六億円さん!?

@TTT

「すみませーん。六億円でーす」

 ピンポーン。

 ピンポーン。


 ネットで買物をした覚えはない。友人と約束もしていない。恋人とも……そもそも、いない。そんなものがあったら、土曜の昼に三分を少し過ぎたカップ麺を啜らない。啜りながら動画なんて、そんな悲しくなるような……。ああ、嫌なことばかりだ。


「あのー。留守ですか? もしかしてこれ、壊れてますか?」

 ピンポーン。

 ピンポーン。


 どうしてこうなった。仕事もうまくいってない。思い浮かぶ全ての人間が怒りの形相だ。お酒に酔えれば、全てを忘れて眠れるのかもしれない。今となっては喜ぶべきか、悲しむべきか。成人した日に飲んだビールを派手に吐いてからは一滴も口にしていない。愚痴と説教で溢れた飲み会を断りやすくて助かっているけれど……。


「室外機動いているんですけどー。居留守ですかねー。エアコン、フル稼働ですよねー」

 ドン。

 ドン。

 

 さっきから騒がしい。テレビは持っていないし、怪しげな勧誘はお断りだ。このままだと隣室のおじさんが突撃してくると予想し、仕方なく玄関まで行く。

 ドアスコープを覗いてみると、派手な色使いの制服を着た女性がいた。ちょっと古いセンスだ。

 チェーンが掛かっている事を確認してから、開く。

 もわっと、外の熱気が襲ってきた。どこにも行きたくなくなる不快感。

「あ、何のようですか」

 精一杯不機嫌さを出そうとするも、謎の『あ』をいつもと同じように発声してしまった。

 恥ずかしさを寝ぼけ気味の脳が知覚する前に、少女が言う。

「あ、お休みのところすみません」

 ここで自分が寝起きで、皺だらけの服とボサボサの髪を晒してしまったことに気がつく。

 このままドアを、そっと閉じたい。

 じんわりと汗を感じる。

 その後悔をかき消す言葉を彼女は言った。

「おめでとうございます。六億円です」

 今年の夏は暑い。




 彼女に出すお茶がない。この炎天下の中、外にいた彼女はとても暑そうだった。

 仕方なく氷水で誤魔化す。無いよりはましだろうか。

「わぁ、ありがとうございます。暑かったんで、助かります」

 満面の笑みで受け取ってくれた。その時、指が触れたけれど、思った以上に冷えたグラスのよって感覚が鈍っていたから特に感想はない。

 いや、そんなことはどうでもいい。 

 今、目の前で氷水を飲んでいる少女の発言が重要だ。

「あ、それで、その……さっきの話なんだけど」

「失礼。はい、六億円当選の話ですね。宝くじを二枚、ご購入されましたよね? その時の一枚が当選したのです」

 宝くじを買った覚えはある。このどうしようもない人生を一発逆転するのだと、いつになく高いテンションの時に購入した。ちょうど、一等当選が出ていない時期で当選金も膨れ上がっていた。もっとも財布の中身が非常に乏しく、二枚しか買えなかったのだ。

 それからは部屋の見えるところに飾っておいたのだけれど、無くしてしまっていた。これまた変なテンションに任せて行った無計画大掃除の際に、誤って捨てたと思っている。

 忘れていたが、そういえば当選発表は今日だったような。

「……確かに買ったけれど、無くしてしまいました」

 悔やんでも悔やみきれないと泣き叫ぶ前に、疑問がある。

 どうして彼女は宝くじの事を知っているんだろう。そもそも何者だ。当選をこのように伝えるなんて聞いたことがない。何かの企画で騙されているのだろうか。もしかしてどこかにカメラでも――。

「はい。間違って捨ててしまったことは知っています」

 ……新手のストーカーだろうか?

「私があの時の六億円です」

 ……暑さにやられたのは彼女か、僕か。


 その後、事務的な説明を聞いた。それでも信じられないので、宝くじ運営に問い合わせると、本当に当選していた。

 信じられないが、彼女は六億円らしい。どういう理屈かさっぱり理解できないが、六億円なのだ。六億……。

 さっそく、デリバリーピザのLサイズを注文した。今すぐ出来る贅沢がこれしか思いつかなかったあたり、貧乏が染み付いている気がする。

 一通りの説明を終えた彼女は脱ぎだした。慌てすぎて凝視すると、この服ださいので脱ぎますと言った。ラフな格好になりたいようだ。こっち見ないでくださいとも言われなかったので、そのまま凝視した。ださい制服の下から現れたのはなんとも言えないスウェットだった。どうりで暑いわけだ。そしてラフすぎる。

