魔王の陰
11 なにか問題でも?
ロバートは、夢に出てきた聖人ディーン・アルペジオの顔を懐かしく思い、心のどこかが温かくなるのが分かった。
夢の中の聖人は、いつものようにクールな笑みを浮かべながら。
「ロバート、ちょっと厄介なことが起きたみたいで……この旅にお前を同行させることが難しくなっちまった」
ロバートの頭をガシガシと撫ぜる。
「どうして、俺は足手まといなのか?」
十二歳だったロバートは、もう子供扱いされたくなくて。少し背伸びをしながら、ディーンをにらんだ。
砂漠の民と移動を共にし、既に朽ち果てた神殿を調査した後のことだった。一面に広がる砂漠と、地平線に沈む真っ赤な太陽。ただ、目の前にある古き神殿だけが、その夕闇を切り裂いている。
「そんなことはない。ロバートの魔術は素晴らしいし、最近は俺が教えた体術も様になってきた。ナイフの扱いはまだまだだが……戦力としては申し分ない。むしろいなくなったら、痛手なぐらいだ」
ディーンの言葉に、ロバートは頬を膨らませながら抗議する。
「だったら余計、離れたらダメだろう? ナイフも……もう少しでコツがつかめそうだし」
ふくれっ面のロバートの顔を見て、ディーンはさらに嬉しそうに。
「そうだな、まだナイフの奥義を教えていなからな。だが、これから始まる戦いにロバートを巻き込めない。魔女キルケとの約束もあるし、なによりロバートのことが心配だ。ひょっとしたら、この後多くの人の命が奪われるかもしれない……そこにロバートがいることじたいが問題なんだよ」
不思議そうに見上げるロバートに、ディーンは言葉を続ける。
「暴力に暴力で対抗するのは最も愚かな方法だが……時として、それが必要な場合もある。だがそれを知る前に、もっと大切なことを覚えなくちゃいけない。ロバートにはまだそこが欠けてるんだ」
その言葉に、ロバートはさらに顔をゆがめる。
ディーンは遺跡から取り出した、壊れた紋章を見つめながら。
「この砂漠を抜けると、帝国の首都……帝都がある。そこに俺の親友が住んでる。しばらく会ってないしどうやら出世しちまったようだが、信頼できるヤツだ。この件の方が付いたら必ず迎えに行く。それまで少し待っててくれ、そしたらナイフの奥義も教えてやろう」
聖人ディーン・アルペジオはニヒルに微笑んだ。
そして砂漠を抜け、帝都に着くまでの間。ディーンはロバートに、親友であるクライ・フォルクスという魔導士の話をしてくれた。
聖人ディーンがまだ若く、冒険者として活躍していた頃からの親友であり。その後も何度かディーンと組んで、多くの問題を解決し。時には帝国を救い、この世界の未来を築き……二人でバカなことをして笑い合ったりした。
その夢のような冒険活劇を聞いて、会えることを楽しみにして。
帝都でロバートが出会ったのは……鉄面皮のような初老の男。
冷血漢と噂される、帝国の宰相であった。
その政治手腕と、魔導士としての実力と実績は、帝国を越えて各世界からも認められ。平民として、初の宰相として貴族から嫌悪され。平民からも、その独裁的な政治手法から恐れられている。
ロバートは初めて会った彼に、ふと反発的な言葉を発してしまったが。
彼からかけられた言葉は、「衣食住は保証してやるから、好きにすれば良い」だった。
その言葉を受けた時の……すべてを見透かす、凍るような眼差を。ロバートは、今だに忘れることができない。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
いつもと同じで、不意に過去の記憶を夢見ると。嫌な汗をかき、全身が重い。ロバートが汗をぬぐおうと額に手を当てたら……小さな布のような物が乗っていた。
「リーゼラ、なぜこれが俺の顔の上にあるんだ?」
ロバートはそれを確認した後、念の為に。心配そうな顔でベッドを覗き込んでいたリーゼラに聞いてみた。
「はい、ロバート様。うなされておりましたので、心配になりまして」
ロバートは、リーゼラが何を言っているのかサッパリ分からなかったから。首を左右に振ってため息をついた。それを見ていたリーゼラが、ポンと手を打って。
「つまりですね……ロバート様は状態異常無効も高レベルでお持ちですし、お休みになられてても、ご自分に回復魔術をかけられます。現に数回、それを確認しました」
ロバートが頷くと、リーゼラもウンウンと頷く。
「それでは通常の濡れたタオルなど額に乗せても、効果など無いのではないかと」
「確かに、そうだが……」
「そこで、ロバート様がお好きなものを乗せてみました。そうすれば苦しみが和らぐのではないかと」
「……ん?」
リーゼラは例の短すぎるスカートのメイド服を着ていたが。いつも通りのジミ目のメイクに、アップにした赤い髪。表情も至って真面目で……ロバートには、とても冗談を言っているようには思えなかった。
「俺は別に、コレが好きな訳じゃない」
ロバートは自分の名誉のためにそう言って、それをリーゼラに返す。
「そうなんですか? いつも興味津々なので」
リーゼラは真面目な表情を崩さず、それを受け取ると……その場でごそごそと、それを穿く。
慌ててロバートは反対側に寝返りをうったが、危うく見てはいけない場所を見てしまうところだった。
「ほら、やっぱり好きなんじゃないですか」
ロバートが穿き終わっただろうとタイミングを見計らって、そっと振り返ると。リーゼラは首をかしげて可愛らしくニコリと微笑んだ。
「パンツに興味があるんじゃなくて……」
ロバートがついつい本音で反論しかけて、これ以上言葉にしてはダメだろうと、息をのむと。
「あー、そっちなんですね! おっしゃって頂ければ……」
リーゼラが「ぐ
「きゃー!」
悲鳴をあげながらリビングまですっ飛んで行ったリーゼラを確認すると。ロバートは「やれやれ」と独り言ちて。
いくら手加減したとはいえ、ロバートの衝撃波を受けて、まったく無傷だったリーゼラの実力を再評価すると同時に。
いつもの、古い思い出の夢を見た時のけだるさが無くなっていたことに。
……ロバートは無意識に、笑みをもらした。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
今日はあの不思議な上級生と会うこともなく。ロバートが無事、階段ホールを抜けて教室に入ると。
また、ざわついていた室内が一気に静寂に包まれた。
ロバートの顔を面白そうに眺める、制服の肩に貴族の紋章を付けた男子生徒。ひそひそと小声で何かを話し合う、女子生徒。皆ロバートと目が合うと、あからさまに顔を背け。中にはクスクスと笑い合う者までいる。
そして何もかも無視して教科書を読む、隣の席の濃い青髪の女子生徒。それらを見回して、昨日指定された一番後ろの廊下側の席に座ると。
ロバートは、自分の机の異変に気付いた。
これは……なんてことだ!
