26 普通の青春は遠すぎる
ロバートが隣の部屋である『マリー・モーランド』のドアをノックすると。バタバタと何かが暴れるような音が響き。
「ロバート様、少々お待ちいただけませんか?」
緑のおかっぱ頭のメイド……ココがドアを半分だけ開けて、ひょっこりと顔を出した。
そしてドアが閉まると、キャーキャーとなにやら騒ぐ声が聞こえ。
「お、お待たせしました!」
流れるようなストレートの黒髪をなびかせながら、マリーがにこやかな笑顔でドアを開けた。
部屋着なのだろうか……膝丈のふんわりとした紺のスカートに、シックな白のシャツ。ちょっとラフな出で立ちにも、マリーのイメージに合った品の良さが見て取れたが。
「なぜそんな所でシャツを結んでるんだ?」
胸の下でシャツを結び、大胆にお腹を見せている。細くきれいな腹部が全開で……そこだけ不思議なアンバランス感があった。
「その、最新情報では……ロバート様はお腹フェチだと」
照れたように笑いながらマリーはロバートを見た。
ロバートが固まっていると……
「うっふん」
と呟いて、腰に手を当てくねらせる。
ロバートはそっとドアを閉め。
――完全に部屋の盗聴器を撤去できてたわけじゃなかったんだな。と、深くため息をついた。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
マリーの部屋の間取りはロバートと全く同じだったが、カーテンやこまごまとした装飾品が女性らしい雰囲気を醸し出していた。
どれも高級感あふれる品々だったが。
壁には大型のポスターが何枚も貼ってあり……
その写真と同じ人物の壁掛けや写真スタンドも複数存在し。
どう考えても、異質な空間が出来上がっている。
「なんだこれは?」
リビングのテーブルに案内されて、ココが出してくれたお茶を口にしながら。
ロバートは引きつる眉間の動きを押さえるのが、精一杯だった。
「はい! 頑張って盗撮いたしました」
ロバートの正面に座ったマリーが、嬉しそうにそう答えると。
その後ろで立っているココも、同意とばかりに無表情でコクコクと頷いた。
「これなんか、とても上手く合成できてます! さすが帝都でも有数の映像加工魔法師に頼んだかいがありました。ロバート様の表情も超セクシーです♡」
マリーが指さしたポスターは、高さ二メイル程の大きさで。
入学試験の時、ナーシャを抱えた瞬間だろうか……迫りくるアイスジャベリンを避けながら、なぜかロバートがマリーを抱き上げ。
何かが『外れ』た、感情の無い殺人鬼のような笑みをもらしている。
ロバートは首を横に振りながらため息をつき。
「聖人様と一緒にお前を封印したのは……もう五年前か。復讐にしては随分とまどろっこしいと思っていたが、いったい何が狙いなんだ?」
マリーはその言葉に顔を赤らめながら。
「まあ! やっと気付いてくれたんですね」
嬉しそうに声を上げた。
「聖人様との旅の中で、助けた人々ばかり思い返していたから時間がかかったし。だいたい魔族が公爵家の娘のふりをしてるなんて、思いもよらなかった。お前もだ……確かに緑のちっちゃな魔物が『ココ』と名乗っていたが。手のひらサイズだったじゃないか」
ロバートがマリーとココにそう言うと、二人は顔を見合わせ。
「姿形が違っていても、ロバート様ならあたしたちの魔力を感じた瞬間に気付けたでしょう」
ココが感情の起伏の少ない言葉で、抗議してきた。
「そこは……まあ、俺がうかつだったかもしれんが」
ロバートは苦笑いしながら、二人の出会いを思い出す。
それは聖人ディーンとの旅の途中、帝国の辺境『サインポート』で起きた事件だった。
魔王復活を狙う魔族と教会側の戦闘で、小さな町が半壊していた。話を聞き付けたディーンが、首謀者である町娘に化けていたマリーとその使い魔のココを割り出し。
追い詰めた二人にクールに話しかける。
