08 良く分かんないな

 ロバートがその女性の手を取って起き上がらせると。女性はニコニコと微笑んだまま、無言でロバートを見つめる。

 そして手をはなそうとしたら、なぜか強く握り返され……さらにニコニコと微笑まれてしまった。


 胸には国教である転神教会のシンボル『古龍』をデザインした校章があり、その上には星マークが五つ並んでいた。この学院は十五歳から入学が認められ、三年の基礎課程を卒業すると、四年生の専門課程に進学することができる。


 校章の星の数はその学年ごとに増える仕組みで、五つの星があるのなら、専門課程の二年生。となると、二十歳だろう。


 ロバートは、この女性を昨夜リーゼラから聞いた「同じフロアにいる公爵家のお嬢様」だと考えた。仕草や容姿からあふれ出るような気品は、ロバートが知る上流貴族と同じ匂いがしたからだ。


 ――ならここは、俺から名乗らないといけないのかな?

 女性から名乗らせるのは、社交界では失礼に当たるとか……

 そんな話を思い出し。


「初めまして。今日からこの学園に通う、ロバート・フォルクスだ」


 ロバートがそう名乗ると、女性は黒い切れ長の瞳を見開いて。


「は、初めまして?」

 と、小声で呟き……


 女性はその場で優雅にクルリと回転し、スカートの端を軽く両手でつまみ、片足を斜め後ろに引いて膝を軽く曲げ、背筋をピンと伸ばして会釈した。


 一連の動きは洗練されていて、思わずため息が出そうだったが。ロバートは舞踏会でもないのになぜこんなことが起きているのか、サッパリ理解できず。また無言で微笑みかける女性に。


「どこかでお会いしましたか?」

 念の為そう聞き返すと。


「ああ……」

 その場に倒れ込んでしまった。


 ――倒れ込む姿にも、優雅さってあるんだな。


 ロバートが感心して見入っていると、女性が悲し気な表情で見上げた後。

「頑張るのよマリー、あきらめちゃダメ! 大丈夫、まだワンチャンあるわ」

 小声で不穏な独り言をもらし。


「手を貸してくださらないかしら」

 女性はダンスにでも誘うように、優雅に左手をあげ。


「し、失礼……」

 とりあえずロバートが謝って、その手を取り……



 そして、さっきとまったく同じ事が三回繰り返された。


 問題は、倒れるたびに自分でスカートをたくし上げ、パンツを見せることで……

 しかも徐々にそれが過激になり。さっきはロバートが視線を向けるまで、パンツを見せたまま足を閉じたり開いたりしていた。


 こんなに品があってキレイな人なのに……露出狂なんだろうか?


 ロバートが悩みながら、四度目の女性の手を取って。

「申し訳ありません、約束の時間に間に合わなくなりそうなので」

 そう言うと。


「そ、そうですか……ではまた……」

 女性は白くスベスベの額に汗を浮かべながら、深々と頭を下げた。


 ロバートは急いで階段を降りながら。



 貴族って良く分かんないな。と、自分もズレていることをすっかり棚に上げて……深くため息をついた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 学園の事務局に書類を提出すると、ロバートは豪華な応接室に通される。

 室内には既に二人の女性が待っていて、ロバートの入室と同時に立ち上がった。


「初めましてロバートさん、ようこそ帝国魔法学園へ。あたしは学園長のマルデァ・マーデル。こちらはあなたの担任の……」


 高級な漆黒の魔法ローブを優雅に着こなした、銀髪の初老の女性がそう言うと。隣に立っていた青いセミロングの髪の女性が。


「ナーシャ・エドリアルと言います。宜しくお願いします」

 やや舌足らずな声で、ペコリと頭を下げた。


 ロバートもそれに合わせてお辞儀をし、簡単に自己紹介した。

 それを聞きながら、青髪の女性は「へへっ」と微笑む。女性冒険者の魔術師が良く着るグレーのローブを羽織っていたが、胸には制服と同じ学園の校章があり。

 学年によって星が描かれている場所に。


 教員プロフェッサーと、魔法文字が描かれていた。


 しかし顔つきは幼く、その校章がなければ生徒と間違われるだろう。背も百五十センチを少し超える程度と低く、大きな青い瞳はやや垂れ気味。だがローブの上から校章を持ち上げる大きな胸は、そこだけ異様に大人の女性を主張している。


