12 お見せしましょう
ナーシャが教室から連れ出したのは……ロバートと、その隣に座る濃い青髪の少女だった。三人で廊下を歩いていると。
「エリンちゃん、体調が優れないようだから……しばらく保健室で休んでていいわよ。養護教諭のノーラ先生は心理カウンセリングの免許も持ってるから。えーっと、いろいろと相談してみると良いかも」
ナーシャそう話しながら、エリンと呼ばれた濃い青髪の少女の顔を覗き込んだ。しかし彼女の目の焦点は合ってなく、相変わらず意味不明な独り言を呟いている。
「うむ、なにがあったかは分からないが……この症状は、心的外傷ストレスかもしれんな。まずは自分がストレスだと感じたものを、素直に他人に話す事だ」
ロバートは、それが自分のせいだとはまったく気付いていない。むしろ心配して、そう話しかけると。
エリンはちょっと壊れた笑みを浮かべて、高速でコクコクと頷いた。
肩までのざっくばらんに切りそろえられた髪が揺れ。痩せた体型だが、よく見ると大きな胸が制服の胸元を押し上げていて。
頷きに合わせてそれがブルブルと震える。
瞳孔が開いてしまった大きなディープブルーの瞳に、整った目鼻立ちに浮かぶヘラヘラ笑いは……背徳感満載の妙な色気まで漂っている。
ロバートはさらに心配になって。
「恐怖に打ち勝つには、まず自分に自信を持つことだ。どんな事だって良い。まだキミのことは良く知らないが、勉強にも積極的なようだし、その動きや体を見ればわかる。剣もそれなりの腕なんだろう。ああ、それから……」
そこまで助言して、ふと昨夜リーゼラに言われたことを思い出し。
「女の子と話す機会があって、その子が魅力的だと思ったら、素直にそれを伝えてください。好感度アップのチャンスですから! ポイントはさりげなく、爽やかに言う事です」
好感度うんぬんは良いとしても……今の彼女に必要なのは、自信だからな。よし、ここは頑張ってみよう!
ロバートはそう考えると。
「ミステリアスなディープブルーの瞳も素敵だし、鍛えられたしなやかな身体も美しい。そしてスマートなのに意表を突くような、その大きなおっぱいは……とても魅力的だ!」
ロバートなりのクールな笑みをもらしながら、全力で少女を褒めた。幼く貧相な顔にミスマッチな笑みと、意味不明の台詞に……
ナーシャは「おいおい、なに言ってんだこのガキ」と、心の中で呟き。
それに胸はあたしの方が大きいし、エリンちゃんは確かに整った顔してるけど。生徒の人気はあたしの方が断然上だし、顔も負けてないはず! と憤慨して。
ロバートに向かって腕を組み、その大きな胸を持ち上げながら、ボインと強調してみたが。……あっさりと無視された。
「お、お、お……おっぱい?」
しかしエリンはその言葉に反応して目の焦点が合い始め、ロバートにそう聞き返した。
「ああ、おっぱい!」
エリンの言葉に……なぜか自信満々に親指を立て、ウインクしながら返答するロバート。
ナーシャは、さてどうしたものかと悩み。二人を眺めていたら。
「えーっと、おっぱい?」
「そうさ、おっぱい!」
「つつ、つまり、おっぱい?」
「そうだ、おっぱい!」
おっぱいしか言ってないが、エリンが徐々に正気に戻り。会話も微妙すぎるが、成立しているような気がして。
ナーシャは眉間に指をあて。また、深いため息をもらした。
それからしばらく、ロバートとエリンの謎のおっぱい会話が続き……
エリンが「わかった、おっぱい」と頷いて、また壊れた笑みを浮かべ、制服のブラウスのボタンを外した辺りで。
「うん、やっぱり保健室に行こう! ロバートくんはとりあえず教室に戻ってて。話はあとでじっくりと聞くから」
ナーシャが間に入り。
「うへへへへ」
と、微妙な笑いを続けるエリンを引きずるように連行した。
一人廊下に残されたロバートは……
「うむ、学園生活とは難解なものだな」
そう呟くと、来た道を戻ろうと踵を返し。
「きゃー! ド、ドラゴンよー!!」
校庭から聞こえる女生徒の悲鳴を耳にして。
「しかも、なかなか落ち着ける場所でもない」
そう言いながら、声の方向へと走り出した。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
校舎と正門の間にある校庭に、そのドラゴンは降り立ち。キョロキョロと長い首を動かしながら、辺りを見回している。
体長は十メイルを越え、歩くたび地響きが聞こえてくる。そして、大きな二つの翼を広げ、集まってきた警備兵や教師をけん制するように動かしていた。
「包囲しても無駄だ、避難を優先させろ。あれは亜竜ではない、真龍だ!」
その中央で叫びながら指示を取る……グレーの使い込まれたローブを着た、やや頭髪が不自由そうな男に、ロバートは気配を消して近付いた。
年の頃は三十半ばぐらいだろうか。ひょろりとした体つきで、動きも武術などの心得があるようには見えなかったが。
「了解ですプロフェッサー! 警備兵は学内の生徒を避難させます。騎士団に出動要請をしますか」
屈強な兵士たちが、彼に指示を仰いでいた。
「ああ、それから北壁騎士隊の出動を要請してくれ。他の南、東、西、の騎士団では、被害が広がるだけだ。もし騎士団が難色を示すようなら、私の名前……トミー・バレンシアを出してかまわん!」
男はドヤ顔でそう言うと、自信満々に胸を張った。
ロバートはその男の、ブラウンの髪が後退して広くなったおでこを見上げる。
――どんな魔術だろう? 今一瞬、あのおでこがキラリと輝いた気がしたが。
