13 悲しみの泉 【後編】

「この場所で精霊姫と共にお前と向き合っておるのも……何かの運命かもしれんな」

 キルケは踊りを止めた精霊姫に軽く手をふる。


 その態度に精霊姫は歌を止めて踊りのみで続きを演じ始め、キルケが青い髪を風に揺らしながらロバートにその内容を語り始めた。


「精霊とは自然と共に生きる種だ、人族や魔族のように文明を持ち自然をつくりかえるような事はせん、だからそもそもが交わる事の出来ぬ性分なのだろう。しかし……必ず変わり者もおってな、人族と交わることで生きようとした種もあった。人の作った物に宿る精霊や……人の想いに宿った精霊」


「家や物にピクシーなんかが取り付くのは知っているが、人に取りつく精霊もいるのか?」


「精霊が人に取り付くと人はそれを悪魔と同義に扱うからな。虫や獣も同じだ……人の暮らしに役立てば益虫、邪魔になれば害虫と呼んで駆除する。例えば淫魔サキュバスなどは良い例だろう、そもそもあやつらは愛を称える精霊の一種だ」


「人族ってのはずいぶん勝手なんだな、自分の都合で善悪を決めるなんて」


「善悪などと言うものはそんなものかもしれん、立場や価値観の違いが生み出す悲劇のひとつだろう……だが完全な善意が存在するなら完全な悪意も存在する。そして強い意志ほど周りを歪める、くれぐれも飲み込まれんようにな」


 キルケの言葉にロバートが考えを巡らせていると。

 精霊姫の舞は進み……物語の中で精霊たちは旅の途中でひとりの魔女と出会い、安住の地として大森林の一画を与えられた。


「勇者一行の聖女の正体は人の愛に生きた精霊だ、だから話の仲を取り持つという提案を精霊姫は信じた。しかし正体を勇者に知られたくなかった聖女は勇者の説得に失敗し、悩んだ末に精霊たちの命を救うために眠りにつかせた。やつらの言う優しい恋人同士……魔王とその使いが死んだ責任を取るような形で聖女も永遠の眠りにつく。三人の勇者一行で残ったのは、この頭の悪い魔女だけだ」


「つまらん話だな……どこにも救いがない」

 ロバートは泉の上に広がる青い空を見上げる。


「だが事実はいつもつまらないもので、運命はいつも厳しい」

 ポツリとそう呟いたキルケに……ロバートは頬を膨らませながら。


「ならこれから俺が楽しい事実を沢山作ってやるよ」

 反抗するように言い返した。


「ならばまず自分の心をまとめることだな……そのままでは人格が崩壊して人としての心が保てなくなる」

 キルケは手に持っていた長い杖を器用に振り回し、小さく聞き取れないような呪文を唱えながら青く大きな瞳をロバートに近付けた。


「それからむやみに移転魔法を使うな、術の失敗で戻れなくなることもある。もし間違って過去の輪廻を書き換えれば……天罰が下るやもしれん」


「天罰ってなんだよ」

 ロバートはキルケの神秘的な瞳に魅入られ、上手く身動きが取れなくなる。


「真龍……特に古龍と呼ばれるやつらは過去への移転を嫌って、術者を監視するそうだ。それに龍力は時間魔法の妨げになるからな。今この地にとてつもない龍力が近付いておる、たぶんこれは人の世の聖人の供をしておる古龍の気配だろう。しばらくは時間軸に干渉せんことだな」

