02 いやな予感

 ロバートは少女に腕をがっちりホールドされたまま。

 ズルズルと引きずられてゆき……中庭まで移動した辺りで、声をかけた。


「いったいどこへ向かっているんだ?」

 昼休みの校庭で賑わう生徒たちの注目の的だったし、ズボンもすっかり泥だらけだったからだ。


「どこって、その……」

 美しい金髪をひるがえして振り返った少女の顔は、怒りから動揺に変化し始めている。たぶん初めて、自分が注目されていることに気付いたんだろう。


 やっと腕を解放してくれたので、ロバートは立ち上がってズボンの泥を手で払いうと、オロオロと狼狽えだした少女に。


「なら、目立たない場所に移動するか」

 そう聞いてみた。


 少女が申し訳なさそうに頷いたので、ロバートはぐるりと辺りを見回し。

 ――まあ、あそこなら大丈夫だろう。


 校庭の奥に位置する時計塔を目にすると、少女の手を取り。


「きゃあああぁぁああ!」

 飛行魔法で一気に、その屋根までジャンプした。




 屋根上の風取り窓がちょうど開いていたので……半泣きの少女を担ぎ上げ、そこから時計版の裏に侵入し。メンテナンス用の通路にあったベンチに座らせて、落ち着くのを待っていたら……


「い、今のはいったいなに? あ、あたしは……なぜこんな場所に居るの」

 やっと少女はしゃべってくれた。


「ただの飛行魔法だ、授業でもやらなかったか? それからあれだけ多くの人から同時に姿をくらますなら、こうするのが一番だ」


 ロバートが侵入した窓から外を覗くと、校庭にいた生徒たちは皆キョロキョロとしている。たぶんロバートの移動速度を目で追えたやつはいないだろう。


 少女は恐る恐る外を見て……


「ひ、飛行魔法ってせいぜい数メイル飛び上がるものでしょう。いったいここまで何メイルあるのよ」

 声を震わせている。


「そうなのか……飛行魔法がそんな使われ方をしているなんて知らなかった。あっちの専門課程の校舎が八階建てで、そこよりこの場所の方が数メイル高いから。まあ四十メイルぐらいの高さなんじゃないか?」


 少女がケガしないように、移動中は防御魔法で周囲をガードしていたから、髪ひとつ乱れていないが……やはり精神的な動揺は受けたのだろう。


 相当恐怖を感じたのか、少女は飛んでる間は悲鳴をあげながらロバートにしがみついていた。おかげで今も少女の胸元が凄い事になっている。


 どう指摘したら良いのか、ロバートは悩み。

 リーゼラに通信魔法板で聞くわけにもいかないから……しかたなく見て見ぬふりをした。


 おっかなびっくり立ち上がって窓から下を見たり、ベンチに座り直したりしている少女に。


「向こうに見えるのが帝都城で、その左にあるのが転神教会の帝国本部だ」


 ロバートは少女が落ち着けばと思い……景色のキレイな街並みを指さした。

 少女はそれを見ながら、ようやくため息をついて肩の力を抜く。


「ちょっとキレちゃって、あんな事しちゃったから。あなたにまで迷惑かけちゃったみたいね。その……謝るわ」


 ベンチに座り直した少女の反対側の壁に、背を預けて腕を組み。

「まだ状況が理解できてないんだ、良かったら説明してくれ」


 ロバートがニヒルだと思っている笑みを浮かべる。


 イケメンがすればサマになったかもしれないが、童顔で貧弱なロバートがそうすると、なんだか滑稽にしか見えなかったが。

 少女は自分に非があることを認めていたから、その態度をスルーして話し出した。


「マシューがまた他の女の子に手を出したって、噂で聞いて。それを問い詰めたらあいつ言い訳ばかりするし……もう、何回目か分かんないし。で、勢い余ってひっぱたいたらちょうどあなたがいて」


「マシュー?」

 ロバートが首を捻ると。


「マシュー・ブルーフィルよ、クラスメイトじゃない。あなたほどじゃないけど……あいつあれでも学園内では有名なのよ」

 あきれたように少女が言い捨てる。


 確かにブルーフィル子爵の息子はイケメンだった。貴族の子女にしては成績も悪くなかったし、実践ではとても使えるレベルじゃないが……クラスの模擬戦闘ではトップだった気がする。

