12 悲しみの泉 【前編】

 昼休みの出来事は一瞬にして学園内に広まり、午後の授業中ずっとコソコソ話が続いて教室には異様な空気が立ち込めている。


 ロバートはこの状況を打破するために考えを巡らせた。閉鎖された空間、繰り返す時間、気配が消えた主人格。


 ――それに、眠れるスリーピングビューティーか。

 なにかが引っ掛かるものの、今ひとつ考えがまとまらない。


 授業の間の休み時間に何度もマシューがスカーレットに話しかけたが、彼女はずっと顔を伏せて無視を決め込んでいたし。

 ロバートがあきれてそれを見ていると、スカーレットは助けを求めるようにチラチラとロバートを見た。



 放課後……

 問い詰めてきたナーシャから逃げると途中でマリーが合流し、結局逃げ込んだ自分の部屋でリーゼラに挟み撃ちにされた。


 ここまで主人格の記憶をトレースしてしまったことに苛立ちながら、椅子に耐魔ロープで縛られたロバートは三人に昼休みの状況をかいつまんで説明する。


「つまりなんちゃってロバート様は、依存系地雷小娘に惚れられたってことなんですね」


 テーブルをはさんでロバートの正面に座っていたリーゼラは、応用魔法銃の手入れをしながら大きなため息をついた。


 やがて主人格の記憶と同じようにマリーとナーシャが言い争いを始める。

 ロバートは他人事のようにそれを見ながら……


 ふと、この二人の正体が真龍であること。そして主人格の記憶の通り時間が進めば二人とも眠るにつくこと。



 その共通点から……昔同じように主人格が気配を消して、大森林の精霊の森に逃げ込んだ出来事を思い出した。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 あれは大森林を出て旅に出る数週間前の朝だった。

