[4-7] 閃刃回響

 決闘はイベントホールで繰り広げられていた。

 平時にはテーブルが並べられ、周囲の飲食店から持ち寄った料理を楽しむ客も多いという。


 ミダス体は食べ残された物を無視していた。些末な食い物より、人間のほうがカロリーを摂取できる。だからだろう。

 そうして荒らされることなく残されていたテーブル群は、たった今、空間に張り巡らされたナノファイバーによって両断された。


 残骸の荒野がそこに広がっていた。

 不安定な足場の中で、舞うように立ち回っているのは、二人の暗殺者だ。


 片や、暗器を操る美女、ベルタ。

 片や、長剣を振るう男、サシャ。


 双子の兄妹による戦いは、終幕を迎えるところだった。

 その瞬間を、イナミは〈ハニービー〉の映像越しに目撃する。


 サシャは、押し寄せる胡弦の波を剣で悠々と受け流している。刃と刃が触れ合うたび、さながらチェーンソー同士が噛み合うような、異様な衝突音が大気を震わせた。


 互いの振動能力で相殺しているのか。


 それだけではない。サシャは一方のナノファイバーを無力化すると、他方から襲いかかる繊維に絡みつかせて断ち切る。ベルタの結界は、ベルタ自身の力で、綻びを生み出してしまっていた。


 表情の乏しいベルタが、ひどく狼狽している。サシャが足を止めずに接近してくる。剣の間合いに入ってしまう。

 彼女は咄嗟に、鉄針を握り締めた右手を突き出した。


 それをもサシャは避ける。彼女の手首を弾くように打ち払った。

 骨が砕ける異音。

 手放された針を奪い、ベルタに向けて振り上げた。


 ここで、イナミは映像ではなく、肉眼で二人を捉えた。


「やめろ!」


 制止の怒声に、サシャは振り向いた。振り向きながら、針をベルタの左肩に突き刺した。


「あ、ぐぅ……!」


 無造作にも見える行いだった。


 イナミはアサルトライフルを構える。銃のレクチャーはルセリアから受けている。扱いに不備はない。


 同時に、サシャはベルタを乱暴に蹴飛ばした。

 テーブルの残骸に倒れ込んだベルタが、聞くに堪えない悲鳴を上げる。針は背中に突き抜けていた。


 イナミはさらなる敵意を膨らませ、距離を詰めながら発砲。

 眉間に向かって飛んでいったライフル弾は、しかし、剣の一振りで斬り落とされる。


 イナミは立て続けに連射するが、刃の角度を変えられただけでことごとく防がれてしまう。

 サシャ・メイには弾道が見えているのか?

 ただの人間が、そんな芸当をしてみせるというのか?


 ――ありえない!