 キルケはそう言ってまたロバートを見つめた。


 ひとの心配ばかりするキルケにロバートは腹を立て。

「運命もいつか俺が変えてみせる、だからもうそんな悲しみに満ちた瞳をするな」

 抵抗するようにキルケの瞳をにらみ返す。


「もうひとりのロバートよ……我が友ハーベンと同じく清く澄みすぎた魂よ。どうか運命や古き呪縛から解き放たれ、自ら信じる新しき道を切り開け」


 キルケのその封印呪文に取り込まれ、ロバートの動きが止まる。

 そして薄れゆく意識の中で、ロバートの唇に柔らかい何かが重なった。



 この記憶は外れたロバートが主人格にバレないように封印している。

 精霊姫から聞いた過去の逸話を隠したかったのか、キルケとの口付けを秘密にしたかったのか。


 それは今のロバートにも理解できないが……なかなか思い出せなかった自分を責めると同時に、目の前で争う二人の龍族を眺め。



 だってこれが神の末裔だとは思えないだろう……と。

 ロバートはゆっくりと首を左右に振った。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




「なんちゃってロバート様、今なんか昔の女の事とか思い出してませんでした?」

 ロバートに向けて応用魔法銃を構えたリーゼラが、ため息交じりにそう呟く。


「お前、やっぱり読心魔法が使えるんじゃないのか……」

 ロバートは心配になって、本気でリーゼラが魔法を使っていないか探査したが。

 やっぱりなんの反応もなかった。


「ある意味そっちの方が怖いが」

 ロバートがそう考えていると。


 全員の通信魔法板が着信音を鳴らした。


 リーゼラがスカートのポケットから通信魔法板を取り出して。

「あっ、防災警報ですね……帝都に魔力風が接近してるから、注意してくださいって」

 そう言うと。


 ナーシャがロバートに近付き。

「ねえ、かっこいいロバートくん、シャツの胸ポケットに通信魔法板を入れてるんだけど……ちょっと取ってくれない?」

 羽織っていたジャケットの胸元を開いた。なぜかシャツのボタンも外れていて、大きな谷間がロバートの目と鼻の先まで接近した。


 ロバートは主人格の記憶にまた戻ったこと。そしてこの二人の龍族の娘を眠らせないために、どうしたら良いか悩み。


「どうしたら良い?」

 ナーシャに素直に聞いてみる。


「そっそうね、えっとー、口で?」

 ナーシャはモジモジしながら顔を赤らめて、さらに胸を近付けてくる。

 ロバートがそのタフンタフンしている胸元に顔を突っ込んだら。


「なにアホなことしてんですか!」

 マリーが体当たりでナーシャを突き飛ばした。

 また元に戻ってしまったと、ロバートがため息をつくと。


「マリー、マリー、マリー」

 マリーが握りしめている通信魔法板がロバートの音声で鳴っている。


「なにをしたら良い?」

 現状を打破したいロバートがそう聞くと。


「ええっと……あっ、こんな所に通信魔法板が!」

 マリーは自分のぺったんこな胸を悲し気になぜた後、恥ずかしそうにスカートをたくし上げ、太ももの間に通信魔法板をはさんだ。


 まっ白でスラリとした太ももと、その上の白いレースのパンツがチラリと見えている。さすがに目の前にそんなものがあらわれると外れたロバートもドン引きしたが……


 ナーシャが横からタックルを決め……二人はリビングの隅まで吹っ飛んで行った。


「まったく……何やってんでしょうか?」

 リーゼラがあきれたように左右に首を振りながら、引き金に指をかける。


「お前こそ……」

 言い返そうとしたが、銃口がロバートの口の中に入ってそれ以上しゃべることができなくなった。


 主人格の記憶と少しズレたことに喜ぶべきかどうか悩んでいると、部屋の呼び鈴が鳴る。

 もうなんかいろいろと面倒くさくなったロバートが耐魔ロープを引きちぎってドアを開けると。


「あ、あのっ、まだ通信魔法板のスペルも知らなかったし、どうしたら良いか分かんなくなって突然訪ねたんだけど……」

 困惑顔のスカーレットが佇んでいた。


 ロバートが後ろを振りかえると……

 ナーシャとマリーがすまし顔でテーブルに座り、その二人にリーゼラがお茶を入れていた。何度確認しても、髪ひとつ服装ひとつ乱れていない。


「うむ……運命と言うのはなかなか変えれないものだな」

 ロバートがそう呟くと、スカーレットは不思議そうに首を捻った。


「えっと、その……帰った方がいい?」


 ロバートがため息をつくと、テーブルの三人から白々しく……

「いらっしゃい」「あれ? スカーレットちゃん、どーしたの」「あら、ロバート様のクラスメイトですか」

 優雅な声が返ってきた。


 ロバートは悪あがきかもしれないが、それでも運命に逆らおうと。

「せっかくだから上がってくれ……皆で夕食でもどうだ」

 スカーレットを招き入れた。


「せっかくだけど、そろそろあたし職員寮に帰ろうかな……嵐も心配だし」

 ナーシャが微笑み。


「そうですわね……じゃあ、あたしも」

 マリーも同意するように頷いたが。


 変えるとしたらここしかないと、ロバートが頼むようにリーゼラを見つめると。

「それではロバート様、あたしは夕食を取りに行きます。皆様せっかくですのでどうかおくつろぎください」

 リーゼラはそれに応えるようにニコリと笑った。


 笑顔を振りまきながらリーゼラが部屋を出て行くと、残されたマリーとナーシャが苦笑いする。ロバートはそんな二人を眺めた後、スカーレットを見つめ。


「心配するな、つまらん運命なんて俺が変えてやる」

 まるで殺人鬼のような冷えた笑いをもらす。


 スカーレットは背筋を震わせ……


「やっぱり素敵!」

 心の中でそう叫ぶと。


 ジンジンと体の中で何かが波打つのを感じながら、うっとりとロバートを見つめた。



 スカーレット・エクスディア、十五歳。帝都でも指折りの大富豪エクスディア伯爵家の長女にして、レイチェルの双子の姉であり。聖女候補として妹と共に教会から秘密裏にマークされている。

 そして本人はまだしっかりと自覚していないが……

 わがままボディを持つ真性のマゾヒストでもあった。

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