23 眠り姫たちの事情 4
キルケは混乱していた。
聖人と魔導士の二人組は、キルケの魔法陣を読み取ると同時に引き上げていった。
天神にそそのかされたことは知っていたが、過去の過ちを正す唯一のチャンスだと思い利用されるのを覚悟で得た力に……
あっさりと対応し、攻めてきた実力。
特にあの人族の魔導士……見た事も想像した事もないほど精密で美しい魔力の制御は、間違いなく自分の実力を上回っている。
あのまま攻められたら勝ち目がなかったはずなのに、なぜ引き下がったのか分からない。
決死の魔法陣から、何かを読み取られたのだろうか。
夢の中でのロバートとの接触も、想像の斜め上だ。
今も自分の制御を振り切ったひとりが、なぜか魔法銃を片手にロバートをタコ殴りにしている。
――どうしてこうなった?
あのリーゼラと言う女は、ロバートから日常的に特殊な魔力強化を受けている。
耐魔術能力が異常に高く、キルケでも乗っ取るのに時間を要した。
意図が分からないが、おでこの部分だけ驚くほどの防御が感じられたし……
かたちはどうあれ、あの女性を守ろうとするロバートの愛なのかもしれない。
天神から得た情報では、輪廻の影響でこの場所に過去の因果を持った人物が集まり始めているそうだが。
あの女からも、過去マルセスダと共に居た妖精の気配が感じられた。だからなぜその人物がロバートをボコボコに殴っているのか、キルケにはやはり謎だった。
今もロバートはその行為に抵抗せず、必死に謝っているし。
――あたしが知らなかっただけで、ロバートにはそっちの趣味があったんだろうか?
それも問題だが、それ以前に。
キルケが乗っ取った人物たちを、口付けすることで解放したのも謎だ。
そんな魔術は見たことも聞いたこともない。
いったいどこでそんなことを覚えたんだろう?
ましてや金髪の双子の胸の大きな方を解放するときなど、ロバートはなんの遠慮もなくその胸を揉みしだいていた。
――いくら年頃になったとはいえ、あの聖人やこの地で義父となったあの魔導士はいったいどんな教育をしたのだ?
キルケが深いため息をつくと……
ドカンと建物に大きな何かが激突し、鈍い振動と白い粉塵に辺りが包まれる。
「よ、良かった。間に合ったようだな」
新龍にまたがった頭の禿げた男がロバートを見てそう呟いた。
キルケが不意の襲撃者に対抗できるよう、防御魔法の詠唱に入ると。
「もう、キルケは相変わらずなんだから!」
白い大きな帽子と同じ色のワンピースを着た、十歳ぐらいの少女が近付いてくる。
「まさか、その魔力波は」
大きく脈打ち始めた自分の心臓の音に驚きながら、キルケはなんとか途絶えた詠唱を再開しようとしたが。
少女がその帽子のつばを上げて。
「久しぶりって、もう三千年もたっちゃったのかな?」
満面の笑顔をもらすと。
「リリス。おお、我が友聖女リリスよ」
キルケの瞳から涙があふれだし。
続く言葉も発せなくなり……
ゆっくりと、膝から崩れ落ちていった。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
「ロバート様! あたしと言うものがありながら、あっちにホイホイこっちにホイホイ女をつくって。しかもあたしには手を出さないくせに、ななな、なんですかあれは!」
リーゼラはフルスイングでロバートの顔面を魔法銃で殴ったが。
「何度も言っているだろう、これにはちゃんと訳がある。まずは落ち着いて話を聞け」
ロバートは毅然とした態度でリーゼラに話しかけた。
もう完全に制御から解放されているようだが……うん、今の状態ではその方がやっかいだな。
ロバートはそう考えて、深いため息をつく。
その態度はクールにキメたつもりだったが……
頬は腫れあがり鼻血も出ていたので、かなり不気味な状態だった。
さてどうしたものかと悩んでいると。
建物の外から大きな魔力が接近してきた。
ロバートが慌ててリーゼラを抱きしめると、ドカンと響く破壊音と共に視界が揺れ。白煙の中、壁をぶち破って大きな龍の口があらわれる。
「ナーシャ!」
ロバートが叫ぶと。
「よ、良かった。間に合ったようだな」
ナーシャの首にしがみついていたトミー先生が、ロバートに駆け寄ってきた。
「かなり酷い仕打ちを受けていたようだが……」
トミーは傷だらけのロバートを見て心配そうな顔をしたが。
「ふむ、この程度たいしたことはない。問題は誤解をどのように解くかだ」
回復魔法で一気に怪我を治すと、腕の中のリーゼラを見つめる。
「どの口で誤解だなんて言うんですか!」
リーゼラの口調は怒っていたが、抱きしめたことに特に抵抗はしてこなかった。
「……時間が無い、後でちゃんと説明するから今は結論だけ言おう」
フンと唸るとリーゼラはそっぽを向いたが、態度からたぶん自分の言葉を待っているのだろうと考えて。
