24 最後の手段ですー!
ロバートの意識はもうろうとしていて……過去の記憶や、今起きていることが混ざり合って、なかなか収集がつかない。
リーゼラがロバートの顔に抱きついてきたせいで、頬に胸の感覚が伝わってきて。それが現実世界との数少ない接点になっている。
その柔らかい温もりが、ロバートをギリギリのところで踏みとどませていた。
記憶は……
聖人との旅の途中、池のほとりでディーンとナイフの訓練の中だった。
「ロバート、格闘術では
ディーンは、木の模造ナイフを握りしめてロバートに語りかけた。
「
「そうだ、フェイントやカウンターがわかり易いかな。わざと外したり、相手に攻撃させたりしたスキに反撃を狙う。それが一番効果的なんだ」
同じように模造ナイフを握ったロバートが考え込むと、ディーンは一羽の鳥を指さす。
「池の上に小さな虫が飛んでいるだろう」
「あんな大きな鳥は、虫なんか食べないんじゃないか?」
ロバートがそう言うと、魚が飛び跳ねて虫を食べ。そして魚が水面に着くと、鳥が池に飛び込み。
「あっ!」
魚をくわえた鳥が水面からあらわれる。
「鳥は魚のスキを狙ってたんだ。相手に攻撃を決めた瞬間が、最も無防備でダメージを受けやすい。これは格闘術だけじゃなくて、策も同じだ。腕の良い詐欺師は、相手に騙されたふりをして、その相手のスキをつく」
……ロバートはその話を思い出して、苦笑いする。
さらに幼い頃、魔女キルケもこう言った。
「幻術や呪術の基本は、相手の心の弱さを突く事だ。疲れた頃、安心した瞬間、絶望を味わった時……その心の隙間に忍び込ませるのが、精神魔法。同じ術でも、対象の心が強ければ跳ね飛ばされてしまうからな」
ロバートは大森林の最奥部にある『生きた樹の城』の中で、キルケの美しい顔を見上げた。
「でも……なかなかそうはいかないだろう。なにか他に、良い手はないの?」
無邪気に聞き返すロバートに、キルケは微笑みながら。
「ないことはない……例えば精霊どもが得意とする、対象に何度も何度も同じものを見せて、そこに術を隠しこんでおく霊術などがそうだな。ああすれば『無意識の学習』が完成して強力な呪術をかけれる」
「ねえキルケ! どう考えてもそっちの方が手間だよ」
ロバートがあきれて声をあげると。
「まあ、何事も簡単にはいかないのが世の常だ……しかしロバート、お前は良く精霊の森に行っても正気を失わないな」
キルケが不思議そうにロバートに聞く。
「みんな良いヤツらだよ、ちょっといたずら好きで困る時もあるけど。精霊姫も良くしてくれるしね」
屈託なく笑うロバートに、キルケもつられて笑う。
ロバートが敬愛する二人の師匠の話を思い出し……自分のバカさ加減にあきれ返えった。
さっきからリーゼラの声が、どこか遠くで聞こえてくる。
自分の体が半分……『外れ』た時にあらわれる、もうひとりの人格に乗っ取られかけていた。
ロバートは、自分にかけられた呪術を解除しようと何度も挑戦しているが……呪文一つまともに詠唱できない。
意味不明の言葉がぽろぽろこぼれるだけだ。
「いいかげん観念して、俺に全てを任せろよ……」
冷めた殺人鬼のような顔のロバートが、不気味な笑みをもらしながら語りかけてくる。
必死に抵抗しながら……ロバートはどこかにヒントが存在しないか。
この術をかけられた瞬間を、もう一度回想した。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
廊下を小走りに駆けてゆく、エリンの後ろ姿。呆然と眺めているロバートの後ろから聞こえて来たのは、乾いた革靴の音だ。
タン、タン、ターン……タン、タン、ターン……
ワルツのステップのように規則正しく繰り返される足音。ロバートが振り返っても、長い廊下の先まで誰もいない。
夕日に照らされて赤く染まった壁の一画に、階段の登り口がある。ロバートが足音に招かれるようにそこまで歩くと、どこか遠くから。
「あら、ごきげんよう」
女子生徒が挨拶する言葉が聞こえて来た。それは、朝や放課後に良く耳にするフレーズだったが……
ロバートは、それが魔女キルケの言葉にあった繰り返される『無意識の学習』だったと、今更ながらに思い当たる。
――しかも俺が獲物を捕らえたと安心したスキに、エリンと言う絶望まで用意している。完璧なほどに張り巡らせた、二重三重の『策』だ。
思い返せば、その声が呪術のトリガーだったのだろう。
リーゼラを誘いアクセルを呼び出して酒場に来たのは、ロバートの本心じゃない。
