10 確かに拝見した
ロバートはなれない制服の襟や裾を気にしながら、部屋を出た。
今日から学園の授業が始まる。出かけにリーゼラから髪型を直されたり、服装をチェックされたりいろいろ大変だったが。
「確かに第一印象は大切だからな」
ロバートはそれを素直に聞き入れた。
そして階を降りようと、ホールに向かうと。
「うん、大丈夫。これなら間違いない…… ファイトよマリー、今日こそは!」
また不審な女性の声が聞こえてきた。声色からして、昨日のクルクル回る上級生だろう。
階段ホールの死角を覗くと……真っ赤なドレスを着た女性が佇んでいる。
――うん、もう何が何だか分かんないや。
切れ長の黒い瞳を不安げに揺らし。胸元の大きく開いたドレスの前で腕を組んで、祈りを捧げている。
流れるような黒髪は、細く腰近くまで艶やかなラインを描き。線の細い気品あふれる雰囲気を、さらに際立させている。
ドレス善し悪しはロバートには分からなかったが……艶やかに光る生地が、高級品である事だけは理解できた。
さて、どうしたものか……
ロバートは少し悩んでから……いろいろな意味で恐怖を感じ、あえて知らないふりで歩いてゆくのがベストだろうと判断した。
そして素知らぬ顔で階段ホールに近付くと。
「えいっ!」
というかけ声とともに。
やはり真っ赤なドレスをなびかせながら、女性が飛び出してきた。
両手を広げ、抱きつくようにジャンプしてきた女性に対し。やはり邪悪な気配を感じて、ロバートはとっさに避けかけて……
昨日と同じではまずいと思い直し。女性を地面ギリギリで抱き留めた。
「ふにゃん!」
女性の妙な悲鳴に……ロバートは、事の失態に気付く。
左手は細く折れそうな腰を支えていたが、右手はがっしりと胸をつかんでしまった。慌てて女性を抱き上げて、手をはなしたが。
右手にはフニョフニョとしたなにかが残った。
「ああマリー、なんてこと……でも、当初の目的はなんとか達成よ! これでロバート様もあたしの魅力に……後は……気付いてくれれば……」
女性はまた小声でなにかブツブツと呟きながら、黒く澄んだ瞳をパチクリとさせ、少し顔を赤らめると。両手を胸の前で組んで、照れたように微笑む。
ロバートが不審に思い、ドレスの大胆に開いた胸元を見ると……明らかに左右の大きさが違っていた。
――これは、胸パッドってやつかな?
右手のブツをどうしたら良いか分からず、ロバートがついつい見入ってしまうと。つられるように女性もそれを見て。
「あれ?」
自分の胸とロバートが握りしめているブツを交互に確認して、腕を組んだまま瞳を閉じると。気を失って、そのままスーッと後ろに倒れて行った。
ロバートが女性に手を伸ばそうとしたら、突然陰からグリーンのおかっぱ頭のメイド服の女性があらわれ、女性の背後から支えるように抱き留める。
「ロバート様……大変申し訳ありませんが。その手の中の物を返していただけると助かります」
グリーンのおかっぱ頭のメイドは、無表情で事務的にそう言った。
年の頃は十代半ばぐらいだろうか。身長は百五十センチに届くかどうかで、痩せた体型だったが。
たいしたものだ……俺がほとんど気配を感じることができなかったし。身のこなしにもスキがない。
ロバートは感心しながら、メイドが差し出してきた手に例のブツを置く。
「名は?」
ロバートが気になって訪ねると。
「お忘れですか? マリー・モーランドですよ、ロバート様」
おかっぱメイドは、事務的にそう答えると。支えていた女性の胸元にブツを突っ込んで、ごそごそとなにやら調整すると、ため息をついた。
相変わらずドレスの女性は気を失ったままだし、おかっぱメイドも特に何も話しかけてこなかったので。
「良く分からないが……これで失礼する。モーランドと言ったな、なかなかの腕だ。その名を覚えておこう」
ロバートはクールにそう言い残して、先を急いだ。転校初日から遅刻ではまずいだろうと、階段を駆け下りると。
「おーい、あほー! なんか勘違いしてないかー?」
おかっぱメイドの、あまり感情の起伏がない叫び声のようなものが響いてきた。
やっぱり貴族って良く分かんないな。と、自分もズレていることをすっかり棚に上げて……ロバートは深くため息をついた。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
