01 それは言わないでおいた
「ぐ
リーゼラはスヤスヤと眠るロバートの横顔を眺めながら、自然とあふれ出た自分のよだれをペロリと舌でなめ取った。
ロバートに気付かれないように、気配を完全に消し。その上で遮断魔法や隠ぺい魔法を駆使。自分の持てる暗殺や狙撃で培ったS級魔法銃士の能力を最大限活用して……ロバートの唇に自分の唇を寄せる。
半開きになったリーゼラの赤くふっくらとした唇に、またよだれがツーっと音をたてて滴ったが。
「気付かれる前に、一気に行っちゃいましょう!」
心の中でそう呟き、身体をさらに寄せると。
唇と唇が触れる寸前、ロバートの右手がリーゼラのおでこをとらえ。
「うきゃー!」
見事なデコピンが、リーゼラにヒットした。
「な、なんだ! この濃密な邪気は……」
背筋を震わせながら、ロバートが体を起こすと。
リーゼラがベッドサイドでおでこを押さえてしゃがみ込んでいた。
「じみーに痛いですー」
「なにしてるんだ、お前」
不審に思って、ロバートが聞くと。
「はい、お目覚めのキスをしようとしたら……デコピンが!」
リーゼラは元気よく立ち上がり、ロバートに笑顔を振りまく。
以前は室内でも地味めのメイクに、アップにした髪型でいることが多かったが。最近は背の途中まであるウェーブのかかった赤い髪を降ろして、頭上をリボンで結んでいた。
メイド服もミニのままだが、レースをふんだんにあしらって。淡いピンクやストライプのニーソックスと合わせるように着こなしている。
今日はピンクのリボンに、ピンクと白のストライプ模様のニーソだった。
「そうか…… どうやら俺はお前の邪気を察知すると、無意識にデコピンが出るようになってしまったようだな」
デジャブのような既視感に頭を悩ませながら、ロバートは軽く頭を振る。
「なんですかその仕様は! まるであたしが変な事ばかりしているみたいじゃないですか」
リーゼラは憤慨したが。
ロバートはどこが間違っているのかサッパリ分からなかった。
「しかし、その格好は……」
似合わない訳ではないが。
リーゼラのスタイルが良すぎるのと色気があり過ぎるせいで、不思議な雰囲気を醸し出している。
ふと『ぶりっ子』という超古代文明の特殊専門用語が頭をよぎったが……
それは言わないでおいた。
「ロバート様には『青春』という名の変なこだわりがあるようですから、ちょっとイメチェンしたんです。カワイイ系は昔から苦手でしたし、年齢的にギリかなーと思ったんですが、まあ着てみたらそんなに変じゃなかったんで」
可愛い可愛くないで言えば、可愛いだが。変か変じゃないかで言えば、変だと。ロバートは心の中でそう思ったが。
それは言わないでおいた。
――ロバートなりに、最近学んだ協調性を重んじた結果だ。
「そうそう今日のコーディネートは、ピンクのロリポップ狙いです! ほら、ここもピンクなんですよ」
リーゼラはクルリと反転して背をそらすと、やや腰をロバートに向かって突き出し、両手でゆっくりとスカートをたくし上げた。
目の前にプリンとした形の良いお尻と、それを包み込むピンクのパンツがあらわれ。間近で見てしまったロバートは無言で反対側に寝返りをうち、シーツを頭からか被る。
「ちょっと無視は酷いじゃないですか……可愛いとかセクシーとか、なんかコメントはないんですか? ねえ、どうして黙り込んじゃったんですか」
ロバートの顔は赤くなり、心拍数も早まっていた。朝起きたばかりだということもあるが……下半身も異常をきたしている。
しかしそれは、とてもじゃないが言えなかった。
リーゼラがそんなロバートの背を揺らしながら抗議を続けると……
シーツの端からロバートの左手があらわれ。
「うきゃー!」
リーゼラに向かって衝撃魔法が放たれ、開かれた寝室のドアを越えて転がったリーゼラはリビングの中央でスクリと立ち上がり。
「もー、ロバート様ったら♡ 照れちゃって」
まったくの無傷で、ニコリと微笑んだ。
ロバートはそれを見ながら深いため息をつき。
……いつもの朝の始まりを、疲労と共に感じ取った。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
ロバートが部屋を出ると、待ってましたとばかりに……艶やかな腰までの黒髪をなびかせながらマリーが飛び出してくる。
「ロバート様、おはようございます。ちょうど良かったわ、私もこれから授業ですの。教室までご一緒します」
「いつも言ってるが……専門課程の校舎と俺の基礎課程の校舎は別方向だろう」
ロバートがそう言っても。
「まあ、そんな細かい所は気になさらなくて結構です」
マリーは相変わらず人の話など聞く気も無いようで。
強引にロバートの腕を取ってにこやかに笑う。
以前……
手を振り解いたら、マリーはめそめそと泣き始め。それではと、見つからないように部屋を出たら。
――教室の前でめそめそと泣き崩れていた。
それ以来ロバートは、マリーのこの行為を止める他の術を模索していたが。今だ解決策が見つからず、ずるずると毎朝『同伴登校』するハメになっていた。
ロバートが大きなため息をつくと。
「最近、元気がないようですが……どうかされたんですか?」
がっちりとロバートの腕をホールドしたマリーが、心配そうに顔を寄せて来た。
「マリー様かわいそう」「何か弱みでも握られてるのかしら?」「くそっ、見せつけやがって」「憧れてたのに……あの野郎」
朝の学生で賑わう廊下の隅々から誤解と怨嗟の声が響く。どれも小声で聞き取れない程のものだが……
ロバートには確りと聞こえていた。
「さあ、どうしてだろう」
しかし、その程度のことは無視することにしていた。ロバートと一緒に歩くマリーはいつも楽しそうで……
学生たちも本当に文句があるのなら、直接言いに来れば良い事だし。
マリーに非がない以上、気分を害したらかわいそうだと思ったからだ。
だから、それはマリーに言わないでおいた。
しかしまったく問題がないわけでもなく。
――これじゃあ、友達ひとりできないんじゃないか?
