[4-6] ここを切り抜けて
そのフロアにいた複数体ものミダス体が、一瞬にして微動だにしなくなった。
いや、動かないのではない。
動けないのだ。
ナノファイバーがミダス体の手足に巻きついて、自由を奪っているのである。
空中に張り巡らされた糸が一斉に、びぃん、と震え出した。
ただの振動ではない。それは破壊の旋律だ。
ミダス体の身体が水風船のように破裂し、床や壁に肉片と血液をぶちまける。
少量が、傍観していた男の衣服にも付着した。
「……ふむ」
男は衣服に着いた血を指先で拭う。先ほどの振動で、ナノマシンそのものが破壊されているようだった。
「〈
血煙が漂う向こう側に、その美しい刺客は立っていた。
キツネの耳を持ち、
〈
そして、男は――
白い
男、サシャ・メイ。
顔には白面を着けている。筆で描かれた朱色の模様が鮮やかだ。まるで血の涙を流しているようでもある。
ベルタはナノファイバーの結界を維持したまま、こちらへ話しかける。
「兄さんがミダス体に関わっているのは、どうやら本当のようね」
「ほう? 私は買い物を楽しんでいただけだが」
「……笑えない冗談」
「突き止めたのは、お前ではないのだな」
「情報提供があった」
「こうも早く辿り着かれるとは」
サシャは大げさに肩を竦めてみせた。協力者に有能な『犬』がついたらしい。機関か。
「なかなかどうして、察しがいい」
「人類の敵となったあなたを野放しにするのは、〈
「敵とは、ひどいではないか。私は人類を救おうとしているだけだ」
「……気でも触れたの? こんなのは地獄だわ」
「地獄? 何を言っているのだ、お前は」
サシャはゆっくりと首を傾げた。
妹が何をどう指して『地獄』と表現したのか、心の底から、分からないのだ。ここにはこんなにも平穏が満ちているというのに。
逆に、ベルタは怒りを覚えた様子だった。
表情に変化がなくとも分かる。耳を覆う短い毛が逆立つのだ。自分もそうだ。お互い、幼い頃から変わらないな、とサシャは微笑ましく思った。
だというのに、ベルタは太腿の帯から鉄針を抜き取って構える。
「……サシャ・メイ! その命、貰い受ける!」
前言撤回。少し変わったか。気が短くなった。
「安心しろ。お前は最後の時まで生かしておいてやるつもりだ。兄と
愚妹はついに表情を歪め、殺意のままに針を投擲した。
シンギュラリティ、〈
――取るに足らず。
サシャは、腰に吊り下げた鞘から剣を抜き払った。
〇
イナミは、外骨格の表皮がひりつくような、大勢の気配を感じ取る。
ミダス体がこちらの突入に気づいたのだ。
敵の接近はすでに察知できていた。エメテルが〈ハニービー〉を数機使い、情報を収集してくれている。百を超える異常熱源が集まってきている。
「ルーシー、ここからだ」
「……分かってる」
彼女も緊張気味に頷いた。
イナミ一人だけなら、ミダス体に包囲されても生き残れる。ATP補給剤を全て使い切るまで戦い続けられるだろう。
だが、ルセリアはもちろん、民間人二人は違う。近づけることすら許してはならない。
エメテルが味方からの援護が受けられる位置までの最短ルートを指示する。
《警備局が進行してくれてます。ルーシーさんは民間人二名の安全に専念。イナミさんは試験兵器を使って、前方を殲滅してください》
「了解」
イナミは床にめり込んだままの黒い機械に近づいていく。
ルセリアが周囲を見渡しながら、肩越しに言った。
「気をつけるのよ」
「俺は平気だ。むしろお前のほうが負担は重いぞ」
「じゃなくて、ソレ。落としたのは無茶だったんじゃない?」
「マニュアルには輸送機からの降下も想定とあった。問題ないだろう」
《問題ないワケがない》
エメテルのそばについているクオノから、呆れ気味の指摘が入る。
