一部 第2話


 俺は『黒崎探偵事務所』の内定を受け、さっそく来週の月曜日……つまり今日からバイトとして、お世話になることを決めた。就活に専念するとかいって、バイトをやめていて、金欠で毎日ヒーヒーと通帳と財布の残高を確認していたが、そんな惨めな日はもうおさらばだ。

 時給1300円とか破格すぎる。しかも、卒業と同時に社会人となり、月給30万円をいただけちゃうんなんて……。

 確かに、あまりにも高待遇するぎて怪しいと思わなくないが、学園長経由での求人掲載は大学事務員に確認したところ、間違いないということだった。

 新しいことが今日から始まる。

 不安も当然あるが、やはりワクワクが今の所まさっている。うん、いい感じだ。

 親から毎週のようにかかってくる電話も、特に邪険することなく取れる様になったし、内定の報告したらそれはもう喜んでくれた。先に来年から大学生になる妹が決まっていた分、不安材料であった兄の俺がこうして内定を決まったんだ。喜びは半端ないだろう。

 今年の帰省は、のんびりリフレッシュできそうだ。

「こんにちは〜」

 指定時間の5分前に到着。初日から遅刻するわけには行かない。

「あの〜。こんにちは〜」

「はーい」

 奥から癒やしのある女性の声が聞こえてきた。この声……もしかして電話したときに聞いた声なんじゃ。

「お待たせしました。あ、君、もしかして今日からバイトする光太郎くん?」

 現れた女性に俺はもう、キュンと胸が締め付けられたよ。

「は、はい。今日からお世話になる、四条光太郎です」

「うん、よろしく。私はここで人事と経理と広報を担当している事務員の花瀬 香。気軽に『香さん』て呼んでくれてもいいからね」

 おっとりお姉さん。左の泣きぼくろがなんとも言えない魅力を引き立てている。そして声優の能登麻美子さんのような癒やしボイス。そして、おっぱいが大きい。

 ここに入ってよかった!

「さ、入って。もうすぐで麗華さんも来ると思うから」

「はい〜」

 俺は面接をやったところに案内されると、あのマッチョな外国人が観葉植物に水をあげていた。

「オー! 光太郎! 久しぶりダナ! ワタシはお前を待っていたゾ!」

「あ、ども」

「まだチャンと自己紹介、シてなかったな! ワタシの名は、フィリップ・アンダーソンだ! 気軽に『アンダーソン』と呼んでいいぞ!」

 そこは気軽に『フィリップ』じゃないのか!

「彼はこの事務所の法務を担当しているわ。弁護士資格を持っているのよ」

「え! マジっすか」

「ドウダ! すげくね! この筋力があれば裁判でワタシは負けない!」

 マッスルポーズしながら胸を張るアンダーソン。弁護士資格に筋力はあまり必要としないんじゃないか? ボディガード、もしくは用心棒と言ったほうが納得する。口より手で解決しそうだ……。

「光太郎! まぁ座ってBOSSが来るのを待ってろ! BOSSはもうすぐ来ル!」

「そうだ、今日クッキー焼いてきたの! みんなで食べて待ってましょ」

 香さんの手作りクッキーだと? キレイなお姉さんの手作りクッキーだと?!

「ぜひ、いただきます」

「光太郎、SISTARのクッキーはメチャウマだぜ!」


 アンダーソンの言ったとおり(さん付けで呼んだらすごく悲しまれた)香さんの手作りクッキーはめちゃくちゃ美味かった。手作りでこんなに美味しく作れるものなのかと、感動してしまう。

「妹が作ったのなんて、パッサパサで牛乳がないととても食べれませんでしたよ!」

 香さんにはぜひ妹の料理の先生になってもらいたい。

「光太郎、妹はキットお前のためにと思ってツクってくれたんだぜ? そこは感謝しないとダメだゼ」

「そうよ。愛するお兄ちゃんのために、頑張って作ったんだからそんなこと言っちゃだめよ」

「え、あ、はい」

 ちょっと話題の提供と思って話したが、なぜか二人に軽いお説教を食らってしまった。香さんは見た目からして優しいからなんとなく納得してしまうが、香さんより先にアンダーソンが突っ込んでくるとは、チョット意外。

「妹は……大切にしなきゃ、ダメだぜ」

「え……あ、はい」

 妹さんと……なんかあったのかな。

「あ、もしかして……香さんが、アンダーソンの妹……さっきシスターっていってたし」

「ん? あー、ちがうわ。私、ここで働く前は教会のシスターをやっていたの。アンダーソンくんとはその頃からの知り合いだから癖で私のことそう呼ぶの」

「へぇー! そうだったんですね! 香さんがシスターかぁ……すっごく似合ってますね!」

 聖母のような姿の香さんが簡単に俺の脳裏に描かれる。そのときに出会っていたら、きっと毎日のように通っていただろうなぁ。

 もっと早く出会いたかった。

「光太郎……スケベなこと考エチャダメだゼ」

「か、考えてませんよ!」

「うふふふ」

 それにしても、初日だからもっとガチガチに緊張してしまうかと思ったけど……なんだろ、この居心地の美さは。もっと張り詰めた感じで、覚えることが多くて、テンパってミスして、これから徐々になれていくんだなって思っていたけど……もう俺はここに入ってよかったと、思えてしまう。ネットニュースで、最近の若者は入社して4日でやめる、シゴキに耐えられないとか、いろいろ聞くけど……ここは当たりだなぁ。