 そのアンバランスさが彼女の武器であったが。ロバートが求めるのは学園での青春であって、大人の女性の色気には特に興味が持てなかった。


「どうぞお座りください」

 学園長の言葉に、ロバートは勧められた反対側のソファーに腰を下ろす。


「本来ならうちの学園は途中入学を認めてないんだけど、宰相様名義での特別な推薦でしたし、ロバートさんの試験も優秀でしたから。今回特例として認めました」


 応接用のローテーブルの上に、数日前に受けた筆記試験の結果が置かれた。


「ケアレスミスが幾つかあったものの、ほぼ満点回答でしたからね。これから期待が持てます」


 学園長の言葉に、ロバートは試験の内容を思い出す。


 ――能力を隠さなければ潜入捜査にならないが、養父の名を傷つけるわけにもいかなかったし。全問正解は避けたが……問題はなにが難しくって、なにが簡単なのか。分からないことだな。


 ケアレスミスと言われたということは、難しい問題を解いてしまったということだろう。と、自分の中で今後の課題を整理する。


「それでは……そうですね、後は確認のために魔術のランク試験を受けてください。別にあなたの申告を疑ってるわけではありませんが」

 学園長が鼻で笑いながらロバートを見ると。隣に座っていた青髪の教師に話を振った。


「そ、そのっ。推薦状にはD級魔術師とあったんですが……帝国を代表するわが校でも、一年生でこのランクは、長い歴史の中でも、そのっ、過去数人しかいなかったので……」


 申し訳なさそうにしゃべる舌足らずな声を聴きながら、ロバートは心の中で舌打ちをする。

 学園の魔術ランクの平均を聞いて、それがD級だったからそう記載したが……

 きっと七学年すべての平均がD級なんだろう。


 ロバートはその話をしていた時のアクセルの、楽しそうなイケメンスマイルを思い出し……次に会ったらリーゼラの件も含めて、きついお仕置きが必要だな。と、心の中でやるせないため息をつく。


「了解しました。それでその試験はいつ行いますか?」

 ロバートのその言葉に。


「今日はまだ前期末の試験休みですから、生徒もあたしたちも時間的に余裕があります。ロバートさんがよろしければこの後すぐにでも。あたしも見学できますし」


 そう言って不敵に笑う学長と、おどおどとする青髪の教師を見ながら。



 ロバートは心の中で、もう一度やるせないため息をついた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 三人で移動したのは、体育館と書かれた大きなドーム型の建物の地下にある、魔術格闘競技場とプレートのある場所だった。


 そこは地下施設とは思えないほど広く。天井までの高さは十メイルを越え、左右も奥行きも五十メイル以上あり。壁は対魔法レンガで補強してある。


 試験休みのせいか、朝から数人の生徒がスポーツや魔法競技の練習をしていたが。ロバートたちの姿を見ると、手を止め。生徒同士で集まってコソコソと何かを話し合ったり。こっそりと後をつけてきたりした。


 おかげで競技場にあるギャラリー席には、何人かの生徒が席を埋めている。



 ロバートを案内しながら競技場に入った青髪の教師が、学園長もギャラリー席に入ったことを確認して。顔を寄せてきた。


「えーっと、ロバートくん……学園長は帝国から強引にこの件を了解させられたんで、そのっ、ちょっとおかんむりなんですよ。実際、入試試験に魔術ランクの試験なんかなくって、あたしたち教員が授業を見ながら判定してるんですっ」


「そうなのか……プロフェッサー・エドリアル。それは迷惑をかけたな」

 ロバートが幼い声で、クールを気取ってそう言うと。


「ナーシャでいいですよ、みんなそう呼んでるし」

 クスリと微笑みながら、そう答えた。


「じゃあ、ロバートくん。実戦形式の試験ってことで、あたしが初めに攻撃するけど。当てたりしないから安心してね。で、その後ロバートくんがあたしを攻撃して、最後にあたしが反撃したら試験はおしまい。いいかな?」


