07 聖女の嘆き

 探査魔法でマリーの様子を探っても、特殊な魔力波を感知する以外に異常はなく。ただスヤスヤと眠っているだけだった。

 ロバートは念の為に数種類の回復魔法をかけたが……マリーは目覚めない。


「パシーンと、デコピンでもかましちゃったらどうですか?」

 なかなか起きないマリーに、業を煮やしたリーゼラがそう提案したが。


「あれを人体に対して行うのは危険だからな」

 ロバートが真面目にそう答えると。


「ロバート様、あたしはいったい……」

 リーゼラがめそめそと泣き崩れた。


「賊が侵入した気配はありませんでしたし、先ほどの魔術結界も今は影も形もありません……お嬢様はいったいどうなってしまったんでしょう」


 心配そうに呟いたココを、ロバートが見ると。

 目と目が合った瞬間……人族ならロバートと同じぐらいの歳に見える緑のおかっぱ頭の美少女は、照れくさそうにモジモジした。


 ロバートはその妙に可愛らしい姿と、さっきの艶姿を思い出してしまい。


「そ、そうだな……このままここにいてもしかたがない。賊を追う方向で、事態の解決を図るか」

 照れくさそうに顔を伏せた。


 そんなテレテレの二人を見て……リーゼラが頬を膨らませ、レイチェルはあきれたようにため息をつく。



 ロバートは寝室の窓から外を眺め。

 うん、まずこの微妙な空間からとっとと逃げよう……と、心に誓った。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 雨風もひどかったが、厄介だったのは魔力風だ。探査魔法がロバートの魔力でも数百メイルしか届かず、精度も悪かったため……


