ゴハンが人化して食えません。【後編】



 腹が減った……。


 放課後、俺はふらふらになりながら帰宅準備を終えた。

 登校中にコンビニで買ったゼリー飲料を飲み干しながら、俺はげっそりした顔で教室を出る。


 腹が減った、何か食べたい。

 もうこうなったら何でもいい。人にさえならなければなんでもいい。

 帰り道、俺は吸い込まれるようにコンビニへと入っていった。

 おにぎり、サントイッチ、弁当。空腹の限界に達した俺にはどれもこれもがご馳走に見える。


 食いてぇ。でも、分かってるんだよ。どうせ、俺が食べようとした瞬間に女の子になるんだろう?


 自分で作ったものなら大丈夫かと期待して、昨晩ステーキを焼いてみたが、それさえも駄目だった。

 俺は恨みがましい目で弁当を睨む。食べられないご馳走ほど空しいものは無い。

 それでもどうにか食べられないか、どの食品ならば人化しにくいだろうか。そんな謎の視点で弁当をじっと眺めていると、不意にレジ横にある肉まんが目に入った。

 ホカホカと湯気を立てる肉まん。7月のこの暑い中、肉まんを買う客などいるのだろうか。

 しかし、季節外れだがとても美味そうだ。何を隠そう俺は肉まんが大好物なのだ。


 気が付くと俺は肉まんを購入していた。くそ暑い日差しが照り付ける中、ホカホカの肉まんをもって道を歩く。

 腹は極限まで空いている。すぐさま齧り付きたい気分だったが、俺はひとまず肉まんを持ったまま近くの公園へと移動した。

 食べようとした瞬間、この肉まんも人化するかもしれない。

 そう思ったら、なかなか噛みつく決心がつかなかった。


 俺はじっと手の中の肉まんを見つめた。もっちりとした白いパンが柔らかく、とても美味そうだ。

 俺はごくりと唾を飲み込んだ。

 意を決して肉まんに噛みつこうと口を開く。が、肉まんが口に届こうかという瞬間、俺の腕の中にずっしりとした重みが落ちて来た。


「ワタシを買ってくれて、ありがとネ!」


 俺の首に腕を回して、チャイナ服を着た女の子が微笑みながら抱き着いていた。

 そうして、手の中にあった肉まんは消えている。


 くっそ……やはり、やはりかっ!!

 どうしても人化の運命からは逃れられないのかっ!!!


 女の子に抱きつかれるという貴重な体験をしながら、俺の心を埋めつくしたのは黒い絶望であった。


「お前、肉まんか?」

「そうだヨ。季節外れの売れ残りの肉まんヨ」


 妙な発音の少女は、嬉しそうに俺の膝の上にちょんと座った。


「ワタシ、もう少しで廃棄処分だったヨ。だから、アナタが買ってくれてとても嬉しい」

「ああ、まぁ、夏だからなぁ」


 この季節に肉まんを買おうという奴はなかなか居ないだろう。

 俺は季節なんて関係なく……というか、もう食べられるならなんだって良い気分だったが。


「誰にも食べられずに捨てられるかと思ったヨ。こうしてアナタに買われてヨカッタ!」


 よほど廃棄が嫌だったのだろう。肉まんは上機嫌でニコニコと笑っている。

 だがしかし、俺が彼女を食べられるかというのは別問題だ。


「俺も肉まんは大好物なんだがな、腹も減っているし」

「本当カ? だったら今すぐワタシを食べるヨ!」


 肉まんは目を輝かせて、至近距離から俺の顔を覗き込む。

 ここで俺が食えないというと、おそらくはこの肉まんも消えてしまうのだろう。

 俺に買われて喜んでいる肉まんにそれを告げるのは、少し申し訳ないような気になる。


「食べたいのは山々なんだが、見た目はどうにかならないのか?」

「見た目?」

「女の子の姿をされていると、とても食べ辛い」


 そもそもだ。こいつらはどうやって食えというのだろうか。

 頭から丸かじりしろってか? 腕を噛みちぎればいいのか?


