[4-8] あたしのパートナー
「ラジエット!」
妹の名を呼ぶ声に、じっと地面を見つめていたルセリアは、顔を上げた。
機関が設置した防護柵に、母校、〈アレクサンドリナ女子寮学校〉の制服を着た少女がしがみついている。
検疫班に連れていかれるラジエットを見つけたのだろう。
ルセリアは白いテントをちらりと見てから、柵越しに少女へと声をかけた。
「ラジエの友達かしら」
「え、あ、はい。えっと……」
少女はしばしこちらの顔を観察して、気づいたようだ。
「もしかして、ラジエットのお姉ちゃんさん、ですか?」
「ええ。〈デウカリオン機関〉特務部第九分室所属、ルセリア・イクタスよ」
リストデバイスから身分証を提示する。
少女はまじまじと顔写真を見つめてから、実物のこちらに慌てて頭を下げる。イヌの耳がひょこっと動くのが可愛らしい。
「私、ティオっていいます。あの、ラジエットは……?」
「ごめんなさい。あなたも検査を受けたと思うけど、あの子の場合はしばらく様子を見なきゃいけないの。ミダス体に寄生された兆候があれば、ここで対処しないと」
「た、『対処』って――」
「そうはならないわ」
と、ルセリアはぎこちなく微笑んだ。
「あたしが見た限り、無事よ。そのうち、解放されると思う」
「よ、よかったー」
ティオはへなへなと崩れ落ち、安堵の吐息を洩らした。
――いい友達を持ったわね。
自分のときは、誰も心配なんてしてくれなかった。『死地からの奇跡の生還』とニュースで大きく扱われた結果、ルセリアは『いつ暴発するか分からない爆弾』扱いをされた。
――でも、いつも隣に、学長先生がいてくれたっけ。
たった三年前なのに、ずいぶんと懐かしく思える。
と、
「ごめんなさい、ティオ。あたしはまだ任務があるから、これで」
「あ、はい! えっと……頑張ってください!」
「任せて」
ルセリアは手を挙げて、防護柵から離れる。ティオに背を向け、物陰に入ったところで、先ほどから反応のないタクティカルグラスの弦を指先で叩く。
「ねえ、エメ。どうなってるの。なんで黙ってるの」
《そ、それが、その……》
いやな予感がした。エメテルの声に怯えがあった。
「……何かあったのね」
《い、イナミさんが生命活動を停止して――》
「え」
一瞬、周りの音が聞こえなくなったような気がした。
イナミが死んだ?
状況が全く分からない。
腹に穴を開けられても腕を失っても生きられるイナミが、サシャ・メイに敗れた。
自分の知らないところで、同僚が、仲間が、それだけで言い表せない存在が、死んだ……?
愕然としていると、
《救援部隊と合流して、そっちに向かっている》
「わあっ!?」
ルセリアは思わず飛び跳ねてしまう。聞こえてきた声は間違いなくイナミのものだった。なんだ、やっぱり生きているではないか。
「ちょ、ちょっと驚かせないでよ。何があったの?」
《……サシャは想像していたよりもずっと危険だった》
「それって――」
《ベルタがいなかったら、間違いなく死んでいた。くそっ、不甲斐ない……》
彼本人からその言葉を聞いて、ルセリアは、彼の死を軽く見ていたことにひどい罪悪感を覚えた。
ナノマシン体だから、しぶとく生き残るだろう、と。
無意識の底にこびりついていた楽観的認識が腹立たしい。
イナミはしばし間を置いて、悔しげに呻く。
《サシャは逃げたよ》
「残念だけど、あんたが生きているだけでよしとしま――」
《全然よくなんかない! 俺は何もできなかったんだ!》
ここしばらく聞かなかった、イナミの激昂だった。
カザネの死を、自分が生き延びてしまった意味を、受け入れられなかった頃の自暴自棄だった彼が思い出される。
戦いの中で自負を踏みにじられたのだ。
ルセリアは何も言えなくなってしまい、話を逸らす。
「ベルタは?」
《出血がひどくて、意識がない。救援部隊に搬送してもらっている》
「……、そう」
《報告は以上だ》
イナミから一方的に通信を切られる。
いつもはこっちが切るのを待っているのに、珍しいな、とルセリアは肩を落とした。
《私……》
エメテルがひどく暗い声で呟く。
《イナミさんを助けられませんでした。サシャさんの動きは目で追えてるのに、全然どうすればいいのか分からなくて、フェアリアンなのに、そのために生まれたのに……》
「エメ」
《みなさんが命をかけてるのに、私はこんな安全な場所で……》