 マリーと共にリーゼラたちはロバートの部屋で待機させ、自分は直接外を見に行くことにした。


 寮を出たロバートは、校庭を見回した。帝都では春になると風に微弱な魔力が混じった嵐が起き、被害を出すことがあるが。

「聖女の嘆き、か……」


 そう呼ばれるこの自然現象の原因は分かっていないが、人々はこの嵐の事をそう呼んでいる。


 言い伝えでは、伝説の魔王を討伐したパーティー・メンバーのひとりだった聖女リクリスが、愛していた勇者と結ばれなかった事を嘆いていることが原因だとか。


「まったく、死後三千年も嘆いてるなんて……業の深い女だ」


 移転魔法を利用して暴走するリスクを避けるために、ロバートは歩いて校内を探索することにした。


「まずは……ナーシャが心配だしトミー先生にも会いたい。職員寮に行ってみるか」


 実力は高いが、うっかり者のナーシャが心配なのと。この嵐に混じる魔力波についてトミー先生なら何かを知っているかもしれない。との思いで、ロバートは足を速めた。


 職員寮は二階建ての耐魔レンガ造りの古い建築物だが、そもそもの設計が確りしているのだろう。

 色あせることなく堂々としていて、どこか美術品のようなオーラがある。


 アンティークな魔法灯に照らされた玄関には人気がなく。

「一階が男子寮で、二階が女子寮だったか」


 通信魔法板が使用不可能なのを確認すると、ロバートは玄関の警備魔法をかいくぐって、一階の廊下に入り。部屋の前のネームプレートを確認しながら奥に向かった。


 歩きながらパチンパチンと指を鳴らし、短縮詠唱で身体についた水分を飛ばし。

「細かい制御は苦手じゃないが……あいつみたいに上手く行かないか」


 フレアで除去できなかった水を、風魔法で払いのけた後。

 ……また、パチリと指を鳴らす。


 トミー・バレンシアと書かれたネームプレートを見つけ、ロバートはそこで立ち止まると。


「こっそりつけてこないで、顔を出したらどうだ? そろそろひとりじゃ寂しくなってきた頃なんだ」

 入ってきた玄関の方角に向かって、声をかける。


 薄暗闇の中、トコトコと軽い足音が響き……チラリと白い大きな帽子と同じ色のワンピースを着た、十歳ぐらいの少女の背が見える。


 ロバートがパチリと指を鳴らして、もう一度探査魔法を放ったが。

「……妖精か精霊の類かもしれないな、ここは歴史ある建造物みたいだし」


 大した魔力も感知できないし、害もなさそうだったから。そのままトミー先生の部屋をノックした。


 しばらくすると……紺と白のストライプのパジャマにナイトキャップを被ったトミーが、寝ぼけ眼でドアを開け。


「おやロバートくんじゃないか、こんな夜中にどうしたんだい?」

 突然の訪問に気を悪くすることなく、にこやかに迎えてくれる。


 小さなリビングに案内すると、トミーは温かいハーブティーを淹れてくれた。

 ロバートがマリーの件をかいつまんで説明すると。


「うむ、マリーくんを直接診てみないと何とも言えないが……この嵐の魔力風は、確かに妙な気配がするね」

「トミー先生、それでは夜分申し訳ないが……これからナーシャ先生を訪ねたい。同行してもらえないだろうか?」


 トミーはナイトキャップを外すと、キラリと頭を輝かせ。ロバートの頼みを快く了解してくれた。



 二人がナーシャの部屋の前に着くと。

「なにやら結界のようなものがあるね」

 トミーがその扉を見て呟いた。


 ロバートが他の扉を確認しても、そんな術式は感知できない。

「この魔力波は、マリーの部屋にあったものと同じです」

 扉に手を当ててデコピンを放つと、カタリと音がしてドアが外れる。


「変わった魔術だね、魔力波がまったく探知できなかった」

「言い辛いですが先生……これは魔法じゃないんです」


 ロバートが苦笑いしながら室内に踏み込み。

「ナーシャ先生、大丈夫か!」

 暗闇の中、何度か声をかけたが反応はなかった。


「向こうの寝室から、特殊な魔力波が出ている」

 トミー先生の指さす方向に進むと。


 やはりドアに同じような術式が感知される。


「トミー先生、やはり女性の部屋に無断で入るのは失礼なんだろうか?」

「そうだがロバートくん、今は非常事態だ。急いだ方が賢明だろう」


 二人はリビングの隅に干してあった洗濯物……

 それはないだろう! と、突っ込みたくなるようなデカいカップのブラジャーや、カラフルなパンツから目をそらして、語り合った。


 ロバートは意を決してデコピンでドアを外すと、ゆっくりと寝室に入り。

「な、なんてことだ……」


 部屋の中央にあったベッドの上を見ておどろきの声を上げる。

 そこには、可愛らしい龍の着ぐるみのようなパジャマを着て……スヤスヤと寝息を立てるナーシャがいた。



 ある意味これも、女性の見てはいけない姿なのかもしれないと……

 ロバートはめくれていたシーツを、そっと元に戻した。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 声をかけても、肩をゆすっても、やはりナーシャは目を覚まさない。マリーと同じように身体的な異常は見つからないが、特殊な魔力波の反応があった。


「うーん、この波動は多少の誤差はあるものの……聖女の嘆きと同じものだね」


 トミー先生の言葉に、ロバートが聞き返す。

「この魔力風に関して、なにか知ってますか?」


「大した事は知らないが……数百年前に帝都を襲った春の嵐で、女性ばかりが眠る集団昏睡事件が起きて。それでこの魔力風を『聖女の嘆き』と呼び始めたそうだ。そもそもの伝承では、勇者に愛を受け入れてもらえなかった聖女は、起きることのない眠りの魔法を自分にかけたとされている。その想いと魔術が春の風に乗ってきたんだと、その当時の魔術師たちが言い出したのが始まりらしい」


「それで、その女性たちは……」

「どんな解呪魔法も効き目がなかったが。数日後、突然全員目を覚ましたそうだ」


「後遺症のようなものは?」

「古い文献だから確かじゃないが、なかったようだね。ただ……」


「なにかあったんですか」

「その女性たちは皆、同じ夢を見たと証言したそうだよ」


 トミーが笑いながらそう言うと、ロバートは首を捻った。

 それは帝都に住む人間にはおとぎ話のような怪現象かもしれないが、大森林で幼少期を過ごしたロバートにとっては、実現可能だと思える魔術現象だったからだ。


 ――しかしそこまで大規模だと、精霊姫のような高位の妖精や精霊がかかわらないとダメか。彼女たちは人族を嫌うし。

 豊かな自然の中でないと、その力も半減する。


 ロバートは首を振って、一度その考えを捨てようとしたが。


「ところで……この職員寮には、妖精か精霊が住み着いているのか?」


「どうだろう、直接そんな話は聞いたことがないが……なんせ歴史ある学園だからね。この寮以外にも古い建造物は沢山あるし、どこかに何かが潜んでいてもおかしくはないだろう」


 妖精や精霊の中には、古い歴史ある建物に好んで住み着く者もいる。ロバートは白い帽子とワンピースの少女を思い出し、考えをあらためた。


 そしてなにかがふと、つながりかけると……


「うーん……ロバートくーん」

 幸せそうに寝言を呟きながらナーシャが寝返りをした。ついでにシーツの端からピョンと、着ぐるみの龍の尻尾が飛び出す。


「とにかく、ナーシャ先生を保護しましょう。それからもう一度相談に乗ってください」

 ロバートが苦笑いすると、トミーも同意するように。


「そうだね、長居してはナーシャくんに失礼だろう」

 そう言って苦笑いする。


 寝室は女性のひとり暮らしらしく、いろいろなものが散乱していて……

 二人にとっても、あまり居心地の良い場所ではなかった。


「トミー先生、俺はナーシャ先生を背負って移転魔法で部屋に戻る。この程度の距離なら問題ないと思うが……この魔力風が心配だ。危険防止のために、先生は歩いて俺の部屋に来てくれないか」


 ロバートがそう言うと。

「なら私は自室に一度戻って、着替えてから向かうよ」

 そう答えてくれたので、ロバートはナーシャをシーツでくるんで抱え上げた。


「へへへへっ」

 ナーシャが幸せそうな寝顔で笑ったから、ロバートは起きてるんじゃないかと思い、軽くゆすってみたが。

 着ぐるみパジャマの前ボタンがはちきれそうになって、胸がボインボインと揺れただけで……やはり目を覚まさなかった。


 この顔に、この格好で、この胸って。これはこれで破壊力があるんだよなあ。



 ロバートはため息をつきながら……ナーシャの大きすぎる胸をできるだけ見ないようにして。

 いつもより念入りに、移転魔法の詠唱を開始した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る