「俺にはお前が必要だ。居なくなったら困るし、お前といる時間が一番楽しい」
ロバートは今考え得る最も素直な言葉を選んで、目の前にあるリーゼラの耳に向かってささやいた。
するとその耳が徐々に赤くなり、表情を確認すると真っ赤な顔になってあたふたしている。
「やるじゃないかロバート、今だ! 一気に押し倒せ」
脳内で不審な声が響いたが。
「ほほ、本当ですか」
リーゼラがロバートに顔を向けたので。
「俺が嘘をついていると思うか」
ロバートはキメ顔でそう答えた。
近距離で見つめ合うと、ロバートはリーゼラの燃えるような赤い瞳に吸い寄せられるように自然と顔を近付け……
「ロバート様のバカ」
リーゼラが目を閉じると、ロバートは更に力強く抱きしめた。
真っ赤な髪を揺らしてリーゼラが消えてゆくと。
「あ、あー、うん。もうそちらを向いて大丈夫かね」
トミーの照れたような声が聞こえてくる。
「すまない先生……状況を教えてもらえると嬉しい」
ロバートも少し照れながら立ち上がると、びしょ濡れのトミーに話しかけた。
「そうだね、私たちが教員寮にいたら彼女たちが話しかけてきて」
トミーはそう言うと、白い帽子の少女を見る。
「彼女たち?」
「詳細はまた後で話すが、そこで私とナーシャ君はチグハグだったこの空間での記憶がつながってね。ロバート君がピンチだと聞いて、急いでここまで来たんだ」
ロバートが少女を見ると、マシューの姿をした誰かを慰めるように話しかけている最中だった。
「じゃあ先生はこの空間の秘密を……」
「全て解いたわけではないが、この言葉を伝えればロバート君なら謎が解けると、彼女たちは言っていた」
そしてトミーは。
「聖女が嘆いているのは、過去を悔い未来を見失った人々だ。そしてこの事件の中心人物は、自分の過ちで君たちに迷惑をかけていると考えている」
そう言って、ロバートを悲し気な瞳で見つめた。
脳内のロバートがあせる気配を感じ。
「俺はどうすれば」
ポツリとそうもらすと。
「簡単な事だよ、誤解は解けばいいのさ。さっきキミがやったみたいに真実を語り、誠意を見せればいい」
トミーは広めのおでこをキラリと輝かせて、戸惑うロバートの肩を叩いた。
ロバートは改めて少年を観察する。
姿はマシューだったが、そこには忘れることのない懐かしい魔導波が漂っていた。
「キルケ……なのか」
そしてロバートは……
ひざまずき許しを乞うように頭を下げる少年と、それを温かく見守る少女に向かって歩き出した。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
「だいたいのことは聞いたわ……キルケ、あなた自分の命と引き換えに過去の輪廻を書き換えるつもりだったんでしょ」
マシューの姿が徐々に揺らめき、とんがり帽子とローブ姿の少女があらわれる。
「そもそもあの城で、妖精が命を落とさなければこんな悲劇は起こらなかった」
「だからって、あなたが死んでも勇者は……ハーベンは同じように苦しむわ」
その言葉にキルケは苦笑いしながら顔を上げる。
「例えそうなったとしても、あたしがいなければリリスとハーベンは結ばれただろう。そうすれば未来は変わる」
「確かにあたしはフラれたし、ハーベンが好きだったのはあなたよ。でも好きな人が死んだからってホイホイ乗り換えるような男だったら、あたしの方から願い下げよ」
楽しそうに笑う聖女にキルケは呆然としたが。
「バカで不器用で無骨だったけど、そこがあいつの魅力だったでしょ。あなたが好きになった理由もそこじゃなかったのかな」
そう言われて……ついつい顔がほころぶ。
聖女が振り返ると、そこには呆然と佇むロバートがいた。
キルケは気配から、それがもうひとりのロバートだと確信する。
「それでね、噂のおバカさん。この長生きだけして、相変わらずおっちょこちょいで、心は純真な乙女を絵にかいたような魔女を……助けてくれないかな?」
聖女の言葉にロバートはフンと鼻を鳴らすと。
「お前に言われるまでもない」
ぶっきらぼうに、そう言い放った。
「じゃあ、あたしの仕事はここまでね。力を借りてるけど、時空を超えて形を保つのは大変なのよ。それに天神うんぬんまでは管轄外だし」
聖女はキルケの手を握りって微笑み返すと、半回転してロバートにウインクする。
そして踊るようにターンを繰り返しながら、歌を口ずさんだ。
「
悲しい人は 辛い過去見て ♪ 新たな未来に 気付けない ♪
誰か気付いて 勇者様おねがい ♪ 誰か気付いて 魔王様お願い ♪
放っておいたら 皆過ちの中 ♪
悲しみを止めて ♪ 未来を見つけて
それは禁じられた『聖女の嘆き』を奏でる、第二の歌詞だった。
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