09 もう鼻血でそう!

 ナーシャ・エドリアルは「うーん」とわざとらしく唸り、闘技場のギャラリー席を転がったまま眺めている少年の背を見て。

 ……頭の中を整理しようと頑張った。


 まず、闘技場に散乱する氷魔法の矢アイスジャベリンは、自分の魔法じゃない。今だに溶けも朽ちもしない様子から……Bクラス魔法では生成が不可能な上位魔法、絶対アブソリュートの付与がかかっていると判断した。


 こんなアイスジャベリンを複数生成する事自体脅威だが……突然の暗闇の中、誰かを抱き上げながらその襲撃を避けるなんて。

 現実可能かどうか、それすら疑うレベルだ。明らかに襲撃者より、目の前の少年の方が脅威だと、ナーシャは判断する。


 その前に少年が放ったファイヤーボールも。短縮詠唱や無詠唱と……準備が短くなればなるほど、威力と精度が落ちるはずなのに。信じられない威力で正確無比に被弾した。


 少年のコールと指での方向宣言がなかったら、あのスピードは避けることは不可能だったし。破れ散ったローブに付与していた防御魔法は、近距離での応用魔法銃の弾丸ですら弾き返せる、高級魔法石が仕込まれた逸品だ。

 しかしナーシャが一番おどろいたのは。



 ……最初に変化した、あのアイスジャベリンを避けた事ね。



 そもそもナーシャは、怪力神としても有名な『サイクロプス』の血を引く一族の出身だ。通常のヒューマンより優れた身体能力を活かし、多くの格闘技も学んできた。教員になる前は、冒険者としても名をあげている。


 なんの魔法も利用しないで……たったステップひとつ。

 突然方向を変えた二本のジャベリンを避け、しかもその術者をけん制するために、身体の方向を変え。

 そしてあの……恐ろしい殺気をギャラリー席に放った。



 この勝負、あたしの負けね。ううん、はなっから戦いにすらなってなかったかな。この少年の手のひらで遊ばれただけだもの。



 一対一の戦いで負けたのって何年振りかなあ……



 学園長には適当に痛め付けろって言われちゃったけど、まーこれは無理よね。それよりネズミさんのことが気になるし。そっちをなんとかするって言えば、学園長も大人しくなるかなあ。ま、あたしの立場上いろいろ忙しくなりそーだけど。


 ナーシャは、まだ痛がるふりをして闘技場に転がっているロバートを見ながら、ジュルリとこぼれ落ちそうなよだれを飲み込み、ゾクゾクと身もだえそうな気持を堪えた。



 ああ、でも……あたしが探してる男が、見付かるかもしれないわね。



 ナーシャ・エドリアル、自称二十六歳。冒険者時代は冷酷の青コールド・ブルーの二つ名で恐れられ。B級魔術とA級格闘術の腕を併せ持つ学園最強の教師であり。帝国の才能が集まるこの学院に、未来の旦那を探しに来た……

 実年齢三十六歳の婚活女子でもあった。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 対外的には、ナーシャの魔法によってロバートが負けたことになった。


「良かったかな? それで。ランクもDより上でも問題ないけど」


 応接室に戻ると、学園長は不貞腐れたように「急用ができた」と去って行ったので、ロバートはナーシャと二人で、入学の手続きを進めていた。


「もちろん問題ない。それよりあのネズミを取り逃がしたことが痛いな……まあ、尻尾はつかんだから、後はどう料理するかだが」


 ロバートが幼いか顔を歪め、ニヒルにそう言うと。


「ははっ、凄いねロバートくんは。魔術の腕も格闘術の腕も……現役の冒険者でもそこまで出来る人は少ないかな? 誰か良い師にでもついてたの?」


 ナーシャは垂れた大きな青い瞳をキラキラ輝かせながら、打ち合わせ用のローテーブルから身を乗り出した。


 ナーシャは闘技場で破れた服を着替えるからと言って、一度自室に寄ってからこの打ち合わせ室に来たため。やけに首の開いたシャツと、短いタイトスカート姿に変わっていた。


 そのせいで。身を乗り出すとたわわな胸元がバッチリと見えたし。座っていた時も、足を組み替えるたびにパンツが見えそうだったが……

 ロバートはまったく興味を示さない。


 あれ? 他の生徒だと、グイグイ食いつくのに……


 その後もナーシャは、資料を見せながら、寄せたり上げたりして胸元を強調したり。落ちたペンを拾うふりをして、少し脚を開いたりしたが…… やはりロバートは無反応だ。しかも事務的な話は進むのに、ナーシャがいくら聞いても、個人的な話は一切進展しない。

 徐々に胸のボタンも外してみたが……やはり反応はなかった。


 これ以上やったら、おっぱいこぼれちゃうわ!

