第30話

 ゴールデンウィークが来た。

 俺は北条に「休日空いてる?」と連絡した。一時間くらい待ってから、返信が来た。


〈すみません! 洗濯物干してました! 空いてますよ! 飲み会ですか? 会社の近くにいいお店あります!〉

 北条の家は浴室乾燥なんてもちろんついてなくて、あんな会社の給料なので、会社から随分離れた辺鄙な場所に住んでいる。多分、夜道とか暗いと思う。


〈いや、お茶にしよう〉

〈え、お茶ですか?〉

〈俺、お金ないんだよ〉

〈なるほど! もう一人暮らしですもんね! 了解です! お財布に優しくていいですね!〉


 葉桜の季節も終わり、ハナミズキの時期ももう少しで終わる。

 新入社員も少しは会社の雰囲気に慣れてきただろう。


「今日もあったかいですねー」

 既得権益でしかないと俺は思っている立地の川沿いのカフェは、外のテラスが開放的で、水辺を眺めるのが楽しかった。北条の私服を初めて見た。なんか女の子っぽいのは分かる。黄色い。でもそれ以上のことは詳しくないので知らない。あと髪を下ろしているのも初めて見た。なんかくるくるしてるのは分かる。でもそれがどうやってそうなってるのかも知らない。


「あいつが入社したって聞いたときは驚いたな」

 俺がそう言うと、北条は「あはははは」と大きく笑った。

「あれだけのこと言われたら、入社するに決まってるじゃないですか」

「いや、普通しないから」

「しますよ。だって、あんなに真剣に答える社会人、いないです」

「ぶちギレただけの大人気ない大人だよ……」

 桜味のダージリンが美味しかった。

 水辺には鴨が泳いでいて、ボートが繋がれている。よく見ると水面にブイのようなものが浮いており、もしかしたら乗れるんだろうか、と思ったがこんなところで溺れたくない。俺は絶対にボートには乗らない。


「ところで、白鳥さんは」

 ケーキを食いながら北条が言った。

「夢を見つけられそうですか?」

 ふふふ、とか言って、意地の悪そうな顔だ。

 俺は「その話題引っ張るね」と言う。

 仕方ない、正直に話してやろう。今日は特別だ。


「夢は、見つからないよ」

「はい」

「夢がある人に対しての、劣等感も、まだ、あるよ」

「はい」


「でも、夢が見つけられないことが、能力だとか、感性だとか、努力だとかが、欠けてるからとは、もう思わない」

「続けて」

「そんなにすぐには消えないけど、でも、自分じゃない何かと自分を比べて、優劣をつけて自分を否定するのは、もうしたくない」

「ええ」


「きっとこれから見つるかもしれないし、見つからないかもしれない。見つからないかもしれないということに関しては、ああは言ったけど、正直まだ、吹っ切れてない」


「だけど、もがき苦しんだ後に、どうしてかわからないけど、長いトンネルを抜けた気がした」

「目の前の日常から、人生から逃げずに、生きていく。俺にできることは、それだけ」


「結局、夢は見つからなかった。でも、」

「でも?」

「無駄じゃなかった」

 俺は北条をまっすぐ見る。

「無駄じゃなかったんだ」

初夏の風が吹き抜けていって、北条の長い髪が揺れた。


 真っ青な空に浮かぶ積乱雲が見たい。

 早く、夏が来ればいい。

 そう思った。


 春は、もう過ぎたのだから。

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僕は転職ができない 多都宮れい @editor_tatomiya

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