07 忍び寄る腐
リーゼラは自室に戻ると。
「……もう、限界」
そう呟いて、身を震わせた。目の焦点も微妙に合っていない。このままベッドになだれ込もうかと思ったが、部屋には昨日持ち込んだ箱が散乱している。
「気を落ち着かせるためにも、こっちをなんとかしようかな」
問題が起きた時に部屋の掃除をするのは、捕らえられた訓練所に住んでいた頃からのリーゼラの習慣だった。
そうすると、なぜか自然と思考がまとまるからだ。
生活の拠点となる場所に長く住むことがなかったリーゼラは、服や生活雑貨の量も少なく、荷物自体が少なかったが。
「ニュー・アキハバーラのせいね」
帝国一の都会である帝都に来てから、趣味の品が増えてきた。ベッドに腰かけながら足元の箱を開いても、そこにはニュー・アキハバーラで購入した絵巻やポスターがぎっしりと詰まっている。
「通信魔法板用のデータじゃなくて、好きな作品はどうしても『紙』で取っときたくなるのよ……ファン心理ってやつね」
そこから丸めた用紙をリーゼラが開くと……十代前半に見える少年が、魔法銃を構え、ニヤリと微笑んでいるイラストがあらわれる。
それは少年絵巻と呼ばれる、超古代文明に影響された冒険活劇の主人公だったが。その絵巻は、少年だけではなく一部の女性にも異様に人気が高い作品だった。
リーゼラがポスターを箱に戻し、他の絵巻や本を確認しても、同じ作品の主人公ばかり出てくる。
「ロナンちゃんは最高だけど、まさかリアルなロナンちゃんがいたなんて」
その作品は……普段は普通の少年として暮らしている主人公ロナンが、実は裏世界で最も恐れられている魔術師であり、魔王復活を阻止するために素性を隠しながら戦う物語だった。
リーゼラは箱にしまってあった『薄い絵巻』を取り出す。それは、その作品のファンが当局に隠れて作成した禁制の品で。
「やっぱりパムパムさんのイラストはさすがね、原作を越えてるわ」
主人公の少年が、仲間のイケメン騎士や敵の魔術師から襲われて……裸でくんずほぐれつしている。
「酒場で見かけた時から気になってたけど、あの幼いイタい感じと。スイッチが入った時の冷酷無比な表情。それに正体があのベビーフェイスなんて」
リーゼラは震える声でそう呟き。
「実年齢は十五歳だけど、あの容姿と言動は十分容認範囲内ってゆうか…… ああ、もう最高じゃない! しかも、あ、あたしをこんな人生から救ってくれるなんて! ああ、神はあたしを見捨てなかったのね」
頬を赤らめてシャ右手を滑り込ませ、形の良い胸を自分で揉み始める。
「露出度の高い服は苦手だけど、頑張ってスカートを短くした甲斐もあったわ。あのおどおどと覗く彼の顔……もう、思い出すだけで……」
徐々に吐息も熱くなり始め、薄い絵巻をベッドに放り投げると、左手がスカートの中にもぐり込んでゆく。
「やっぱりダメ……もう限界だわ……片付けは明日にしよう」
リーゼラはそう呟くとメイド服を脱ぎ捨て、ベッドになだれ込み。
「ぐ
異様な笑い声をあげた。
リーゼラ・スコセッシ、二十四歳。裏世界で
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
その朝のロバートの目覚めは、なぜかあまり優れたものではなかった。妙な呪術にでも侵されたような違和感を覚え。
「高級ベッドになれてないせいだろうか? なにか邪悪な思念を感じたような気もしたが……殺気が混じっていれば目覚めるはずだし。あれは何だったんだろう」
悩みながらリビングに向かうと。
「ご主人様、おはようございます」
テーブルに綺麗に並べられた朝食の横で、リーゼラが深々と頭を下げる。昨夜のような短いスカートではなく、膝丈の落ち着いた感じのエプロンドレス。髪もアップに結ってあり、メイクも地味。
しかし大きな瞳や整った鼻筋が、隠しきれない色気を漂わせ。スラリとしたスタイルと清楚なイメージが、逆に男の注目を集めそうだ。
「ああ、おはよう」
ロバートがあくびをかみ殺しながら席に着くと、リーゼラが慣れた手つきでカップにお茶を注ぎ、それが終わると部屋の隅まで下がって、ピンと背筋を伸ばす。