 ちょっと攻め方を変えてみるか。


 ……ナーシャはそう決意すると。


「じゃあ手続きはこれで終わりだけど、ロバートくんは後期からの授業参加になるから……前期で何を勉強したのか、一緒に確認しない? ロバートくんなら、勉強の内容は理解できてるからそんなにかかんないと思うけど……明日から放課後数時間、どこかで」


 ナーシャは「へへっ」と、首をかしげてそう言った。


「俺は構わないが、先生は迷惑じゃないのか?」


「心配しなくても大丈夫だよ、これも仕事だからね! それにどうやら命を助けてもらったみたいだし、お礼も兼ねて。問題はどこで勉強するかだけど……図書館じゃ目立っちゃうし、毎回この応接室を借りるわけにはいかないから……」


 ナーシャはあごに人差し指を当てながら、ロバートを見つめ。


「教員寮に直接訪ねてきてよ、あたしの部屋ならだれにも邪魔されず安心して勉強に専念できるから」


 ゆっくりと小さな声でささやいた。

 それは計算女ナーシャの真骨頂だったが。


「そうか、了解した」

 相変わらずロバートは、そっけなく答える。


 しかしナーシャはそれを見て。

 少し身震いすると……垂れた目尻を、さらにトロンと下げた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 一通りの手続きが終わってロバートが寮の自室に戻ると、時は既に午後の六の刻を過ぎていた


「ロバート様お帰りなさい! ちょうど夕食を用意が済んだところです」


 リーゼラが嬉しそうに笑って、ロバートをむかえる。

 その姿にロバートは一瞬怯んだが、なんとか状態を整え。


「ああ、今帰った」

 ロバートが少し照れたように返答すると。「ぐっ」と、リーゼラは微妙な笑みを漏らす。


 そしてテーブルについて、お互いに今日あった事を報告し合う。

 ロバートは聖人ディーンと旅をしていた頃、よくこうやって食卓を囲んだことを思い出し、何かが心の中で疼いたような気がした。


「ロバート様、それでネズミの尻尾とは? なにをつかまれたんですか……」


 ちょうどレベル認定試験の話を終えると……

 リーゼラが深刻な面持ちで聞いてくる。


「それか……ギャラリー席から打ち込まれた氷魔法の矢アイスジャベリンの欠片がこれだが」


 ロバートが制服のポケットから、透明の石のようなものを出してテーブルに置くと。リーゼラは食事の手を止め、不思議そうにそれを覗き込む。


「アブソリュートの付与がある。まだ溶けていないし、威力もそこそこだったな」

「これが尻尾なんですか?」


「ああ、あの距離からアブソリュートの付与がかかったジャベリンを打ち込める魔法使いなら、帝都でも数は限られている。 ……水系のA級以上の魔術師なんて、数人だ」

「なら、それをもとに騎士団が捜査を始めたら……」


 リーゼラの言葉に、ロバートはキメ顔で「ふっ」と呟いて。


「見つからんだろうな。ひょっとしたら、ネズミの狙いはそこかもしれんし」

 クールを気取って、口をゆがめた。


 リーゼラはドキドキしながらその顔を見つめる。


「こいつの面白いところは、作りが下手すぎるところだ」

 ロバートがその透明な石を軽く指で押すと、パキンと音をたてて二つに割れ……徐々に溶け始める。


「アブソリュートが簡単に壊れるなんて……これ、魔力が足りないの?」


「いや、逆だろう。魔力が多いのに、練度が足りないんだ。普通の魔術師なら、技と力は同時に上がる……だがこのアイスジャベリンの残骸は、魔力ばかりが多くて技がついて来てないやつが作ったものだ」


 リーゼラが首を捻る。

「ロバート様、今のでどうしてそれがわかるんですか?」


「俺が昔よくした失敗だからさ。こいつを作ったヤツは最近急激に魔力増加したはずだ。そんな現象が起こるのは、俺みたいな魔力異常児……忌子か。こいつの影響ぐらいしか考えれない」