《それはパラシュートを使えばの話。イナミは、ときどき、すごく雑》
ルセリアがじっとりと視線を向ける。
「……だってよ」
しかしながら、イナミはどこ吹く風だ。
「俺の真後ろには立つな。この……〈プロメテウス〉の反動に巻き込まれる」
それは、
オリジナルと同じく、さすがのイナミでも肩に担げる重量ではない。内部機構も再現性が難しく、肥大化してしまったという。
そのため、重装歩兵の装備か、もしくは固定砲台としての運用が想定されているらしい。
操作はシンプルだ。
砲弾を発射するためのトリガーと、発射装置を起動するためのコンソールパネル。
砲弾に使われるのは、エネルギーの塊だ。
合金芯を蒸発させ、その粒子をチャンバーで圧縮。そうして作り出した高密度エネルギー体を電磁誘導で射出、目標に衝突させる――
そう。
〈プロメテウス〉と名づけられたこの兵器は、漂着船〈ハイブ88E号〉から回収された荷電粒子砲〈スティンガー〉を現代技術なりに復元した物なのである。
イナミがコンソールパネルを操作すると、外装が展開を始め、砲口が露出した。
ずいぶんと大きな音だ。ミダス体が聞きつけるかもしれない。
が、もう今さらだろう。
前方や二階に、ミダス体の影がちらほらと見え始めていた。
全く同じ姿の者はいない。
宿主の生体情報や記憶をもとに、独自の異常発達を遂げたのだ。
集結した怪物たちは新鮮な獲物に声を洩らすが、すぐ、先頭に立つ異形に困惑するような硬直を見せる。
――寝起きで俺が誰だか分からないか。
だったら細胞に刻まれた記憶を今すぐ思い出させてやる。
イナミはパルス光の輝度を上げ、敵意を示す。
それに応えるように、ミダス体たちが一斉に『せらせら』と笑った。
民間人には異様な光景だろう。ラジエットと少年が悲鳴を上げる。
ルセリアも動揺して、こちらに振り向いた。
「これって――」
「音響通信だ。来るぞ!」
正面の一体が走り出したのを契機に、群れが連携して行動する。
が、〈プロメテウス〉には『
イナミは砲口を敵に向け、ハンドル下部についているトリガースイッチを押した。
分散状態にあった粒子がチャンバーにて圧縮。負荷の軋み。放出路が開く音。
刹那。
高密度エネルギー体が光の尾を引きながら敵の一群に飛び込んでいった。
弾道上にあったミダス体の身体が引き裂かれるように消滅し、その向こうの店舗ブースまで貫通。
減衰とともにエネルギー体が圧縮状態から解き放たれたことで、爆発。
青い炎の波がフロアを駆け巡った。
商品は音もなく灰となり、直撃から逃れたミダス体も余波に呑み込まれて炭化する。
イナミのほうは反動を殺せず、〈プロメテウス〉に引っ張られる形で背中から倒れた。外装と床の摩擦音を耳のそばで聞きながら、身体をがりがりと
ようやく止まったとき、エメテルの気遣う声が届いた。
《あのう、イナミさん?》
「……重装歩兵での運用を考えていたんじゃないのか? 誰が使えるんだ、こんな物」
これに、クオノはイナミに倣ったかのように涼しく言い放つ。
《あくまで『試作』。まずは制限を設けずに復元するのが基本。それでも、イナミなら制御可能なはず》
「もっと早く言ってくれ。マニュアルには一言も書いてなかったぞ」
イナミは全身の骨格修復を急がせながら抗議する。
「それに屋内で使用する兵器じゃない!」
《承知の上。施設は後で修理すればいい。どのみち、もう――》
スプリンクラーが作動し、消火用の水が噴射される。
この隙に飛び出してきたミダス体を、ルセリアが〈
「いける!?」
「ああ、対応する。前に進もう」
今の反動で、ミダス体は兵器が連射できないと分かったようだ。退避していた二階の一群が吹き抜けを跳び下り、四人に向かって押し寄せてくる。
起き上がったイナミは、再度、砲弾をぶち込む。
