第5話 詩節さんの雪化粧
あれから数日後、
「給料取りに来いや」
藤原さんから電話があった。
変な辞め方をした場合、最後の給料は振り込まれず、グット温まで取りに行かなくてはならない。
その為、取りに行かない人間がたくさんいる。
とても怖かったが、詩節さんの勇気と比べたらこの位はどうという事ではない。
わかりました、と返事をして電話を切る。
外に出た。
寒い訳だ。
季節外れの雪が降っていた。
グット温の事務室に行くと、苦虫を噛み潰したような顔をした藤原さんが私を睨む。
「良く来れたもんだなぁ、この根性無し」
そう言って、机の引き出しを開けると、封筒を2つ私に投げつけて来た」
「これでもうお前らとウチとはもう関係が無いからな。お前の彼女にも言っておけや!」
力なく怒鳴る藤原さん。
封筒を確認すると、私と詩節さんの名前が書いてあった。
「あの女にも届けておけや! 全く余計なことしやがって。スタッフ増員しなくちゃならなくなったぜ。労基からも……」
そこまで言ってゴミ箱を蹴とばした藤原さん。
何かあったのだろう。
しかしもう私には関係ない事なので、
「失礼しました」
それだけ言って、事務室を後にした。
手にはやけに分厚い私の給料袋と、数日しかいなかった詩節さんの給料袋。
これを詩節さんに届けなくては。
電話番号もSNSも知らない私は連絡ノートを見る事にした。
連絡ノートに書いてある電話番号に電話をするが、
「現在使われておりません」
となってしまった。
仕方がない。
家まで行くか。
詩節さんの住所地の駅に着く。
そこはとても懐かしい場所だった。
(前勤めていた、介護施設近くだったとは)
介護職の大切さを学んだ大切な場所だった。
とても良いオーナーである、施設長と奥さんがいる施設だった。
職員もたくさんいたし、休憩も、残業代もしっかり出た。
有給も取れて、しっかり休めた。
施設長自ら、率先して利用者達の介護をした。
とてもホワイトな職場だった。
しかし、頑張りすぎてしまったのだろう。
オーナー夫婦は体調を崩しがちになり、また内部留保が無いのに施設に決定的な欠点が見つかる。
それを直そうとして、人件費を減らす為、前にも増して自分が現場に出る様になったオーナー。
スタッフみんな心配し、残業代返還や自主的にサービス出勤、サービス残業をしようとしたが、オーナー夫婦は頑なにそれを断った。
無理がたたったのだろう。
施設長は過労で倒れ亡くなり、その後を追う様に奥さんが亡くなったので施設は閉鎖になってしまった。
(死なないでほしかったな)
懐かしい悲しみを抱えつつ、改札を出た。
住所を見ながら進む。
見慣れていた光景。
見慣れていた家。
見慣れていた道が雪で白く染まっていった。
(そういえば、あの日もそうだったな)
数年前の大晦日。
まだ前の介護施設に勤めていた頃。
仕事を終え帰ろうとした時、雪が降りだした。
『寒くなったと思ったらこれかぁ』
介護施設のオーナーが私に話しかけてきた。
『見てくれ吉岡君。施設が雪化粧しているよ』
笑いながら私に話しかける。
『綺麗だなぁ。名前でもつけてあげてよ』
なんて名前をつけたっけな?
もう忘れたけど、あのオーナーの介護に対する姿勢と施設愛は本物だった。
(また、あんな素敵な所で働けるのかな)
そんな事を考えていると、雪は少しだけ多く降りだした。
やがて住所地に着く。
そしてその前に立つ。
ビルを見上げる。
思わず声が出た。
「まさか、嘘だろ」
その住所地は、
見慣れた、
あの、
一番見慣れていた、
懐かしい、
一番最初に就職し、
介護の素晴らしさを学んだ、
介護老人ホームだった。
訳がわからなかった。
正面の扉は厳重に施錠されており、人気も明かりも無い。
雪が積もりつつあった。
正面入り口に近づく私。
ああ、懐かしい。
思わず、壁に触れてみた。
(この感触は!)
それで理解してしまった。
その感触。
忘れる事なんて出来ない。
短い時間の中で触れてくれた物。
最近触れた物の中で、一番素敵な物。
そして正しく理解した。
なぜ私の名前を知っていたか。
なぜ私の職場を知っていたのか。
なぜ私の事を知っていたのか。
そうか、
はっきりとわかった。
「施設、お前だったのか」
白い雪は更に勢いを増し全てを覆う様に降り続けた。
冷たいはずの風が私の周りを暖かく包む様に吹き抜けていった。
介護ウォースパイト 今村駿一 @imamuraexpress8076j
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