「あの男とこの女は危険だ……邪魔者は早めに始末しておかなくてはな」
冷めた殺人鬼のような少年が、ロバートに耳打ちする。
――原因は理解できたが、くそっ! この呪術は強力過ぎる。とても人間技とは……
ロバートが死力を振り絞って抵抗していると。
「もー、ロバート様あ……そこまでー、無視されるんなら。最後の手段ですー!」
リーゼラはロバートから離れると……
スカートに手を突っ込み、パンツを脱ごうとした。
「こら、なにすんだバカ!」
一瞬素に戻ったロバートが、リーゼラに衝撃魔法を放ち。
「うきゃー」
すっ飛んで行ったリーゼラを見たアクセルが。
「さすがにソレはちょっと」
ロバートを止めようと立ち上がる。
――こいつにだけは頼りたくなかったが、いつまで自分の意識を掌握できるか分からない。
そう判断したロバートが、アクセルに向かって。
「た、す……け」と、なんとかそう口を動かすと……アクセルは腰の剣を抜いて、一気にロバートとの距離を詰めた。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
ガドリンは自分の嫌な予感が当たった事よりも、一番冷静だと思っていたアクセルが、いきなりロバートを切りつけたことにおどろいた。
いったい何がどうなったんだと、あらためてロバートとアクセルを確認する。
「助かった」
切られたはずのロバートがケロリと起き上がると、アクセルに礼を言い。
「いえ、まさかこんなことになっているとは……気付けなかった私にも問題があります」
アクセルは剣を鞘に納めると、イケメンスマイルでそう言った。
リーゼラは、吹っ飛ばされたままスヤスヤと眠り始めている。あれでケガひとつ無いのも不思議だが……めくれ上がったスカートをのぞこうとしているけしからん客もいるから、ガドリンはとりあえずリーゼラの介抱に向かった。
「ロバート様……」
幸せそうな寝顔のリーゼラを抱えてカウンター席に戻す。
――こいつは意外と大物かもしれんな。
ガドリンがあきれていると、小声で会話するロバートとアクセルの声が聞こえて来た。
「その剣は仕込み杖……ワンドなんだな、見事な
ロバートはパチリと指を鳴らした。
「やっぱりわかりましたか、聖剣で邪を斬ったとか、なんとか言い訳しようと思ってたんですが」
「俺は初めから騙されてたのか?」
「そんなつもりはなかったんですけどね」
「聖人様が言っていた『腕の良い詐欺師は、相手に騙されたふりをする』って。なぜ誰も知らないはずの魔王の紋章を見分けれたのか、移転魔法の漂流に地図があれば助かることを知っていたのか。いや、そもそもテラスの襲撃で……移転魔法に強制介入した段階で気付くべきだった」
ロバートはため息をもらしながら、またパチリと指を鳴らす。
アクセルは何も言わず、楽しそうにそんなロバートを眺めている。
「冷静に考えれば、そんな腕の良い魔導士はそうそうといない。聖人様は魔王を追っていた。情報はそこから聞いたのか? 変身魔法や隠ぺい魔法なら見破れるが、それはやっぱり違うな。ああ、強化魔法か……それで若返った容姿で」
ロバートがまたパチリと指を鳴らすと。
「なかなか面白そうなお話ですが、なにか根拠のようなものがあるんでしょうか?」
アクセルはイケメンスマイルでそう答える。
ロバートがポケットから小さな魔法石を取り出し、もう一度指を鳴らすと。カウンターの周辺に遮断魔法が展開され、ロバートが持っていた石とアクセルの指輪が共鳴を始めた。
「この共鳴石は、公安のダリル氏から借りたものだ」
「いつの間に抜き取ってたんですか? 気付かなかったなあ」
いたずらがばれた子供のように笑うアクセル。
髪が金髪から銀髪に変わり、顔に徐々にしわが刻まれ……ロバートがため息をつくと同時に、それを見ていたガドリンは思わずひざまずいて頭を下げる。
その指輪の上には『帝国、宰相、クライ・フォルクス』と魔法文字があらわれていた。
「それで、今回の事件の本当の意味を教えてくれるのか」
ロバートがつまらなさそうに呟くと。
「ああ、それぐらいはかまわん」
初老の男は、冷めた笑みを浮かべてそう言った。
ガドリンがカウンター席の物音に気付いて振り返ると……リーゼラが目を覚まし。
「あら、素敵なおじ様!」
瞳を輝かせて喜んでいる。
ガドリンはそんなリーゼラを見て……やっぱりこいつは大物で間違いない。と、深く確信した。
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