり方で有名な、悪賊で、つい最近も隣領で大きな事件を引き起こしたばかりだ。ラケルはそんな盗賊団を一人で壊滅させたというのか!?


「町民に聞いた話だと、奴らいきなりやってきては、町の娘たちを人質にしたり、金品強奪したりとやりたい放題だったらしいぜ。街のやつらは盗賊がいることを黙認するよう強制されていた。憲兵も縄で縛り上げられて、牢屋に入れられてたしな。王子が港町に来るって言わなきゃ、事態はもっとひどくなっていただろうな」


「まさか! 王子は最初から盗賊がいることを承知でこの町に!?」


「いや。多分偶然だ。……ま、ホントのとこはわからねえがな」


「……街に盗賊が潜伏しているなら、なおさら私に相談するべきじゃ無かったかしら? それともなに? 自分一人で盗賊を成敗しましたって……王子に褒めてもらいたかったとか?」


 そんな虚栄心からの独断専行だった、と思っていた。だが、ラケルは……


「……俺はただ護衛士としての任務を全うしただけだ」

「だから、それなら二人で解決した方がより確実……」


「王子がただいつも通り旅ができるように身の回りの危険を事前に排除する……それが護衛士の務めなんじゃないか? ……だから俺は協力してくれたゲームショップの店員から盗賊のアジトを聞き出し、一人で潜入した。お前に話せば、王子に話してすぐに街を出るとか、言いそうだからな」


 ……確かに、そんな事態を聞かせられたら、ラスティナはラケルが言うように、すぐに王子を街から連れ出し、城に戻ったことだろう。王子の安全が最優先だからだ。

 王子が王子の好きなように旅ができるように……なんて考えたことも無かった。


「……結果として王子には迷惑かけちまったし。護衛失格だな、俺は」

 そう言って、ラケルはまたグラスを呷った。


「……一つだけ聞かせて」


「なんだよ?」


「あなたはどうして盾しか持たないの?」



 ラケルはしばしきょとんとした顔をしてから、ふっと柔和に笑って答えた。



「俺の仕事は主人を守ることだからな。守るための盾があれば、それでいい」



 その言葉通り、彼は盾だけで盗賊団を壊滅させた。結果的に一人の死人を出すことも無く。仮にラスティナが同じ状況下にいても、一切死人を出さず事件を解決するなんてことは不可能だ。主人を守るためには加減をするわけにはいかないし、そうしたらどうしたって死人がでる。ラケルだからこそできたのだ。

 ラケルは城の訓練に一切顔を出さない。剣を振るっている姿も見たことが無いし、いつも盾ばかり持ち歩く奇妙な男だと思っていた。けれど、違うのだ。確かに彼の盾は、高貴な方にもらった物らしく特殊な機構を数多く備えてはいるが、特筆すべきは彼の守りの技術の高さだった。今回の事件でも王子に傷一つ負わせなかったのもその証拠だ。

 城の騎士達はぐーたら騎士だの、穀潰しだの、給料泥棒、ヘンタイなどと言っているが、ラケルは城の人間が言うような人間じゃあない。むしろ、自分よりもよっぽど優れた護衛士だと、ラスティナは素直にそう思った。彼に対するわだかまりは解けていて、護衛士として尊敬の念を感じてさえいた。だけど、やっぱり口に出すのは恥ずかしくて。


「護衛失格は私の方ね」と言うのが精一杯だった。




◇ ◇ ◇




 事件の翌朝。街の様子は嘘のように変わっていた。街ゆく人皆が、ぼくらを見るとお礼を言って去って行く。盗賊に人質にされていた人達も戻ってきて、いつもの港町ゼトに戻ったのだそうで、街中がちょっとしたお祭りムードになっている。


 ……ぼくとしてはちょっと困るんだけど。


 だって、こんなに注目されてちゃ、おいおいとゲーム買いに行けないじゃ無いか。

 ゲームショップのおじさんはまだぼくの分のソフト取り置きしておいてくれるかなぁ?