 もっともロバートは眼中になかったせいで、名前すら憶えてなかったが。


 ――そんな所も、改善が必要だろう。まずは友達作りからだからな。

 反省点が見付かると、ロバートは深く頷く。


「しかし、どうして俺を連れ出したんだ?」

 そして、疑問に思っていたことのひとつを質問した。


「そ、その……あなたは。学内一のアイドル、マリー様を脅迫して毎朝登校時にはべらして。学園のマドンナって言われるナーシャ先生におかしな魔法をかけて。凄い美人の色っぽいメイドにもエロい服着せて。――なんかいろいろと怪しい事してるって。もっぱらの噂だし……あたしにも変な色目使ってたから。マシューに良い薬になるんじゃないかって思って」

 少女がロバートから目をそらしながらぽつぽつとそう語ると。


 ロバートの心にグサグサと何かが刺さったが。マリーやナーシャやリーゼラの名誉のために。……あえて反論は差し控えた。


「それで、この後そうするつもりなんだ?」

 乾いた笑みをもらしながら、ロバートが呟くと。


「ごめん……まだ何も考えて無くて」

 少女も、ロバートと同じようにうなだれた。


「じゃあ、もうひとつ質問だ」

 ロバートがそう言うと、少女が不思議そうに顔を上げた。


「この学園に通ってるのは……密輸団に襲われて、馬車で出会ったスカーレットだよな」


「そうね……ありがとう。そのお礼もまだだったよね」

 少女の言葉に、ロバートは首を捻り。


 あの馬車の中で見た、おわん型の大きなふくらみを思い返した。

 ――あの時は下着を着けていなかったし、見間違えではないだろう。上着は薄い布だったし、ハッキリと形が浮き出ていた。


「じゃあなぜ、レイチェルがここにいるんだ?」

 そしてエクスディア家に侵入した際に、悲鳴をあげた少女を思い返す。


 ――あの時は下着を付けていたかどうか、服の上から判断できなかったが。マリーの胸パッドの件もある。あれは普通の服の上からじゃあ判断できない。


「へっ、えっ?」

 慌てる少女に、ロバートは申し訳なさそうに指をさしながら……


「そこがズレてるんだが」


 そう言うと、少女はスクリと立ち上がってロバートの頬に平手を向ける。

 避けるのは簡単だったが……悩んだ挙句、ロバートはレイチェルのビンタを受け取っておいた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




「ごめんなさい、どーもあたしこんな性格で……姉さんは逆に引っ込み思案だから、思ったことも上手く言えないみたいで。だからこうして問題があると、入れ替わることがあるんだけど……」


 レイチェルはロバートに背を向けシャツの上ボタンを幾つか外すと、ごそごそと胸パッドの位置を直した。


 その動きと音にロバートはいたたまれなくなって、視線をそらしたが。

 作業が終わったレイチェルは、ボタンも確り留めないまま……


「今避けようと思えば、避けれたよね。マシューと違ってあたしの手の軌道をちゃんと目でとらえてたもの……なんでそうしなかったの」


 面白そうに顔を寄せて来た。

 口調もさっきより、ざっくばらんだ。


「あれは言い方が悪かった俺の責任もあるんだろう。どうもまだ、そう言うのが苦手なんだ」

 レイチェルの胸元に目がいかないよう、さらにロバートが体を捻ると。


「姉さんは面食いだからあんたを毛嫌いしてるみたいだけど。今までの事と、その態度からすると……なんか誤解がありそうね。お父様は凄くあんたのことかってたし、噂なんて元々信用できないもんだしね」


 レイチェルは更にロバートを追い込むように顔を近付けてくる。


 しかたなくロバートが窓から校庭を見下ろすと、メイド服を着た猫耳の少女がこちらを見上げていた。


「凄いな、あのスピードを目で追ったヤツがひとりいる」

 ごまかすようにロバートはそう言うと。


「ああ、あれ……新しい警備メイドよ、確か名前はリュオン。宰相閣下が経営してる孤児院の出身だから、変なメイドより腕が立って身元も信用できるって。お父様がそう言ってたわ」


 レイチェルはロバートに身体を寄せて窓から顔を出し、猫耳メイドに手を振った。


「それでどうする? まずはそのメイドが心配するだろうから、下まで送ろうか」


「そうね……あんたが協力してくれるんなら、ちょっと名案があるんだけど」


 レイチェルの顔は、面白いいたずらを思いついた子供のように楽し気で。金髪碧眼の人形のように美しい顔には、無邪気で邪悪な影が浮かんで見えた。

 ロバートは嫌な予感がしたが。


「ねえ、あたしたち付き合わない?」


 やっぱりその通りだったから。



 風が強くなり始めた空を見上げ……

 嵐の予感を感じながら、深くため息をついた。

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