第4話 テスタメント

 女子高校生自殺未遂事件の翌朝八時過ぎ、慈道と柴山は南八王子駅に隣接しているスターリングスコーヒーでモーニングセットをとっていた。朝八時に開店しており、この時間帯は大学の事務職員や駅前のショッピングモールで働く若い社員が主な客層であり、四席に一人くらいの密度である。

 慈道の髪はぼさぼさで無精髭を生やし、Anti − SocialというロゴがプリントされているロングTシャツに、ジーンズとサンダル姿で、やはり素足である。夏は当然のことながら、秋でも慈道はサンダルで大学にやってくる。しかも古い市立体育館のトイレにありそうな、汚らしい茶色のサンダルである。せめてもう少しお洒落なものを履いてきてくれと何度か柴山に指摘されている。

 しかし、柴山は柴山で、他人の身なりを注意できた立場ではない。柴山は人気スポーツブランド「アティヤ」のジャージ姿だ。普通の感覚であれば、朝食前にジョギングでもしてきたのかと思うところだが、これが柴山の普段着といってもよい。柴山はスポーツジムでインストラクターのアルバイトをしているので、着替えや洗濯の手間を考えて最初からスポーツウェアで大学にやってくることが多い。特に慈道とつるむようになってからはその傾向が強いようである。大学内でお洒落をするという概念が存在しないらしい。

「お前、本当にこういうのよく探してくるよな」

 慈道は眠たそうな顔をして、タブレットの画面を見ながら呆れている。ネット上の謎めいた噂話を収集する柴山の能力はかなり高く、以前にも慈道は色々と巻き込まれた経験をもっている。

「颯爽と現れては女子高生の自殺を防ぎ、煙のように消えてしまった謎の男性。これぞ先輩の好きなエックスファイルじゃないですか!」

 柴山は大きく目を剥いて、心底嬉しそうに言う。柴山の体からは好奇心という名の正のアウラがにじみ出ている。その一方で、慈道は無関心という名の負のアウラでうまくキャンセルさせようとしていた。

「……そうねえ」

 慈道はアイスコーヒーを一口してから無精髭を指でなじった。慈道は確かに超常現象を好むのだが、今回の事件に関しては人工的なものが起因していて、神秘的な要因は皆無だと、なぜだか分からないがそう直感していたのである。

 二人は入り口に近いテーブルに座り、来客が来る度に目を光らせながら、例の男が来ないかを確認していた。つまり張り込みである。

 ところで、普段慈道は朝食をとらずに大学へ、それももう少し遅い時間にやってくる。昨日の夕方に、Bちゃんねるで自殺未遂事件のことを知った柴山は、慈道を呼びつけたのである。当然、慈道は気の乗らない返事をしたが、なんだかんだで柴山の頼みを聞いてしまう損な性格をしていた。

「やっぱ、誰かの発言の通りやましいことがあったから消えたんじゃないの? 例えば盗撮していたとか」

「うげー、そしたら超ショックなんですけどー。先輩じゃあるまいし」

 コーヒーを口に含んでいた慈道は途端にむせた。

「おい、それはどういう意味だ?」

「高解像度カメラ付きのスマホになったんだから、それくらいやってるだろうなって」

「いい加減しろよ。俺は変人であることは認めるが変態ではない。それに、ようやくピントの合う写真が撮れるようになった段階だから、動画撮影なんてまだまだ先の話だわ!」

「あ、写真撮影はできるようになったんですね。おめでとうございます!」

 柴山は大袈裟に手ばたきをする。

「なんかむかつくなお前」

 柴山はクスッと笑って、トーストをかじった。

「相変わらず機械苦手なんですね」

「思うに、俺は電子アレルギーなんじゃないかと」

「そんなアレルギーあるんですか?」

「さあ。今考えた」

「そういえば、電磁波アレルギーとか、Wi-Fiアレルギーっていうのは実際にあるみたいですよ。あまりいい話ではありませんが、Wi-Fiなどの電磁波を過敏に感じとってしまって、そのストレスで……自殺した人がいるそうです」

「まじで?」

 慈道は渋い顔をする。

「はい。日本じゃないですけどね。確かイギリスの女の子の話です」

「X線やγ線って、結局は波長の短い電磁波のことじゃん。波長が違うだけで、リモコンからでる赤外線とかとモノは一緒って考えるとなんか怖い気もするよな。今の情報化社会には電磁波が飛び交い過ぎている」

「先輩も結構、細かいところ気にしますからねえ」

「そうじゃなければ数学はやっていけん。それにしても、自殺する理由には色々あるんだな……」

「……あの女子高生、掲示板でも言われてましたけど、いじめが原因なんでしょうかね」

「さあな。そもそもいじめがあったかどうかも定かではない。あまり深入りしない方がよいこともある。彼女がいじめにあっていたことをとして、俺たちにできることはそうない。なにかしたところで余計なお節介と思われるのが関の山だろう。そして俺たちに到っては『いじめを受けている彼女、可哀想だな』と安い同情を買うはめになり、それを引きずって行くことになるだろう」

