04 死に至りそうな、なんか

 帝都は肥大する貧民街に頭を抱えていた。


 歴史的な好景気に沸く帝国だったが、貧富の差は大きく広がってゆき。職を失った者や、田舎町から一獲千金を夢見て移住するものが後を絶たないからだ。


 そのため街の中心である城下街も、少し歩けばいたるところに貧民層が集まる、治安の怪しい場所がある。ロバートが居を構えていたのは、そんな一画にある二階建てのボロアパートだった。


 帝国からの裏の依頼で得た収入は、それなりの額になっていたが、ロバートは金銭や物に対する執着がなかった。だから、ほとんどの金を冒険者ギルドに預けたままにしている。


 住みかを特定されないためにも、定期的な引っ越しを行っていた。そのためロバートには、貧民街は暮らしやすい場所だった。



 ロバートは魔法灯を点け、ベッドと安物の机と椅子しかない部屋に入る。物の少ないその部屋には、生活感がなく。狭く古びた室内が少しだけ広く感じる。


 歩くたびに床がきしんだが、そんな事も気にはならない。雨露が凌げて、ベッドがあるだけで生活としては十分だと考えていたからだ。ローブを椅子に引っ掛けると、そのままベッドにもぐりこみ。


 「奪い取った小瓶とあの魔術師の件は、明日にでもガドリンに伝えておくか」



 そう考えながら、疲れた体を抱きしめるように丸めると、眠りについた。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




「なあ、俺と一緒に冒険の旅に出ないか」

 そう言って手を差し伸べたのは、ボロボロのローブを着た、背の高いがっちりとした体格の……初老の男だった。


「……冒険?」

 答えたのは、まだ九歳になったばかりの痩せこけた少年。


 後ろには十代後半にしか見えない、黒いワンピースの魔女服を着た青い髪の女性が、何度も足を組み替えながら少年を心配そうに見つめている。


 ロバートはその光景を空気に溶け込むように、やや高い場所から眺めていた。


 その部屋は、樹齢数千年の霊樹がドームのように囲った城の一画。魔女服の女性は、部屋の奥に鎮座する生きた枝が作り出した椅子に座っている。部屋の中央では初老の男と少年の二人。そして初老の男の後ろには、その供の女性が三人、同じようなローブを着て、たたずんでいた。


 ――ああ、またこの夢を見てるんだな……

 ぼんやりとそう考えながら、ロバートはその風景を見下ろす。



「人々を助け、悪をくじき、世に幸せをもたらすための冒険だ。どうだ、ワクワクするだろう」

 そう言って初老の男が微笑むと、大きな手でガシガシと痩せた少年の頭をなぜ。


「大森林の魔女、キルケ。本当に彼を手放すんですか? あなたの顔は今、悲しみに満ちている」

 少年の後ろに座る女性に、優しい目を向けた。


「三歳でこの森に捨てられたこの子に、魔術や生きるための術を教えて六年。この子はあたしの持つ秘術のほとんどを習得したけど、その瞳の奥の影は消えなかった。この森には精霊や妖魔や魔物しか住んでいません。あたしはこの森を出ることができないから……あなたが、人としての幸せを。――この子に教えて」


 魔女服の女性がそう呟くと、少年は後ろを振り返る。


「ねえキルケ、俺には才能が有るんだろ! 努力だってちゃんとしてきた。キルケや不死王や精霊姫と一緒にいて、俺は楽しいよ。だから、人としての幸せなんていらない。それでも足りないものがあるんだったら、頑張って覚えるから」


 少年がそう叫ぶとキルケは少年に歩み寄り、膝を折って目線を合わせ。ゆっくりと少年の頬に手を当てた。


「ねえ……良く聞いて。あなたの瞳の奥にある影は、死に至る病なの。いつかあなたが本当の愛を知り、優しさを理解できたら、また森に来てちょうだい。ねえもう、そんな心配な顔をしないで。あなたも知っているでしょう? あたしも不死王も精霊姫も、老いることも死ぬこともないんだから、安心して」