「もう逃げ場はない」
黒髪の可愛らしい十五歳ほどの少女は、その肩に乗った十センチほどの緑の魔物の頭をなぜ。
「ねえ、見逃してくれないかしら? あたしたちは復活した魔王様が見付かればそれでいいんだから」
そう言って、微笑んだ。
ロバートは魔族の捜査を手伝いながら、町の子供たちとよく遊んだ。
マリーもその時仲良くなったひとりだし。ロバートは使い魔のココの存在にも気付いて、三人でこっそり遊んだりもした。
「こんな大きな魔力衝突が起きたのに、死者は出ていないよ。ケガ人も魔族の治癒魔法で回復させた形跡があったし。それに、教会の人が異端だ異教だと騒いで……一方的に攻撃しただけじゃないか」
ディーンの後ろにいたロバートがそう言うと。
「帝国は、魔王復活を願う魔族を生かしてはおかない」
ディーンは封印術式を発動させ、二人を『封印箱』に閉じ込め……
その箱は、サインポートの領主でもある公爵家に送られた。
町を出て、教会の騎士隊の姿が見えなくなると。
「モーランド公爵は一度お会いしたけど、なかなか面白い人でね。どうやら裏で、魔族ともつながりがあるそうだ。封印箱と一緒に『解呪の鍵』もこっそり入れておいたから……あの二人の事は心配しなくても良い。ああでもしないと被害はもっと広がっただろうし、教会も後ろに引けなかった」
ディーンは苦笑いしながら、心配するロバートの頭をなぜた。
「封印箱を預かったお父様……モーランド公爵様があたしたちの話を聞いて、養女にしてくれたんです。今はお父様のお仕事を手伝いながら、学園で人脈を築いてる途中なんです。いつかロバート様を探しに行こうと考えてたのですが……。この学園にお見えになるとお父様が教えてくれて。それでいろいろとココと準備をして、心待ちにしておりましたのに」
「いやだから、なぜ心待ちにしてるんだ」
ロバートが首を捻りながら問いただすと、ココがマリーに何か耳打ちをし。
「まあ、ロバート様はドンカン主人公補正が強力にかかっていると……」
その内容を、ペラペラとマリーは口にした。
マリーは深く頷くと、両手を組んでロバートを見つめ。
「ロバート様、心よりお慕いしております。どうかマリーをあなた様の下僕にしてください」
頬を赤らめながら、そう呟いた。
「はあ?」
「そ、その……下僕が無理でしたら、奴隷でも。あっ、性奴隷とかどうです? あの欲求不満メイドよりスマートですし、腐れ巨乳な真龍よりも品がありますわ! 殿方は胸の大きさに初めは興味津々でも、抱いてしまえば別の場所に興味が行くと。そう聞いておりますし」
マリーは頬に手を当て、チラチラとロバートを見ながら。
「まだ経験はございませんが……あっちの方は種族的に、けっこう自信はあるんですの」
そこまで言って「きゃー」とわめいて、両手で顔を隠し……後ろからココにグーで殴られ、「ぐわっ!」と叫んで倒れ込んだ。
テーブルに伏したマリーを無視して、ロバートはココに聞いてみる。
「俺に呪術をかけて、人格を操作しようとしたのはなぜだ」
「あたしたちとしては、ロバート様のどちらの人格も支持しております。まあ、思い出してくれなかった仕返し的な意味もありますが……どちらかというと、今の状態の方が不自然な気がしたんで」
「俺の教室の机を汚したのは?」
「ロバート様が孤立して、変な虫がつかないようにするためです」
そこまで聞いて、ロバートは考えをまとめてみる。マリーの態度は別として……理論は通っているような気がした。なので、一番確認したいことを口にする。
「それじゃあ、放課後エリンにああ言わせたのは……」
そこまでロバートが言うと、ココは高速で首を横にずらした。
「なにか隠している事でもあるのか?」
不審に思ったロバートが問い詰めても、ココは苦しそうに肩を震わせるだけ。
ロバートが更に追求しようとすると、マリーがガバッと顔を上げ。