ナーシャと教室に入ると、ざわついていた生徒たちが水を打ったように静まり返った。室内にいるのは、ロバートと同じ制服を着た三十人ばかりの生徒たち。
男女比は半々ぐらいで、ロバートと同じ肩に剣と杖が交差する貴族の紋章を付けた生徒が二十人ばかり。
残り十人ほどは平民からの特待生だろうか。
肩の紋章はなく、他の生徒に比べ質素なイメージを受ける。
「もう知ってると思うけど、今日からこの特別クラスの仲間になるロバート・フォルクスくん。ファミリーネームの通り、クライ・フォルクス宰相のご家族だよ。わが校は基本的に途中入学を認めてないけど、優秀な成績で編入を認められたんだ。皆、仲良くしてね」
ナーシャが教壇に立って、そう言うと、教室が一瞬ざわめいたが。
「ロバート・フォルクスだ。宜しく頼む」
その隣に立ったロバートが、本人なりにできるだけクールにそう呟くと。また静寂が訪れ……
「ホントに宰相様のご家族なの? なんか凄く貧相なんだけど」「魔術の実践試験でナーシャ先生相手に、強烈なファイヤーボールを打ち込んだらしいぜ。その後コテンパンにやられたらしいが……」「政治力を振りかざして、途中入学かあ……羨ましい身分だ」
ヒソヒソとしゃべり合う声が聞こえた。
話し合っているのは、肩に紋章を付けた生徒ばかり。平民出身と思われる生徒たちは、無関心そうにあくびをしたり、教科書を読んだりしている。
「じゃあ、ロバート君はあの席に座って」
ナーシャが指さしたのは、廊下側の一番後ろの席。ロバートは頷くと、教室を見回して……一人の少女を見つけた。
ウエーブのかかった金色のロングヘアーに、白い肌。クリクリとした大きな青色の瞳。童顔でやや垂れた大きな目は……ロバートから隠れようとして、微妙に泳いでいる。
もしかしたらと思っていたが……あの夜の馬車の少女とこんな形で再会するとは! この偶然は運命なんだろうか?
ロバートがニヤリと微笑むと、一部の女子生徒から「うげっ」「キモ……」と、言葉がもれたが。そんな事は気にせず、浮かれる気持ちを押さえながら教室の真ん中を通って、一番後ろの席まで歩いた。
そして椅子に座って、前を見ると……なぜか数人の男子生徒が椅子から転げ落ちて、こちらをにらんでいる。
「はて、ヤツらは何をしてるんだ?」
疑問に思ったロバートが、ふと呟くと。
「脚をかけようとしたヤツも、攻撃魔法で転ばせようとしたヤツも……瞬殺なのね」
隣の席になった濃いブルーの髪の少女が、そうもらした。
ロバートがそちらに視線を向けると、その少女は何事もなかったかのように、読んでいた教科書をめくる。
肩までの髪はざっくばらんに切りそろえられ、清潔感はあるが、オシャレには興味がなさそうな出で立ち。目鼻立ちも整い、ややツリ目なディープブルーの瞳はどこかミステリアスな雰囲気を醸し出している。
痩せた体躯だが、スラリと伸びた手足には薄っすらと鍛えられた筋肉がうかがえる。
――この体形は、毎日剣を振っている人間のものだな。
ロバートは話しかけようかどうか悩んだが……少女の「話しかけないでよ!」オーラの前に、上手く言葉が出ない。
仕方なく、再開を果たした人形のように美しい少女を見ると。
「ひっ!」
目が合った瞬間、悲鳴をあげて顔をそらされてしまった。
そして授業が始まったが…… 結局ロバートは、その後どの生徒とも会話することはなかった。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
「急用ができちゃったの……勉強会は明日からでもいいかな? この埋め合わせはちゃんとするから」
授業が終わると、廊下でナーシャが申し訳なさそうに話しかけてきた。
「もちろん構わない」
ロバートがそう答えると。
「じゃあ明日はあたしが自慢の手料理を作るから、一緒に夕飯食べながらでどう?」
ナーシャが大きな胸を揺らしながら、ウインクしてそう言うと、ロバートはコクリと頷き。
「了解だ」
そっけなくそう言い放って、とことこと歩き出す。
そして寮まで直接帰らず、ロバートは人通りの少ない道を選びながら、わざと学園のキャンパスをさ迷う。