 ロバートはいつものベッドの中で主人格の気配がないことに気付く。


 以前も同じ事があったが、だいたいその時はキルケが強引に魔術で『外れ』たロバートを封印しなおしたから。


「その前に逃げ出すか……」

 まだ制御が不安定だった移転魔法を利用して『悲しみの泉』までジャンプした。


 大森林はキルケが住む最奥部『戒めの森』を中心に不死王が治める『死の森』と精霊姫が治める『精霊の森』の三つに分かれている。


 まだ移転魔法で森より外に出ることは不可能だったため、ロバートはその場所を選んだ。

 キルケは精霊の森に行くことを避けていたし……その中心にある悲しみの泉まで移動すれば、多少の時間が稼げるだろうと考えたからだ。



 主人格とキルケは良い師と弟子の関係を築いているように見えたが……

 最近『外れ』たロバートは時折キルケの見せる態度に戸惑っていた。


 キルケと魔術の模擬戦中に熱くなって主人格が『外し』てしまった時、殺気とも恨みとも違う不思議な熱い視線でにらまれたり。


 意外とドジの多いキルケが森の中でケガをした時に、助けに行ったロバートが外れた人格だと知って急によそよそしくなったり。


「きっかけはアレだろうか……」

 キルケが水浴びに使う小川で遊んでいて、うっかり鉢合わせてしまった事があった。


 いつも着ている黒いワンピースは丁寧にたたまれ岩の上にあり、川面には美しい青い髪がキラキラと輝きながら流れている。

 ロバートがぼんやりとその下の透き通るような白い肌を眺めていると。


「誰だっ!」

 キルケがバシャっと水音を立ててこちらを振り向いた。


「悪かったな、居るとは思わなかったんだ」

 ロバートが悪びれる素振りもなくニヤリと笑うと、キルケはおどろきながら大きな胸の膨らみを両腕で囲むように隠した。


 腰下は水の中だったが、飲料水としても利用できる透き通った湧水は、キルケの引き締まった腹部と豊かな太ももまでのラインがハッキリと確認できた。


「ロ、ロバートか……婦女子の素肌をそう無遠慮に見るものではない」

 顔を赤らめながら後退るキルケが面白くて。


「いつもは胸元や脚に目が行くと、からかうじゃないか」

 ロバートはそう言って笑みをこぼした。


 キルケは人族なら十六~七ぐらいの年齢に見え、白く透き通る肌は瑞々しく均等の取れたスタイルは人を惑わす妖精たちと比べても見劣りしない。

 ややツリ目の大きな青い瞳も筋の通った鼻も、黙っていれば冷酷な美貌だが……ちょっと抜けている性格のせいか、どこか愛嬌がある。


 そのため大森林の主であり世に三人しかいない魔女であっても……森の住人は彼女のことをアイドルのように扱っていた。


 最近主人格は寝起きのキルケが下着同然の姿で城内を歩いていたり、魔術の勉強中に胸元がのぞいたりスカートがひらめいたりするたびに、ドキドキしていた。

 九歳になって異性を少し意識し始めたロバートが、そんなキルケを気にし始めたのを知ってか……


 その度にわざと自分のスカートをつまみあげたりウインクしたるする。

 そんなキルケに反撃できるチャンスだと『外れ』たロバートが喜んでいると。


 キルケはロバートの瞳をジッとのぞき込み。


「もうひとりのロバートだな!」

 半泣きの表情で片手を突き出し、とんでもない衝撃波を打ち込んできた。


 なんとか移転魔法で難を逃れたが……

 それ以来どうもキルケは『外れ』たロバートを避けているようだった。



 移転したロバートが新緑に囲まれた泉の畔にあった岩に腰かけると。


「移転魔法の気配がすると思いましたら」

 水面が輝き出し……その光が集まって美しい女性の形に変わる。


「今朝はこんなに早く……どうかなさいましたか?」

 そしてその金色に輝く女性は、優雅に膝を折り深々と頭を下げた。


「精霊姫か、なんでもない。ただの気まぐれだ」


 人族なら二十歳ほどの金髪の女性は長い布を巻いたようなドレスを着て、美しい四肢を惜しげもなく露出している。


 しばらくすると同じような服を着た十二~三歳ぐらいの少女が四人あらわれ。

「ロバート様おはよー!」「あれっ? 今日は早いね」「お、おはようです」「愛してます」

 それぞれ挨拶をした。


 エレメンタルの妖精と呼ばれる彼女たちは、水のウンディーネ、火のサラマンダー、風のシルフ、地のノーム。

 それぞれの力を司る女神のでもあるが……


 水色の髪をしたウインディーネがその長い髪をかき上げ、のけぞるように大胆に開いた背中を見せ。真っ赤なショートヘアのサラマンダーが、両腕で挟み込むように自慢の胸を寄せて谷間を強調し。銀色のロングヘアーのシルフはドレスの裾を持ち上げ、恥ずかし気に健康的な太ももをさらし……

