08 誤解とコミュニケーション

 ロバートが移転先に選んだのは、自室の前の廊下だった。

 直接リビングでも良かったが……


「また変な誤解をされても嫌だからな」

 立て続くラッキースケベに警戒したからだ。


 ナーシャを抱えて亜空間を抜け、通常の時間と空間軸に移転できたのを確認していると。


「フォルクス様ですか?」

 突然後ろから声をかけられた。


 振り返るとそこには、メイド服を着た少女が佇んでいる。


「そうだが、なにか」

 廊下の魔法灯は全て消えていて、少女の声と外の嵐の音だけが響いていた。

 魔力風の影響なのか……ロバートの視力をもってしても、少女の顔がハッキリと判別できない。


「失礼いたしました、夜分遅く物音がいたしましたので……確認のために廊下まで出たしだいです」

 少女はそう言うと、深く頭を下げる。


 その身のこなしにはスキはなく、薄っすらと魔力をオーラのようにまとっていた。そう言えば、このフロアには俺とマリー以外にも、もう一部屋住人がいたな。

 ロバートは、その部屋の警備メイドだろうと思い。


「こちらこそ申し訳ない。聖女の嘆きのせいか、いろいろと問題が起きて……迷惑をかけたようだな」

 深夜の不備を詫びたが。


「いえ、原因が分かれば問題ありません。それより何かお手伝い出来ることがあれば、お申し付けください。 ――今は緊急事態のですから」


 近付いてきた少女の気配に、ロバートの中で何かがカチリと音をたてて『外れ』た。


 ――ふん、面白くなってきたな。


 とぼけるような言葉使いで。

「心配には及ばないよ、それよりそっちは大丈夫なのか」

 そう言うと。


 ロバートはナーシャを遮断魔法で保護して、周囲を探査魔法で探る。

 どうやら廊下全体が、既になんらかの術式の制御下にあるようだ。


 ――こいつを解呪するのは手間だな……なら、相手の出方を見るか。


「大丈夫と申しますと」

「目覚めぬ眠りに取り込まれた女性はいなかったか」


「まあ、言い伝えの……聖女の嘆きですか?」


 少女は微笑むような仕草をしたが……相変わらず顔が見えない。

 室内には、リーゼラとレイチェル、そして眠っているマリーとそれに寄り添うココの反応があった。


 こっちは大丈夫だな。


 抱き上げているナーシャはスヤスヤと幸せそうな寝顔のまま。

 しかし着ぐるみパジャマの前ボタンが大きすぎる胸の圧力に負けて、今にも弾き飛びそうだ。


 こっちは……大丈夫じゃないか。


「失恋というのは、そこまでするものなのかな。聖女様の想いにも困ったもんだ」


「そうですね……でも、女心というのは嵐のようなものなんでしょう。ロバート様もくれぐれもご用心してください」


 ゆっくりと、少女が距離を詰めてきた。

 魔術戦を避ければ勝機があると考えたんだろうが……


 ロバートは少女の動きに不敵な笑みをこぼす。


 力を溜めるように、少女の腰の位置が少し下がる。

 踏み込みの距離も、得物の長さも不明だが。そこで止まったんなら、その距離が一足一刀の間合いなんだろう。

 五メイル以上離れていたが、ロバートはそう判断し。


「まだその心配は、必要ないと思うんだが」

 苦笑いしながらそう言って、少女から距離を取るように、ドア側に向かってステップした。


 同時に少女は、その距離を一気に縮める踏み込みを見せ。

「ナイフか……」

 ロバートの頬に、薄っすらと切り傷が浮かんだ。


「そんなっ」

 少女は会心の一撃を避けられた事におどろく。

 間合い、タイミング……どちらも完ぺきだったし、ましてや相手は女性をひとり抱えている。――しかも魔力は一切関知できなかった。


 少女は振り切ったナイフを逆手に握り返すと、再度ロバートの逃げ切れない場所……

 腹部を狙って、踏み込んだが。


「きゃ!」

 逆に距離を詰められ、出足を足で払われた。


「自信をもっていい、師匠以外にナイフで俺に触れたのはお前が初めてだ」

 ロバートはまだナーシャを抱えたまま、余裕の表情だ。


 倒された少女が立ち上がろうとすると……


 二人が交差する音と、ロバートの声に気付いたのか。

 部屋のドア少し開いた。


「ちっ」

 その隙間を見た少女が、舌打ちをして走り出す。


 その瞬間、メイド服のスカートがひるがえり……

 可愛らしいピンクのパンツと、猫族特有の尻尾がチラリと見える。


 ナーシャを抱えたまま戦闘をしたせいだろう。ロバートの胸元で「ぶちっ」と、何かがちぎれた音がしたが、ナーシャを確認すると安らかな寝顔のままだ。


 逃げた少女を追うべきか悩んだが。

 仲間の安全を優先したかったのと、少女の態度に疑問が残ったため。

 ロバートは深追いを避けた。


「リーゼラ、もう大丈夫だ」

 扉がゆっくりと開くと、応用魔法銃を構えたリーゼラが立っている。


「ロバート様、おケガは!」

 心配そうに駆け寄るリーゼラに、ロバートは首を振りながら回復魔法を唱え、頬の傷を消す。

 安堵したリーゼラの顔を見て、ロバートも外れた何かが自然と戻っていった。


「問題ない、それよりこっちを頼めないか」

 抱えていたナーシャをリーゼラにわたそうとして、はらりとシーツが落ち。


「へっ、えっ?」

 リーゼラのおどろいた顔をみて、ついついロバートはその視線の先を追って……


