25 スリーピングビューティー

 その瞳は絶望と怒りに満ち溢れていた。


「ロバート君、天神が攻撃するときは対象が最も嫌いな物に姿を変えます! でも本体は形のない魔力体ですから」

 剣を構えながら突っ込んで行くロバートに、どこからかケイトの声が響く。


 五歳の頃だろうか……両親に捨てられ死の森をさ迷っていた自分と目が合うと、ヤツがニヤリと笑う。


「くそっ、なんて卑怯な精神攻撃だ」

 脳内で詠唱が完了した主人格の声が聞こえる。


「お前は移転魔法をぶつけることだけに集中しろ!」

 剣を握りしめたロバートは、記憶をたどりながら時空間の刃を生成し。


「しかし、あんな大きなピーマンを前に……」

 主人格の声に眉をひそめる。


「ピーマン? お前ピーマンが嫌いなのか」

「じゃあお前はアレがなんに見えるんだ」


 もうひとりのロバートは脱力しそうな両腕を、持ち前の強靭な精神力で何とか持ちこたえ。


「セ、セロリかな」

 なんとか言葉をひねり出すと。


「そうか、お前も苦労しているのだな」

 妙な同情の言葉が返ってきた。


 うん、やはりこいつは本物のバカか凄い大物かもしれん。



 やるせないため息をつきながら……

 ロバートは、ピーマンでもセロリでもない「それ」に聖剣を叩き込んだ。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 グニャリとした不気味な手ごたえが聖剣から帰ってきたが、二人のロバートが魔力を解き放つと、それは空間に空いた穴に吸い込まれるように姿を消した。


「ロバート君、退治できたんですか」

 黒い霧が集まり、徐々にシスター・ケイトの姿に変わる。


「いや、あの手ごたえは……逃げられたのかもしれないな」

 ロバートはキルケが残していった鞘を拾って腰に巻き、聖剣を収めた。


「この空間からあれは完全に存在を消した。もう追うことはできないだろう」

 脳内で主人格のため息が聞こえてくる。


「でも問題は一段落したんで、この件はここまでですね」

 シスター・ケイトが安どの息をもらすと、避難していたナーシャとトミーも戻ってきた。


「じゃあ俺たちも現実の世界に戻るのか?」

 龍のままのナーシャの顔をロバートがなぜると、グルグルと喉を鳴らす。


 首にしがみついていたトミーがロバートに近付き。

「ナイトメアも嵐の夜の少年も、サキュバスも眠り姫もいなくなった以上、この空間は消えるのだろう」

 そう言ってロバートの肩をポンと叩く。


 しかしその場にいた全員が安心した顔で待ち望んでも……

 空間は安定したまま、姿を変えなかった。


「えーっと、もう一度おさらいしましょう」

 シスター・ケイトがボインと爆乳を揺らしながら人差し指を立てる。


「そうだな、何か見落としているのかもしれん」

 ロバートはエロすぎるシスターをできるだけ見ないようにしながら頷いた。


「あたし外からこの空間を監視してたんですけど、まず今回の悪夢ナイトメアは魔女キルケ様で間違いないです。それでキルケ様が乗っ取っていたマシューって言う男の子が嵐の夜の少年ですね」

 シスターの声にロバートがもう一度頷くと。


「やはりロバート君じゃなかったんだね」

 トミーも同じように頷く。


「間接的にはそうだったのかもしれませんが、この空間を創造するためのキーなら直接的な精神制御下にあった彼で間違いないです」


「俺に対して魔術的な操作を加えることなど不可能だからな」

 シスターの意見にロバートが補足する。


 胸を張るロバートを、シスター・ケイトはやんちゃな子供でも見るような瞳で眺め。


「それで淫魔サキュバスは聖女リリス様です。直接お力を貸してましたので、これも間違いありません」

 そう付け加えた。


「じゃあ、聖女様が制御下に置いていたのが眠りスリーピングビューティーなんだね」

 トミーが質問すると。


「そうとも言えないんですよね。眠り姫の条件は、嵐の夜の少年に憧れる少女なので」

 悩み始めたシスターに。


「それならレイチェルかスカーレットだろう、二人とも消えたのにこの空間が消えないことが問題じゃないのか」

 ロバートが突っ込むと。


「それも違うんじゃないかと……本来眠り姫が持つはずのナイフを猫耳のリュオンちゃんが持ってて、現実世界でスカーレットちゃんを刺したんですよ」


「それが何か関係あるのか?」


「眠り姫にとって邪魔な人物がスカーレットちゃんなんです。あたしの読心魔法では、リュオンちゃんにもレイチェルちゃんにもそんな思想はなかったですし」


「そうなると条件は、彼女たち以外でマシュー君に憧れていて、スカーレット君を邪魔だと考えている人物が眠り姫だと」

 トミーがおでこをキラリと輝かせてそう言うと。


 ロバートが何かに気付いたように口を開けた。

「あの女のことをすっかりと忘れていた……しかしスカーレットを殺そうとするなんて」


「キルケ様もそうでしたが、きっと天神の力に逆らえなかったんでしょうね。そこまで強い意志はなかったかもしれません。危険だからってディーン様が途中でこの空間の制御に入ったんですが」


