もう一度キミに

10 なぜかゆっくりと瞳を閉じた

 ……おかしいな。


 目が覚めたロバートは、自分が自室のベッドにいること。

 そして主人格であるはずのロバートが自分の中にいないことにおどろいた。


「ぐっ……なんて美味しそうなんだろう。もうこれ、食べちゃっても問題ないですよね」


 そのささやきに薄目を開けると……リーゼラが気配を消して近寄り、怪しげな表情で自分のよだれをペロリと舌でなめ取っている。


 ロバートはこのまま寝たふりをしながらもう少し様子を見るか、状況判断のために起きて探査魔法を放つか悩んだが。


 半開きになったリーゼラの赤くふっくらとした唇に、またよだれがツーっと音をたてて滴ったのを見て……迫りくるリーゼラを抱き寄せた。


「ん、あれっ?」

 ロバートが目を開けると、キスする寸前でリーゼラが身体を止めて大きな目を開けて首を捻る。


「どうした怖気づいたのか」

 ロバートがからかうと、リーゼラは瞳の奥を覗き込むように見つめ。


「やっぱり、なんちゃってロバート様でしたか。あたしの大切なロバート様はどこですか?」

 つまらなさそうに身体を離した。


「良く分かったな。以前にも同じことがあったが……大森林の魔女キルケも聖人ディーンも、もう少し気付くのに時間と手間をかけたぞ」

 ロバートは身体が起こしながら、現状を把握するためにパチンと指を鳴らす。


「以前にも? じゃあ、よくある事なんですか」


「幼い頃はよくあったが、最近は……そうだな帝都に来てからは初めてだ。数時間で治まることもあれば、数日間の時もあったかな。なにが原因でどうすれば元に戻るかまでは分からんが……主人格の気配が身体から消えるんだ」


 探査魔法の手ごたえに不信感を持ったロバートは、もう一度パチンと指を鳴らしたが……やはり結果は同じだったので、ゆっくり首を左右に振ると小さくため息をつく。


「じゃあ、元には戻るんですね」

 どこか心配そうなリーゼラに。


「安心しろ、主人格が消えることはない。今回の原因もなんとなくだが推測できている」

 ロバートが答えると、リーゼラは安どの息をもらした。


 頭上に大きなピンクのリボンを付け、レースをふんだんにあしらったメイド服に合わせて、ピンクと白のストライプ模様のニーソを穿いているリーゼラを見て。


「それはそれで可愛いが、なにか無理しているような気がしてならない。お前はそのままでも十分キレイだ」

 なにげなくロバートが呟くと。


 リーゼラはおどろいた表情で数歩後退して。


「さっきの積極的な態度とか、サラッとキザな事を言ってもなんとかなっちゃうところとか……なんちゃってロバート様って、あ、侮れないですね!」


 照れたような怒ったような微妙な態度を取りながら、あたふたする。

 ロバートはそれが面白かったから。


「今回はあのピンクのパンツを見せてくれないのか?」

 からかうようにそう言うと。


 リーゼラはもう一歩後ろに下がり。

「あたしの大切なロバート様専用なんで、見せてあげません」

 べーっと舌を出して、リビングに走っていった。



 ロバートは再度時間軸と空間軸を確かめ……

 まったく困ったものだと、深くため息をついた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 こうなってしまった以上、ここから事態の解決を図らなくてはいけないと……『外れ』た状態のロバートは腹をくくった。


 そのために主人格のロバートを装いながら部屋を出ると、待ってましたとばかりに……艶やかな腰までの黒髪をなびかせながらマリーが飛び出してくる。


「ロバート様、おはようございます。ちょうど良かったわ、私もこれから授業ですの。教室までご一緒します」


 ……ここも記憶と同じだな。

 何かを変えていかないと同じことを繰り返すだけだし、あいつの言った『眠り姫』とやらも気になる。


 ロバートはそう考えると、強引に腕を取ろうとしたマリーの腰に手をまわした。


「そんなロバート様、超嬉しいです!」

 身体をすり寄せてきたマリーが、ロバートの体をまさぐるように触る。


 なんか逆と言うか……違う気がするが。

 ロバートが悩んでいると。


「マリー様かわいそう」「何か弱みでも握られてるのかしら?」「くそっ、見せつけやがって」「憧れてたのに……あの野郎」

 朝の学生で賑わう廊下の隅々から誤解と怨嗟の声が響く。


 ロバートはその声と徐々に鼻息が荒くなるマリーに脱力しながら、なんとか教室までたどり着いた。



 授業中も主人格が持っている記憶との誤差はほとんどなかったが。

 ナーシャが……


 授業中ロバートを見つめてボーっとしたり、目が合うと背筋をブルブル震わせたり……最後の方はロバートを見つめながら顔を赤らめ、薄っすらとよだれを垂らしていた。


 なにやら微妙な行動が加速したような気がしてならない。


 その度に、教室内から誤解や怨嗟の声が響き……

 『外れ』たロバートは、この学園は大丈夫なんだろうか? と。



 自分のことをすっかり棚に上げて、心配していた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 ここまで大した成果を上げれなかったロバートは『学生食堂』と書かれたプレートの前で、殺人鬼のような冷えた笑みをもらした。


