26 ピーマンだ

 ロバートが目覚めて最初に見たのは、プリッとした小柄なお尻と紫のパンツだった。


「あっロバート様、おはようございます」


 心配そうにリーゼラがのぞき込んでくる。

 その姿はいつものメイド服だったが……


 ――どうやら大聖堂の床に雑魚寝しているようだな。


 ロバートは天井の宗教画イコンを眺めながら、かけられた毛布をはがし、立ち上がろうとしてつまづいた。


「急に動いたら危険です、なんでも三日以上寝てたそうなんで……あたしは数刻前に目覚めたので、なんとか動けますが」

 受け止めてくれたリーゼラに礼を言って、周囲を確認する。


「シスター・ケイトや聖人様は……」

 こわばる口をなんとか動かし、声を出すと。


「起きたばかりでまだ記憶があいまいなのですね。今教会のシスターさんが温かいスープを配っているので、もらってきます」


 リーゼラは心配そうにロバートを近くの椅子に座らせ、大聖堂を出て行った。

 ロバートは気力を振り絞り探査魔法で周囲を調べたが。



 教会にいたのは数人のシスターと……

 同じように眠りについていた人々だけだった。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




「ディーン、声をかけなくてよかったのか」

 帝都城の奥にある一室で、クライは強化魔法を解いていつもの宰相としての服に着替えていた。


「老兵は黙して語らずだ」

 クライの老いた顔を見て、ディーンは楽しそうに笑いながらメイド姿のリュオンが淹れてくれたお茶を口にする。


「しかし俺には話があると」

 着替え終わったクライは、ディーンの正面の椅子に座る。


「つれないな、我が友よ。まあ積もる話もないこともないが……せっかくだから聖女殿のご忠告通り未来の話でもしよう」

 言葉は相変わらずだったが真面目な顔つきに変わったディーンに、クライは襟元を正す。


「オリス公国の大公、オリス・ケルヒド三世は既にこの世を去っている」


「バカな……先月のオリス公国誕生祭には出席していたし、訃報も耳にしていない。内偵も数人潜ませているが、そんな情報は聞いたこともない」


「だろうな、そっくりさんが偉そうに君主の椅子に座っていたし……そいつからはプンプン天神の臭いがしてた」


「天神とはこの世界を司る最高神なんだろう? そんな存在がなぜ」


「そこんところが俺も謎でな。でも今回の件で、分かった事が幾つかある」

 ディーンは腕を組むと、ため息をもらしながら。


「まずあいつらは移転魔法の使い手の命を狙っている……だけじゃなくて、どうやらその素質を見極めようとしている」


「能力の素質を?」

「いや、どちらかといえばその人間性かもな。そう考えた方が今回の件はしっくりくる」


 その意見に同意するようにクライが頷くと。

「それから政治や経済に首を突っ込んできたってことは、この文明が気に入らんのだろう」


「具体的には?」

「オリス公国の主要貿易品は魔法石だ、そしてその最大の消費先が帝国。今回はその流通の隙間をついてきた。ブルーフィル家には裏の流通網があるのだろう」


 ディーンが新しいお茶をテーブルに用意していたリュオンの顔を見る。


「はい」

 コクリと頷いたリュオンからは、すでに報告を受けていた。


 あの夜リュオンはスカーレットを警備中に、もともとマークしていたブルーフィル家のマシューの侵入に気付いた。


 行動を不審に思い後をつけると、襲撃しようとしたためそれを阻止。

 しかし奪ったナイフに精神を乗っ取られ、気付いたらあの空間にいたそうだ。


「その裏の流通網のしっぽをつかもうとして……裏目に出たのか」

 クライは先回起きた違法魔法ポーションの事件を思い浮かべる。


 ――しかも、あの件にもロバートが絡んでいた。

 これは偶然で済ますわけにはいかんな。


「何を扱い帝国に何をしようとしてるかまでは知らん。あとはお前の仕事だ、任せたぞ」

 ディーンは用が済んだとばかりに椅子から立ち上がる。


「これから、どこに行くんだ?」

 クライは聞くだけ野暮だと思ったが。


「世界を救いに行くのさ」

 そう言ってクールに笑う親友を見て、ため息をつく。


「なあ、後学のために教えてくれ。天神はどんな臭いがするのだ」

 クライの言葉に、ドアに手をかけていたディーンは振り返り深刻な顔をする。


「お前になら話してやろう、でもこれは他言無用の最高機密だ」

「ああ、他言はしない」


「ピーマンだ」

 クライが唖然とした表情でディーンを見つめると。


「天神は実体の無い魔力体だが、攻撃の際に相手の心の底から嫌悪するものに姿を変える」


「ピーマンとは、あの東国でとれる緑の苦い野菜のことか?」

 あきれてもう一度聞き返すと。


 ディーンはさらにバツの悪そうな顔で。

「ガキの頃からあの野菜が苦手でな。ずっと秘密にしていたのだが……なぜか妻たちがそれを知っていて、喧嘩すると必ず料理に混ぜる。おかげでロバートまでピーマン嫌いになっていた」