 ロバートはそこまで聞くと眉間に指をあて。

「謎は解けたよ……まあこれも俺の責任かもしれん。これからその眠り姫を叩き起こすから、ちょっと待っててくれ」



 皆が不思議そうに見つめてきたが、指をパチンと鳴らすと……

 ロバートは移転魔法で自分の部屋に戻っていった。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 ロバートはテーブルに伏して、ふて寝しているエリンの前に立つと。


「こいつの担当はどっちだっけ?」

 脳内で主人格に話しかけた。


「担当?」

「扱いやすい方ってことだよ」


 主人格のロバートは少し悩んで。

「エリンの好みから言ったら多分お前だろう、俺の大人の魅力はこいつにはまだ理解できないようだ」

 本心からそう答えると。


 もうひとりのロバートは笑いを堪えるのがやっとだった。


「まあいい、じゃあ俺が相手するからお前は黙ってろ」

 そう言ってロバートは、エリンの椅子を蹴り上げ。


「きゃ!」

 短い悲鳴を上げて目を覚ましたエリンに、冷笑を向ける。


「やっとたどり着いたよ、お姫様。いい夢は見れたか?」

 ロバートが放つ圧倒的な魔力のオーラに、エリンは息をのむ。


「な、何のことよ」

 なんとか震えた声を出したが、ロバートの表情がまるで殺人鬼のように見えて、その次が言えない。


 沈黙が続くとテーブルの上の振り子が動き出し、ロバートが暇つぶしとばかりに何度もピタリと針を合わせる。

 その寸分のズレもない魔力操作にエリンはため息をつき。


「才能って残酷よね。毎日手がボロボロになるまで剣を振っても、寝る暇を惜しんで勉強しても……あなたたちの足元にも及ばないんだから」


 エリンが自分の手を見つめると、ロバートはフンと笑って。

「努力の方向性が悪い、そんな場所にタコができるのは肩に力が入り過ぎているせいだ」

 自分の手を見せる。


 そこにはエリンより深い傷とタコが刻まれていた。


「ポーションの件は確かにあたしが悪かったわよ、でもあなたたちは生まれつきの魔力量が反則なんだから」

 それに腹を立てたエリンが反論すると。


「俺よりも……お前よりも。魔力量が少なくて、俺より強い魔導士もいる」

「ウソ」


「会った事があるだろう、アクセルと名乗ってるバカヤローだ」

 ロバートはつまらなさそうにそう言った。


「じゃあ、あたしはどうすればよかったのよ」

 半泣きのエリンに。


「お前はもっと自分に自信を持て。ポーションなんかに頼らなくてもお前の魔法は素晴らしい輝きを持っている。それにマシューとか言うつまらん男のことは忘れろ。あいつにお前みたいな美しい女はもったいない」

 ロバートがそう付け加えると、さらに声を荒げ。


「でたらめ言わないで! あたし何度やってもこの振り子が連続でピタリと止まったことなんかないわ。それに、美しいなんて……」

 エリンは反論してきたが。


「必要なら剣も魔力操作のコツも俺が教えてやろう。それから俺にそんな啖呵を切った女は初めてだ。今のお前の瞳は……どんな高価な宝石の原石より美しい」

 ロバートの自信あふれる態度と、膨大なオーラの中にある優しさのような輝きにエリンはまた言葉を失う。


「ウソ」

「本心だ」


 にらんできた青い瞳を見つめ返すと、エリンの身体が少し振るえた。


 そのスキを突くように、ロバートは細い腰に手をまわしてエリンを抱き寄せる。

 大きな胸がグニャリと音を立ててつぶれたが。


「責任とってよ」

 エリンはそう呟くと、ゆっくりと瞳を閉じた。


「おいおい、嘘だろう」

 戸惑う主人格の声が脳内で響いたが、もうひとりのロバートはそれを無視してエリンの唇を奪う。




 ――するとカチリと何かがはまる音が響き、世界が暗転した。

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