20 眠り姫たちの事情 1
エリンは立ち去ったロバートを眺めながら小さく舌打ちする。
そもそもの問題の発端は怪しい誘いに乗ってポーションに手を出した自分だったが、途中から騒動に割り込み、問題を解決したロバートを逆恨みしていた。
ポーションのおかげで成績も上がり、その流通を仕切っていた皆の憧れのイケメン貴族、マシューと仲良くなれたことも大きかったからだ。
確かにポーションを利用し続ければ廃人になったかもしれないし、それが不正だという事も理解していたが……
生まれつきの才能に左右される『魔術』なんて不正が横行してもそもそも問題ないというのが、ポーションを特待生の平民に売りつけていたマシューたちの考えだったし。
ロバートやマリーのような圧倒的な魔術を目の前で見ると、今までの自分の努力が馬鹿らしくなって、それも納得できると思っていたからだ。
今も基礎魔法を訓練する『振り子』がピカピカのまま部屋の隅で揺れているのを見て、ため息が出そうになる。
――もう、あたしの振り子は……何度も練習してボロボロなのに。
エリンが振り子を見ているのに気付いたマリーが声を出す。
「あら、ロバート様また新しい振り子を買われたんですの?」
「それですか……魔術練度の訓練には良い方法だって。最近お気に入りで、毎日何時間もにらめっこしてるんで、すぐ壊れちゃうんですよ」
リーゼラが応用魔法銃を点検しながら、あきれたように呟く。
「えっ、こんな地味で苦しい基礎訓練をまだやってるんですか」
エリンは思わず声を出してしまう。
それに何時間って……この訓練は上級者でも十分か十五分でねをあげる。しかも魔力の大小に関係なく精神集中を研ぎ澄ます訓練だから、いくらロバートでもアドバンテージはないはずだ。
「ロバート様はあれで訓練バカなんですよ……実戦に出てる人間なんてみんなそうなんですけどね、とくに基礎訓練は怠ると命を左右することもあるから。まあ、最近はある人物の魔術を見て、練度の正確性の向上に努めてるみたいですけど」
リーゼラはアクセルに化けたクライの正確無比な魔術練度を思い浮かべて、ため息をついた。
……あの高みに至るまで彼はどれぐらい血反吐を吐くような基礎訓練を繰り返したんだろう。そして、その高みに至りたいと訓練を繰り返すロバートはいったい何を考えているのか。
「ロバート様らしいですわね」
マリーがそう呟いて、振り子の揺れる二つの張りをピタリと中央でそろえる。
この振り子は指先に小さな停止魔法を溜めて、どれだけ正確に針をそろえるかを訓練するものだ。
エリンはほぼ中央で連続して止めることができるが、ピタリとそろえたことなど数えるほどしかないし、それは偶然の産物だったが。
マリーは連続して何度も中央に針をそろえる。
「魔法学園に通うのは時間の無駄だと考えてた時期もあったんですが……この手の訓練は勉強になりました。なぜ魔力や体力が劣る人族が、魔族に勝てたのか。今は理解できますもの」
おどろくエリンの前にマリーが振り子を置く。
エリンは悔しくなって歯を食いしばったが……
もう一度魔法灯がゆらりと揺れて部屋が暗くなると。
――急激な眠気が襲ってきて、ふてくされたまま意識を手放してしまった。
ロバートが玄関ドアを閉め廊下に出ると、五体の人影が揺らめいていた。
実体化していないが……この気配は間違いないな。
そう考えて、その後ろから放たれた魔法をスルーする。
「なぜ止めなかった?」
脳内で響いた声に。
「あの魔力波はただの睡眠魔法だ。それに……こんな状態で精神を分割されたままじゃ、どんな悪影響が出るか分からん」
そう答えると、フンと鼻を鳴らすような音が聞こえる。
「で、どうするんだ」
「全員保護する……キズひとつ付けたくないからな、ナイフはお前に任せた」
ロバートの前で徐々に実体化していったのは、ココとマリー、スカーレットとレイチェル。そしてリーゼラの五人。念の為室内を探査魔法で調べると、エリンひとりテーブルに伏せるように寝ている。
目の前の五人の表情は虚ろで目の焦点すら合っていなかったが、動きはおどろくほど機敏だった。
「眠り姫を起こす方法は……」
人格を入れ替えたロバートが懐のナイフを抜く。
「いろいろと試してみるが、どうすればいいか確信が持てない。それまで攻撃を全てかわしてくれ」
主人格の無責任な言葉に舌打ちしながら、短刀をメイド服のスカートから抜き取るココと、その後ろで制服姿のまま鞭をしならせるマリーを見る。
ほぼ同時に突っ込んできた二人のコンビネーションにおどろきながら。
「眠り姫を起こすって言えば、超古代文明の時代から決まってるだろ!」
ココの短剣をナイフで弾き、追いかけるように襲ってきた鞭をステップで避ける。