今度は〈プロメテウス〉を手放し、自身は〈
キャッチ・アンド・ジョウント。〈ハイブ88E号〉での戦闘で編み出した制御法だ。
一瞬の内に連続して跳べれば、反動は無に等しくなるかもしれないが――
残念ながら、それは無理だ。〈
仕方あるまい、とイナミは諦める。今は与えられた役割をこなせればいい。
上方と後方はルセリアに任せっきりだ。
彼女は視界に入った者を攻撃できる。しかも、連鎖的に周囲を巻き込める。
強力なシンギュラリティだが、それにも反動がある。この迎撃は長く持たない。
とにかく、前へ、前へ。
少年は、ラジエットが手を引いている。ラジエットは姉に似て気丈だ。少年は相変わらず恐慌状態にあるように見えたが、生存本能からか、足だけは機械的に動かしている。
強さとは、『力』の有無ではない。『意志』の有無だ。
彼女たちを見て、カザネ・ミカナギがそうだったことをイナミは思い出す。
初期の包囲網を強引に突破すると、前方の脅威はやや弱まった。
そのことを確認してか、エメテルが指示を出す。
《ルーシーさん、先行しましょう。イナミさんは後方の追撃を防いでください》
「了解」「オーケイ」
イナミは背後を振り向き、三人が通り過ぎたのを確認してから砲撃を再開。今度は反動を利用し、長い間隔での〈
試作兵器の威力は驚異的だ。一発ごとに、かなりの数の敵が消滅する。
余裕が出たと判断したのだろう。ここで、エメテルがイナミにだけ報告をした。
《新たに民間人を二名、確認してます。片方はベルタさん。もう一人はお面の人、サシャさんだと思われます。すでに戦闘状態ですが……》
《どうした》
《ベルタさんが劣勢です。その、かなり分が悪く見えます》
にわかには信じがたい報告だった。
あの振動能力とナノファイバーの合わせ技は、イナミでも力押しでしか突破できなかったものだ。あれをサシャ・メイは上回っているというのか。
双子、同じシンギュラリティ、未知数の戦闘力。
本来なら助けに行くべきだろう。サシャは機関にとっても重要度の高い敵だ。
しかし――
《ここを切り抜けてから考える》
《……はい!》
イナミの冷酷とも取れる答えから、エメテルは優先度を再確認したようだ。
人間の歩行速度ではミダス体を振り切ることはできない。
もしも自分が離れれば、群れはたちまち追いついてくるだろう。
ラジエットたちを、必ず安全な場所まで連れていく。
それか、敵を
イナミは十三発目になる砲撃を行おうとした。
が、爆発は敵の中ではなく、イナミの手元で起きた。
チャンバーがエネルギー体圧縮の負荷で、融解を起こしていたのだ。
内部機構が爆ぜ、外装の隙間から逃げ出したエネルギーが、イナミの身体を焼いた。
「が、ぐ……!」
高熱を一身に浴びて、外骨格の表面が液化する。そこへ〈プロメテウス〉の部品が突き刺さる。神経の焼失が疑似的な痛みとなってイナミの脳へと伝わった。
《イナミさん!》《イナミ!》
エメテルとクオノの悲鳴に、ルセリアが振り返ろうとする。
イナミは声を発しようとしたが、うまく喋れない。発声器官にもダメージを負っていると気づいて、通信を使った。
《無事だ! 行け、ルーシー!》
彼女は頷くと、イナミに背を向けた。
実際は違った。
拳を握ると、指と指が癒着してしまう。手を広げると、粘ついた糸がたらりと引いた。
破片は体内深くに食い込んでいた。抜くのにひどく苦労する。
この傷で損傷した外骨格は、身体から剥離するしかない。
ナノマシンを蠢かせ、自身が身に着けているフルハーネス・ベルトからATP補給剤を使用する。生体エネルギーを補充しながら、外骨格の再形成を行う。
群れが雪崩のようにイナミを呑み込んだ。
イナミは無我夢中でもがきながら、触れた者に放電を浴びせ続ける。
――これは、まずいか?