「ロバート様! あの女はバカなんで、勝手にあんなことをペラペラしゃべっただけです。そもそもあの女に、あたしたちは関わってません。覚せいポーションとあたしたちは別行動だったことぐらい、もう気付かれてるのではないですか?」
そう言うと同時に、ココにまたグーでなくられた。
「はははっ……」
ロバートは乾いた笑いをもらすと、ココが申し訳なさそうに頭を下げる。
ロバートは、二人の美しい魔族を眺めながら。
やはり俺の求める普通の青春は遠すぎるな、と……深くため息をついた。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
クライは帝都城に戻ると私室に入り、壁際の本棚に向かって呪文を唱えた。
するとゆっくりと本棚が移動を始め、魔道具がズラリと並んだ秘密の小部屋があらわれる。
中央の椅子に座って、通信魔法具に幾つかの暗号を打ち込むと。
「やあ、クライ。お前から連絡があるなんて珍しいな」
少しとぼけた、男の声が聞こえてくる。
「ディーン、今お前はどこにいるんだ」
クライがため息交じりにそう言うと。
「オリス公国の首都、ガンザンスシティだよ」
ディーンは楽しそうにそう答えた。
「公国なら……魔王復活の糸口はつかめたのか?」
「いや、こっちはハズレだな。ただの狂信的な新興宗教のアジトがあっただけだ。魔王の紋章は見つかったが、やつらこの紋章の本当の使い方すら知らなかった。たぶん約束の恋人にも、興味がないんだろう」
「約束の恋人? なんだそれは……しかしそうなると、本命は帝国の公爵家」
「まず間違いないだろう。サインポートを始め、本命らしき証拠が出てくるのはモーランド公爵家が絡んだところばかり」
「お前に通信を入れたのは、その公爵家の養女とロバートが接触して……ロバートにかけていた封印が解かれかけていたことを、伝えたかったからだ」
「ほう、あの封印が解けかけたのか!」
ディーンの嬉しそうな声に、クライは眉間を指で押さえた。
「喜んでどうする……あの子が人間らしく生きていけるように、キルケが封印したんだろう」
「なあクライ、魔王マルセスダは本当に悪人だったのかな? 調べれば調べるほど、そこが疑問なんだ。それにロバートはお前に預けて正解だったと思う。あの封印が解けかけたと言うことは、本心から信頼できる他人が出来たってことだ。キルケや俺が何年もかかってもダメだったのにな」
「俺はあいつに、できるだけ多くの人と触れ合えるよう手配しただけだ。たいした事はしていない」
クライの言葉に、ディーンは笑って。
「どうせお前のことだ、姿でも変えてコソコソ後をつけたりしたんだろう」
ズバリとクライの行動を言い当てた。
この勘の鋭すぎる親友に、どう対処しようか……クライが悩んでいると。
「誰が本当にロバートの封印を開け始めたのかは知らないが、そんなに心配しなくても良いんじゃないかな。公爵家の狙いも、意外と平和的なものかもしれないし」
更にのんきな言葉が返ってくる。
「ディーン、あの子に眠っているのは……歴代最凶の魔王と言われたマルセスダなんだぞ」
「怒らないでくれ、我が友よ! 調べ物が終わったから、俺もそっちに顔を出す。そうそうロバートの紹介で、教会にあるマルセスダの禁書を見たいと申し出た人物がいたそうだ。教会から俺に問い合わせがあったから、『ひとりぼっちの魔王様』を渡してくれと頼んでおいた」
「なんでそんな有名な童話を渡せと言ったんだ」
「それが、俺の知る限り……最高の禁書だからだよ」
ディーンはそこまで話すと、また楽しそうに笑って通信を切った。
クライは、相変わらずのディーンの言動に。
やはり友達は選ぶべきだったと……いつものように、深く後悔した。
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