18 結婚してください
ロバートが冷めた瞳で指を鳴らすと、ナーシャはそれを見て背筋を震わせた。テラスにいた客は、公園の惨劇と頭上で膨らむ二つの球体にパニックになっている。
それを傍観するロバートに、ナーシャが問いかけた。
「ねえ、これから何が起きるのかな?」
その言葉はどこか甘く、大きな青い瞳は恍惚としている。
「狙われてるのはお前だろう、人を巻き込んでおいてよくそんなことが言えるな」
ロバートはカップのお茶を口に含んで、苦笑いした。
膨らんだ二つの球体が弾け、公園内の襲撃者がすべて倒れると。帝都城からあらわれた衛兵たちがケガ人を回復魔法で救護したり、倒れた襲撃者たちを城内に運びだしたりして。徐々にパニックがおさまり。
テラスにいた客たちも、落ち着きを取り戻し始める。
「なーんだ、知ってたんだ。てっきりあたしは犯人扱いだと思ったんだけど」
ナーシャはテーブルに頬杖をして、公園を眺めた。
「初めからおかしいとは思ってたんだ。その人間離れした体力、俺と比肩する程の魔力。火属性の波動をまとってるくせに、水属性しか魔法を使わない理由」
「それね……使わないんじゃなくて、使えないの」
ナーシャがすねたように呟く。
ロバートは頷きながら。
「その姿では制御できないのか。森人か精霊の血でも引いているのかと思ったが……先祖に神がいるんだろう? あの姿は、アルゲースかサイクロプスの子孫」
確かめるようにそう言うと。
「サイクロプスよ、アルゲースのような下品な種族といっしょにしないで! でもホント……ロバートくんは凄いな。一度見ただけでわかっちゃうなんて」
ナーシャはうっとりとした顔でロバートを見つめる。
「確信はなかったが、魔力波が酷似していた。隠しているのだろうと思ったから、あの時は俺の魔力波ですべて上書きしたが……誤算だったのは、トミー先生がベビーフェースの魔力波を知っていたことだ」
ロバートがもう一度お茶を口にすると。
ナーシャは小声で「ありがとう」と言ってから。
「でもロバートくんがあのベビーフェースねえ……まあ、おどろくよりも納得なんだけど」
楽しそうに微笑んだ。
「しかしドジを踏んだもんだな、あんな魔法石を打ち込まれるなんて。その後も命を狙われていたんだろう? 助けが必要なら、早く言えば良かったのに」
「だってロバートくんが助けてくれるかどうか分かんなかったし。それに、なかなか込み入った話をするチャンスが無かったんだよ」
ロバートは、ナーシャのその言葉に首を捻る。
「だったら……龍の姿で、森にいた時に話せばよかったじゃないか」
「あー、あたしが新龍だってことが……一番言い辛い事なんだけど」
またそっぽを向いてしまったナーシャに、ロバートはため息をつくと。
通信魔法板を取り出し、リーゼラを呼び出した。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
「もれ聞こえてたけど……ロバートくんは、女心に対してあまりにも鈍感で無礼だと思う!」
通信が終わると同時に、ロバートはナーシャに罵倒された。
しかしロバートは、リーゼラの最後の言葉に精神的なクリティカル・ヒットを受けていたから。ただ茫然としているだけだった。
――リーゼラに好きなヤツがいる? いやそれを俺に言ってどうするんだ……しかもこんな時に。
そしていつも『外れ』た何かを取り戻すのに時間がかかったが。リーゼラの一言で、いつのまにか元の自分に戻ったことにロバートはおどろいた。
動揺を落ち着けようと、咳払いをして。
「そんな事より、お前を狙っている連中は誰だ? それに俺を誘う理由はなんだ」
ナーシャに確認したいことを問いただす。
「想像はついてんでしょ」
ナーシャはロバートの表情が戻った事に笑みをもらした。
「狙ってるのは公安だ……そう考えると、いろいろと腑に落ちる。はじめはエクスディア家か学園長のどちらかが、密輸団と手を組んでいるんじゃないかと思ったが。エクスディア家は白だったし。お前に打ち込まれていた魔法石に『魔王』の紋章があったから、学園長の線も消えた」
ロバートはそう答える。
「どうしてあの石に『魔王』の紋章があると、あたしたちの線が消えるの?」
しかしナーシャはさらに聞き返した。
「俺の潜入捜査の理由が『魔王』だと知ってるのは、俺たちを除けば公安ぐらいだ。そしてその理由は、お人好しの騎士団員がでっち上げた嘘だ。まあばつが悪くて、俺は知らないふりをしているが。だからそもそもの実態が無いし……魔法石に魔王の紋章を書き込んだところで、効力は変わらない。そうなるとあれは、襲撃したドラゴンのバックに魔王がいると見せかけ、俺たちに学園長を疑わせる罠だと考えれば、スッキリする」