 サシャはあざけりの吐息を白面の内側にくぐもらせる。


「どうした、イナミ・ミカナギ。ナノマシン体ともあろう者が、そんな武器に頼るのか。それで我が〈閃刃回響シャンレン・リバーベレーション〉に打ち勝てるとでも?」

「……ッ!」


 名前を知られていただけではない。

 なぜ、ナノマシン体だと知っているのか。

 イナミはパルス光の明滅を乱した。


「お前の目的はなんだ! ミダス細胞を撒き散らして、なんの利益になる!?」

「利益?」


 サシャが壊れた機械人形のように首を傾げる。


「鬱陶しい羽虫が目の前をしつこく横切るならば、手を伸ばして払いのけるだろう。煩わしさの元が消え失せれば、清らかな心持ちになる。当たり前の話ではないか」


 何が『当たり前』なのか、全く理解できない。


 イナミは混乱の極みにあった。反機関派は管理社会を恐れながら、管理者のいない世界で利権を得ようとするテロリストのはずだ。

 ならば、ミダス体を使用するのは悪手だ。

 自ら滅びの道を突き進むようなものである。


 イナミは無駄と知りつつも声を張り上げた。


「投降しろ! さもなければ殺す!」

「いくら吠えようと、貴様に私は止められん」

「だったら!」


 イナミは射撃を再開した。

 今度の狙いは頭部ではない。反動をあえて制御しない、乱射である。

 弾倉に閉じ込められていたライフル弾が、銃口から猛烈な勢いで吐き出されていく。

 これなら剣で防ぐこともできまい。


 ――だが。


 サシャは避けも防ぎもせず、ただ足を力強く前に踏み出した。震脚だ。

 すると、フロアの床が捲れ上がり、サシャを守る壁となる。ライフル弾を呑み込むと、そのまま波打ちながらこちらへ迫ってきた。


 それをイナミは、ショルダータックルの形で打ち砕く。


 視界が開けたその向こうで、


「ふッ!」


 サシャが剣を水平に薙ごうとしていた。


 イナミはかろうじて残していた足をバネのように反発させ、間合いの外へと逃れる。人間の筋肉では不可能な動きだ。


 体勢が崩れてしまったことに変わりない。

 そこを、サシャが追撃しようとする。


 武器を構え直している余裕はない。

 イナミはアサルトライフルを手放し、明後日の方向に飛ばす。


 普通なら不可解な行動だろうが、サシャは気を取られなかった。


 それでも構わない。イナミは〈跳躍ジョウント〉で相手の視界外へと逃れ、放り投げたアサルトライフルをキャッチ。一旦、距離を取ろうとする。


 そこへ、サシャは、拾った食事用のフォークを投擲した。


「な、に……!?」


 振動を与えられたフォークが、アサルトライフルの銃身に深々と突き刺さる。


 今の動き、何かがおかしかった。

 違和感の正体を突き止める暇は、もちろん与えられない。サシャが走り込んでくる。


 銃はもう使えない。

 格闘戦は論外だ。たとえ身体能力で上回っていても、相手のシンギュラリティが打撃を殺すカウンターとなる。殴るほうが致命的なダメージを受けてしまう。


 そこで、イナミはアサルトライフルから弾倉を抜き取った。

 数少ない残弾を握り込み、生体電流で点火。

 精密さは著しく欠けるものの、ライフル弾は標的に向かって発射された。


 それすらも、サシャには通じない。

 連射できない苦し紛れは、剣の薙ぎ払いによってあしらわれる。


 ダメだ。

 何もかも見切られている。


 イナミは、サシャ・メイという男に、恐れを抱き始めていた。

 シンギュラリティを有しているとはいえ、ただの人間でしかない。

 そのただの人間が、このナノマシン体を、カザネに与えてもらった力を、完全に圧倒している。


 どうする。

 どうすればいい。


 射撃は無効化される。

 剣裁きは雷光のごとし。

 ベルタの胡弦と異なり、〈跳躍ジョウント〉で断ち切れる自信は抱けない。

 機関の命令は拘束。

 どうやって捕まえろというのか。

 どうやって戦えばいい。


 ――何も思いつかない。何も!


