一部 第4話


 卒業するまでのアルバイトとして黒崎探偵事務所で働き始めて、今日で丁度一週間となった。

 一週間。働いているとこの一週間があっという間に感じられた。大人になると月日が経つのが早いというけれど、そう実感するようになったってことは、つまり俺も大人、社会人としての自覚が突き始めてきたのだろうか。今までもバイトはしたことはあったが、こういう感覚は始めてだ。

 そう、時間があっという間にすぎるというのは、仕事を集中してやっているということなのだろう。ゲームやアニメを見ているときがそういう感じだ。気がついたら「げ! もう夜!?」とかよくある。

 そう。俺は仕事に集中している。そうだ、そうに違いない。集中して業務に当たらなければ、すべてがおじゃんになってしまう。

 集中するんだ、光太郎。

 今これを乗り切れば、無事ミッション達成だ。

 そう……あと少し……。

「あ……あの……麗華社長……そろそろ腕が……限界っす」

「何! もうちょっと待て光太郎! 絶対落とすな! その中にはルイ○ィトンの限定デザインの財布やバックやらが入ってんだ! だから踏ん張れ! あと10分踏ん張れ! この時間の時給を300円アップしてやる! あ、それください」

 


 この事務所の外回りはやはり、俺のイメージしているものとは全くといっていいほど違う。どこかの会社に営業をかけに行ったり、既存のお客様のところを訪問したり……て前も言ったか。

 俺はこのバイト期間中に探偵のイロハを叩き込まれると思ってワクワクしていたのだが、一向にその気配がしない。

 この一週間やったことと言えば……。

 初日、フェラーリでドライブ(関東編)。

 2日目、映画館を梯。

 3日目、大食いチャレンジの店を梯。

 4日目、フェラーリでドライブ(東北編)。

 5日目、ゲーセンで格闘ゲーム(8時間ぶっ通し)。

 土日は休み。

 そして今日は高級ブランド店でお買い物。買うのはもちろん麗華社長。俺は荷物持ちだ。

 ブランドモノが入った箱が積まれ、顔を横にずらさないと前が見えず、両腕には大型の紙袋が、いち……に……さん、よん、ご、ろく……すごい、両腕で15袋ある。きっと紐の跡が腕にびっしりついてハムみたいな感じになっていると思う。

 麗華社長の言う通り、10分後は荷物を置いて、やっと休憩できた。

 ちょっと広い公園で俺らはシートを引き、そこで寛いでいた。

「流石に買いすぎてしまったな……こんなに買ったの久しぶりだ。ありがとな。今アンダーソンに荷物を取り来てもらうよう連絡したから」

「い、いえ。大丈夫ですよ」

 素直にお礼を言われると……まぁ悪い気はしない。俺はスマフォをポッケから取り出して時間を軽く確認する。すでに13時になっていた。ただ買い物に付き合っただけなのに、事務所をでてからすでに5時間くらい経っていることか。


 それにしても、さっきから通行人がこちらを見てる気がする。

 いや、ちがうな。さっきからじゃなく、2日目の映画館の梯したときから思っていたが、すれ違う人々が麗華社長に釘付けなのだ。男性はもちろん、女性も麗華社長の方に視線がいく。

 顔が小さく高身長で足が長い、スタイル抜群で露出している肌にはシミひとつない。香さんいわく、化粧もしないでこの美肌らしい。

 その白い肌に、長い黒髪がよく似合い、否応なく麗華社長に目が行ってしまうのも無理はない。

(あ、そうか。そういうことか……。魔女ってそういうことか)

 どんな人も魅了しまう魅惑の女。それはまさしく、魔法の領域と比喩されてもおかしくはない。自他ともに認める人を魅了する『魔女』。なるほど、納得行った。

「何、満足そうな顔をしてんだ?」

「え、いやその……社長の『魔女』っていう意味がわかったっていうか」

「え? 今わかったの? マジで?」

 少し呆れ顔で俺の方見る。確かに一週間行動しておいて今更わかるっていうのは、確かにちょっと鈍感だったかもしれない。

「え、と……すみません」

「いや、別に謝らなくてもいいけど……ちゃんとわかったならいい。それにしても今日はいい天気だな。絶好の……絶好の……あ、ポップコーン日和だ」

「なんすか、ポップコーン日和って」

「ほら、あそこにポップコーンを売ってる売店があるだろ」

 麗華社長の指す方向に、遊園地の園内でありそうな売店があった。看板には確かにポップコーンと書いている。結構並んでるな。

「ほれ」

 麗華社長は胸元、それも谷間から千円札を取り出して俺にわたす。

「ど、どっから出してんすか」

「何キョドってんだ。いいから、これでポップコーン二つ買ってきてくれ。まだアンダーソンが来るまでに時間がある。絶好のポップコーン日和でポップコーンを食わないなんて、ありえんだろ? あ、お釣りはお前にやる。好きにつかえ」

「りょ、了解っす」



 俺が列に並ぶころには、列がすでに『結構』から『すごく』に変わっていた。まるで全員が一斉に、今日がポップコーン日和に気づいて『あ、ポップコーン食べなきゃ』とでも思ったかのように公園にいる人達が並びだした。