 ロバートはそう言って、ガドリンから渡された『覚せいポーション』のメモをリーゼラに見せ。あの夜馬車でなにがあったのか、詳細を話す。


「今日はそのアイスジャベリンが飛来する前に、闘技場の明かりも消えた。そうなると、仲間がいる可能性も高い。それに状況からして……狙われたのは俺じゃないだろう」


「その女教師がターゲットなんですか?」

「そう考えた方がスッキリするし、あれは……教師とは思えん動きをしていた」


 ロバートがそう付け加えると、リーゼラは感心しきりに頷き。

「さすがロバート様です、その考察力も推理力も。ホントにロナンちゃんみたいで……」


 リーゼラは顔を赤らめながら、ボーっとロバートを見つめた。


「ロナンちゃん?」

「あっ、いえ……こっちの話です。そ、それで、この後はどんな行動に出ますか」


「リーゼラはアクセルにこの話を伝えておいてくれ。俺はナーシャという女教師に探りを入れてみる。向こうも俺を疑っているのか、勉強を教えると言って私室に誘ってきた。明日から放課後はしばらくそちらに行く」


 ロバートがそう言うと、リーゼラは赤いツリ目を鋭く吊り上げて。

「ほー! その女、ロバート様にそんなことを……」

 怒ったようにロバートをにらむ。


「心配はいらん。あの程度の実力なら襲われても十分対処できる」

「襲われる可能性があるんですか?」


「どうだろう? 今日の打ち合わせ中も……なにが狙いかわからんが、不思議な動きをしていたな、まあ特に脅威は感じなかった」


 ロバートがニヒルに微笑んでそう言うと。リーゼラは突然メイド服の胸ボタンを幾つか外し、テーブルの上に両手をついて身を乗り出してきた。


「その不思議な動きとは、こんな感じでしょうか?」

 そして胸元を強調するように二の腕でおっぱいをはさんで持ち上げ、背筋を伸ばして、少しあごを持ち上げた。


 リーゼラの形の良い胸の谷間と、やや開いた艶っぽい薄い唇におどろいて、ロバートはそこから視線を外し。


「そ、そう言われれば、そんな気がするな……」

 ロバートがしどろもどろで答えると。リーゼラはテーブルにあったフォークをぽとりと床に落とし。


「後は、こんな動きとか」

 ロバートの視線がそちらに向かうと。リーゼラはしゃがんでフォークを取りながら、少し脚を開いた。


 ロバートがその瑞々しい太ももの中心にあるパンツを見て。……今日は赤色か。と、ついつい見入ってしまうと……

 リーゼラはロバートの視線を確認して、ため息をついて立ち上がる。


「そ、そんな動きもあった気がするが……それがなんだ?」


 ロバートが我にかえって、不貞腐れながらそう言うと。

 リーゼラはすまし顔で椅子に座って、食事を再開した。


「まあ定番と言えば……定番の動きなんですよ。ロバート様、以前『ハニートラップは嫌というほど』って、言ってましたけど。どんな状況だったんです?」


 つんけんとしたリーゼラの言葉に、ロバートは戸惑いながら。


「命乞いをしながら服を脱ぐやつや、俺の寝室に忍び込んで服を脱ぐ女暗殺者や、酔ったふりをして抱き着いてくる女工作員なんかだ」


 そう答えると……リーゼラは瞳を閉じて、首をゆっくりと左右に振った。


「ずいぶんと直接的なものばかりですね! 通常はああやって色気をばらまいて、相手を徐々に懐柔させるのが手なんですが……ロバート様の場合、経験が凄すぎるのと無さすぎるのが、ぐちゃぐちゃになってて。もう、バカなのか天才なのか判断できないですね」


「悪かったな……しかし、常識が無いのは自覚している」


 ロバートは悔しそうにそれを認める。そもそもこの潜入捜査を引き受けたのは、そう言った部分の改善も目的だったからだ。

 リーゼラは片目を少し開いて、そんなロバートを見ると。


「じゃあロバート様、少しずつでもその『常識』を覚えていきましょうか。まずはハニートラップ対策で、通常の男女の駆け引きとか」


 少し考えてからそう提案した。


「すまない……それは助かる」

 ロバートが小声でそう呟くと。



 リーゼラは「ぐ腐腐腐ふふふ」と笑みをこぼし。

 こんな幼気な少年に恋の手ほどきとか、もう、鼻血でそう! と、心の中で大きくガッツポーズを決めた。

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