 口出しする間もなく、戦いを見守ることしかできずにいたエメテルが叫ぶ。


《イナミさん! ベルタさんを連れて、そこから逃げて!》


 ありえない。

 自分はナノマシン体だ。

 ただの人間に敗北するようなら、この力は無価値となってしまう。

 証明しなければならないのだ。


 イナミはエメテルの指示を無視した。頭の中で作戦は決まっていた。というより、もうそれしかなかった。


 サシャが首を狙って剣を振るう。


「やはり貴様は失敗作のようだな!」


 投げつけられた言葉の意味も考えず、イナミは相手の背後に〈跳躍ジョウント〉した。


 亜空間を通り抜け、がら空きの背後へ。

 手を伸ばせば届く。

 一か八か、放電を浴びせて気絶させる――


 だが、イナミは気づくべきだった。

 先ほど〈跳躍ジョウント〉したとき、サシャがまるでこちらの移動先が分かっていたかのようにフォークを投擲したことを。

 反射神経にしては明らかに異常な速さだったことを。


 スパークの迸る掌がサシャに触れる寸前で、


「……――」


 鈍い衝撃に襲われる。


 イナミが伸ばした指先は、サシャに届かなかった。


 自分の胸を見下ろす。

 逆手さかてに持ち替えられた剣が、心臓を貫いていた。

 刃から送り込まれた高振動が、イナミの体内を駆け巡ってナノマシンを破壊する。


 まずい。

 逃げ――


 サシャの裏拳がこめかみに打ち込まれる。


 胸部を食らい尽くす振動よりは微弱な振動で、脳が揺さぶられた。

 掴みかけていた〈跳躍ジョウント〉の感覚が撹乱される。それまでぴたりと合っていたレンズの度が突然合わなくなってしまったように、五感がひどくぶれる。


 シンギュラリティ能力者は脳機能を使って、特異現象を引き起こす。

 それと同じ対策で、イナミの〈超元跳躍ディメンショナル・ジョウント〉は封じられてしまったのだ。


 地面の上に立っている感触もしない。

 無重力空間にいるみたいだ。


《イ――ミ――ん》《イ――起き――》


 エメテルとクオノの声が途切れがちに聞こえる。

 気がつくと、イナミは床に倒れていた。


「所詮は児戯だな」


 サシャの声は、近くにいるはずなのに、遠くから響くようだった。

 胸部に足を踏み下ろされる。シンギュラリティを伴った鉄槌が、イナミのすでにぐちゃぐちゃな体内をさらにシェイクした。


「……っ……っ!」


 呻き声すら発せない。

 呼吸器官が潰れ、窒息寸前に陥る。

 焦点の合わない思考が、死を予感する。


 なぜだ。

 同じだった。〈セントラルタワー〉の評議会室で、ミダス体と戦ったときと。


 ミダス体は〈跳躍ジョウント〉の際に発生する『押し波』を知覚した。が、それはナノマシンの感覚があればこそだ。人間に分かる余波ではない。


 なら、サシャはどうして――


 白面の男は剣の切っ先を天に掲げる。


「貴様の力は、気を乱す。ひどく、下品にな。先を読むに容易たやすい」


 ――『気』の、乱れ?


