テーマは『疑問文』で設定すべし
大学時代の友人に出版社で小説の編集をしているひとがいます。
サイコトのシナリオ制作中、彼には個人的にいろいろと助言をもらいました。助言といっても仕事としてではなく、飲み屋で酒を飲みながら、友人としてフランクかつ忌憚ない意見を言ってもらうという感じです。そこで出たアイデアは正直本編に反映されることはなかったのですが、この物語は面白いのかつまらないのかなど、客観的な意見を聞けたことは大きかったです。シナリオに限らず、いわゆる壁役がいるかいないかで創作物のクオリティは変わってくるので、こういう友人がいたことが今更ながらラッキーだなと思ったものです。
彼には様々な助言をもらいましたが、そのなかで一番役に立ち、かつ今もイシグロにとってシナリオ制作の基本になっている考え方があります。
それは、テーマは『疑問文』で設定すべし、というもの。
なにかのシナリオ教則本に書いてあることらしいのですが、なんの本かは忘れてしまいました……。シド・フィールドの本かな? イシグロも読んで勉強したつもりですが、いま手元にないので内容を確認できず。
テーマは一言で表す場合が多いです。友情だとか家族だとか愛だとか。イシグロがいつも参考にしている『物語の法則』(クリストファー・ボグラー 、デイビッド・マッケナ著)でもテーマを一言(短い言葉)で表すことが推奨されています。それ自体は間違っているとは言いません。ただし個人的に思うのは、条件があるということ。その条件とは、作者が作品を通して描くべき『答え』をハッキリ持っている場合に限る、です。
一言で表したテーマをもとに物語を作っていくとどういう問題が発生するのか、実体験をもとに書いてみます。
シナリオ制作中によく陥るのが、ディテールばかりを追って構成を練る作業から遠くなってしまうこと。例えば『友情』がテーマの派手なバトル作品を制作するとして、
「どうやって友情をはぐくむのか?」
「ライバルとの友情を成り立たせるためにはどのようなエピソードが必要か?」
等々はテーマを深掘りするために思考する必要があります。友情について様々なパターンを考慮し、ときに客観的な意見を聞いてテーマの輪郭を浮かび上がらせていく。これは物語の構造をイメージしていく行為です。構造が出来上がったとき、テーマの答え=結末が作者の目の前にあらわれます。
一方、答えのない思考は可能性ばかり広げるだけで物語のゴールを示してくれないことが多いです。答えのない思考とは、
「AとBの服装に共通点を持たせたほうがいいか?」
「Aが背の高くやせ型ならBは低身長で筋肉質のほうがいいか?(欠けた部分を補うため)」
等々です。どれも友情に付随しているので一見正しい思考に見えるますが、これらはすべて物語のディテールに関するトピックです。
ディテールは構造に寄与しません。ここはハッキリ断言したいです。
例に挙げた共通点のある服装や分かりやすい身体的特徴はドラマを豊かにするかもしれませんが、ドラマそのものの推進に関わることはほとんどなく、友情の深さをわかりやすくするための道具としてしか機能してくれません。ディテールはシナリオの構成がある程度決まって以降に考えていくべきです。ディテールを加えることで物語が多少変化することはもちろんよくあります。しかしディテールを加えた結果、物語の始まりから考え直さなければならないような事態に陥ったとしたら、それはそもそも構成自体が間違っていることがほとんどです。
「このバトルシーンのAとBはどのくらい距離が離れているのか?」
「この施設はどのような科学技術をもとに建造されたのか?」
「このシーンではどんな劇伴(音楽)が流れているのか?」
等々もしかりです。イシグロの経験から言うと、構成が決まる前に上記のトピックを考えてしまう、もしくは誰かからトピックとして提示される時は、大抵構成が上手くいっていないか、物語自体が面白くないかですね。
長く書いてしまいましたが、テーマを一言で表した場合のシナリオ制作は、特定シーンで足踏みして肝心な『何のための物語なのか』から外れることが多く、物語が結末までたどり着いてくれないことが多いです。
ではテーマを疑問文で設定したシナリオ制作はどうか。
疑問には答えがある。疑問は根幹を成すテーマとなり、答えは物語のゴールとなる。そこには作者の考えや訴えたいことが必ず反映されます。疑問だけがあって答えがわからない場合は、それを探すことになる。作者とキャラクターが一緒に悩みながら答えを探し、それが物語になっていく。答えを探すこと自体がシナリオの構成を決めていくのです。シナリオ制作中に迷ったらテーマに据えている疑問に戻ったり、答えを思い出して軌道修正を試みる。ディテールに惑わされることなく描くべきものに思考をフォーカスできるのが、テーマを疑問文で設定することの一番大きな利点です。
サイコトのテーマは『今この時代に”リアル”な言葉は果たして必要なのか?』という疑問です。結末でその答えをハッキリ提示しています。
リアルの意味は広めにとっています。直接言葉を届けることをリアルと言ったり、嘘のない本当の気持ちをリアルと言ったり。リアルの対義語=アンリアルは、例えばSNSを通じた顔の見えないコミュニケーションだったり、嘘で偽った姿だったり。サイコトはこの疑問と答えを中心に展開されますが、キャラが直接的なセリフで言及しているわけではありません。その代わりに行動やシチュエーションがテーマを浮かび上がらせる構造になっています。構造のなかにテーマがしっかりと織り込まれていれば、物語が進むにつれて観客が自然とそれをキャッチしていきます。
※ちょっと外れますが、小説では地の文で直接的に言及しています。何故なら一人称の小説なのでキャラの思考がずべて提示されるからです。
実はサイコトのテーマは最初からイシグロのなかにあったわけではありません。件の友人に「このテーマを疑問文で表すとどうなる?」と聞かれて、あらためて考えてみた結果出てきたものです。初期から自分のなかでわかっていたら、映画の完成に4年半もかからなかったかもしれませんね……。ただ後付けのテーマだとはわからないくらい佐藤大さんと一緒にしっかり構成を組んだので、サイコトのシナリオには自信ありです。
今後描いてみたい物語のネタなどはメモを書き溜めているのですが、去年あたりからそれらのテーマをすべて疑問文に置き換えてみたところ、途端にゴールが見えたものがあったりして、イシグロにはやはりこの技法があっているのかなと思います。
数あるネタのなかでひとつ例を挙げてみます。
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テーマ:自分の価値は誰が決めるのか?
答え:自分だし他人
自分を好きでいることが自分の価値を創造する。
ただしそれは自分のみに通用する絶対評価であって相対評価ではない。
自分が嫌いなところを他人が好きだと評することは相対評価。
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もともとアイデアがあった物語を上記のような疑問と答えに因数分解してみたところ、1日でプロットが書き終わりました。ここから詳細なシナリオにしていくのですが、自分が描きたいテーマがクリアになったので、きっと筆がどんどん進む(はず……)でしょう。どういう物語になるのかはまだ明かしませんが、いつか小説にしようと思っています。
物語の構成に行き詰ったときはテーマを疑問文にして表すことができるかできないか、一度お試しあれ。
イシグロの頭の中 -アニメ創作ノート- イシグロキョウヘイ @chopsparks
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