「やっぱり凄いね……真実を話しても、信じてもらえないかもって思ってたから、なんか安心した。でも公安がねえ、なにが狙いなんだろう?」
「そこまでは分からない。だが、向こうから近づいてくるようだから直接聞いてみるよ」
「向こうから?」
「そのうち分かる。それより俺に近付いてきた理由はなんだ? 今の話ぶりじゃあ、保護を求めてきたわけでも、俺を利用しようとしたわけでもなさそうだが……」
「えっ、そつちが分かんないの? あー、リーゼラさんだっけ、ロバートくんのメイドさん。心中お察しするよ……でもまあロバートくんには、駆け引き無しで正面から攻めた方が良さそうだしね」
ナーシャはそう言うと、青い前髪を何度か手で直し、ボインと背筋を伸ばして改まる。そして真面目な顔つきで。
「結婚してください」
深々と頭を下げた。
「はあ……」
あっけに取られているロバートを無視して、ナーシャはしゃべり出す。
「ロバートくんは知ってるかもしれないけど、龍族ってほとんど男が生まれないんだよね。だからあたしたちは一定の年齢になると里を出て、旦那様を探すんだけど……あたしたちに釣り合うような魔力が無い旦那様だと、卵が産まれてもかえらないんだ。冒険者をしながら相手を探してたけど、これがなかなか……個人的にも自分より弱い相手は嫌だしね」
「それで学園の教師になったのか」
「そーだよ、学園長に声かけられて……才能ある子を青田買いしようかと。それに龍族は人族より寿命が長いから、肉体的な年齢はロバートくんとそんなに変わんないしね」
ナーシャはそこでウインクしたが、ロバートはため息をつくだけだった。
「で、相手は見つかったのか?」
「苦節うん十年、やっと理想の相手が!」
「それは良かったな……それでそいつと、俺との関係はなんだ」
ナーシャはその言葉に目をパチクリさせたが……あきれたように頷いて、小さく息を吸い込むと。
「あたしの理想の相手は、今目の前にいる男性です」
笑顔を振りまきながらそう言った。
「お前より強い男を探してるんなら……確かに数は少ないが、帝国の騎士団なら数人いるはずだ。知り合いに紹介してもらおうか?」
ロバートが額に指をあてながら、唸るようにそう言うと。
「そうじゃなくて、ロバートくんじゃないとダメなんです。強さだけじゃなくて……頭の回転の速さも、あたしを助けてくれた優しさも、龍の姿を見てもおどろかない度量の大きさも。それでいてちょっとズレてて、孤高なところも。みんなみんな大好きなの」
膝上でもじもじと手をすり合わせながら、上目使いに語るナーシャの仕草は破壊力満点だった。二の腕に挟まれた、大きすぎる胸がアレでソレで凄い事になってたし。頬を赤らめた青い瞳のロリ顔は、さすがに朴念仁のロバートにも来るものがあった。
真正面から初めて女性に好意をぶつけられたロバートが、言葉を失っていると。
「あっ、でも……いきなり結婚とか重かったかな。お互いまだよく知らないことがあるから、お試しで付き合うってのはどう? そ、それに龍族は一夫多妻だから、あたしのこと大切にしてくれるんなら、他に彼女作っても怒らないし。ほら、こんなんでも人化してるときは結構かわいいでしょ、生徒にも人気あるんだよ。スタイルにも自信あるし、おっぱいも大きいし……興味があるんなら、好きなだけ揉んでいいし」
たたみかけるようにナーシャがしゃべり出した。
ロバートが対応に困ってあたふたしていると、店内から女性の悲鳴が聞こえてくる。
そちらに目を向けると……黒いローブのフードを深く被って、隠ぺい魔法で顔を隠した男が、抱き留めた女性に応用魔法銃を突き付けている。
やっとパーティーが始まったか。ロバートが心の中でそう呟くと。
「エリンちゃん、どうしてここに!」
ナーシャが叫んだ。。
「全員手を挙げろ! 武器や魔道具を持ってるヤツは、それをテーブルに置くんだ」
そう叫ぶ黒いローブの男の横で、エリンはディープブルーの瞳に涙をためている。
ロバートは意味が分からなくなり。
「お前にあの石を打ち込んだのは、あの女じゃないのか?」
ナーシャに問いかけた。
「状況からして、そうじゃないかなって気がしたけど。エリンちゃんは真面目でとても良い子だから、ありえないよ。それに……あれは演技に見えない!」
ロバートがエリンの顔を見ると、エリンもロバートの存在に気付き。
「うひゃ!」
なぜか、壊れた笑みをもらした。
ロバートの混迷はさらに深まり……どこで何を間違えたんだろうと。
首を捻りながら、カップのお茶を飲み干した。
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