 どこかで聞いた覚えがあった。

 思い出そうとして、そんな必要はもうないと悟る。


「イナミ・ミカナギ。貴様の力、我がに捧げる。その首、貰い受けるぞ!」


 サシャが剣を振り落とす。

 刃が反射する光で視界が真っ白になる。


 薄らいだ意識の中で脳裡に浮かんだ横顔は、カザネではない、他の誰かで――


 空を裂く音がかろうじて聞こえた。

 イナミの意識はまだ断たれていない。サシャは自分の身を守るように剣を構えていた。まるで見えない力に襲われたかのように、男はたたらを踏んで、イナミから離れた。


「……ベルタ!」

「兄さん!」


 彼女は肩からおびただしい量の血を噴出させながら立っていた。針を強引に引き抜いたらしい。白い旗袍チイパオが真っ赤に染まっている。


「経穴を突いたというのに……諦めの悪い愚妹め!」

「我が命に代えてもあなたを殺す!」


 ベルタは確かに腕を動かしていた。絡みつけた胡弦を振動させることで、人工筋肉と同じ機能を持たせているようだ。


 自らの力による操り人形を化した彼女は、苦痛に表情を歪めながら、サシャに立ち向かう。

 たとえ無駄でも、そうするしかないのだ。


 サシャは舌打ちをしながら、飛来する胡弦を剣に巻きつかせた。


「戯れはもう十分だ。生かしてやるとは言ったが、そうだな。片腕がなくなったところで、差し障りないだろう、なあ?」


 屍になりかけていたイナミは、再生を始めていた。

 破壊された細胞を分解し、新たな細胞を組成アセンブルする。


 心肺、血管、神経、筋肉――


 全身を作り直すも同然だった。それでも肉体はイナミに生きることを強いる。絶望し戦いを放棄することを許さない。まだできることがあるはずだと命じる。


「お前の玩具から我が力を送り込んでやる!」

「シンギュラリティの力比べなら……!」


 胡弦上で、二人のシンギュラリティが衝突する。

 ナノファイバーが鳴き喚き、鼓膜を突き破るような高周波音を奏でる。


 このとき、イナミの再生は完了した。

 急激な細胞活動で、異常熱源そのものと化していた。跳ねるように起き上がると、熱せられた空気が白く曇った。


 視神経がうまく再起動できていない。

 それでも、床に落ちていたベルタの鉄針を見つけることができた。


 溺れる者は藁をも掴む。

 暗器の使い手はなおも戦っている。能力を駆使し、肉体を酷使し、命を摩耗し続けている。

 その者の意志次第で、藁は武器に変わる。


 自分にも変えられるはずだ。

 イナミは鉄針を拾い上げた。


 近づいて突き刺すには、距離ができていた。

 投擲するしかない。また徒労に終わるかも。そもそもベルタのようにまっすぐ投げることなんてお前にはできないだろう。


「――だったら!」


 イナミはライフル弾を発射したときのように針を構えた。火薬が装填された弾丸とは違い、生体電流による発火で爆発を起こすことはできない。


 しかし、イナミは火薬を用いない発射方式の銃火器を知っていた。

 電磁誘導式ライフルだ。


 いや、そんなのでは足りない。サシャには届かない。


 サシャがこちらに気づいた。


「死にぞこないめ……まだ足掻くか!」


 男は胡弦の巻きついた剣を引き寄せ、盾とした。


 しかし。

 イナミはありったけの生体エネルギーを手の中に集約された。


 拳の中を走るプラズマで融解しかけた針が、ナノマシンの蠢きで圧縮される。

 結果、〈プロメテウス〉ほどの純度の威力ではないにしても、確かな荷電粒子砲弾が生み出される。


 手が爆ぜそうになる寸前、イナミは拳をわずかに開いた。

 砲弾が逃げ道を見つけ、勢いよく飛び出す。


 考え抜いたわけではない。思いつきだった。どうにかするしかなかった。

 そんな必死の一撃が、サシャに直撃する。


 サシャは刃で砲弾を受け止めた。

 瞬間、スパークが迸り、剣は粉々に砕け散った。


 破片と、破裂した砲弾の爆風を受け、サシャは上半身を仰け反らせるように後ずさった。


 一方、イナミは再び手を失った。反動で弾け飛んだのだ。生体エネルギーの損失が著しく、意識が朦朧とする。


 時間稼ぎをしてくれていたベルタは、肉体の限界を迎えてその場に膝をついた。足元に広がっていた血だまりが、衣服をさらに汚す。虚ろな目で、イナミとサシャとを、交互に見比べている。


 三者の間に流れる静寂を最初に破ったのは――


「く、くくッ」


 サシャだった。


 顔面に剣の破片が突き刺さっていたが、白面が頭蓋骨への到達を防いでいた。

 彼が上半身を起こすと、白面のひびが広がり、乾いた音を立てて割れる。


 中から現れた素顔は、金髪金眼の、ベルタと全く同じ美形である。

 笑みが不自然に歪んでいる。表情筋が傷ついて、うまく動かせないのだろう。


 顔より、むしろ上半身のほうが悲惨だった。

 無数の破片を受けた白い長袍チャンパオが、見る見る鮮血に染まっていく。重傷だ。放っておけば、このまま死ぬだろう。


 だというのに、彼は笑っているのだった。


「イナミ・ミカナギ、詫びよう。どうやら私は失念していたようだ。たとえ失敗作でも、貴様は滅びの天使に変わりないようだ」

「何言って――」


 イナミが問う間もなく、何者かが二階の吹き抜けから跳び下りてきた。


 ミダス体だ。

 他の変異体とは違う。イナミが旧市街地で遭遇した変異体と同じく、白銀の人型軟体生物だった。それが装備ケースを持って、サシャのすぐ後ろに立つ。


 襲いかかるそぶりはない。

 ミダス体は知らない女の声を発した。


「ここは退きなさい、よ」

「申し訳ありません、――あなたの仇敵を相手にして、不覚を取りました」

「気にすることはありません。役目は果たしたのだから」


 信じられないことに、ヒトとミダス体が穏やかに会話している。


 それだけではない。

 ミダス体は両腕を触手のように蠢かせ、サシャの傷口を衣服の上から撫でた。

 労わっているのではない。

 突然、サシャの出血が止まる。


 ――まさかしているのか!?


 ミダス体はヒトを絶滅させるために活動しているのではなかったか。なのになぜ、サシャは襲われない。視界がはっきりしないせいで、幻でも見ているというのか。


 そうではない。

 全ては目の前で繰り広げられる現実だった。〈ハニービー〉にも記録されていた。


 手術を受けたサシャは、装備ケースを受け取り、おぼつかない足取りで逃げ出した。もしも新しい装備が手渡されたのなら、また見失ってしまう。


「待て、サシャ!」


 追いかけようとするイナミの前に、ミダス体が立ちはだかる。

 サシャを、ヒトを、守ろうというのか。


「そこをどけ、ミダス体!」

「ご苦労なことだな、実験体一七三号」

「くっ……」


 ベルタをちらりと見る。

 彼女は、度重たびかさなるシンギュラリティの発動で衰弱しきっている。これ以上の働きは死の危険もあった。気を失っていないほうが不思議な、ひどい顔色だ。


 イナミとて限界だ。


《エメ!》

《救援部隊は要請済みです! イナミさんの生命活動が途切れてすぐに! なんとか耐えてください!》


 オペレーターの声にも余裕がなかった。


 ――『生命活動が途切れて』、だって?


 一度死んだのか、自分は。

 イナミは力なく身構える。


 サシャのほうは、もうどうにもならない。〈ハニービー〉がくっついていったが、あの男のことだ、撃墜してしまうだろう。


 それよりも今は、

 ミダス体がイナミに跳びかかる。

 冴えを失った動きでも、凌ぎ切るしかなかった。

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