 目下、ぼくの最大の心配事はそれであった。


「ラスティナ~っ、城に戻る前にちょっとでもいいから観光していこうよ。ね?」


「王子、昨日あんなことがあったのを忘れたんですか? 朝も言いましたけど、私たちは昨日あったことを王様に報告しないと行けないわけです。城に戻るのに、油売っている暇はありませんっ!」


「そんなぁ……ねぇ、ラケルなんとか言ってよぅ」


「お、俺は知らねっす」


「う、裏切ったなぁ!? ラケルだっていかがわしいお店に行きたいって言ってたじゃないかぁっ!」


「あ、バカ、王子! なんでそれを!」


「ふ~ん……。いかがわしいお店、ねぇ…………」


「ち、違うんだラスティナ! 王子の妄言に踊らされるな!」


「ぼく、嘘なんかついてないもん」


「お、王子!!」


「か、仮にも護衛士がいかがわしいお店、ねぇ……。一体、どんなお店なのかしらねフフフフフフ…………」


 怖い! ラスティナの笑顔がこれまでになく怖い!

 そんなとき、ぼくは信じられないものを見た。

 ラスティナに睨まれてすっかり青い顔していたラケルが、こっそりぼくに「今のうちに行け」と 手を動かしてジェスチャーしていた。

 ぼくはこのときほど、彼を護衛士にして良かったと思ったことはない。



 ぼくはラケルが鬼のラスティナを引きつけている間に、こっそり駆けだした。

 大丈夫。店までの道は覚えている。……何か大事なことを忘れているような気がするけど、まぁ気のせいだろう。


 道を間違うこと無く、ぼくはあのゲームショップの前までやってきた。


 いよいよ待ちに待ったゲームとご対面だ……!

 胸を高鳴らせて店に入ろうとしたところ、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。


「あ~とうとう見つけましたわ!!」


 声の主はあろうことか……ぼくの許嫁、ミルフィだった。後ろにはぼくに見つからないように隠れているが、すっかりバレバレのドロシーも一緒だ。なぜやつらが港町ゼトに?

「ファラ様やっと見つけましたわ! どうして領巡りの旅にわたくしも誘ってくださらないのですか!?」


「いや、普通は許嫁と一緒に行かないだろ」


「そんな悪しき伝統廃止すべきですわ! わたくし、一生あなたさまについて行きますから!!」


 ぼくは聞く耳を持たないミルフィの代わりに、ドロシーに説明を求めた。

「王子、すみません。私も止めたのですけど、ミルフィ様は聞いてくださらなくて」


「それをなんとかするのがキミの仕事じゃないか!」


「面目ありません……」


「まぁ、いいさ。ぼくはちょっとこの店に用事があるから、キミたちはこの辺でちょっと待っててよ」


「嫌です! わたくしも行きます」


 こりゃあ、ダメだ……。ラケルが鬼ラスティナを相手にそんなに長く時間稼ぎできるとは思えないし、かわいそうだけどもうミルフィに構っている暇は無いのだ。

「あらーいらっしゃい。待ってたよ小さなお客さん。……いえ、ファラ王子、ですね。ハハハ」


 なんだかんだでぼくが王子と知っていても、素のままで商売ができるこのゲームショップのおじさんはたいした人だと思う。


「取り置きのものを受け取りに来ました」

「はいはいわかってますよ。…………はい、お取り置きの本体と『マジモン』Wバージョンね」


 長かった……。ようやくこれでぼくの旅の目的も果たせるというもの……。

 ポーチの中をまさぐり財布を取り出す…………ん? 財布……?

 待て待て…………。まさか、いやまさかそんなバカな話…………。


 ない! 財布が無い! 金が無い! ゲームが買えない!



 そんなバカなぁぁぁぁ~~っっ!!



 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……………………!!!

 頭がすっかり混乱していて、気が変になりそうだった。いやすでに気が違ってしまっている。


 神はどうして残酷なのか。


 まさにそのとき地獄の悪鬼羅刹を現代に君臨させたかのごとく、言葉にするも恐ろしい形相のラスティナがそこに立っていた。


「王子……いい加減にしてくださいよ……フフ、フフフフフフ…………」

「ら、ラスティナ……!!」


 地獄の魔王はボロぞうきんのようになってしまったラケルをぼくの前にぶん投げた。

 彼は最後の瞬間もにこりと笑って親指を立てた。しかし、それが最後の力だったようで、彼はがくりと気絶してしまった。


「ラケルぅぅぅっ!!」

「その男は愚かにも王子の愚かな行為に加担したため、厳正なる処罰を下しました」


 怖い……! 怖すぎる……! どうして彼女は一応は仲間であるろくでなし男にこんなことができるんだ!?


