エピローグ 再起

[03E] 特務官

 共同墓地公園は、恐ろしく静かだ。


 人が作った物に囲まれているのに、人が立てる音は自分たち以外にない。

 風が吹くたび草木が揺れ、落ち葉が舞い上がる。その中で小鳥がタップダンスを踊る。それを陰で野良猫が鑑賞している。


 そこにルセリアが近づいていくと、小鳥も猫も、一目散に逃げていった。

 人類が消えてしまった直後の都市は、こんな感じなのかもしれない。


 市民のほとんどはオベリスクの存在を忌み嫌っている。夜になれば死者の声まで聞こえてくる、生者が近づくと地中に引きずり込まれる、などという噂まで立つほどに。


 だが――ルセリアは最近、こんなことを思うのだ。

 灰と石があるだけ、幸せなのではないか、と。


 イナミは〈ザトウ号〉に残してきたカザネ・ミカナギを弔えずにいる。

 そしてナノマシン体である彼自身も、ここに葬られることはないだろう。


「宇宙人に帰る場所はない――なんてね」

「何、急に」


 怪訝けげんそうな顔をしたのは、ラジエットだ。


 ルセリアは「なんでもない」と微笑んだ。胸の内では、今の彼にとって帰る場所があの宿舎であるように、と願う。


 二人は夕刻、公園を訪れていた。

 揃って両親に会いに行くのは初めてだった。共通の話題を探すにはまだ苦戦中だ。どちらかが一方的に話し、どちらかが一方的に聞く。そんな調子である。

 今の独り言も、ラジエットには姉なりの手探りと受け取られたらしい。実際、会話が途切れた合間だった。


 共通の話題。

 そういえばイナミのことがあったっけ――

 と、ルセリアが彼のことを考えながら、公園に入ったときだった。


 誰かがオベリスクの前に立っている。


 大柄な体格の、恐らくは男。

 スーツとハットの、紳士的な装いをしている。


 大男は二人の訪問に気づき、ハットを手で押さえることで顔を隠した。何か後ろめたいことでもあるのだろうか、足早に立ち去ろうとする。


 先にラジエットが軽く会釈をした。

 礼儀正しい妹に倣って、ルセリアも挨拶をしようとしたとき――


 男がちらりと顔を覗かせる。

 分化の影響が濃い、クロヒョウそのものの顔だった。


「待って!」


 咄嗟に呼び止めたルセリアを、ラジエットが不思議そうに見つめる。


 ルセリア自身、彼を行かせるべきだったかもしれない、という後悔が芽生えた。

 しかしながら、こんな機会はもう訪れないだろう。


 ルセリアの淡い期待に、大男は応じてくれた。

 彼が再び振り返ると、茶色がかった黄色の瞳までよく見えた。


 間違いない。

 ジヴァジーンだ。

 元特務部所属、母の同僚、現七賢人ドゥーベにして、クオノの育ての父親。


 人がいなくなった時期を見計らって、足を運んでくれたのだろう。

 ルセリアはどう切り出そうかと悩んだ末、これまで秘めてきた気持ちを素直に吐き出すことにした。


「あたし、ママに大切されてないのかな、って、思ってた時期があった」


 突然の告白に、ラジエットは戸惑いを隠せず、姉と見知らぬ男とを交互に見比べる。


「ママはあたしをパパに任せて、任務優先だった。なのに、ラジエが生まれてすぐ特務官をやめて――正直、ラジエが羨ましかった。……事情があったのは分かるけど、だから、あなたに聞きたいの」


 そこでルセリアはぐっと息を呑んだ。

 これまで三年間を思い出していた。特務官となって戦ってきた日々を。


 自分はよくやってきたと思う。

 機関での評価は悪くないはずだ。

 どんな困難もクリアしてきた。

 だけど。


「ママはどんな特務官だったの? あたしはママみたいな特務官になれてるの?」


 問われたジヴァジーンは深く息を吸った。鼻が大きく膨らむ。

 彼はかつての同僚を思い出すのに、時間を必要とはしなかった。即座に、それでいて流暢に語り出す。


「特務官は人間性が欠落した者が多い。私たちも例外ではなかった。任務遂行が第一、他は無関心。結果が出せなければ、存在価値などないというような生き様だった」


 ルセリアはイナミの横顔を思い描く。


「ロスティは違った。過酷な状況でも、慈愛を失わない女性だった。それゆえ、自分が母親としては失格なのではないかと、常に苦悩もしていたよ。お前は子供観察カメラのことを知らされていなかったようだな。ロスティはお前のことを見守っていた。私たちもよくそれを見せられた。健やかに育ったな、ルセリア。それにラジエット」


 ルセリアの頬を滴が伝った。

 が、自分ではまだそのことに気づかない。


「お前自身についてだが、母親同様、優秀な特務官と認めている。時折、大胆さが却って目に余るところも、よく似ている。が、私たちがお前に求めているのは、母親と同じ働きでは決してない。影を追うな。今のお前があるのは、お前が行動を積み重ねてきたからだ」


 何か答えようとしたが、喉の奥で声が詰まってしまう。

 そこで、自分の頬を流れる滴に気づいた。


 雨――違う。晴れている。

 涙だ。泣いているのだ、自分は。


 母に近づこうと努力を続けてきた。理想の『特務官』でありたかった。

 それが、特務官だった母の最期を見届けた自分の責任と思って、これまで生きてきた。


 間違いではなかったと思う。

 でも、きっとこれからは、それだけではだめだったとも思う。


「……ありがと。あなたと話せてよかった」


 やっとで絞り出せた言葉だった。


 ジヴァジーンは穏やかに笑い、今度こそ悠然と立ち去っていった。


 その背中を見送ったラジエットが、腕を組むように寄り添う。


「あの人、もしかして……」

「そ。ママの同僚だった人で、なの」

「幽霊? でも――」

「あの人に会ったことは、私たちの秘密よ」


 と、ルセリアは目元を拭った。

 今度は自分たちがオベリスクの前に立つ番だ。ラジエットの他にも話したい、話さなければならない人たちがいるのではないか。


「パパ、ママ」


 こんな気持ちで墓参りをするのは、初めてだ。

 特務官としてではなく、ルセリア・イクタスとして、両親に語りかける。


「あれから色んなことがあったけど、なんとかやってるわ。特務官になって、パートナーができて、それから、あいつが来て――」


   〇


 その地区で一番立派な門には、相変わらず警備員も誰も立っていない。

 イナミは以前訪れたように、


「もし、誰かいるだろうか」


 と、声をかけた。


 サシャ・メイとの戦い以来、イナミの胸中で焦燥感が燻っていた。

 ナノマシン体であっても、人間の優位には立てない。

 力は使いこなしてこその力である。

 自分にはこの力を発展させる意識が致命的に欠けていたのだ。


 打ちのめされて――だからこそ、イナミの双眸そうぼうに失意はなかった。


 すぐ、屋敷の玄関から人が出てきた。

 ベルタ・メイだ。

 用事もないのに〈血龍シュエロン〉の屋敷を訪れたイナミに対し、


「なんの用?」


 露骨に眉をひそめる。


 彼女は肩に巻いた包帯で、動かない片腕を支えている。傷はまだ回復していないようだ。

 しかしながら、もう片方の手には鉄針を隠し持っていた。


 そんなベルタに、イナミは正面から向き合って、はっきりと告げた。


「俺に――武術を教えてくれ」


 すなわち、肉体を制御する技術を。

 守りたいものを、今度こそ守れるように。

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船降る星のストラグル あたりけんぽ @kenpo_h

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