机の上には大きな魔法陣が描かれ、幼稚な呪術文字で「死ね」と書いてある。しかも、あちこちに泥や靴で踏んだ後があり。机の中にはぎっしりとゴミが詰まっていた。
ロバートが念の為、立ち上がって椅子を確認すると……やはり同じような魔法陣や泥が見受けられる。
いわゆる学生のいたずらと言うものだろう。ロバートは、椅子や机を見てそう考えた。
――どうしてこうなったかまでは分からんが……きっとこの状態が教師に見つかれば、犯人を捜すためにクラス内がギクシャクしたり、誰かが罰を受けたりするかもしれない。
ロバートには、これが自分に対するいじめだと言う発想すらなかった。
三歳で忌子として死の森に捨てられて以来、大人の中で育ったのも一因だが。ロバートの生い立ちの中で敵意や悪意とは、全て死に直結するものであった。だから現状はあまりにもぬるく、そこに悪意がある事すら想像できない。
まったく、学園生と言うのは無邪気なものだな。これの何が面白いかも分らんが……まあ、ちょうど俺の机で良かった。教師が来る前に直しておいてやろう。
ロバートは心の中でそう呟いてニヒルに笑うと、まずは魔法陣の削除に取り掛かった。
どうやらこれは、ちゃんとした呪術インクで書かれているな。まあ、俺の魔力なら簡単に消せるから問題ないが……
ロバートなりに魔力を押さえて、指先を軽く振る。
ドスンと低い爆発音のようなものが、教室内に響き……
数人の生徒が慌ててロバートを見たが、彼らには何が起きたか理解できなかった。消すことが不可能と授業でも習った高濃度呪術インクの魔法陣を、軽く指先で弾いて消してしまったからだ。
続いて、浄化魔法や修復魔法が立て続けに氾濫する。
ロバートは、こっそりと作業しているつもりだったが。無詠唱で休みなく高度な魔法が繰り出される様は、教室をパニックに陥れた。
既に数人の男子生徒は、そこから目をそらし。肩を震わせながら……涙目でなにかを呟いている。
もしロバートがそれを見ていたら、その生徒たちが昨日ロバートに足をかけたり、攻撃魔法をしかけたりした生徒だと、気付いたかもしれない。
しかしロバートは、徐々に綺麗になる椅子や机を嬉しそうに見つめ。
「インテリアや家具には興味がなかったが……これはこれで、なかなか奥深いものだな」
そう呟くと、次は錬成魔法で椅子と机を変形させ始める。
ロバートは一度興味を持つと、こだわる性格だった。
周りを完全に無視して。
「部屋の椅子にはクッションがあったが、教室の椅子はただの木の板か……ひじ掛けもあった方が……そうなると、机ももう少し……」
見る見るうちに、豪華な椅子と机に変えてしまう。
「少々大きくなった気もするが……まあ、このぐらいは容認範囲だろう」
ロバートは勝手にそう結論付け。
ドカリと……クッションの良く効いた、大きな背もたれと、ひじ掛けがある椅子に腰かけ。優雅に足を組み。
「これでなんの問題もなく、授業が始まるだろう」
安どのため息をもらした。
ナーシャが教室に入ると……
前を凝視しながら震えている、半泣きの男子生徒が数名。同じように前を見つめながら、真っ青な顔の女子生徒が数名。そしていつも無関心な平民からの特待生組が、ポカーンと口を開けて後ろを向いている。
その視線の先を追うと。どう見ても学園長の椅子より、豪華な椅子にふんぞり返っているロバートがいる。
可哀想な事に、ロバートの横に座る女子生徒は……両手で教科書を握りしめながら、意味不明のひとり言を呟いていた。
「うん、とりあえず朝のショートホームルームは無しで。それからロバートくんは、あたしと一緒に生徒指導室に来て!」
ナーシャの言葉に、ロバートは怪訝そうに首を捻る。
「なにか問題でも?」
クラスに馴染むために、上手く乗り切ったと考えていたロバートがそう言うと。
ナーシャは眉間に指をあて……深く深く、ため息をついた。
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