「アナタにはワタシが人間に見えるのカ?」


 肉まんは不思議そうに目を瞬いたが、不思議なのは俺の方だ。

 どう見たって人間の女の子だし、こうして触った感触も女の子そのものだ。


「どう見たって人間だし、どう触っても人間だ」


 俺は失礼にならない程度に、肉まんの腕の当たりを形を確かめるように触った。流石は肉まんなだけあって、彼女の肌は白くもっちりとしている。


「正直困っているんだ。俺は肉まんをもの凄く食べたいんだけど、君が人間になるせいで食べられない」

「人間になったつもりは無いのダケド、確かに話を出来たのはアナタが初めてヨ。どうしてそうなったのか、心当たりは無いのカ?」

「心当たりは無いことは無い。一昨日の七夕祭りで願い事を笹に飾って、それからどうもおかしくなったんだ」


 初めてプリンが擬人化したのは、七夕祭りのすぐあとだった。

 もしかしたら、短冊に書いた願い事が妙な形で叶ってしまったのではないか、と疑っている。


「だったら簡単ヨ。その願い事を取り消してもらえば良いネ」

「取り消すって、どうやって?」

「もう一度、短冊にお願いすれば良いヨ」

「それだと、一年後になるんだけど」


 俺がそういうと、肉まんは悲しそうな顔で眉根を下げた。


「それは問題ヨ。一年後だと、ワタシ、腐ってしまうネ」


 それはそうだろう。一年たった肉まんなんて、たとえ人じゃなくなくっても怖くて食べられるはずがない。

 それに俺だって一年もこんな状態なのは嫌だ。


「それじゃあ、願い事を笹から取り外したらどうカ?」

「あー、多分だけどもう外されてると思うぞ。ああいうのって、七夕が終わったらすぐにとり外されたはずだし」

「その外された短冊はどうなったのカ?」


 肉まんに尋ねられて俺は首を傾げた。七夕祭りの後の短冊がどうなるのか、俺は知らない。


「願い事の短冊を燃やすか破るかしたら、願いが消えるかもしれないヨ」


 肉まんの言葉に俺は顔を上げた。


「祭りがあったのは近くの神社だ。神主さんに聞けば、短冊がどうなったか分かるかも!」

「それじゃあ、さっそく向かうヨ!」


 俺がベンチから立ち上がると同時に、肉まんも立ち上がる。


「ついてきてくれるのか?」

「当然ヨ。ワタシはアナタに食べてもらいたい。私が人間に見えなくなれば、アナタはワタシを食べてくれるのよネ?」

「あ、あぁ、まぁ」

「だったら当然手伝うヨ。ワタシはアナタに食べられたい」


 肉まんはニコニコ笑うと、俺の手を引いて走り出した。


「おい肉まん、そっちは神社と反対だ」

「そういえば、ワタシ、この町知らないネ」

「……とにかく、こっちだ」


 俺はどうも頼りない肉まんの腕を引きながら、神社への道を走ったのだった。





 神社は街を見下ろす小高い丘の上にあった。肉まんの腕を引きながら神社へと続く石畳を登りきると広場へと出る。七夕祭りの当日はこの中央に大きな笹が飾られていたのだが、今はその笹の姿は無かった。