帝都には三つの騎士団と、一つの精鋭部隊が存在している。
砂漠のオアシスを、四方で大きな壁で囲んだこの街特有の名称だが。三千人を超える最新の応用魔法兵器を武装し『正門』を守護する『南壁騎士団』を筆頭に。東西に同等の武力を持つ『東壁騎士団』『西壁騎士団』があり、その数は一万人を超え。帝都だけで小国の軍事力を軽く凌駕する武力を保持していた。
しかし、その一万の兵力と同等。あるいはそれ以上と噂される『騎士隊』がある。それが北壁に隣接する帝都城を守護する、わずか数十人の精鋭部隊。
――北壁騎士隊だった。
「あれは真龍で間違いないし。このおでこ輝き男が言うように、あいつが本気で暴れたら、物量で押しても被害が広がるだけだが……」
ロバートは心の中でそう呟くと、生徒たちが避難を始めたのを確認して。自分にかけていた隠ぺい魔法を解除する。
「おや……バタバタしていて気付かなかったが、どうしたんだ? 怖気づいて逃げ遅れたのなら、私が手を引いて警備兵の所まで案内するが」
ロバートの存在におどろいた、おでこ輝き男がそう言うと。
「プロフェッサー、気遣いは無用だ。それよりあなたは避難しなくていいのか?」
ロバートは、自分なりにクールだと思っている笑みを「ふっ」と浮かべた。
「その校章、キミは基礎課程の一年生だね。まだ私を知らないとは……まあ良い、知らないことが問題なのではなく知ろうとしないことが問題なのだから。良く聞きなさい、この学園唯一の魔導士にして帝国魔法研究の第一人者。探究者トミー・バレンシアだ! 一対一の魔術対決ではナーシャくんに後れを取るが。警備兵や、貴族お付きの戦闘メイドたちを含めても。トータルでの最高実力者は私だ」
そう言った男のやや後退した広めのおでこは、胸を張った瞬間……やはりキラリと輝く。それを間近で見たロバートは。――こんな魔術は初めて見た。と、心の底からワクワクした。
「申し訳ない! 俺の名はロバート・フォルクス、二日前に入学した」
そしてロバートは丁寧に返答する。自分の知らない術を使用する人には、敬意をもって接するのがロバートのスタンスだった。
「ふむロバートくんか。なら私が作成した……あの入学テストを覚えているかい? 学園長からは、なかなかの成績だったと聞いたよ。まあ、もっと難しくしとけと、後から怒られたんだがね。しかし、あの難問を解いたのならわかるだろう。真龍とは……」
「亜竜と異なりすべてS級以上の魔物で、高度な知能と龍力と呼ばれる特殊な魔力を有している。そして、真龍はSS級に分類される『新龍』とSSS級に分類される『古龍』に分かれる。――プロフェッサー、今目の前で踊ってるヤツは『新龍』ですね」
ロバートはおでこ輝き男と会話を続けながら、ドラゴンから感じる違和感を探った。
「その通り、キミはなかなか優秀だな! そして新龍は攻撃的な性格で、時として甚大な被害をもたらすことがある」
おでこ輝き男の声に、ドラゴンがロバートたちを視野に入れ。何かに納得したように、首を上下に振った。
「プロフェッサー、それは間違いだ。新龍は人懐っこい性格で、大人しいヤツらばかりで。甚大な被害ってのも、意思疎通の失敗から起きた悲劇や。今みたいに……何か別の原因があるケースばかりだ」
ロバートがそう答えると。
ドラゴンは大きな口を開け、息を吸い込み始めた。
「くっ、しまった……ブレスか! いきなりこのような大技を繰り出すとは……」
ロバートをかばうように前に出て、トミーは死を覚悟しながら、最大限の魔力で防御魔法を展開させる。
そしてドラゴンのブレスが放たれると同時に、ドスンと大きな音が響き渡り。ロバートの頭の中で、何かが外れた。
「プロフェッサー、あなたは素晴らしい。とっさに自分をなげうってまで、人の命を救おうとするなんて……なかなかできることじゃない。惜しむらくは、その防御魔法じゃドラゴンのブレスが防げないことだが」
ドラゴンとロバートたちの間には、高さ五メイルを越える氷の柱が切り立っていて、吐き出されたブレスを吸収している。
「あ、あれは……」
腰が抜けて座り込んだトミーを、見下ろすロバートの表情は。
「アイスジャベリンですよ。本物のアブソリュートはブレス程度じゃビクともしない。せっかく学生が避難してくれたのに、隠れて覗いてるヤツが数人いるんで困ってたんだが。プロフェッサーに敬意を表して、本物の魔導をお見せしましょう」
まるで、感情の無い殺人鬼のような顔。
トミーは今、自分が恐怖しているのが……ドラゴンなのか目の前の少年なのか。徐々に分からなくなる。
トミーが張った防御魔法をロバートが軽く指先で弾くと、あっけなく霧散した。しかしその瞬間、トミーの目が大きく見開かれる。探究者と呼ばれる彼にとって、自分のプライドより魔導の追及こそがすべてだったからだ。
「キミは、まさか……教えてくれ! その魔術は、いったい」
その言葉に気付いたロバートが、ふと振り返り。
「急がなきゃいけないし、多くも語れない。なので……代わりに一つ、『真龍』の秘密を教えましょう」
ニヤリと笑うロバートの顔には、さっきまでの子供っぽさや青臭さはみじんも感じられない。
トミーは恐怖と好奇心がせめぎ合う心を抑え込むように、なんとか頷くと。
「彼女たちは、いたずらと甘い物が大好きなんだ」
ロバートはそう言い残し。暴れ狂うドラゴンに向かって……まるで散歩にでも出かけるように、ゆっくりと歩き出した。
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