ロバートはその件に付いて、真剣に悩み始めていた。
その悩みは教室に入ってからも同じで、ロバートが魔改造した椅子に座って周りを見回しても……生徒たちは目をそらすだけ。
隣の席のエリンは、あからさまな無視を始めていた。
唯一話しかけてくるのは教師のナーシャだけで、そのナーシャも……
授業中ロバートを見つめてボーっとしたり、目が合うと顔を赤らめてドギマギしたり。なにやら微妙な行動ばかりする。
その度に、教室内から誤解や怨嗟の声が響き……
ロバートの悩みは膨らむばかりだった。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
そこでロバートは一計を案じた。今まではリーゼラと一緒に部屋で昼食をとっていたが。
――こう言うところから触れ合いの場を広げるべきだろう。まずは友人をつくる……それが目標だな。
ロバートは『学生食堂』と書かれたプレートの前で、こぶしを握りしめながら決意を固める。
そんな場所で立ち止まっているせいで、交通の妨げになっていたが。既に学内で名も顔も有名になってしまったロバートを注意する者も無く……
邪魔だとは思いながらも生徒たちは係わりたくない一心で距離を取り、なんとか学食へなだれ込んでいた。
ロバートがその施設に一歩足を踏み入れると、タキシードを着た品の良い青年が声をかけてくる。
「その制服の肩の紋章は貴族様ですね。一階は平民用の食堂になっておりまして、二階が貴族様用のレストランになっております。失礼でなければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
ロバートが名乗ると、青年はポケットから通信魔法板を取り出して検索し。
「フォルクス様ですね、今日はおひとりで?」
一礼すると、にこやかな笑顔を向けてくる。
ロバートとしては、目の前にあるざっくばらんな『食堂』に馴染みがあり。目標も達成できそうな気もしたが。
ルールを破って迷惑をかけたらダメだろうと、タキシードの青年の案内についてゆくことにした。
ロバートが二階に上がると、優雅にナイフとフォークで食事をしていた生徒たちの手が一瞬止まる。
タキシードの青年が空いたテーブルにロバートを案内すると、何人かの生徒がチラチラとロバートを盗み見たが。また、緩やかに食事と会話が始まった。
これじゃあ目標達成は無理だな、下で食事をする方法を考えるか……別の案を探すしかないか。
あきらめてテーブルについたら、少し離れた席から「パシン」と何かを叩いた乾いた音が聞こえてくる。
レストランにいた生徒が、その音が響いたテーブルに注目し。ロバートもなにげなくそちらへ視線を向けると。
そこには同じクラスの……ブルーフィル子爵の息子と、エクスディア伯爵家の娘が座っていて。男が頬に手を当て呆然としていて、女が中腰になって片手を震わせながら怒りに顔を赤らめていた。
ロバートがおどろいて、その人形のように美しい少女を見ていたら。
少女はロバートと目が合うと、なにかを決意したように頷き。ロバートの近くまで歩み寄って……
強引にロバートの腕を取ると、スタスタと歩き出した。
「スカーレット、待ってくれ……」
頬を叩かれた金髪碧眼のイケメンが呼び止めたが、それを無視して少女はレストランを出る。
ロバートは少女にズルズルと引きずられながら。
俺はまだ飯を食ってないんだが……と、抗議しようとしたが。
状況から考えて……
なんとかそれは、言わないでおいた。
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