 どうするべきか迷って、俺は神社の社務所へと向かう。声をかけると、袴姿の巫女さんが中から姿を現した。


「すみません、一昨日の七夕祭りについてお聞きしたいのですが、あの時の笹と短冊はどうなりました?」

「笹はもう処分しましたが、短冊でしたら明後日にお焚き上げを行うので、神社の裏手に保管してありますよ」

「それって、見せてもらうことはできますか?」

「ええっと、それはちょっと……」

「お願いします。どうしても大事な短冊を取り戻したいんです」


 俺が必死な形相で頭を下げると、巫女さんは困ったような顔で息を吐いた。


「分かりました。お見せすることは可能ですが、数が多いのでお目当ての短冊が見つかるかは分かりませんよ?」

「それでも構いません」

「それでしたら、こちらにいらしてください」


 巫女さんに案内されて、俺と肉まんは神社の裏手へとやってきた。

 そこには、かなり大量の短冊が山となって積み上げられていた。


「この通り凄く多いんです。あの祭りの分だけじゃなく、町内で行われた七夕の短冊をあつめて、まとめてお焚き上げを行う予定でしたので」


 たしかに、この山から一枚の短冊を探すのはとても骨が折れそうだ。


「それでも、探させてもらって良いですか?」

「仕方がないですね、分かりました」

「ありがとうございます」


 俺が頭を下げると、巫女さんは仕事があるからと社務所へ戻っていった。

 俺はふぅと息を吐き出して、短冊の山へと向き直る。


「凄く多いネ。願い事をした短冊の色は覚えているカ?」

「あんまり覚えてないんだよな。たしか、青か緑か、そんな色だったと思うけど」


 俺の言葉に、肉まんはしゃがみ込むと一枚の短冊を掴んだ。


「どうやって、アナタの短冊を見分ければ良いか?」

「名前が書いてあるから。『穂高明人ほだか あきと』って」

「アキト、それがアナタの名前か。覚えたヨ」


 肉まんはそういうと、大量の短冊の山から一枚づつ名前を確認し始めた。俺も肉まんの隣に座り込み、同じように短冊を確認する。


「お前、文字が読めるのか?」

「馬鹿にするなヨ。ワタシ、学のある肉まんネ」


 学のある肉まんってなんだよ、と思ったが、確かに肉まんは文字が読めているらしい。名前部分を確認しては、次々と短冊を仕分けていく。


「肉まんには、名前がないのか?」

「アキトは肉まんに名前をつけるカ?」

「つけないな」

「そういうことよ。ワタシのことは肉まんと呼ぶと良いヨ」


 俺と肉まんは並んで短冊を仕分けていく。

 けれどもやはり短冊の量は多く、お目当てはなかなか見つからない。

 そうしているうちに、俺は少しづつ肉マンの表情が曇っていくのに気が付いた。


「おい肉まん、疲れたのか?」

「ううん、疲れたワケじゃないヨ」

「でも、顔色が悪いぞ」

「……うん」


 肉まんは短冊を探す手をとめることなく、しょんぼりと呟いた。


「ワタシ、買われてからかなり時間が経ってしまったヨ。短冊を見つけても、アキトが食べるころには固くなってしまうネ」

「そんなことを気にしていたのか?」

「大事なことヨ。そうでなくても売れ残りだったノニ。せめて、美味しく食べられたかったヨ」


 しょんぼりした様子で語る肉まんは、本当に悲しんでいるように見えた。

 けれども、俺は肉まんの気持ちがまったく理解できない。


「お前はさ、なんで俺に食べられたいんだ? 食べられるのが怖くないのか?」


 肉まんだけじゃない。今まで人化した食べ物たちもみんな俺に食べられることを望んでいた。

 俺にはそれが理解できない。自分が食べられるだなんて恐怖でしかないだろう。


「だって、ワタシは食べられるために生まれたヨ。ワタシの中には豚や玉ねぎ、にんにく、沢山の命が詰まってるヨ。その命を無駄にせず、誰かの生きる力として繋ぐのがワタシの役目ヨ」

「それでも、食べられたらお前は居なくなるんだろう?」


 食べるっていうのはそういうことだ。その存在が消失するのだ。


「ワタシはそのままでも、数日で腐ってしまうよ。だったらアキトの身体の中で、その血肉となって生きる方が何倍も嬉しいネ」


 肉まんの言葉に俺は黙った。

 本音を言えば、俺は肉まんを食べることが嫌になっていたのだ。

 だって、そうだろう。

 こんな風に一緒に喋って、俺に向かって笑ってくれた子を、食べたいだなんて思えるわけがない。


「あ。あったヨ! コレ、アキトの短冊ネ!!」


 俺がしんみりしていると、肉まんが緑色の短冊を掴んで立ち上がった。

 

「良かったネ! アキト、これでちゃんと食べられるヨ! もう食べ物、人に見えなくなるヨ!」

「あ、ああ」


 嬉しそうに笑う肉まんの手から、俺は短冊を受け取った。

 この短冊を破けば、本当にこの妙な現象は起きなくなるのだろうか。

 普通に食事ができる。それは、この上ない吉報だ。


――だけどそうしたら、肉まんはただの肉まんに戻ってしまうんだよな。


 俺はじっと肉まんを見つめた。

 俺に食べられたがってる、肉まんの少女。


「ありがとうな。お前のおかげで、色々助かった」

「感謝は要らないヨ。食べ物が食べられなくなるのは、とってもカナシイ。手伝えてヨカッタ」

「――お前は、やっぱり俺に食べられたいのか?」


 俺は微かに震える声で尋ねた。ここで肉まんが否定してくれたら、俺は彼女を食べずにすむ。


「ワタシはアキトに食べられたいヨ。他の誰でもない、アキトが良い」

「どうして俺なんだ?」

「アキトだけがワタシを買ってくれたよ。ワタシ、誰にも買われずに廃棄されるのが怖かった。誰にも食べられずに腐っていくのは嫌だったヨ。だから、アキトがワタシを見つけてくれてすごく嬉しかった」


 それに、と、肉まんは言葉を付け足した。


「こんな風に誰かと話せるなんて思わなかったヨ。ワタシはただ食べられるだけの存在だったのに、こうしてアキトと話せてとても楽しかった。だから、アキトは嫌だって思うかもしれないけれど、アキトが願いごとをしてくれてヨカッタ」

「俺も、肉まんと話せてよかったよ」


 俺は肉まんに向けて微笑んだ。

 少しばかり悲しい笑顔になってしまったかもしれないが、上手く笑えただろうか。


「アキトは、ちゃんと、ワタシを食べてくれるカ?」


 肉まんの目が不安そうに揺れた。

 食べたくなど無い。けれども、俺は首を縦に振った。


「食べるよ。俺、スゲー腹減ってるし、肉まんスゲー好きだから。めちゃくちゃ美味しく食べれられると思う」

「そうか。なら、安心ネ」


 肉まんが笑うのを見て、俺は自分の短冊に手をかけた。

 けれども、手が震えてしまって上手く紙が破けない。


「一緒に破くよ」


 肉まんの手が俺の手に重なった。ビリっと音が鳴って、ゆっくりと短冊が破けていく。

 短冊の破れが大きくなると同時に、肉まんの身体が透けて行った。

 そうして短冊がすべて破けたとき、俺の掌の中に大きな肉まんがひとつ戻ってきた。


 それは、なんの変哲もない白い肉まんだった。

 コンビニで買ったときのように、ホカホカではない。皮も少し固くなって乾燥していた。


 けれども俺は、この肉まんがどんな食べ物よりもとても貴重なものに思えた。


「いただきます」


 俺は抱きしめるようにして肉まんを持ち、万感の思いを込めてその言葉を口にした。

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プリーズ・イート・ミー  ~俺のゴハンが人化して食べられない~ 大江戸ウメコ @ooedo_umeko

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