「王子……説明していだけますか…………?」


 まずい今のラスティナはマジで地獄の魔王モードだ。間違ったことを言おうものなら、ぼくもラケルの二の舞だろう。何か、何かないのか!?


「ファラ様、どうかされたのですか? この方、とても怒っていらっしゃるようですけれど?」


 このときにひらめいた考えを天啓と言わずして何と言う。ぼくは怒れる護衛を相手に決死の舌戦を挑んだ。


「ミルフィ、これはその……ちょっと誤解があったみたいでね。このおっそろしい……オホン。このとても見目麗しい女の人はぼくの旅の護衛士ラスティナ。騎士団一の剣の使い手だ。それにそこでくたばっている男はもう一人の護衛ラケルだ」


「まぁラスティナ様にラケル様でございますね!」


「お初にお目にかかりますミルフィ様。あのぅミルフィ様はなぜここに……?」


「わたくしは許嫁として当然の務めを果たしているだけですわ!」


 ラスティナはよく分からない顔をしていたが、今はそんなことはどうでもいい。


「聞いてくれラスティナ。それと……ミルフィも。こうなってしまった以上、キミにもぼくの話を聞いてもらいたい」


 二人ともこくんと頷くのを見てからぼくは話し始めた。


「何も、ラスティナをだましてゲームを買いに来たんじゃないよ。実は、その……サプライズのつもりだったんだ」


「サプライズ……ですか?」


「ミルフィはぼくの大事な許嫁だ。いつもぼくに尽くしてくれる彼女に、ぼくも何かお返しがしたいと思ってね」


「ふぁ、ファラ様……!!」


「照れくさいから、ミルフィには内緒でプレゼントを買いたかったんだ。ちゃんと話さなかったのは謝るよ」


「いいえ。とても素敵ですよ、ファラ王子。私ごときの頭では考えつかない素晴らしい思いつきだと思います」


 ふっ……地獄の魔王は案外チョロイのである。……おっと、ここでボロを出すわけにはいかないな。


「今回買おうとしたのは二人で一緒に遊ぶともっと楽しめるというソフトらしい。だから……突然で申し訳ないが、ミルフィ。これを受け取ってぼくと一緒に遊んでくれないか?」


 ミルフィはすっかり赤くなった顔で嬉しそうにつぶやいた。

「もちろんですファラ様!! ありがとうございます!!」


 ドロシーは影からくすくす笑っていた。彼女にはぼくの考えなんかお見通しだからね。

 見ればラスティナは感激の涙を流していた。くそ真面目なのも、ホント考え物だと思うな。まぁ、どうせドロシーに一バージョンやってもらおうと思っていたし、それがミルフィになっただけだ。ミルフィ自身喜んでいたようだし、なかなかどうして良い思いつきだったと思う。


「あのーお客さん。まだ代金いただいてないんですが……」

「ラスティナ、ぼくの財布」

 ラスティナは満面の笑みで、ぼくに財布を手渡した。勝利の興奮に胸が震えた。ケチケチクソマジメ魔王の策略をついに攻略したのである!


「あ、おじさん。本体一つ追加でお願い。」


「毎度あり!!」


 この瞬間、店の中は笑顔で一杯になった。ぼくもラスティナもミルフィもドロシーも、店のおじさんも。そして……気絶したラケルも笑っているように見えた。


 物語はこれでおしまい。あとはただただ伝統に乗っ取った旅が続く、そう思っていたのだが……


「あ、そうそうファラ王子。もしルートンスに寄ることがあれば、ぜひゲームショップへ足を運んでみてください。なんでも最先端のボードゲームがあるとかで、業界でも話題になっているんですよ」


 店長のこの言葉でぼくの旅路に新たな目的ができた。次はルートンスの街だ!

 心なしか、ラケルが苦笑しているみたいだったけど気のせいだろう。

 大丈夫大丈夫。ぼくには頼りになる盾の護衛士がついているからね。



                 ~ おしまい~

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盾の護衛士 秀田ごんぞう @syuta_gonzo

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