第28話
夢がないのは、努力が足りないわけでも、才能がないわけで、もない。
俺は家に帰ってからまた涙が溢れてきて止まらなかった。
ずっと聞きたかったその言葉。
自分は空っぽじゃないという肯定。
ずっと自分を傷つけて、自分を否定して生きてきた。遡ること十年前からそうだった。気が付いたのは高校生。文理の選択すらできず、大学選びも適当で、就活になって浮き足立つ。自分には何にもないと思っていて、その自覚をなかったことにし、過ごしてきた。でも、ついに俺は自分と向き合った。何にもない自分と向き合った。
夢がない、やりたいことが見つからない。会社に残るか移るかも決められない。それらの問題は何にも解決しちゃいない。なのに、温かいお湯に浸かったみたいに心が和らいでいた。ぬるま湯なんかじゃない。本物の温かさ。
俺はあの後、引き受けてしまった。
北条から、「一番未来について考えているのが、白鳥さんですよ」と再び言われたのだ。過大評価。そう思いかけたが、やめた。
学生にとって一番親しみやすいだろうという理由での若手代表。その役割を俺は果たさないといけない。
——夢、目標は必ず聞かれるので、考えて置いてください。大丈夫です。白鳥さんなら話せます。
あいつはそう言っていた。
俺は、自分が喋れると思えない。
学生からしたらどんなに歳が近かろうが、俺は社会人。大学一年生が四年生をはるかに大人と錯覚するように、俺のことなんてずっと年上の異質な奴。そう思われる。そいつが何も楽しそうじゃなかったら入社したいとはまず思わない。
——でもさ、周りにいるのが全員つまんない奴だったら、自分もつまんない奴になっちゃうだろ?
つまらない奴と一緒にいたい人間などいない。あいつの言うことが今ならわかる。俺は、面白い奴だと思われなければいけないのだ。面白い奴。それが俺の周りにはほぼいない。ずっと避けてきたツケが今まわってきている。面白い奴は積極的に避けてきた。劣等感が刺激されるだけだから。そういう理不尽な理由で、近づいてきてくれた奴まで突っぱねてきた。でも過去のことを言っても始まらない。
俺はもう、自分で自分を哀れんで、卑屈になってうなだれる、そういう人間はもうやめる。その代わり、人と接することにする。色々上手くいってる奴らにとっては当たり前のこと。俺にとっては新しい。だけど語れることが俺にはない。いやダメだ。「ない」などと言っては今までの俺に決別できていない。探すのだ。なんでもいい。ちっぽけなことでいい。どんなに陳腐でもいいから本心から出た言葉。それが伝わればいい。
その本心とやらを探したい。手がかりが、欲しかった。
手がかり。俺が困ってる時に助けてくれる人。北条じゃない。あいつは十分俺の背中を押してくれた。あいつからは最大限のものを受け取った。あとは俺が考えること。でも俺一人じゃ話が進まない。じゃあ、誰が?
そこで俺は思い出した。
海堂だ。
深夜のメンテナンスの日になった。
説明会の前日。始発が始まる時間まで、俺と海堂、チームの奴らが残って作業をする。俺はこの日を待っていた。
時計の針が五時を回り、起きているのが限界になってくる。おまけに今日はついに説明会。徹夜できるのは学生までってそうかもな、と身を以て知る。
チームの奴らが始業に備えて仮眠を取りに休憩室に行っても、俺はそれについていかなかった。海堂は一人、いつも通りの無表情でモニターに向かってる。ついに二人だけの時。訊くなら夜が明ける前の今しかない。
「海堂さん、あの、ちょっと変なこと訊いてもいいですか?」
無表情の海堂が「なんだ」と言った。
「本当に変な質問なんですけど」
「分かったから、さっさと言え」
海堂はもう、俺の話を聞いてくれるようになっていた。でも俺は言い出しづらい。さっさとしろと急かされる。訊くならら今だ。訊くしかない。
「あの……、海堂さんは、その、夢とか、ありますか?」
「夢?」
「はい。いや、本当変なこと突然、訊いてすみません」
海堂は腕を組んだ。珍しい。その姿勢は考え込む時だ。海堂は、真剣に答えようとしてくれている。俺は海堂が考え終わるまでじっと待った。
「夢か」
海堂が腕を解いた。答えがくる。
「夢か」
この人は何を抱えて生きている?
俺は知りたい。どんな答えがくる?
海堂はふっと笑った。
「そんなものは、ない」
「えっ」
想定外。この人なら何かあると思っていた。実に自分本位の思い込み。そうか、どんなに仕事ができる人でも、夢なんてものは持っていやしないのか。
「だが、」
海堂が何かを続けようとした。だが、なんだろう。
「下の奴らに負けたくない。上の奴にはぶちかましてやりたい」
その言葉の意味は理解した。誰にも上には行かせない。海堂が言ったのはそういうこと。
「それって、夢、ですか?」
失礼なことは承知で訊いている。でもそれは夢なのだろうか。
「下の奴らは、俺より遥かに新しいことを知っている。上の奴らは俺より経験値があるから色んなことを知っている。だが、そんな奴らに抜かされたくはない。それが夢じゃいけないか」
「いけないかって言われると……」
何もいけないとは、思わなかった。
そうだ、海堂らしい、答えだった。
「白鳥」
名前を呼ばれた。
「お前、今日、喋るんだってな」
「はい……そうです」
海堂は射抜くような目をしていた。不注意なミスを咎められる時でも、もうそんな表情はしないはずなのに。
「付け焼き刃の夢なんて話すなよ」
それだけ言うと、俺の返事など待たず、話は終わりだ、と仕事に戻っていった。
海堂は、確固たる考えを持っている人だった。
自分にはそんな芯が、ない。
俺の信念はなんだ。
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