第29話

 新卒説明会が始まった。


 俺は数時間だけ仮眠を取ったが、眠い。


 会場はたまたま会社の近くにあった、貸し会議室を利用していて、開会前に俺のいるプロジェクトのチーム全員で椅子を配置した。時間ギリギリだったので並べ方が雑なのは仕方ない。こういうイベントには早く着きすぎる奴と遅れて来る奴っていうのが絶対にいて、早く来る奴は常識がそもそもないので何にも悪びれた様子がないが、遅れて来る奴は一応「道に迷ってしまって」とか、言い訳は一応している奴もいた。


 北条はスクリーンに映したスライドを使って、会社概要と業務内容をプレゼンしていた。俺は隣にいて眠気と戦いながら座っている。

 学生は皆一様に真っ黒いスーツを例年のごとく着用しており、入社後は使えない服を買わなきゃいけないことを気の毒に思わなくもない。三年前に俺も買ったが、メルカリで売った。意外と買う奴はいる。


 北条とは時間がなくてろくな練習も打ち合わせをしていなかった。ギリギリまで俺が引き受けなかったせいだ。「出番になったら話振るんで、あとはもう感覚で喋っちゃってください!」とかなんとかハードルの高いことを要求されている。感覚で簡単に喋れたら俺は、面接に落ちまくってこの企業に流れ着いていない。


 北条は実に見事に会社の良い面を拾い上げて話しており、特に「ヨーロッパ系の外資なんです」というと、今まで漫然と聞いていた学生たちが一斉に「え、この企業受ける価値あるかも」という表情になったのは呆れる。


 ここには見栄と希望と打算やその他、様々な感情がひしめき合っている。この黒い服の学生たちは人生の岐路に立っているのだ。俺と同じように。

 俺が話すべきことはエンジニアの一日。あとは質疑応答。部門別採用だから今日の説明会にはエンジニア志望しかいない。


 北条に話を振られたので俺は適当に話しだす。眠い。

「あー、一日の流れはですね、とりあえずうちは北条さんから説明があった通りフレックスタイムを導入しているので大体のエンジニアは十時ギリギリに出社してきます。別に残業が取り立てて長いわけでもないですが、全くないとも言えないので朝が遅めなんですね。まあ、月に百時間超えるような残業はないのでそこまでブラックかどうかは心配しなくてもいいんじゃないですかね。で、流れというと、まず出社したら朝飯食ってるエンジニアもいますが、基本的にはすぐ業務に入ります。会議とかはそんなに多くはないですね」

 眠いから何喋ってんだか理路整然としない。


 会場には情報工学系出身の奴がたくさんいるわけじゃない。ウェブエントリーシートを事前に確認した北条にそう知らされていたので技術的なことは踏み込まなくていい。学生が知りたいのは残業とかそういう生活に関わることなんじゃないかと思う。


 一通り話し終えると、北条が「はーい、若手の社員は大体こんな感じの一日でしたー」と言って俺からマイクを取り上げた。

 北条は今後のエントリーの流れを告知していた。せこいとは思うのだが、今日の参加条件が履歴書を持って来ることになっていて、全員が強制的に一次面接まで進むことになっている。まだ説明も聞いてない会社への志望動機など書けないとは思うのだが、パイを確保するにはやむを得ない。新卒採用は採用側にとってつくづく都合の良いシステムになっていると思う。北条には「サイレントお祈り」だけはしないでやれよ、と言ってある。


 俺がぼーっとしている間に、質疑応答の時間がやってきた。

 どんな質問が来るのやら。質問がある方は手をあげてくださいねーと北条がいうと、就活生が何名か手をあげた。

「本日は大変貴重なお話をありがとうございました。私の質問は財務諸表を見ると財務状況が良くない思うのですが、その点、今後どのような施策があるのでしょうか?」


 あー出たよ、面倒くさい質問。施策も何も何にもねぇ。傾いてるもんは傾いてるんだから傾いてんだ。俺はそう思ったが、北条は「それはですねー!」とギリギリ嘘じゃないレベルの明るい未来を語っていた。すげえ。


 何名かの質問を北条がしれっとさばいて、他に質問ある方いらっしゃいますかー? と言うと、俺の偏見に満ちたエンジニアのイメージとは、およそかけ離れた、なんかラグビーとかやってそうな学生が最後に手をあげた。


「本日は大変貴重なお話をありがとうございました」

 定型文。俺も言ってた。

「ところで聞きたいのですが、御社のエンジニアの方々のやりがいとはどのようなものでしょうか?」

 来てしまったこの質問。俺は答えなければいけない。眠気が吹き飛んだ。北条が俺にマイクを渡す。

「えー、やりがいはですね、お客様から、良いシステムで業務が捗っています、と感謝の言葉をいただけることですね」

 割と正直だ。


「なるほどですねー。ありがとうございました。でもー、」

 でも?