「エメ!」
鋭い叱咤に、向こうの震え声が止まった。
「あんたの役割はそういう役割よ。あたしたちは死んだら終わりだけど、あんたはあたしたちの死をずっと引きずらなきゃいけない。そこは安全な場所なんかじゃないでしょ」
《……でも》
「少し休みなさい。ミダス体の掃討はまだ終わってない。もしかしたら指示がかかるかも」
《……了解です》
こちらの通信も終わった。
ルセリアは、空を見上げ、息を吐き出した。
空に雲がかかっていた。明日には雨が降るとの予報だ。ならば今日中にミダス体を始末しなければならない。雨水で血が流れると、処理が面倒になるのだ。
「やんなるわね」
弱音を吐きたいのはルセリアだって同じだった。
特務官として正しい務めを果たせているのだろうか。
本当に『安全な場所』にいるのは、自分だ。エメテルとイナミは、自分にラジエットを守らせてくれた。それ以外の余計なことをシャットアウトしようとしてくれた。
真に何もできなかったのは、この自分ではないか――
ぼんやりと物思いに沈んでいると、
「ああ、そんな!」
女性の悲鳴じみた声が聞こえてきた。
どうやら、検疫班が少年のリストデバイスから母親を呼び出したらしい。テントの外で説明を聞かされて、取り乱したのだろう。
だが、あの親子もすぐに再会できるはずだ。
母親の姿をじっと見ていたルセリアは、検疫班に任せきりだった妹と会うことにした。特務官の権限があるので、止められる者はいない。
テントに入ると、ラジエットと少年が簡易ベッドに寝かされていた。腕と傍らの機械とがチューブで繋がれ、血液に含まれる微細胞のモニタリングを受けている。
ルセリアはラジエットのそばに立って、そっと声をかけた。
「前もこういう検査を受けたわね」
「お姉ちゃん……」
「血液検査で何か反応が出るようなら、今頃、潜伏体に悩まされることなんてないのに。面倒だけど、もうちょっとの辛抱よ」
無遠慮に大声で言ったものだから、ラボから警備局に出向している医者が不機嫌に睨みつけてきた。
ラジエットまで渋い顔で苦言を呈す。
「……なんでもいいから大丈夫って結果が出ないと、私が安心できない」
「そう? 無理してない?」
「生きてられるなら、なんだっていいよ」
先ほどイナミに拒絶された言葉を、ルセリアは改めて噛み締めるように、しみじみ頷いた。
「そう、よね」
「お姉ちゃん?」
「さっき、その子のママが来てたわ」
「よかった、無事だったんだね」
どこか遠い目をしたラジエットの手を、ルセリアはそっと握った。
「ラジエが守ったのよ。あたしはラジエを誇りに思う」
「そんな、私は、夢中で……」
ラジエットは気恥ずかしそうに、ルセリアの肩の向こうを見た。その先にはテントの出口、そして先ほど脱出した施設の通用口がある。
「ミカナギさんは?」
「あいつなら……こっちに来てるみたい。とりあえず、平気」
と、答えてから、
「ん? なんでラジエがあいつのこと知ってるの?」
「……えっと、二人でお話したことがあって」
「聞いてない!」
「内緒にしてくださいって、お願いしたから」
「……それ、あたしには言えない話?」
ラジエットはしばらくルセリアを見つめ、「ううん」と首を横に振った。
「お姉ちゃんのこと」
「あたし?」
「私、ずっと怖がってた」
ルセリアは胸が締めつけられるような思いがして、悲しみと諦めが入り混じった表情を浮かべてしまう。
「当然よ。シンギュラリティなんて、みんな不気味がるもんだし」
「違うの。それは別に、関係ない」
ルセリアは「え」と戸惑う。
てっきり、妹もまた、パパとママを殺めたこの力を恐れているものだとばかり、思い込んでいた。
しかし、ルセリアは失念していた。母親もほとんど同じ力が使えたわけで。
「パパとママ、最期にお姉ちゃんの名前だけ呼んでたでしょ? 後になってから私、二人に気にもかけてもらえない子だったんじゃないかって、変に疑って……」
ルセリアは、はっと息を呑む。
苦しかった胸が、痛みすら覚えた。
「そんなことない。そんなこと――」
「お姉ちゃんはさっき、みんなシンギュラリティのことを不気味がるって言ってたけど、パパとママはお姉ちゃんのことを怖がってなかったと思う」
ラジエットは握られていた手に力を込める。
「だから、『あのとき』、お姉ちゃんにお願いしたんだと思う」
