暇二節(ひまつぶし) 6
あれから一週間。
アトリは俺を恐れているのか、怒っているのかよく分からない感じで無視するようななったので。
おかげで平和な時間を過ごすことが出来た。
勿論俺はアトリの使い魔なので、授業には同行していたけれど、アトリは一言も口を聞いてくれないので、放課後に解放された後は完全にフリー。
部屋でゴロゴロしていようと、ハンモックでゴロゴロしてようと、晴れた日の草むらでゴロゴロしてようと邪魔されることはない。
束の間の休暇を満喫していたのだけれど、アトリみたいなタイプは大人しくなった後に吹っ切れると悪い方にパワーアップすると思ったので、週末を控えた金曜の放課後に、アトリに話しかけた。
「明日の休みは何して過ごそうか」
取り敢えず明日一緒に過ごす約束だけはしておきたい。
アトリの方から押し掛けられた場合、大半が俺が理不尽な目に遭う展開になるし。
だけどアトリはつーんとそっぽを向いて、俺を置いて寮に戻ろうとしている。
意固地になっているのか、まだ怒っているのか、どっちなのか分からないしどうやってご機嫌をとろうか悩み所だ。
多分適当に心を込めたプレゼントでも渡しておけばアトリも少しは素直になってくれると思うけれど、何度も通用する手ではないので、ここはアトリの自主性によって俺を許してもらいたい。
ただ、期末試験で赤点をとって俺のやる気スイッチを入れたらまた山に連れていかれると危惧しているのか、今週は、とても真面目に授業を受けていたし、やっぱり見守る兄の立ち位置としては、友人のように親しみのある間柄よりも、恐れられている位の方が丁度いいのかもしれない。
そう考えるとやっぱりもう暫く様子見でいいか。
俺は立ち去るアトリを見送ると、そのまま放課後の過ごし方を思案した。
「今日は図書室に行こうかな」
文字は読めないけれど、草木や動物の図鑑を眺めているだけでも時間は潰せるし。
でも、なにか肝心な事を忘れている気がする。
そんな漠然とした懸念に煩悶としつつも、平和な日常に平和ボケしていくのであった。
そして次の日、俺の束の間の平和は崩壊を迎える。
「お兄ちゃん!、お願いがあります!」
十キロのダンベルでジャグリングをしていたら、いつものように突然に、時速百キロで突っ込んでくるトラックのような性急さでアトリが部屋に押し掛けてきた。
今日は平和な筋トレが出来ると思った俺は思わずダンベルをつかみ損ねて足に落としてしまう。
「痛っ、~~~!」
悲鳴を出すのを堪えつつも最低でも骨にひびが入ってる痛みに悶絶する。
暫く足を押さえてのたうち回る。
「お兄ちゃん、ちょっと目を離してる隙に何やっているんですか……」
と、いつもの如くアトリは俺の筋トレ姿を見てドン引きしている。
ここまでがいつもの流れ、だけどこのままいつもの流れに持ってかれるのはよくないので俺は歯を食いしばって立ち上がる。
「ようこそアトリちゃん、今からお兄ちゃんピエロの、えきぞちっくパントマイムがはーじまーるよー!!!」
よし、このままパントマイムで時間を稼ぎつつ流れをこっちに持ってこよう、と考えていたら。
「あ、そういうのいらないんで、取り敢えず私のお願い聞いてくれますか?」
と、無反応に返されてしまった。
「……藪から棒にお願いって、何をして欲しいの?」
取り敢えずどんな要求をされるの聞いてみないと始まらないが。
「藪から棒じゃありません、予定調和です、お兄ちゃんが言ったんじゃないですか「女の子だと認めさせたら何でも一つ言うこと聞く」って」
そう返されて思い至った。
今日まで感じていた漠然とした懸念が何だったのかを。
「だけどいつ、俺がアトリを女の子だって認めたの?」
正直俺がアトリを認めた事実は無いはずだけど。
「分かりませんか?、お兄ちゃんは温泉でその……おっきく、してました、その時、近くにいたのは裸になった私だけ、さてお兄ちゃんは何に欲情しておっきくしたんですか?」
それが動かぬ証拠だとつきつける名探偵のように堂々とアトリは言ってのけるけど、あれは温泉が気持ちよかったからで、一切合切アトリの体は無関係なんだけど、正直、状況証拠から判決を出すならば、アトリがかなり有利か。
仮にえっちな夢を見てたからと言っても、その夢の中にアトリがいなかった事を証明することはできない。
悪魔の証明と言われるように、疑われた自分の無実を晴らすのは非常に困難な事だ。
既にアトリに平常時のちんぽこも見られているために、勃起していなかった、という言い訳も封じられている。
そこでひとつだけ、反論を思い付いた。
確かに俺は、風呂に入ってる時にちん○だけ浮き上がらせて浮かんでいるのが好きなんだけれど。
「アトリが見たのって、本当に俺のちんぽこだったのかな?、あの時は暗かったし、別の何かだって可能性もあるでしょ」
「……っ最低です、お兄ちゃん、忘れようとしてたのに、誘導尋問で思い出させようとするなんて……」
未だにトラウマになっているのかアトリは泣き出してしまった。