 栗色のくせ毛をフワフワとさせた愛くるしい顔のノームは、なぜかドレスを脱ぎ始めた。


「なにをやってるんだ?」

 美しい少女たちの妙な行動にロバートがため息をつくと。


「ん? どうして照れないの」「今日はチラチラ見ないんだ」「が、頑張ったのに……」「もうすぐ脱ぎ終わりますので、今しばらくお待ちください」

 謎の返答が返ってくる。


「これこれお前たち……いい加減にしなさい。その、ロバート様が最近彼女たちをチラチラ見てると喜んでいたんですよ。まったく困ったものです」

 精霊姫がエレメンタルをたしなめながら腕を組み、その大きな胸をボインと持ち上げながらロバートに流し目をおくった。


「あっ、姫姉様それ反則!」「あたしの方が張りと艶は上ですー」「ロ、ロバート様はおっぱい派じゃなくて、太もも派ですよね……」「ふーっ、やっと脱ぎ終わりました」

 その態度に妖精たちが抗議をしたが。


「なんのことか良く分からないし……そろそろ誰かノームを止めてやれ」

 ロバートはあきれたように彼女たちを眺めるだけだった。


 全裸で嬉しそうに微笑むノームに。

「うわっ、なにしてんの」「げっ、ノームって結構胸デカい……」「ウエストが細いのに……ふ、太ももまでエロいってどう言うこと!」

 残りの三人が慌てて飛びかかり、脱ぎ捨てたドレスと共にノームを森の奥へと引きずっていった。


「相変わらず妖精は面白いヤツらばかりだな」

 楽しそうに笑うロバートに、精霊姫は少しおどろいて……その瞳の奥をのぞき込んだ。


「まあ……今日はもうひとりのロバート様なんですね」

 そして金色の瞳を揺らして首を少し傾げると。


「キルケから相談は受けてたんですが……そろそろお話しても良い頃かもしれませんね」

 そう言って微笑む。

 ロバートがフンと鼻を鳴らすと。


「では今日はとっておきの昔話をしますので、ちょっと聞いていただけないでしょうか」



 精霊姫ニニアンは深く頭を下げると泉の上に戻り……やがて鈴を鳴らしたような美しい声で歌い始める。


 その声に合わせてエレメンタルの妖精たちも精霊姫の元に集い、それぞれロバートにウインクや投げキスをすると。


 五人は泉の上でリズムを取りながら、美しいステップを踏み始めた。



 その歌と踊りの内容は……


 優しい恋人同士が旅の途中で多くのか弱き人々を救い。

 絶滅の危機にさらされていた精霊や妖精や幻獣も、優しい恋人同士に救われ住む場所を与えられる。


 しかし優しい恋人同士の力を悪用しようとした人々にその場所は汚され、やがてその悪人を討伐しようと勇者と魔女と聖女の三人があらわれた。


 悪人たちは勇者たちに恐れをなし優しい恋人同士に罪をなすり付けて逃げたが、精霊たちは勇者を説得しようと立ち上がる。


 しかし人族と元々理解し合えなかった精霊たちは勇者の説得に失敗し、勇者一行の聖女に騙されて眠りにつく。


 精霊たちが目覚めると……

 優しい恋人同士は命を失い、精霊たちの住みかは人族に奪われていた。


 精霊姫は復讐のために聖女を追い詰める。

「あたしのしたことはきっと間違っていたのでしょう。あの時あの場所であなたたちの命を救うには、ああするしかないと考えたのですが」


 聖女はそう言って精霊姫に降伏した。しかし聖女の正体を知った精霊姫は何もせずにその場を去り、生き残った精霊たちと安息の場所を探して旅に出る。


 ……精霊姫がそこまで演じると。



「こんな所におったのか」

 ロバートが座っていた同じ岩に、魔女キルケがコトリと腰を下ろした。


「あんたから逃げてきたんだが……森から抜けなければどこに隠れても同じか」

 そちらを振り向きもせず、ロバートはため息まじりに呟く。


 キルケはその態度と言葉にロバートが置かれている現状を察すると。


「お前のことが嫌いでそうしているわけではない……むしろ消えてなくならんように心配してしておるんだが」

「面白そうな話だな、是非続きを聞かせてくれ」


「この物語の魔王と勇者は共に移転魔法の使い手だった。移転魔法の使い手は時と場所を越えることができる、肉体だけではなく魂までもな。いつか時を越え生まれ変わるかもしれない。精霊姫も聖女も、そして頭の悪い魔女も……それを期待しているのかもな」


「じゃあ俺の前世が魔王か勇者だって? まったく、ふざけた話だ」

 ロバートが不貞腐れると、キルケは少し悲しそうに笑う。


「どちらかだけなら、まだ話は簡単だったのかもしれん」

 その言葉にロバートがキルケの顔をのぞき込むと。


 キルケは困ったように空を眺め。

「その状態でそうしておると……その態度も言葉遣いも、お前は日に日に我が友ハーベンに似てくる」



 ポツリとそうもらして……

 また少し悲しそうに、キルケはロバートの目を見て微笑んだ。

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