「病なら、キルケの回復魔法で治るだろう?」

 少年が食い下がるようにキルケに訴えると。


「体の傷や病ならね……でも、心の問題はそうはいかないのよ」

 キルケは瞳を伏せながら、そう呟く。その青い瞳に、何かが潤んだが……少年は不思議そうにそれを眺めるだけだった。


「わかりました……では少しの間だ、彼を預かりましょう」

 初老の男がそう言うと、キルケは名残惜しそうに少年から手を離す。


「では、頼みます。――人の世の聖人よ」


 キルケがそう呟くと、初老の男はもう一度少年に手を差し出した。


「ついてくるかい?」

 確かめるように呟く聖人と呼ばれた男の声に、痩せた少年はしかたがなく頷き。


「聖人様、よろしくお願いします……」

 ペコリと頭を下げた。


 少年はキルケがそう言うのなら、その何かを習得し、できるだけ早く森に帰ろうと決意する。なぜなら少年は、キルケが一度言い出したら聞かないことを、よく知っていたからだ。


 建設的な考えを持つ少年は、心の中で疼いた何かを堪え、前を向く。


「俺のことは聖人だなんて呼ばなくていい。ただのおっさん……いや、もうただの老人だな。だからディーンと、そう呼んでくれ」


 そう言うと、放浪の聖人ディーン・アルペジオは「ふふっ」と、微妙な笑みを浮かべた。


 キルケはそれを見て少しだけ顔をゆがめる。ディーンの人となりも実力も認めていたが、彼は超古代文明時代の『ハードボイルド小説』マニアらしく、時折言動が微妙だったからだ。


「あの変な癖が、あの子にうつらねば良いが……あの子も少々思い込みが強いし」


 キルケは心の中でそう呟いたが、少年とディーンはその事に気付かない。


 しかし少年は、その微妙な笑みを見て……聖人様は、なんて格好良いのだろう! と、心の底からそう思ってしまった。



 そして少年は、聖人と共に大森林を後にする。


 ロバートが師と呼び、敬愛しているのは二人。魔法を教えてくれた、この世に三人しかいない魔女の一人『大森林の魔女キルケ』。


 そして……三年旅を共にした。教会から『真の聖人の再来』と呼ばれ。賢者会からは、二千年以上の歴史の中で、たった四人しか得られなかった『大賢者』称号を与えられた。――このちょっと微妙な、放浪の聖人である。



 ロバートが目を覚ますと、びっしょりと汗をかいている自分に気付いた。珍しく体もだるい。キッチンでコップ一杯の水を飲み干し、窓から外を眺めたが、空はまだ薄暗かったから、それ程時間はたっていないのだろうと考える。


 「あの夢を見ると、必ず体調が悪くなるな」


 一人そう呟いて、ロバートは自分に回復魔術をかけ、もう一度ベッドにもぐり込んだが。体調は優れることはなかった。


 死に至る病か……


 考え事を始めてしまったら。ふと、人形のような少女のタフンタフンとしたおっぱいと。赤髪の女の、プリッとしたお尻を包み込む紫色のパンツが脳裏に浮かんだ。そして「ありがとうと」呟いた女の顔が何度も浮かぶ。


「ふっ、俺もまだまだだな」


 ロバートはできるだけクールにそう呟くと。頭をふってその映像を脳裏から消し去ろうとしたが……

 やはり、なかなか眠りにつくことができなかった。




○ ◆ ○ ◆ ○ ◆ ○




 ガドリンが経営する冒険者ギルドの横にある酒場は、午後五の刻を過ぎてから看板を出すことにしていた。だからドアベルが鳴って、その騎士服の男が入店すると。ガドリンは少しおどろいた。