「そういえば、黒崎社長はご自分のこと『魔女』なんて言ってましたけど、それってここでの特有の……そのなんていうんでしょ、役職みたいなものなんですか?」

 言って二人が首を掲げる。あれ、おかしい。二人の頭に『?』マークがみえる。

「あっはっはっは、光太郎、ナイスジョーク! 『魔女』は『魔女』。Witch以外の何物でもないゼ?」

「ふふ、そうよ。光太郎くん。『魔女』は『魔女』よ」

「そ、そうですよね! 魔女は魔女ですよね! あは……あはははは」

 え、何? 俺がおかしいの? 

 もしかしたらこの件に関しては聞いちゃいけないことなのかもしれない。

「そ、それにしても黒崎社長、いつ頃来るんですかねぇー」

「もうすぐ来ると思うわ。……あ、ほら、来たみたいよ」

 すると、香さんが入り口の方に顔を向ける。俺も釣れてそっちを見ると、ハイヒールで階段を登る音が聞こえてきた。だんだんとその音が大きくなっていくとガチャりと扉が開かれた。

 同時に香さんとアンダーソンはイスから立ち上がって、扉を開けた人物を迎え入れる。

 俺も慌てて立ち上がる。

「おはようございます、BOSS」

「おはよう、麗華さん」

「あ、え、お、おはようございます!」

「ああ、おはよう。今日も絶好の……絶好の……クッキー日和だな」

 身体のラインが目立つワイシャツとスラッとした曲線が足が強調されるジーンズを履き、面接時に出会ったときと同じ位美しい姿に、俺はまたも目が奪われる。

(でも……クッキー日和ってなんだ?)

「おお、光太郎。初日から私より早く出社しているとは……なかなか生意気で可愛いことするじゃないか」

「え、あ、はい!」

 いきなり下の名で呼び捨てされてちょっと驚く。それでいてなんだか認められているような感じがしてちょっとうれしい。

「私を省いて楽しくお茶会とは……笑い声が下まで届いていたぞ」

「ふふ、光太郎くんが魔女って役職ですかって、面白いこというんですよ」

「なんだ、光太郎。またそんなこと言ったのか。魔女は魔女だぞ」

 言って麗華社長はテーブルにあるクッキーを一つ手に取り、サクッと音立たせてかじる。このサクッと言う音がなんともいい音で、ついその音が聞きたくてクッキーを食べたくなっちゃう気がしてしまう。

「うん、やはり今日はクッキー日和だな」

 製作者である香さんはなんとも嬉しそうな笑みを浮かべ、小さく「やった」と言った。かわいい。

 麗華社長も満足そうに自席である社長席についた。そして優雅に懐からタバコを取り出し器用な手付きで、オイルライターで火つけた。

「光太郎、タバコ吸うか?」

「い、いえ……ぼ、僕はすわないです」

「なんだ、吸わないのかぁ……最近の若い子ってそんなもんなのかね。タバコミュニケーションってやつもそろそろ終わりかねぇ」

 ポワっと煙を吐き出しながら残念そう顔をする。

「麗華さん、今日は光太郎くんの初出勤ですし、ここは早めに切り上げてパーッとお祝いしましょ」

「おお、ナイスアイディア、カオリ! BOSS、是非そうしましょ!」

 今から飲みに行きそうな感じで盛り上がる二人に対して、麗華社長は冷静にタバコを吹かしている。

 提案してくれる二人の行為は素直に嬉しいが、社長の反応を見る限りそんな甘くなさそう……だったが。

「ま、確かに……初めての新入社員だからな……今日は軽めにいくか」

「「ヤッター!」」

 自分のことのように喜ぶ二人をみて、実は自分たちが飲みたいだけじゃないか……と思えてしまう。

 いや、その前にまて。

 え? はじめての新入社員っていったか?

「あ、あの……」

「カオリ、今日こそ決着ツケマショウ」

「望むところよ、アンダーソン!」

 何の対決をするつもりですか、お二人サン! あれですか? 飲み比べですか! やっぱ自分たちが飲みたいだけじゃないですか!

「でも、そのまえに……光太郎。今から私と外回りだ」

 麗華社長の発言に、二人は軽くブーイング。

 外回りってなんだか、社会人っぽいですが……その前にはじめての新入社員って……今は聞ける状態じゃなかった。



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