「了解だ、ナーシャ先生。ところで、先生のランクは?」

 相変わらずクールを気取って話すロバートに、ナーシャはちょっと笑いを堪えながら。


「教員はB級以上じゃないとなれないの。あたしもB級だから、遠慮なく攻撃してきていいよ」

 そう言って、距離を取った。


 ロバートはその足取りを見て、ふむ……と、頷く。

 B級魔術師とは言ったが、その体術は実戦慣れしているように見えるし。ヒューマンにしては身体能力も高かった。

 青髪に幼い顔立ち……ひょっとしたら、先祖に精霊か森人がいるかもしれない。


 ナーシャはロバートから十メイル程距離を取り。ローブの下からハンドサイズの魔法杖ワンドを取り出し、詠唱に入る。


 魔術は転神教会流……まあ、ここは帝国の魔法学院なんだから、当たり前か。


 ロバートがそう分析していると、氷魔法の矢アイスジャベリンが二つ、ロバートをわざと外す角度で飛んできたが。


 ――今朝からちょろちょろしていた殺気が、このチャンスを逃す訳ないな。


 途中でなにかに操られるように角度を変えて、ロバートに向かった。ナーシャの顔色がおどろきに染められたが。ロバートはステップひとつでそれを避け、体制を崩されたふりをして……


 膨らんだ殺気に視線を向ける。


 歓声を上げる学生に混じって、刺客らしき影を確認したが。相手もロバートの殺気に気付いたのか。すぐに姿を消してしまった。


 まあ、無理に追うほどの相手でもないか。


 ロバートはそう判断すると、次は自分の番だったと思い出し。

 ギャラリーに隠れた刺客の罠に利用されないよう、できるだけ弱めた初級魔法を選び。


 さらに狙いが分かるよう、わざと発射位置を指さて。


「ファイヤーボール!」

 念の為、大声で叫んだ。


「えっ嘘っ!」

 ナーシャはとっさに腕を十字に組む。

 そして、ローブに仕込んだ防御魔法を発動させた。


「む、無詠唱で……この威力。なにこれ、ホントにファイヤーボール……」

 無残にも高級防御を付与したローブは、焼け落ちている。


 その魔法の威力のせいか、シャツを押し上げるナーシャの巨乳がボインと揺れたせいか。ギャラリーが、ドッと沸いた。


 ナーシャが慌ててロバートを見ると……ヨーシ来い、バッチ来い! と言わんばかりに、ロバートが余裕の表情で構えている。


 ナーシャがなんとか次の詠唱に入ると、突然闘技場の灯りが消え……



「ちっ!」


 目の前で舌打ちが聞こえ、ナーシャは突然抱き飛ばされた。目に魔力を集中し、暗闇の中での視界を確保すると。ナーシャの周りには、複数のアイスジャベリンが刺さっている。


「これは……」

 ナーシャがそう呟くと、自分を抱きかかえていたロバートが。


「どうやらこの学園には、いたずら好きのネズミが住み着いてるようだな」

 感情の感じられない低い声で答える。


 その顔を確認すると、まるで冷めた殺人鬼のようで。

 ギャラリーの方角に向かって、薄っすらと微笑んでいた。


 不意に、ナーシャの背筋に冷たいものが走る。

 そして灯りが戻ると……ロバートはナーシャをそっと降ろし。


「うーん……」

 わざとらしくそう叫び、コロンと転がった。


 ナーシャが、それが自分の攻撃に負けた演技だと気付くのに……

 しばらくの時間が必要だった。


「先生、これで試験は大丈夫か?」


 またイタい感じの少年の顔に戻ったロバートに、ナーシャは何度も高速でコクコクと頷いて。


「あはっ、あはははっ」

 壊れたような、不思議な笑いを浮かべた。


「なんとかこれで、大事にならずに済んだようだな」

 ロバートはため息まじりにそう呟いて、もう一度ギャラリー席を確認する。


 そこにはポカーンと口を開けてフリーズしている学園長を筆頭に、静まり返る学生たちがいるだけで。


「どうやらネズミは逃げたようだな」



 ロバートがクールにそう呟いても……やはり誰も、返答はしてくれなかった。

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