「なんだ、名案があるのか」
二の手で短刀を腰だめに構えたココを防御魔法で拘束しながら、主人格のロバートが叫ぶと。
「片っ端から唇を奪っていくってのはどうだ」
殺人鬼のような笑みをもらしながら、もうひとりのロバートが答える。
「えっ、いや……それは。じゃあ抱きしめるぐらいで、ま、まず様子を見よう」
脳内に響くその台詞を聞きながら。
やっぱり
今ひとつ理解できないと、ため息をついた。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
ディーンが教会の扉を開けると、そこには眠っているはずの五人の少女がいた。
「投影魔術か……厄介だな、こっちを傷つけると本体の魂に影響が出る」
クライが眉をひそめると。
「なら俺たちはこの娘たちを無視して、その後ろを叩こう」
ディーンが腰から二本のナイフを抜いた。
「だがそうは簡単にいかんだろう、そもそも盾として使う気なんだ」
心配するクライに、ディーンが微笑みかける。
「さっきも言ったじゃないか、その辺はロバートに任せたってな。安心しろ、どんな教育をしたか知らんが、あいつの魔術の正確性がおどろくほど向上していた。まるでお前の若い頃を見てるみたいだったよ」
短剣を抜いたメイド服の少女と、鞭を振りかざした少女が同時に姿を消す。
クライが慌てて探索魔法を強化すると。
「ロバート……」
微かにロバートの気配がした。
その魔導波が、消えた少女を優しく包み込むのを確認して。
「なっ、どうやらロバートは俺の言ったことをちゃんと理解してくれたみたいだ」
自慢げに話すディーンに、クライは不審な眼差しを向けた。
「妙な女の口説き方でも教えたんじゃないだろうな」
それを聞いて、不思議そうに首を捻る親友を見つめ。
クライは……こいつそう言えば天然だった。と、深くため息をつき。
「まあいい、この後ろにいる悪人とやらの顔を拝みに行こう」
気を取り直して、ディーンの後について。
苦笑いしながら……
クライは吹き荒れる嵐の中へ、歩を進めた。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
冷えた意識の中、ココは初めてロバートと会った草原に自分がいることに気付いた。
その頃と同じように、小さな緑のトカゲのような姿をしている。
水妖だった自分を使い魔にしたマリーの肩にのって、少年を見下ろしていた。
「初めまして俺はロバートと言う」
そしてそれが主人のマリーに対するものでなく、自分に挨拶をしていることに驚く。
言葉も話せないトカゲにそんな態度をとる人間は初めてだったからだ。
きっとそのせいだと思う……その時のロバートの照れたような顔が忘れられないのは。
彼はいつもそんな感じで、マリーの使い魔ではなく……ココをひとりの人格として扱ってくれた。
だからだろう、マリーのようにいつか人として彼と話したいと考えたのは。
そして誤解が重なり彼と別れても……その想いは消えることなく。
マリーの手助けの元、魔力と魔術を向上させて人の姿を取ることができた。
それは使い魔とは言え、ただの水妖としては奇跡的な出来事だった。
再開したロバートとの今の日々は、まるで夢のような時間で。
人の言う恋がまだ理解できないが、ロバートの顔を見たり声を聞いたりすると、ココは落ち着かなくなることが増えてきた。
「徐々に人間らしい表情ができるようになったわね」
ポンコツでストーカーな腐れお嬢様だが、嬉しそうにそう話してくれると、なんだかココの心は温かくなる。
曖昧な夢のような時の流れで……
徐々に、いろいろな出来事を思い出す。
不覚にもお嬢様の部屋に魔力波の侵入を許した時、トイレにいたココは……
ロバート様と目が合って、それで。
間違いなく見られちゃったなと思ったら。体中の血が湧くような、それでいて恥ずかしいけど嫌じゃない……不思議な感覚に陥った。
これも恋なのだろうか?
冷えた心の片隅で悩んでいると、誰かが心配そうにココの名を呼ぶ。
「しっかりしろ!」
まるで誰かに操られていたような身体が徐々に和らいでゆき。
ココがなんとか目を開けると、ロバートに抱きしめられていたことに気付く。
いったい何が起きているのか、思考の整理が追いつかなかったが。
ココが何かを言おうとして口を開くと。
「くそっ、やはりこれしかないか……」
そう言って、ロバート様の顔が近付いてくる。
唇に当たる柔らかい感覚に戸惑いながら。
うん、これが夢なら覚めないでほしい!
ココは心の底からそう願ったが、眠りから覚めるように……
温かい何かが身体を包み始めた。
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