嵐の夜

04 気付かれないように

 クライは今回のエクスディア家の不審者侵入を「泥棒か誘拐目的の賊が侵入したが逃げていった」として。近隣の騎士団に警備を強化させ。


「私は賊を追います」

 心配するエクスディア伯爵にそう言い残し、教会へ向った。


 外は風も雨足も強まるばかりで、視界も悪く。

「飛行魔法で屋根の上を飛ぶのは危険だな」


 帝都で起きる春の嵐特有の『魔力風』まで混じっていたから、通信魔法板も混線して。通信もなかなか確立できない。


 クライは確認や連絡を断念して、懐に通信魔法板をしまうと。

 嵐の中、徒歩で教会へ向かった。



 転神教会帝国本部の門にあるベルを鳴らすと。


「まあ、クライ様! びしょ濡れではないですか……どうぞお入りください」

 どこからかシスター・ケイトの声が聞こえ、クライが何か言う前に門が開いた。


 足を踏み入れると、教会全体に薄い闇がかかっている。

 この帝都本部には、聖堂、本堂、宿舎に事務棟など様々な施設があるが。


 ――この敷地内すべてを制御下に置いているのか……相変わらずケタ外れの魔力だな。

 クライは感心しながら、辺りを見回した。


 やがて正門玄関が勝手に開き、その場所だけ明かりが灯る。そこを通り過ぎると、案内するように廊下や階段が順を追って明るくなっていった。


 明りの道を歩いてゆくと、また一枚のドアが勝手に開く。

 その部屋にクライがゆっくりと入ると……


「とりあえずこれを使ってください、そのままでは風邪をひいてしまいます。これから、お風呂に湯を入れましょうか?」


 ぼんやりとした灯りの中で、シスター・ケイトが大きなタオルを手渡してきた。

 クライは礼を言って、その清潔なタオルを受け取り。


「大丈夫ですよ、この程度なら」

 簡単に顔をタオルで拭いて、残りの水分は魔法で一気に蒸発させた。


「まあ、さすがですね」

 シスター・ケイトは、その魔術の素早さと正確さに感嘆の声を上げる。



 大魔導士クライ・フォルクス。

 その名は帝国のみならず、世界各国に尊敬と恐怖の念を抱かせていた。


 魔力量は平均的な人族の魔法使い程度しかなく、特殊な魔導具やユニークスキルを持っているわけでもない。

 しかしその正確無比で多彩な『基礎魔法』と、それらを組み合わせることによる『天才的な発想』で、多くの伝説級の魔物や数十倍~数百倍の魔力量を誇る魔族を倒している。


 故に倒された相手は、決まってこう呟いたと言われている。「こんなはずじゃなかった」と。そのためついた二つ名が『最凶最悪の大魔導士』だ。


 今も水分を蒸発させたのは初歩魔法の『フレア』だが。

 服や肌に一切のダメージを負わさず、瞬時に水分だけを蒸発させる芸当は、普通の魔導士にはとうてい不可能だ。


 ――ましてや呪文ひとつ唱えていない。


 ケイトは、その正確で素早い魔術を目の当たりにして。

「敵じゃなくて本当に良かったわ」

 心の中でそう呟いた。


 龍と双璧を成すと言われる闇族の、その女王が……自分ひとりでは、この人族の魔導士に勝つビジョンがまったく浮かばなかったからだ。


「シスター・ケイト、あなたひとりでここを守ってるんですか?」


 クライは暗闇に慣れてきた目を凝らして、室内を見回した。

 その部屋には十人以上の男女が毛布にくるまれ、眠りについている。

 全員……エクスディア家でも感じた特殊な魔力波を発していた。


 そして眠りに落ちた人たちの顔を確認すると。

 まったく……と、深いため息がもれた。


「はい……日が暮れると、現状の帝都では何が起きるか分からなくって。日中は教会のシスターたちが手助けをしてくれるんですけど。彼女たちは今、宿舎の方で休んでもらってます」


「ディーンは?」


「もう少しでナイトメア本体が特定できそうだって、そう言うと……ここを頼むって」


 心配そうに目を伏せたケイトに、クライは微笑みかけ。

「それならディーンがなんとかするか、夜が明けるまでここで待っても良いですか?」

 そう提案すると。


「まあ、ありがとうございます! そうしていただけるととても心強いです」


 ケイトは満面の笑みをこぼして喜ぶ。

 そして神に祈るように両腕を組むと……大きすぎる胸がぐにゃりと変形して、けしからん状態になった。


 愛らしい大きな赤いタレ目に、透き通るような白い肌と抜群のプロポーション。そしてむせ返るような女性特有の甘い香りに、苦笑いしつつ。



 そうなると今晩最大の敵は彼女の色気だな……

 クライは気付かれないように、そっとため息をついた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 ナーシャとマリーがにらみ合い、リーゼラが大きなため息をついた頃。