「まだ午後四の刻を過ぎたばかりだぜ……珍しいな。まだお前も業務時間ないじゃないのか?」

「すいません、例の結果も出ましたし。相談もあったんで」


 カウンターの奥で開店の準備をしているガドリンに、ぺこりと頭を下げると、騎士服の男はその正面の椅子に優雅に腰かけた。


「先回預かった小瓶ですが、これが魔法化学解析班の出した詳細です」


 キラリとイケメンスマイルを振りまいた後、懐に相まってあったメモを取り出し、カウンターに置く。もし店内に女性がいたら、目を奪われたかもしれないが……


 いったいそのキラキラスマイルは、誰得なんだろう? その甘いマスクを見ながらガドリンは、ふとそう思った。


「ああ、ベビーフェースが持ってきた奴だな」

 気を取り直してメモを受け取り、それを読むとガドリンは顔をしかめる。


「最近帝都で出回っている違法の覚せいポーションでした。問題は、副作用というか……解析班の話では、そもそもそっちが狙いかもしれないそうですが」


「体内魔力回路の異変による魔力量の引き上げ……か」


「ええ、もしそれができるのなら。生まれつきの才能や、努力による魔力量の引き上げが、否定されることになっちゃいますね」


「そんなことが可能なのか?」

 ガドリンは、フンと鼻を鳴らしてメモを自分のポケットにしまい込んだ。


「相当の無理があるようで、もし完成しても……人格が保てるかどうかも分からないそうですし。最悪、人としての姿も保てないかもしれないそうです」


 ガドリンは目をつむり、ゆっくりと左右に首を振る。


 そもそも人の魔力量は、生まれ持った資質とその後の訓練によって決定する。それは人が持つ他の才能。武術や学問と同じで、「神の気まぐれ」と「本人の努力」の成果の表れだった。だからそれを否定することは、この世に広く信仰されている「教え」に背く行為でもある。


「……で、相談ってのはその麻薬に関してか?」


 騎士服の男は小声で「麻薬じゃなくて覚せいポーションですが……」と、突っ込んだが。その違いはあってないようなものだろうと、続きの言葉を飲み込んだ。


「いえ、この件はまだ上層部でも対応が決まってなくって。また相談するかもしれませんが、ベビーフェースには、とりあえず結果だけ伝えてください」


「わかった。それじゃあ相談ってのは?」

「先回断られた、あの件です」


 騎士服の男の言葉に、ガドリンは腕を組んで胸を張り「うーむ」と唸る。

 その鍛えられた胸板と腕を見て、この筋肉アピールは誰得なんだろう? と、騎士服の男は思ったが。あえて言葉にはしなかった。


「この一年、彼を担当してよくわかったんです。世間じゃ冷血非道の最凶の魔導士なんて言われてますが、とても優しい子じゃないですか。まだ十五歳なんだし……宰相閣下もこの案には乗り気なんです」


「確かに学園にあいつを通わせるのは、俺も賛成だ。魔術も学問も究めちまったあいつには不要かもしれないが、学園で学ぶのはそれだけじゃねえし、『それ』があいつに必要だってのも良く分かる」


 ガドリンがそう呟くと、騎士服の男はカウンターに乗り込みながら。


「そうでしょ、なら是非協力してください! この帝都でベビーフェースが一番心を許してるのは、ガドリンさんなんですから。いくら自分でそうしてるとは言っても、今の生活は彼にとって良くない」

 勢いよくしゃべった。


 ガドリンは興奮して近付いてきたイケメン顔に、ちょっと引きつつ。


「だがな、潜入捜査と偽って依頼をかけるのはどうも……こうゆうのは、本人の自主性に任せねえと効果が見込めねえんじゃないか?」

 そう反論したが。


「でも正面から説得して、彼が首を縦に振るでしょうか?」

 騎士服の男はさらに詰め寄り。


 「私は彼のことが好きなんですよ! 任務でしたが、命を助けてもらったこともあります。この瓶の件だって、今回の魔術師の女の事だって、彼の優しさがあってのこと。でも、このままじゃあ、あまりにも可哀想だ。ガドリンさんは、彼のことが嫌いなんですか?」


 ガドリンは、迫りくる鼻息の荒いイケメンの肩に手を置き。

「俺だって、もちろん好きだ……」


 そこまで呟くと、また「リン、リン」とドアベルが鳴る


 二人がドアを見ると、ボロボロの黒いローブをすっぽりと頭から被った痩せた男が一人、入り口に立っていた。


 口ひげがダンディなマッチョな中年男と、品の良いイケメン騎士が顔を寄せ合っている。しかも片方は顔を赤くして変な事を呟き、もう片方は身を乗り出して、鼻息も荒い。


 ロバートは小さく頷いて、一歩下がると。


「す、すまない。二人がそんな関係とは」

 そう呟いて踵を返す。


 騎士服の男が慌ててロバートに近寄り、後ろから羽交い絞めにした。


「な、なにか誤解があったようだけど、違うんだ、いろいろと、ねえ!」

 そして必死に訴えたが。


「今のことは、み、見なかったことにするから」

 ロバートはおどろきのあまり、極めた魔術を使うことすら忘れて……

 そう呟きながら、あたふたとするだけで。



 ただただ騎士服の男に、力任せに振り回され続けた。

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