力任せの殴打は止まらない。
このままでは、外骨格は砕けずとも、内部の細胞にダメージが浸透していく。
焦るイナミに、エメテルが叫んだ。
《硬くなってください! とにかく防御重視で!》
意味を考えるよりも命令を実行する。
身体を引き締めるイナミを、殴打とは異なる衝撃が断続的に襲いかかった。
外骨格が小さな何かを弾く。
銃弾だ。
銃撃の嵐がイナミごと押し寄せ、纏わりついたミダス体を引き剥がしていく。
イナミはその場に這いつくばり、嵐の外へと逃れた。
見れば、パワードアーマーの兵士たちがマシンガンを連射している。
こちらに進行していたという警備局の小隊が合流してくれたのだ。
ミダス体はイナミと分離したことで、ルセリアの恰好の餌食となった。
「〈刺し貫け〉!」
床に広がる血と消火器の水から隆起した無数の氷柱が、ミダス体の足元から脳天までを一息に貫く。
鍾乳洞のような光景から、さらに氷刃が成長し、一帯を凍てつかせた。
ふう、と長く息をついたルセリアが、イナミのもとに駆け寄ってくる。
「やっぱり、全然無事じゃなかったわね」
「悪い、助かった」
起き上がると、警備局の兵士たちがどよめいた。それはそうだろう、ミダス体と密着して生還できる人間はいない。
それでも隊長とおぼしき兵士が前に出て、フェイスマスクを展開した。
「や、何かと縁があるね、第九分室」
「ヤシュカ!」
ルセリアの知人であり、女性隊長のヤシュカが気さくに手を挙げる。
「そっちのオペレーターに『やれ』と言われたからやったんだけど、平気かい?」
「見てのとおりだ。感謝する」
言葉以上に、イナミはありがたく思っていた。
油断はできないが、これでラジエットと少年の生存率は高まった。
加えて、別行動も取れるようになる。
イナミはヤシュカに向かって頼み込む。
「すまないが、ルーシーとともに民間人を守ってくれ」
「ああ、構わないよ。きみたちは消耗しているだろうから、そのつもりで来た。……それで、きみはどうするつもりだ、イナミ」
「特務を遂行する」
その言葉に、ルセリアは眉をひそめた。
「何それ。あたし、初耳だけど」
「ベルタとサシャがここで戦闘している。危ないらしい」
「なんでそれ、あたしに言わないの? どういうこと、エメ?」
「俺が頼んだことだ」
イナミは怒りの矛先を自分に向けさせる。
「お前は二人の護衛に専念しろ」
「いくらなんでも、大きなお世話よ! あたしも行くわ。警備局の戦力なら二人を十分守れるはずだし――」
「第一目標は生存者の救出だ。それは今も変わらない。俺は第二目標のほうに向かう。それだけだ。どちらも特務官の仕事だろう?」
ルセリアは納得こそしていないが、言い返しはしなかった。
彼女は『特務官の務め』に強い意識を持っている。その気持ちを利用したようでいたたまれないが、イナミは確実性を求めた。
「じゃあ、頼んだ、ヤシュカ」
「待った。これを持っていきな」
彼女は軽装歩兵用のアサルトライフルをイナミに手渡した。
その際、
「必ず三人を送り届ける」
そう囁いた。
イナミは頷き、
ルセリアが何か言いたげだったのは知っていたが、背後は振り返らなかった。
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