「わたくし、様々な会社の説明会を回ってるんですが、皆さん同じようなことをおっしゃるんですよねー。何か学生のわたくしにも分かるような、やりがいはありますでしょうか」

 なんだ、こいつ。いや、落ち着け俺。


「えーとですね、お客様からの感謝の気持ちを示されるというのは、学生さんからはイメージできにくいかもしれないのですが、実際とても励みになることでして——」


「ありがとうございます。やりがいはわかりました。では実現したい夢などはありますでしょうか?」


「夢? 夢はですね。夢はー、夢はですねー……」

 俺は言葉に詰まった。

 会場がしんと静まる。

 眠気は飛んだが、今度は焦りで頭が回らなくなる。


——夢、目標は必ず聞かれるので、考えて置いてください。大丈夫です。白鳥さんなら話せます。

 俺なら話せるか?

 話せるのか?

 会場の全集中が俺一点に収束している、

 俺は言葉に詰まる。

 この沈黙はまずい。

 何かを言わなければいけない。 


「……夢は、先輩のように、どのような事態にも対応できるエンジニアになることです」

 俺は、やはり、やはり何にも、出てこなかった。

 嘘ではない。海堂のようになれたら、いいとは思う。

 ラグビー部風の学生は、「貴重なご回答ありがとうございました」と言った。しかし着席しなかった。


「実はですね、わたくしは一つ困っていることがありまして、それはどの企業も『夢や目標を書いてください』とエントリーシートで尋ねてくることなんです。わたくし、貴重な説明会に参加させていただいた際にこの質問を必ず社員の方にさせていただいているのですが、実は満足いく回答を得られたことがまだありませんでして、白鳥様のもう少し具体的な夢を教えていただけないでしょうか」


「え……」

「学生には夢を要求するのに、企業様が学生を納得させるご回答をされないのは不平等だと思うんですねー。実際のところ、夢なんてないんじゃないですか?」


「あ?」

 北条が耳元で「白鳥さん、お、落ち着いてください」とささやいた。

 なんだよ、この舐め腐った奴は。

 完全に冷やかし、荒らし。応募する気など一切なし。

 そんな奴のために、俺は今日まで悩んでいたわけじゃない。


「君ね、そう言うけれどね、夢なんてね、全員が持ってるわけじゃないんですよ。君はそれを聞いて他社のエントリーシートに書かれるのだと思いますがね、そんな他人の借り物の夢なんて書いても意味がない。夢なんてものは人それぞれで、ご自身で考えたら如何でしょうか?」

 落ち着け、俺。


「えー要するに、御社に入社しても、夢や目標は見つからないということでしょうか? わたくしは負けず嫌いでして、大学の同窓生などに負けたくないと思っております。御社に入社しても高い目標や実現したい夢などが得られな——」


「うるせぇ!」

 俺は怒鳴っていた。

 何が、負けず嫌いだ。

 何が、負けたくないだ。

 クソみたいな過去の俺じゃねぇか。


「人に夢を軽々訊いて、ホイホイ答えが返ってくると思ってんじゃねぇよ!」

 気がついたらそう言っていた。

 いや、俺は、何を言ったんだ?

 ラグビー部はすぐに反論してきた。


「白鳥様のご気分を害したようでしたら大変申し訳ございません。でも、わたくしとしては、やはり具体的な夢や目標を——」

 俺は何を——

 やばい、止まれない——


「黙っとけ! 簡単に語れる夢の方が、言葉にもできない想いより分かりやすいだけなんだよ。みんな心の中ではもがいてんだ。自分のことが自分にはわからないなんてザラなんだよ。学生風情がイキってんじゃねぇ!」

 ラグビー部が固まっていた。

 言っちまった。いや、だから俺は何を言ったんだ?

 他の就活生が息を飲んでいるのがわかる。


 我に返ったらしいラグビー部は「あ、ありがとうございました」と言ってそれ以上続けなかった。ただ、笑い声が聞こえた。


 北条が、くつくつと笑っていた。なんで。やっちまったのに。

「はーい! ご質問ありがとうございましたー! それでは、選考に進まれる方はウェブからご都合の良い日程を選択してください! みなさんに再びお会いできるのを楽しみにしてまーす!」

 北条がそう言うと、固唾を飲んでいた就活生はそそくさと会場を後にして言った。


 最後に二人で残された俺は、北条になんて謝っていいか分からない。ただ「ごめん」としか言えなかった。だが北条はまだ、笑っていた。


「白鳥さん、ちゃんと言えたじゃないですか」

「ごめん」

「何を謝っているんですか?」

「いや、だって……」

「きっと就活生に響きましたよ! 大成功ですね!」

「いや、それはないでしょ」

 北条はなんでこんなに楽しそうなのだろう。


 訝しんでいると、北条は、美しい笑顔を見せて言った。

「白鳥さんなら、やってくれると信じてました。夢、ちゃんと向き合えましたね。私、嬉しいです」

 北条は鼻歌を歌いながら、「椅子の片付け、また朝みたいに皆さんに手伝ってもらえると助かりますー」と会場から出ていったのだった。


 ああ、そうか。

 俺はやっと自分の結論に辿り着いたんだ。

 誰しもみんな、夢に夢見るお坊ちゃん。


 でも、見つからないのは、悪いことじゃ、ない。

 これからも見つからないかもしれない。

 でも、それを恐れる必要なんて、何にも、ないんだ。

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