 そう言って苦笑いした。


「心の底から嫌悪するものか。いい情報をもらった、以後気を付けるよ」

 クライがそう呟くと、ディーンはいそいそと部屋を出て行く。



 そして。

 ディーンと再会するまでにとびきり苦いピーマンを用意しておこうと、クライは心の中で誓った。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 聖女の嘆きと呼ばれる嵐が過ぎ去ってから三日目の夜。

 ロバートは夢の中で、これは夢だと実感していた。


「ロバート君ごめんね、あたしたちこれから帝都を立ってまた旅に出ます。ちゃんとご挨拶したかったんだけど、ディーン様が許してくれなくって」


 目の前の黒い霧が徐々に人の形に収束すると。

 ボインとしたやたらエロいスタイルの赤髪のシスターに変わる。


「シスター・ケイト、それは構わない。そもそも聖人様とは天神との決着がつくまで合わないというのが約束だった」

 ロバートがそう言うと、シスターは苦笑いする。


「でも聞きたい事があるんじゃないかと思って」

 そして優しい瞳をロバートに向けた。


「そうだな、あの空間での出来事を他の連中は覚えていないようだった。どこまで記憶しているのか教えてもらえると嬉しい」


「それは完全に忘れちゃったんじゃなくて、上手く思い出せないだけなの。記憶はちゃんとあるんだけどね、夢ってそう言う物だから」


 慈しむようなその言葉使いに、ロバートはコクリと頷き。


「じゃあ、なぜ俺だけこんなにハッキリと思い出せるのだ」

「たぶんロバート君の魔力回路……移転魔法が使える時空間把握能力の影響じゃないかな」


「今後俺はどうやって、あいつらと接したら良いのか」

 ふと、弱音のような言葉をこぼしてしまう。


 それは帝都につくまで、母親代わりをしてくれていたケイトへの甘えなのか。

 それとも『聖女を超える聖女』とまで教会で言われる、ケイトの聖母のような微笑みのせいか。


 ロバートには分からなかったが。


「まあまあ、ロバート君。そんなの、あなたにとってはもう簡単なことですよ。あの空間でやった通り、本心をしっかり言葉にして誠意ある態度を示せば……もし今溝のようなものがあっても、簡単に埋まっちゃいますから」


 その返答を聞いて。

 ロバートは教会で神に祈るように……膝を折り、腕を組んで頭を下げた。


「それからディーン様をまねするのも良いですが、沢山の女の子に同時に手を出しちゃうのはちょっとどうかと。間違っても誰かを泣かせるようなことはしちゃだめですよ」



 そして続く言葉に、身も凍るような真の闇のプレッシャーを感じ。

 ロバートは超古代文明から伝わる……土下座という最上級謝罪姿勢で、頭を地にこすり付けた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




「ぐっ……なんて美味しそうなんだろう。もうこれ、食べちゃっても問題ないですよね」


 リーゼラはスヤスヤと眠るロバートの横顔を眺めながら、自然とあふれ出た自分のよだれをペロリと舌でなめ取った。


 ロバートに気付かれないように、気配を完全に消し。その上で遮断魔法や隠ぺい魔法を駆使。自分の持てる暗殺や狙撃で培ったS級魔法銃士の能力を最大限活用して……ロバートの唇に自分の唇を寄せる。


 半開きになったリーゼラの赤くふっくらとした唇に、またよだれがツーっと音をたてて滴ったが。


「気付かれる前に、一気に行っちゃいましょう!」

 心の中でそう呟き、身体をさらに寄せると。


 唇と唇が触れる寸前、ロバートの右手がリーゼラの腰に回って抱き寄せられた。


「もー、ロバート様。起きてらしたんですか?」

 聖女の嘆きが去ってから、悩む時間が増えていたロバートを心配していたリーゼラは、最上級の笑顔を向けて元気づけようとする。


 最近よく見る、背の途中まであるウェーブのかかった赤い髪を降ろして頭上をリボンで結んだスタイル。メイド服もミニのままだが、レースをふんだんにあしらって。淡いピンクやストライプのニーソックスと合わせるように着こなしている。

 今日はピンクのリボンに、ピンクと白のストライプ模様のニーソだった。


 リーゼラは夢の中で「もう少し若いか、永遠の命があれば」。

 そんな感じの言葉を呟いていた。


 ――俺と少し年が離れている事を気にしているのか。

 いや、俺が求めている「青春」の管轄外だと勘違いしているのか。


 ロバートはそこまで考えると。


「リーゼラお前の美しさは見てくれだけじゃない。その優しさや前向きな考え方も、いつも俺を後押ししてくれる。だから無理などせず、そのままでいてくれ」

 まとまらない言葉を本心のまま口にした。


「んー、どうしたのですか?」

 不審そうにロバートをのぞき込む大きな赤い瞳に。


「例え遠い過去や夢の中で何かあったとしても。そんなものとは関係なく、俺の心は変わらない」



 ロバートはそう付け加えて。

 照れを隠すように、クールに微笑んだ。

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