 龍の着ぐるみパジャマの前ボタンが弾き飛び、ポロンと飛び出た大きすぎる膨らみを、近距離で見てしまった。

 片方はなんとか真ん中で引っかかってはだけていなかったが、もう片方は重力に逆らってツンと尖り。その張りと弾力を自己主張している。


「えっ、あれ?」

 慌てて視線をそらしたが。


「もー、ロバートくんのばかー」

 タイミングよく、ナーシャの意味不明な寝言がこぼれる。



 そしてやっぱり、カチリと応用魔法銃の標準が合う音が……

 ロバートの耳元で聞こえてきた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 テーブルを囲んで、リーゼラとココとレイチェル。そして駆けつけてきてくれたトミーの4人が座っている。


「今話した通り、ナーシャ先生もマリーと同じような状態だったんだ」

 ロバートが教員寮であった事を説明すると。


 レイチェルは不思議そうに首を捻り。

 ココは無言でため息をついて。

 リーゼラはぷくりと頬を膨らませた。


「ロバート様! それでどうしたら、あのロリ顔巨乳教師のおっぱいがポロリするんですか」


「リーゼラ、さっきも言っただろう。あの変な着ぐるみのパジャマとナーシャの胸のサイズが合っていないのが原因で、決して俺は悪くない」


「そうですか……反省の色が無いようですので、しばらくはそうしててください」


 素直に事実を述べただけなのに、リーゼラがまだ怒っているので。

 ロバートはコミュニケーションの難しさを実感した。


「まあまあリーゼラくん、その辺で許してあげたらどうだね。ああは言ったが、ロバートくんも反省しているようだし」


 トミーのその言葉に、レイチェルも同意とばかりに頷く。

「反省してるのは本当よ、まあ……気持ちは分かるけど、これじゃあロバートも可哀想だし……」


「レイチェル様がそう言うなら……分かりました。ロバート様、もうテーブルから降りて良いです」

 リーゼラの許しが出たので、ロバートは芋虫のようにぐるぐる巻きにされた耐魔ロープをブチブチとちぎって立ち上がった。


「凄いわね……それってオーガクラスのモンスターでも、捕獲できるんじゃなかったけ?」

 あっけに取られているレイチェルに。


「俺をあんな下等なモンスターと、一緒にしてもらっては困るな」


 テーブルの上でロバートは、自分でクールだと思っている笑みを浮かべ、腕を組んだ。

 それをココが、憧れの眼差しで眺める。


 ロバートは、いつもなら突っ込んでくるココが大人しいのが気になったが。

 トミーが仕切り直すように咳払いをしたので、そちらに目を向けた。


「ロバートくん、もう一度話を整理しよう。まず職員寮で見かけたという妖精か精霊なんだが」


「トミー先生、あれは人族や獣族、魔族でもなかった。存在自体があやふやで……霊体特有の気配があった」


「ゴーストってやつ」

 レイチェルが不安そうに呟くと。


「その可能性もあるな。しかもヤツはこの魔力風『聖女の嘆き』と、同じような波長だった。何かのキッカケでリンクしたのかもしれない」

 ロバートはそう答えた。


 正確には『妖精』と『精霊』と『ゴースト』は別物だが、霊体という共通点はある。

 ロバートの返答に、リーゼラとレイチェルが顔を見合わせて震える仕草をした。


「なんだ、ゴーストが怖いのか?」


「モンスターはまだ実態があるから良いけど、なんかゴーストって気味が悪くって」

 レイチェルが苦笑いすると。


「ロバート様、人族も悪意を持って死にきれないでいると、ゴーストになるって言いますし。あたしもちょっと……」

 リーゼラも同じように顔をしかめる。


「悪霊という意味では『聖女の嘆き』伝説自体が似たようなものだからね、やはり今回の件と関連があるかもしれない。それに得体のしれないものが怖いのは、何も女性ばかりではないよ」

 トミーは二人を擁護するようにそう言うと、怖がる仕草を見せずに優雅にお茶を飲んだ。


「悪霊、怨念、それに生霊……その線も捨てないで考えてみるか」

 ロバートは白い帽子とワンピースの少女を見た時の気がかりを、もう一度思い返そうとしたが。


「それより問題はさっきの襲撃じゃない? 実害があったんだし……でもなんか余裕よね、ロバートは心当たりでもあるの」

 レイチェルの言葉に、その思考が中断される。


「ああ、それなら犯人はもう特定できてる」

 ロバートがそう言うと、全員の視線が集中する。


「あの身のこなし……高い身体能力と、格闘術。それに顔は見ることはできなかったが、あの銀色の尻尾とピンクのパンツは間違いない。レイチェル……ではなくてスカーレットの警備メイドのリュオンだ」


 テーブルの上に立ったまま、自信満々にそう答えると。


「ロバート様、どうしてよそ様の警備メイドのパンツまで知ってるんですか?」

 眉間に指をあてたリーゼラが、ため息交じりにそう呟いた。


 時計塔から降りた時に、倒れたままで見上げたから……レイチェルとリュオンのパンツは見えたんだ。と、ロバートは言いかけたが。



 それを言ったらまた話が混乱するだろうと……

 ロバートはコミュニケーションの難しさに、首を捻った。

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