……その表情は、なぜか無表情。
「どうしたんだ、もう食事を済ませたのか?」
ロバートが不審に思い、声をかけると。
「ご主人様のお食事が終わりましたら、食堂でメイド用のまかないをいただきますので」
事務的な口調で返答された。
昨夜は強く釘をさし過ぎたかな? ロバートはそう思い、ため息をつき。
「なら一緒に食べよう。どうせ朝からこんなにたくさんは食べれない」
本人なりのクールな笑みを浮かべながら、もう一度リーゼラに声をかけた。
「しかし……それではメイドとして失礼ですし、その……ご主人様は、昨夜のことを怒ってないのでしょうか?」
「昨夜は俺も、言い過ぎたと反省している。これからい長い付き合いになるのなら、友好的な関係を結びたい」
そう言うとリーゼラはそろそろと近付きながら、ロバートの顔をジッと見つめ。無言で椅子に座った。
「それから俺のことは、ロバートと呼んでくれ。……ご主人様って呼ばれるのは、どうもくすぐったい」
「そのー、本当に怒ってないですか? 昨夜自室で賢者タイムになったら、いろいろとやらかしちゃったって……後悔しきりだったんですが」
「賢者タイム?」
ロバートが聞き返すと、リーゼラは突然バタバタと手をふって。
「い、いえ、ひとりエッチの後の放心状態じゃなくて……その、落ち着いて冷静に考える時間を持ったってことです!」
顔を赤らめ、早口でしゃべり出した。
ロバートはなんのことか解らず、首を捻ったが。
「とにかく怒ってなどいない。お前にとっては生死にかかわる問題なのだろう、なら理解はできる。むしろ俺の配慮が足りなかったぐらいだ」
昨夜のことを思い返し。いくら『外れ』てしまったとは言え、移転魔法まで使ったのはやり過ぎたと、ロバートは素直に反省した。
「そんな。……じゃ、じゃあロバート様。その、あたしのことはリーゼラとお呼びください」
目上の女性から様付けで呼ばれるのもどうかと思ったが。彼女の立場もあるだろうと思い直し、そこは妥協して。
「わかった、リーゼラ。これから宜しく頼む」
ロバートなりにニヒルな笑いを浮かべ、キメ顔でそう呟いたら。
「キタアアァァァア!」
リーゼラは突然そう叫んでから、慌てて両手で口を塞ぐと。
「あ、いえ、失礼しました」
おどろくロバートの顔を冷静に見つめて……何かありました? 的な表情を浮かべる。
「それではその、少々見ていただきたいものが」
仕切り直すようにそう言い残して、自室に逃げるように駆け込んでいった。
ロバートが首を捻りながら、今いったい何が起きているのか冷静に分析したが……結論は出なかった。しばらくするとスケッチブックや通信魔法板を抱えたリーゼラが戻ってくる。
よく見ると、服は昨夜のミニスカート・バージョンに戻っているし。足取りも心なしか軽そうだった。
問題があるとしたら、やはりチラチラとパンツが見えてしまうことだが……
「まあ、本人が元気ならそれでも良いか」
ロバートはリーゼラの嬉しそうな顔と、今日は黒いレースのパンツが大きなお尻を包んでいるのを確認しながら、心の中でそう呟いた。
「ロバート様、魔王復活と言えば……今ちまたで噂の、三千年の封印から覚めると言うマルセスダの件でしょうか」
いそいそとテーブルに資料を並べるリーゼラは、少し鼻息が荒い。
「そうだな。帝国からの情報もまだ不確かだが、口頭ではその可能性を示唆された」
「やはり……そうなると、さすがのロバート様でも、お一人では手に余る可能性もありますね」
リーゼラは並べた資料に満足すると、あごに人差し指を当てて首を捻る。
「まあ、世界の構造すら変えたという歴代最強の魔王が相手なら。俺も手を焼くかも知れない」
ロバートは、魔王マルセスダ伝説を思い出す。
今からちょうど三千年前、当時の勇者がマルセスダを死の火山に追い込み封印したが。その後、ある預言者が「きたる約束の日に魔王が復活し、世は終末をむかえる」と云い。それが今年に当たると言う……よくある世紀末思想だったが。
「はっぱり! そこで、あたし昨夜考えたんです。まず学園に陰の情報収集部隊を結成して、その後帝国の協力を得ながら……」