 全員の通信魔法板が着信音を鳴らした。


 リーゼラがスカートのポケットから通信魔法板を取り出して。

「あっ、防災警報ですね……帝都に魔力風が接近してるから、注意してくださいって」

 そう言うと。


 マリーのスキをつくように、ナーシャがロバートに近付き。

「ロバートくん、シャツの胸ポケットに通信魔法板を入れてるんだけど……ちょっと取ってくれない?」

 羽織っていたジャケットの胸元を開いた。なぜかシャツのボタンも外れていて、大きな谷間がロバートの目と鼻の先まで接近したが。


「俺は手足を縛られてるんだ。それでどうしろと」

 ロバートが一応突っ込むと。


「じゃあその、えっとー、口で?」

 ナーシャはモジモジしながら顔を赤らめて、さらに胸を近付けてくる。


「なにアホなこと言ってんですか!」

 そんなナーシャを、マリーが体当たりで突き飛ばしたが。


「マリー、マリー、マリー」

 と、ロバートの声で何度も……マリーが握りしめている通信魔法板が鳴っている。


「なんだそれは?」

 ロバートが一応突っ込むと。


「盗聴した音声から着信音を作成しました!」

 心から嬉しそうに、マリーが微笑む。


 ナーシャがそのスキにマリーにタックルを決め……二人はリビングの隅まで吹っ飛んで行った。


「まったく……何やってんでしょうか?」

 リーゼラがあきれたように左右に首を振ったが。


「お前こそ……」

 ロバートは一応突っ込もうとしたが。


 椅子に縛られたロバートの首に手をまわし、当然のようにロバートの膝の上に座っているリーゼラに……

 ――何かを言う気力がなくなってしまった。


 ロバートはしかたなく縛られたふりをしていた縄を引きちぎり、デコピンをお見舞いしておく。


「じみーに痛いですー」


 しゃがみ込んでおでこを押さえるリーゼラを見ながら。さて、この事態をどう収拾するべきか……ロバートが悩んでいると、部屋の呼び鈴が鳴った。


 ドアを開けると。

「まだ通信魔法板のスペル聞いてなかったから、突然訪ねちゃったんだけど……あれ? お邪魔したらまずかったかな」

 困惑顔でレイチェルがそう呟く。


 ロバートが後ろを振りかえると……

 ナーシャとマリーがすまし顔でテーブルに座り、その二人にリーゼラがお茶を入れていた。何度確認しても、髪ひとつ服装ひとつ乱れていない。


「いや……心の底から助かったよ」

 お礼を言うと、レイチェルは不思議そうに首を捻る。


「じゃあその、上がっても良いのかな?」


 ロバートが頷くと、テーブルの三人から白々しく……

「いらっしゃい」「あれ? スカーレットちゃん、どーしたの」「あら、ロバート様のクラスメイトですか」

 優雅な声が返ってきた。


「それで……なんの用だ」

 ロバートは頭痛を堪えながら、レイチェルを招き入れると。


「防災警報は聞いたでしょう? 今日は姉さんと入れ替わるために屋敷に帰る予定だったんだけど、帰れなくなっちゃったのよ。メイドもどこへ行ったのか姿が見えないし……魔力風のせいか、通信も上手くつながらないし。それで、いろいろ相談に乗ってほしくて」

 そっと小声で耳打ちしてきた。


 殺気まじりの冷え切った視線が、グサグサとロバートの背に刺さったが。

 もう一度リビングを確認しても、優雅にお茶を飲む女性が三人いるだけだ。


「そろそろあたし、職員寮に帰ろうかな……嵐も心配だし」

 ナーシャが微笑むと。


「そうですわね……じゃあ、あたしも」

 マリーも同意するように頷き。


「それではロバート様、あたしは夕食を取りに行きます。スカーレット様は、お食事は済みましたか?」

 リーゼラの問に、レイチェルが首を振ると。


「じゃあ一緒に召しあがって下さい」


 笑顔を振りまきながら三人が同時に席を立ち、部屋を出てゆき。

 ロバートとレイチェルは二人きりになった。


「ねえロバート、なにしてるの?」


 ドアに張り付いたロバートを不思議そうにレイチェルが眺める。

 ロバートは口の前に人差し指を立て、少し間を開けてから……一気にドアを引くと。


「うきゃー!」「お、押さないで下さい……」「えっ、あれ?」

 リーゼラとマリーとナーシャがなだれ込んできた。


 「お前らいったいなにしてるんだ」



 ロバートはあきれ返りながら……

 気付かれないように、そっとため息をついた。

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