「宝くじの制服ってださいんですよねー」

「それと、私もピザが欲しいなー」

 態度もいきなりラフになった。義務は終えたと言わんばかりに全身から力が抜けている。

「え、その帰らなくていいんですか」

「あー、全然理解してないですね。私が六億なんですから、あなたとこれからずっと一緒だよ」

 いきなりの同棲宣言に上手く受け答えができる訳もなく、この白昼夢を楽しもうという心の整え方をした。


 ピンポーン。

 ピンポーン。


 しかし、あまりに速いピザの到着が、現実の知覚を強要する。まあ、夢でないのならここは六億円に払ってもらおう。

「ピザの支払い、お願いします」

 六億円とはいえ、勝手に同棲宣言した彼女に何故頭を下げているんだろう。

「無理ですけど」

 あっさり断られた。

「えっ……六億なのに?」

「言いませんでしたっけ。私は『六億円が当選した宝くじ』なのであって、純粋な『六億円』ではないです」

 さっきからずっと六億、六億言ってたじゃないか! と抗議すると、そのへんはサプライズ感を出したかったので~と言われた。

「換金しないかぎり、私はただの無一文です」

 彼女は申し訳なさそうにすることもなく、この家テレビないんですかね~、とごろ寝しながら言い放った。

 迷惑そうにしていた配達員に真顔で対応しつつ、午後の予定を立てていた。

 銀行、行こう。


 



 それから一年が過ぎようとしていた。

 結局、僕は彼女を換金しなかった。

 それは単に、くだらないかもしれないが、彼女が可愛かったからだ。

 お金があれば女の子との関係を買うこともできる。不健全なお店に行かなくても、六億に釣られて寄ってくるだろう。いや、経験はないけど、そういうイメージがお金にはある。

 そう、六億あれば遊べてしまうのだ。今まで見向きもされなかった小奇麗な女性とも。

 経験が無いので漠然とした妄想だが、興奮してきた。

 いや。

 でも。

 それって僕が一番欲しいものなのだろうか。

 ふと冷静になる。僕が一番欲しかったのはそういう一時の不純な関係じゃあない。学生時代に夢見た相思相愛の純粋な、恋愛関係だ。触れ合わなくても、会話するだけで、そばにいるだけで、お互いを思っているという事実だけで幸せになれる純粋すぎる関係を。

 僕は求めていたのだ。


 今では一緒に暮らすのも慣れた。

「君のご飯が早く食べたいなー」

 相変わらず何もしない無一文で無職の彼女だったが。それでも辛い仕事から帰ってきたときに彼女が家にいるのが癒やしだった。お金は以前よりも厳しいことになって、僕の給料では貯金も全く貯まらなかったけれど、それでも幸せだった。

「今日はねー。この素晴らしいワインを飲もうー」

 いえーい、サプライズ! と既に酔っていることを疑いたくなるようなテンションだ。

 僕名義でネット通販を使うのは本当に、辞めてほしいが。

「君と一緒にね!」

 すっかり居着いて、懐いた彼女の笑顔に僕は弱かった。

 幸せなのだ。

 その日は苦手なのに飲みすぎてしまった。

「ねぇ、大事な話があるんだけど……」

 ベッドに横になると僕はそのまま寝てしまった。彼女の話が何だったのかわからないまま。



 ピンポーン。

 ピンポーン。


 目が覚める。いつもセットしてる時刻にアラームが鳴らなかったのか、時計の針はもう朝とは呼べない時間を指していた。急いでドアを開ける。

「あ、お荷物お届けに参りました」

 ネットで買物をした覚えはない。名義は自分だった。もしかして六億が頼んだものかと思い、サインして受け取った。やたら大きい。そして重い。大量の本でも入っているかのようだ。

「ねぇ。荷物、届いてるよ」

 返事はない。まだ寝ているのか。

 布団を剥がす。

「もうお昼だよ、早く起きな――」

 いなかった。

 さっきまで一緒に寝ていた布団には、紙切れが一枚。それは当たり前の光景なのに、僕は理解できなかった。したくなかった。

 ゆっくりと手を伸ばし、手に取る。そこには、六億が当たっていた宝くじ。

 紙切れが一枚。薄っぺらくて、安っぽい。

「そんな……」

 彼女は六億の当選くじが人になったものだ。六億で無くなった今、彼女が失われるのも当然なのかもしれない。

 僕は六億円を諦めて、彼女を選んだはずなのに、両方を失ってしまった……。

 呆然。

 僕が動けないでいると、さっき受け取ったダンボール箱が破裂した。

「サプライーズ!」

「換金してきました! 見て見て、この残高!」

 圧倒的です、とへらへら笑う彼女。

「どうして……?」

 彼女はただの時効当選券になったのでは?

「実は私、その、そもそも六億が当たったくじではなく、ハズレたほうなんです」

 最初から期限なんてなかったんですよ、と彼女は告げる。

「恥ずかしくて……言えなかったんですけど、その、黙っててごめんね」

 頬を赤らめながら、謝罪する彼女。

「六億!」

 僕は彼女と通帳を抱きしめた。

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