 そんな場所で立ち止まっているせいで、交通の妨げになっていたが。既に学内で名も顔も有名になってしまったロバートを注意する者も無く……


 邪魔だとは思いながらも生徒たちは係わりたくない一心で距離を取り、なんとか学食へなだれ込んでいた。


 その辺りの空気の読めなさ加減は、主人格と大して変わりがない。

 しかも『外れ』た人格にも自覚がなかったから、たちの悪さではこちらの方が上かも知れなかった。


 ロバートが二階のレストランに上がると、優雅にナイフとフォークで食事をしていた生徒たちの手が一瞬止まる。


 タキシードの青年が空いたテーブルにロバートを案内すると、何人かの生徒がチラチラとロバートを盗み見たが。また、緩やかに食事と会話が始まった。


 ……ここまでは同じ状況だな。


 ロバートが周囲に気付かれないようレストラン内を探っていると、少し離れた席から「うわっ」と泣き崩れるような女性の声が聞こえてくる。


 ロバートが不審に思い、その声の方向に視線を向けると。


 ブルーフィル子爵の息子と、エクスディア伯爵家の娘が座っていて。男がなにやら必死で言い訳のような言葉を発していたが、女は両手を顔に当てたまましくしくと泣き続けている。


 ロバートがおどろいて、その人形のように美しい少女を見ていたら。


 少女はふと顔を上げ……ロバートと目が合うと、なにかを決意したように頷き。ロバートの近くまで歩み寄って強引にロバートの腕を取ると、スタスタと歩き出した。


「スカーレット、待ってくれ……」

 金髪碧眼のイケメンが呼び止めたが、それを無視して少女はレストランを出る。


 ……ここではレイチェルがヤツを引っ叩いたはずだが。

 やっと事態が動き出したのか?


 ロバートは冷淡にニヤリと微笑んだが。

 少女の細腕に引きずられながらそんなことをしても……



 ただ滑稽なだけだった。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 ロバートは少女に腕をがっちりホールドされたまま。

 ズルズルと引きずられてゆき……中庭まで移動した辺りで声をかける。


「いいかげん泣き止んだらどうだ?」

「うっ、うっ、ううっ」


 昼休みの校庭で賑わう生徒たちが注目していたが、ロバートはそれを無視して……人形のように美しい少女を抱え。


「えっ……」

 飛行魔法で一気に、時計塔の屋根までジャンプした。




 屋根上の風取り窓から少女を担ぎ上げ、そこから時計版の裏に侵入する。記憶通りメンテナンス用の通路にあったベンチに座らせて、落ち着くのを待っていても……

 少女はなかなか泣き止まない。


 ロバートがしかたなくハンカチを手渡すと。


「ねえ、い……今のはいったいなに?」

 やっと少女はしゃべってくれた。


「ただの飛行魔法だ」


 ロバートが感情の欠落した冷たい笑みを向けると、少女は恐る恐るロバートの顔を見て……

「す、凄いんですね、ひ、飛行魔法で……こんな場所に移動するなんて」

 声を震わせながらそう答えた。


 妙に大人しい少女の態度と……主人格のもつ記憶とのズレに、ロバートは興味を持ってその後の経過を観察しようとしたが。


 少女はハンカチで涙を拭いたりチラチラとロバートを見るだけで、なぜ自分を連れ出したかの説明もしない。


 ロバートは少女の観測に飽きると時計台から街を見下ろし、さてどうしたものかと悩み始めた。


「あの……ありがとう」


 だいぶ時間が経ってから消え入るような声が聞こえてきたので、ロバートは少女に視線を戻し。


「どうして俺を連れ出したんだ?」

 記憶通りの質問をした。


「上手く言えないんだけど、あなたなら何かを変えるかもしれないって……そう思って」

 少女はロバートから目をそらしながらぽつぽつとそう語る。


「それで、この後どうするつもりなんだ?」

 乾いた笑みをもらしながら、もう一度記憶に沿ってロバートが呟くと。


「なにがあったか……説明しなくていいの?」

 記憶とは異なる少女の言葉に、ロバートが冷たく鼻で笑い。


「だいたい想像はつく、言いたくないなら黙っていろ」

 そう言うと、なぜか少女は嬉しそうに微笑んだ。


 そしてまた会話が途絶える。


 『外れ』たロバートはしゃべるのが面倒だったし、少女はどうもしゃべるのが苦手に見えた。

 そして背筋を伸ばし、大人しくベンチに座る人形のように美しい少女を見て……ロバートは首を傾げる。


「確かめたいことがあるんだが良いか?」

 

「は、はい。どうぞ」

 少女が緊張したようにコクリと頷く。


 ロバートはそっと少女に近付き、形の良いままの大きな胸を持ち上げたりグイグイ揉んだりしてパッドがないか確かめたが。


「あっ、そ、そんな……あ、いきなり……」

 少女は顔を赤らめるだけで。



 ロバートがどれだけ確かめてもパッドは存在しなかったし。

 少女は身体を震わせながら、なぜかゆっくりと瞳を閉じた。

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