(これは結構時間が掛かりそうなだぁ……)

 といっても待っても15分か、かかっても30分くらいだろう。今は大量のブランドモノの箱や紙袋がないから余裕だ。

(あ、今日のまだログインしてない……あれ? スマフォ……)

 俺は普段入れいてるポケットにあるはずのスマフォがない。

(いや、さっき時間を確認したから絶対ある……あっ)

 スマフォはシートの上だ。麗華社長が千円を出す仕草に、動揺してしまってスマフォを置いたままだ。

(胸の谷間から千円札だされたらそりゃ……)

 いつから挟んであったんだろ。

 俺は受け取った千円札をまじまじとみてしまう。なんだか、ほのかに温かい気がする。

「あの……前……」

「はッ! すみません!」

 千円札に気を取られて、前が進んでいるのに気が付かなった。後ろの人はきっと俺が真剣に千円札を眺めているのを不審に思ったことだろう。

 恥ずかしい。もう気が散らないように手に持った千円札はポッケにしまった。

 俺は気を紛らわすために辺りを見渡した。

 よく見ると今並んでいるポップコーン屋の他にも、露店がみえる。もしかして麗華社長の視線の先にたこ焼き屋があったら『絶好のたこ焼き日和』と行ってたんだろうか。

 さらに、ちょっと広いところでは大道芸やダンス、歌を披露している路上ライブがあり、ところどころ人だかりができている。そこそこ広いとはいえ、一つの公園にこんな路上ライブが集まると客の取り合いが激しくなるんじゃないか。ほら、あそこのピエロ姿のお兄さんなんてめっちゃ素通りされている。バルーンで作った犬を通行人の前に出してめっちゃ素通りされている。

(な、なんと虚しい……)

 それでもめげずに客を引こうとするが、素通りされて終わる。

(だめだ、見たられん……)

 それにしても、休日ならいざしらず、今日は平日なのに公園がこんなに賑わうなんて少し驚きだ。世の中には平日でも時間をフリーに使える人っているんだな。

「あの……前……」

「はっ! すみません!」



 ポップコーンを買って戻ってきたときには、すでにアンダーソンが来てくれていた。

「え! アンダーソン、もう来てたの。早かったね」

「ヨウ、光太郎。ホントは5分以内につくつもりだったンダガ。シット! 渋滞に巻き込まれちったんだゼ!」

 本当に悔しそうな表情をするアンダーソン。

「そんな顔をするなアンダーソン。私の予定より5分も早くきたんだ。それだけ、おまえの私への忠誠心はヒシヒシと私の心へ響いてるよ」

「BOSS……」

 慰められ、アンダーソンの目がみるみるうちに涙目になっていく。

 そして無言のまま、敬礼をした。無言のまま、俺が持っていたブランドモノの担いでこの場を離れていった。敷いていたシートがなくなっているのを見ると、アンダーソンはそれも持っていったらしい。

(アンダーソンって元は軍人だったのだろうか……え、てかもう行っちゃうんだ)

「よし、んじゃ行くか、光太郎」

「え、っとどこに? また買い物ですか?」

「違うよ。せっかくのポップコーン日和だ。ゆったりと散歩しながら食べようじゃないか」

 そう言ってポップコーンを手に取り、歩いていく。そっちはピエロの兄ちゃんが頑張って客引きをやっている方角だ。

(もしかして……ピエロのバルーンを受け取ろうとしてる?)

 麗華社長は人を魅了する。今も麗華社長を見ている人が大勢いる。そんな麗華社長がバルーンを受け取ったら、人を魅了する麗華社長が受け取ったバルーンということで人気がでるかもしれない。

 麗華社長はまっすぐとピエロの方へ向かっている。これは間違いなく受け取ろうとしている。ピエロの兄ちゃんも麗華社長に気づく。

(ん? あれ? なんで?)

 ピエロは麗華社長に気づくと、さっさと設置した道具を片付け、まるで逃げるように離れていってしまった。

 せっかくのチャンスだったのに、あんなに頑張ってたチャンスを棒に振るなんて。

「チッ」

 麗華社長の舌打ちが聴こえた。

 やはりあのピエロの方に歩いていたんだ。

「社長……あのピエロ、知り合いだったんですか?」

「んー、ああ。あれは悪魔だ。昼間から堂々としているから、散歩がてら消し去ってやろうと思ったんだが……」

「あ、悪魔ですか?」

「そうだ。だから光太郎も気をつけろよ」

 鋭い眼光でピエロが去ったほうをじっと見つめている。この目から推測するに、よほど恨みがあるらしい。

(あのピエロ……どれだけ悪いことしたんだ?)

 手に持っているポップコーンのカップがどんどん変形していく。

 それからしばらく麗華社長は公園を出るまで、ずっと目が鋭いままだった。

 目が鋭く怖くても、やはりみな麗華社長を見る。目が鋭くても、人を魅了する『魔女』の異名は伊達じゃなかった。

 時刻は17時43分。今日も時間が経つのが早かった。

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