「……――」
「私もああなるなら、お姉ちゃんがいいなって思った」
「ラジエ……」
ルセリアは言葉を忘れ、ただ覆い被さるように妹の身体を抱き締めた。医療班が厳しい目を向けるが、そんなのは知ったこっちゃない。
『あたしたちは死んだら終わりだけど、あんたはあたしたちの死をずっと引きずらなきゃいけない』
エメテルに向けた言葉が、自分自身にも返ってくる。
ルセリアは、両親からそこまでのメッセージを受け取れただろうか。
あの声で決意はできた。自分がやらなければならないのだ、と。無能力者のふりをして生きていくことはできない。シンギュラリティ能力者の使命を果たすときだ、と。自分は特務官になるのだ、と。
自分は両親から託されたものを本当に受け取れているのだろうか。
分からない。
どんな意味があったのかも、聞くことはできない。
ラジエットが、チューブに繋がれていないほうの手をルセリアの背に回した。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。私、お姉ちゃん一人にずっと押しつけてきた。八つ当たりまでして、最低だって……ずっとごめんなさいって、言おうと思ってた」
「いいの。ラジエさえ無事なら、それで」
「それじゃダメなの、お姉ちゃん。パパとママのこと、私たちで半分こしようよ」
妹がこちらの顔を覗き込む。
不安そうな、しかし優しい、自分と同じ琥珀色の瞳。
「……ありがと」
声がどうしても震えてしまった。自分が泣いていることに、ルセリアは気づいた。自覚した途端、溜まっていた涙がタクティカルグラスに落ちる。
その弦から、通知音が鳴った。
妹の温もりをしっかりと確かめて、ルセリアは
「もう少しここにいたいけど、残ってるミダス体を片づけに行かないと。また、ゆっくり話せるかしら」
「うん。私もお姉ちゃんに話したいこと聞きたいこと、いっぱいある」
これだけ長く話せたのは、いつ以来だろうか。
ルセリアはタクティカルグラスを取り、満面の笑みで頷いた。
テントを出て、タクティカルグラスをかけ直したルセリアは、
「聞いてたでしょ」
すぐ横で立ち聞きをしていたイナミに振り向く。彼は頭部外骨格を解除し、素顔を露出していた。
「エメも」
《……はい》
ルセリアはタクティカルグラスの通信をオンにしていた。少年の母親の動揺も、ラジエットの言葉も、全て二人に伝わっていた。
「何もできなかったワケじゃない。あたしたちはあの子たちを守れた。あの子の家族も。ラジエの姉として、あたしもあんたたちに感謝してる。だから、何もできなかったってワケじゃない。いいわね」
ルセリアはイナミの胸を握った手でとんと叩いた。
「それからイナミ。あんたは自分のことを兵器だなんだって言うし、あたしもその部分はアテにしてる。でも、同じ人間だって思ってるだから。あんたはそういう能力を持ってるだけ。ここじゃ特別じゃない。だから、自分一人で危険を背負ったりしないで。イナミはもうあたしのパートナーなんだから」
「……了解」
「よしよし。とか言って、すぐ無理するんだろうけど」
いつもどおりの笑みをどうにか作った後で、ルセリアは小声で囁いた。
「あたしも、もっとちゃんと相談するから」
「……ああ」
「さ、掃除の続きよ。エメ、よろしく」
《あ、はい!》
まだ落ち込みはしていたものの、エメテルはどうにか切り替えてくれたらしい。
《第三分室がそろそろ離脱してきます。第九分室は交代で掃討に参加します。それまで回復に努めるとのこと、です。補給物資も回ってきてるので、弾薬、ATP補給剤などを受け取ってください》
「オーケイ。じゃ、行きましょ、イナミ。今度は安全にね」
「ああ。そう願いたいものだが」
それぞれが受けた衝撃はまだ尾を引いていたが――
ルセリアは白いクロークをなびかせて、医療班のテントから立ち去った。
第九分室が戦闘に復帰して四時間後、ミダス体の反応消失。
早期に避難できた市民が解放されたのは、さらに二時間後。
感染者の疑いがある市民は隔離施設に移送され、三日間に及ぶ経過を観察。
〈デウカリオン機関〉がミダス体殲滅を宣言できたのは、発生確認から五日後のことだった。
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