嘘泣きの可能性もあるけれど、今のは完全に俺が悪かったのでやむ無くアトリの要求を飲むことにした。
まぁちんぽこが怖いなら暫くは距離を置いてくれるだろうし、どんなお願いされても安心だろう。
「分かったよ、ごめん、アトリを女の子だって認めます、アトリは一人前のレディでとても魅力的な女の子でした、お願い事、聞きます」
そう言って俺は土下座してアトリに許しを乞う。
「……前から思ってたんですけど、それ何のポーズなんですか?」
「これは俺の国における、誠意を込めた謝罪のポーズだよ、アトリもやってみる?」
まぁアトリに謝罪されるなら百回土下座されても足りないくらいの屈辱を受けているが。
「いえ、お兄ちゃんに謝罪する理由も無いですし、それじゃあお兄ちゃん……」
俺は頭を床に擦り付けたまま、アトリの言葉を待った。
まぁ、今のアトリだったら理不尽な要求はしてこないだろう。
せいぜい「もっと優しくして」とか、「思い付きで行動しないで」、「一日甘えさせて」くらいのマイルドな物だろう。
「お兄ちゃんは、これからずっと、私の女装のお願いを拒まないでください!!」
「ちょっ……ぐっ!」
ちょっとまって、と顔を上げようとしたらアトリに頭を踏まれる。
この反応の良さからして、最初から頭の上に足を待機させていたな。
「なるほど、これは服従のポーズなんですね、ダメじゃないですかお兄ちゃん、返事がまだですよ」
そういってぐりぐりと頭を踏みにじられるけど、アトリは非力な上に靴下だし、痛みはなく、どちらかというと丁度いい強さで踏まれている為にむしろ気持ちいい。
しかし要求は女装、つまりアトリは男性恐怖症になったから、暫くはお姉ちゃんの姿でいてもらうということか。
今回の一連の流れ、遡って見れば俺が男らしくないという所から始まっているので、最終的な結論としてこういう流れに帰結するのはむしろ芸術的といえる位に自然な流れとも言えるが、それを予測して回避出来なかったことが、予測出来た事態だっただけにいかにも口惜しい。
予定調和という話の形式であれば、どちらにせよこのオチはつけなくてはならないので、俺が不幸な目に遭う因果からは不可避なのかもしれないけれど。
しかし、やっぱり女装だけは嫌だ、ショーツもスカート二度と履きたくないし、女子寮と女風呂にも二度と近付きたくない。
どうにかしてこの状況を打開しないと……へぶっ。
またアトリに踏まれる。
「お兄ちゃん、はやく頷いてくださいよ、じゃないと私、命令でウィッグ無しで女装させて、以前女装してミスコンに出たのがお兄ちゃんだってバラしちゃいますよ」
ぐぅ、ここに来てその脅しは本当に効く。
こいつ、さてはこの一週間いかにして俺を嵌めるかその論戦に備えていやがったわけか。
そこまで準備されてはもう、お手上げだ、抵抗しても無駄だろう。
「……一つだけ条件がある、女風呂にだけは入らないからな」
あの針のむしろに立たされたようなアウェー感と、男とバレたらどうしようっていう緊張感だけは寿命が縮むから勘弁願いたいが。
「大丈夫ですよ、お姉ちゃんは女の子ですから、何も気にすることはありません」
俺の唯一の条件は、一蹴されてしまった。
つまり、身も心も女の子になれという訳か。
いや、魔法を使って女の子に化けたら変身魔法に対する警報でバレるから使えないんだけど。
……南無三。
さらば、男らしい俺の
こうして、その日から、アトリの義理の姉。
カトリーナ・アリデッド・バルドルスが俺の代わりにアトリの使い魔となった。
カトリーナはミスコン優勝の経歴もあり、純情可憐、才色兼備で直ぐ様学院の男女共に虜としてしまったが。
当の本人はアトリの家庭教師役としての職務を第一とし、お兄ちゃんの頃のように甘やかす事なく、しっかりとアトリを教育して無事、期末試験の赤点を回避させるのであったが、それはまた別の話。
結局、今回の一件は、端から見たら痛み分けであり、どちらも得したというよく分からない結果で終ったわけだけど。
鬼の姉と仏の兄という役割分担で、アトリを叱る役目を全部お姉ちゃんに押し付けたので、結果的に仏である兄の株が上がり、アトリがお姉ちゃんプレイの終了を申し出る頃には、アトリは学力が上がり、お兄ちゃんの人権は以前に比べてかなり尊重されるようになり、万々歳で三方よし、と言えなくなもない円満な結末を迎えることになった。
…………。
ただ一つだけ、アトリの命令でまたしても女風呂に同行させられた事だけは、俺の心に深い傷跡を残し、寿命を一割位削られたので、アトリにはいつかまた、「仕返し」をする日が来るだろう。
今は仏の心で許しているが、鬼が目覚める日はそう遠くない。
その日に向けて、次はどんな方法でアトリに地獄を見せるかを考えるのであった……。
お兄ちゃんとして召喚された俺にはワケがある みの湯雑心 @snegd
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