――二人、いや三人付けてきてるが……全員素人だな。
そう判断すると尾行を巻いて寮に戻り、部屋のドアを開けると。
「あ、あれ? 早かったですね……ロバート様」
リーゼラがなぜかリビングの中央で、メイド服のスカートを太ももの辺りまでズリ下げ、腰を突き出すような格好をしている。
「いったいどう突っ込んだらいいか、分かんない」
ロバートは急激に襲ってきた目まいに、言葉を詰まらせる。
「その、今晩のおかずの確認をしていたら……急に催してしまいまして」
そう言ってスカートを戻すリーゼラの顔は、真っ赤になっている。
ロバートは目に焼き付いてしまった、リーゼラのプリッとした大きなお尻と、それを包み込む紫色のパンツの映像を振り払うように首を振りながら。
「夕飯の準備……なのか? なぜスカートを脱いでた? その手に握っているのは朝食のとき、俺が使っていたのスプーンか? いったいなんに利用するつもりだったんだ?」
ロバートが問いただしても、リーゼラは「はははっ」と妙な笑みを浮かべるだけで、ちゃんとした回答は返ってこない。
「それよりロバート様、今日は例の女教師のところへうかがう予定なのでは……」
強引に話題を変えてきたのは明らかだったが、ここで追及しても無駄だろうとロバートは判断して。リーゼラに放課後何があったのかを伝える。
「突然誘いを断ってきた女教師と、素人の尾行ですか」
ロバートがソファーに座ると、リーゼラはローテーブルにお茶セットを並べて。自分は反対側のソファーに腰かけた。
「まだ初日だし、どこで何が絡まっているのか見えていないが……何かが動き出しているような気配はあるな」
ロバートの話を聞きながら優雅にお茶を飲み、脚を組み替えるリーゼラ。相変わらず短すぎるスカートからは、瑞々しい太ももが大胆に露出している。ロバートは先ほど見たリーゼラのお尻がまた脳裏に浮かんでしまい……そこから目を離してしまう。
「あたしも着々と計画を進めてます。ロバート様、何かありましたら是非お声掛けください。それからアクセルに連絡を取って、アイスジャベリンの件を伝えておきました」
「……計画? まあ良い、問題が起きないようなら好きにしろ。それより、それはなんとかならないのか」
ロバートが困ったようにリーゼラの太ももをチラリと見ると。
「んー、これは昨日約束した男女の駆け引き? みたいなものです」
リーゼラはカップをテーブルに置くと、ロバートを見つめながらニコリと微笑んだ。
「どうしてそれが……」
「まあ、聞いてください。ロバート様は女性からの好意とか、人付き合いが苦手なようですから、順を追って実践的に学んでいきましょう」
「そうか、それはありがたいが……」
「では初めに、女の子の太ももをガン見しちゃダメです」
「なら見せなければよいだろう」
ロバートがそっぽを向きながらそう答えると。
「この場合、見せてるんですから。見なきゃダメです」
リーゼラは人差し指を立てながら、教師のような口調でそう言った。
「はあ? わざとパンツを見せてるのか」
「パンツじゃないです、太ももです。女の子と話してるとき、もしこんな感じの態度に出たら……爽やかに、チラッと確認してください。モテ男の必須スキルですよ。これはハニートラップじゃなくて、女の子が興味を持ってほしいときのサインなんです」
リーゼラがもう一度足を組み直す。一瞬目が泳いだが、なんとかガン見せずにリーゼラの顔に視線を戻す。
「まあ、ギリですね。で、そこで微笑んで女の子の喜びそうな、誉め言葉のひとつも言えれば……なお良いです」
リーゼラはカップを片手に、余裕の笑みをもらした。
「うむ、そうか……あー、なかなかセクシーなパンツだな、その中心の縦スジも確かに拝見した」
ロバートが自分なりのクールな笑みを漏らしながら、そう答えると。
リーゼラは思わず、含んだ紅茶をロバートの顔面に吹きかける。
「おいこらなにすんだ!」
「……ロバート様、マジですかそれ?」
そして二人は見つめ合い。その後も……
懲りることなく、不毛な努力を繰り返していった。
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