「それもそうですけど……」

 少しブルーなモーニングになってきた。

「ところで、掲示板の書き込みによると、女子高生のスマホは電車にかれたんだよな」

「轢かれたというよりは弾かれた? いずれにしろ使い物にならなくなったようです」

「つまり、自殺をはかる前に、スマホをいじっていたことになるよな」

「そ、そうですね」

 柴山は違和感に気づいたようだ。

「もう死のうと思っている人間が、ネットサーフィンとかゲームはしないよな。きっと誰かとメッセージのやり取りをしていたんじゃないか」

「自殺する間際にですか? それも変じゃないですか」

「いや、少し想像してみろ。メッセージのやりとりをしていた前提で。相手は誰だろう」

 柴山は目を瞑って険しい顔をした。

「家族、かな? 遺書のようなものをスマホで送っていたとか」

「なるほどな。今風だが可能性はある。というか、俺もそう考えた」

 慈道は両腕を組んで眉をひそめた。

「この前、お前んちで情報漏洩のニュースやってたよな。暗号化されたメールの一部が流出・解読されたって話」

「はいはい……あ!」

 柴山にもなにかピンと来るものがあったらしい。

「なんらかの方法で、その男は女子高生のメッセージをリアルタイムで傍受していたんじゃないかな。だから、その文脈を見て自殺を予見できた。だから必死で走り回ってそれを食い止めることができた。だけど、詳細を聞かれたら分が悪い。他人のメッセージを傍受していたらそれが犯罪であることは俺でも分かる。だから、男は消えたんだ」

「うわ! そうかも! 先輩どうしたんですか? 凄く冴えているじゃないですか」

「我ながら俺もびっくりだ。朝早いせいもあるかもしれん。ガウスのような、寝起きで正17角形の作図法を思いつくほどではないが」

「もし仮にそうだとすると、男の人は……ストーカー?」

「という可能性もあるな」

「それもちょっとショックだなあ」

「あるいは無線傍受のように無作為にメッセージを覗いていただけかも知れないが。ドラマとかでいるじゃん。そういうへきを持ってるやつ」

「もしそうだとすると……」

「これはエックスファイルの事件じゃないな」

「未来からやってきた救世主という説はやっぱ違いますかね」

「本気でそう思っているんだったら重症だぞ」

「いや、それにしても先輩の目線もさすがです。やっぱり頼りになるー」

 柴山は軽快な口調で、にっこりする。

「まあ、可能性の一つ、というだけだ」

 慈道はあくびをしながら言った。

 その後は話の種が尽きたので、二人はせっせと朝食をかたしにかかった。一通り食事を済ませた柴山は、喫茶店の無料Wi-Fiで情報収集、慈道はまだ寝足りないのか、腕を組んた状態でうたた寝をし始めた。

 八時半のことである。褐色肌の若い男が喫茶店のガラス張りの壁にクロスバイクを停め、店内に入ってきた。顔の彫りは深く、黒縁眼鏡をしている。

「いらっしゃいませ」

 女性店員が明るい声で出迎える。

「あ」

 最初に小さく驚いたのはその女性店員だった。そして、柴山がそれに続き、慈道は眠りから目覚める。

「あ、あなたは……」

 どうやら女性店員も例のニュースを知っていたらしい。察したのか男は「やば」と漏らしてすぐに店を出てしまう。店員は持ち場があるから離れることはできないが、フットワークの軽い柴山は「待って!」と叫んですぐさま男を追いかけにいった。

 男はクロスバイクにまたがって、全速力で逃げる。

 柴山は中高と陸上競技部に所属していて、中距離で全国大会に出場している。男を捕まえるのは時間の問題だと考えた慈道は、柴山の飲み残しを頂戴して待機する選択をとった。

 柴山が喫茶店を飛び出して五分後、案の定着信が来た。

「誰だ?」

「私ですよ。もしや、まだ登録してないんですか?」

「いや、冗談だ」

 厳密には、携帯電話の下四桁で柴山からの着信かを見極めているので、登録はしていない。というのも、慈道が連絡をする相手は実家の母親か、柴山の二人だけなので、電話帳の概念は必要ないのである。

「捕まえたの?」

「はい!」

「……よく捕まえられたな」

 半分はやるだろうと思っていたが、いざそれを実現されると呆れてしまう、そういった面持ちである。

「今、近くのけやき公園にいます」

「ず、随分移動したな」

 喫茶店から歩いて十五分はかかる場所である。

「とにかくこっちに来てもらえますか? あと、悪いんですけど、私の荷物もお願いします」

「しょうがない。今から行く」

「それともう一つ!」

 柴山の声が一瞬だけ強くなった。

「なに?」

「申し訳ないんですけど、近くのコンビニで絆創膏買ってきてくれませんか?」

 柴山の顔が見えなくても後ろめたさが伝わってくる細い声になっていた。

「……怪我させたのかよ……」

 慈道は大きなため息をついた。

「よ、よろしくお願いしますー」

 通話は終わった。

「……どろんしようかな。訴えられてもおかしくないよな」 慈道は柴山のタブレットを彼女の手提げ袋に放り込んで、背中を丸めながら渋々けやき公園の方へとぼとぼと歩く。後輩の面倒をつけるのも先輩の役目である、という意識を持っているかは分からないが、やはり慈道は柴山の過失を無視することができなかった。

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