興奮気味に目を輝かせながら説明するリーゼラと、資料に書かれた微妙なアイディアとイラスト。ロバートはそれを交互に見ながら。
なんだか子供が好きな絵巻の設定を、友達に説明しているみたいだな……
そう感じて、どこかほっこりしてしまった。
そもそも、帝国のこの件に関する態度や、学園に来た意味から考えても。せいぜいしなきゃいけない事は、噂などの流布で世間が混乱するのを避けるための情報操作ぐらいだろうと。ロバートは考えていたから。
「いいアイディアだがあまり無理はするな、相手はあのマルセスダだ。例の預言者が係る邪神教も背後にいるかもしれん。少しでも問題が起きそうになったら、必ず俺に相談しろ」
適当に釘をさしつつ、話を合わせた。
「はいロバート様、あたし頑張ります! む
リーゼラの喜ぶ美しい笑顔の陰に、ロバートなぜか腐臭を感じたが。
まあ、本人も楽しそうだし。どうせできっこないから良いか……と、軽く頷いて許可してしまった。
そしてこれが、入っちゃいけない世界の扉を開けるきっかけになるとは……もちろんロバートは知る由もなかった。
○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○
ロバートは食事を終えると、アクセルからもらった資料を片手に、学園の事務局に向かった。
この貴族専用の寮は、五階建ての最上階のフロアを全て貸切って三部屋に分けた特別室があり。その下のフロアから通常の貴族寮で、階を下るごとに部屋数も増えている。
「アクセルのやつも、こんな豪華な部屋を押さえなくても良かったのに」
衣食住にこだわりがないロバートは、ため息をつきながらそうもらし。
階を降りようと階段に向かっていた。
「いち、にい、さん。いち、にい、さん……」
そのタイミングを計るような女性の声は、通常の魔術師では聞き取ることのできない小さな声だったが。ロバートの耳にはハッキリと聞き取ることができた。目前の、廊下から死角になる階段ホールの陰に、微弱な隠ぺい魔法も確認できる。
さて、どうしたものか……
ロバートは少し悩んでから……今後自分の能力を隠すためにも、あえて知らないふりで歩いてゆくのがベストだろうと判断し。
素知らぬ顔で階段ホールに近付く。
「えいっ!」
というかけ声とともに、学園の制服を着た黒髪の女性が飛び出してきた。
両手を広げ、抱きつくようにジャンプしてきた女性に対し。なぜか邪悪な気配を感じて、ロバートはとっさに避けてしまう。そして、そのままでは顔面から階段に飛び込むハメになると気付き。風魔法で女性を包み込んで、廊下に着地させた。
「えっ、今のは?」
おどろきながら、女性がロバートを見上げる。
その顔は、切れ長の黒い瞳に長いまつ毛。前髪は薄く整った眉毛の上でキレイに揃えられている。
流れるようなストレートの黒髪は、腰近くまで艶やかなラインを描き。線の細い気品あふれる女性の雰囲気を、さらに際立させていた。
この学園の制服は、グレーを基調とした『ブレザー』と呼ばれる超古代文明のデザインを模したものだ。女子学生はフレアスカートを着用しているが、ロバートの完璧な魔術のおかげで、女性のスカートは少しも乱れていない。
きっと倒れた衝撃すら、まったく感じなかっただろう。
女性はロバートの顔と自分の体をキョロキョロと確認した後。なぜか意を決したようにスカートをたくし上げ、少し足を開いて。薄い水色のパンツをチラリとロバートに見せてから。
「あん……」
小さくそう呟いて、顔を赤らめ。「偶然パンツが見えちゃったのよ!」と目で訴え、スカートをもとに戻した。
サッパリなんのことか解らなかったロバートが、呆然と立ち尽くしていると。
「手を貸してくださらないかしら」
女性はダンスにでも誘うように、優雅に左手をあげ。
「し、失礼……」
とりあえずロバートが謝って、その手を取ると。
その女性は、心から嬉しそうに……優雅に微笑んだ。
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