第3話の6『半歩法拳、遍く大銀河を撲つ』
無残。
その一言がいまの彼を表すのにちょうど良い言葉であったと、誰もが思うだろう。憔悴しきった顔は、しかしギトギトに艶光り、そのマッチョな肉体のあちこちから溢れる生命エネルギーは悪霊も鎧袖一触で吹き飛ばすだろう。
保険加入の申請手続きから二日目の昼のこと、ゲンジョーは鎮静剤の投薬とあらん限りの薬を投与され、いまはまだ暴発暴走一歩手前の危険な状態であるにもかかわらず、その心は平静を保ったままでいられている。
「ハヤテよ。表面張力という物を知っているかね。コップにいっぱいまで入れた水の表面が盛り上がって、あふれるようであふれない力のことだ」
「いまのお前の状況のことをいってるんだろうな」
シルバーソードの個室のベッドから、いつもの格好――上半身は袈裟で綿ズボンに黒帯姿で立ち上がるゲンジョー。
「しかし、治まってなおその大きさか」
「
「頭は回ってるようだな」
ペシっとそのお尻を叩く。
相変わらず尻まで硬いと思ったが、思いのほかそうでもなかった。
ゲンジョーはそれでも「気合いが入った。世話になったな」と片手を上げて部屋を出て行く。無論このまま保険の審査に向かい、入院の手はずであることはゲンジョーも理解している。
「……まあ、そこまでしか教えてないがな」
「行きましたか?」
と、ヒョイとアゲハが顔を出す。
ゲンジョーの前に女性である自分を間近に見せるのも刺激になるかと、アゲハ自身が遠慮したのだが、ハヤテは「そんな気にするほど美人でもねえだろ」と言いかけたところで酸欠で失神していた。口は災いの元。
「今生の別れのような顔してやがったけど、鎮静剤のせいだろうな。うまく事が運んでも、禁欲の果ての自滅か否か、だもんなあ」
「裏工作のことをあらかじめ話しておくと、事前の脳波チェックでバレる可能性がありますものねえ」
両者同意の上で行う嘘発見器みたいな物が使われるのだ。簡単安心で詐欺を防げる優れものだけに、ここは要注意。
「審査後、迎えの宇宙船がくる場所があんだろ? そのチョイ先にスケベなホテルがある。その一室から、ゲンジョーを撃つ」
「それでも1キロメートルは離れてますよね」
「
「いまさら驚く距離でもありませんね。弾頭は?」
「収穫してきた怪しいアレをナニした、感度三千倍急性抜群弾頭が2発。まあ1発は予備だ。これをゲンジョーの耳の穴に打ち込む」
ハヤテが自分の耳の穴をほじくる。
「え、弱点って耳の穴なんですか?」
「ナノマテリアルで脳に直接お届けします。……ふつうは間違いなく殺しに行く部位だが、アイツは頭蓋骨も特別仕様だ、死にはしない。砕けた弾丸から薬剤は染みだし、耳粘膜から吸収と、こうなる」
「もはやいうことではないんですが、先生、普通にやぶ医者ですよね」
「いまさらだなあ」
ははははは、と笑うハヤテ。
「アゲハは、宇宙船の手前で注意を引きつけて南側を向かせてくれ。一秒でいい。そこで撃つ」
「……亜光速で飛ぶ弾丸でしょう? ほんとに大丈夫なんですか?」
「大丈夫、当てる当てる」
「そっちじゃねえよ」
いや、坊主の頭蓋骨というか脳というか。
「大丈夫だよ、鼓膜だって破れないだろう。ほんと丈夫なんだよアイツ。何度か殺そうとしたけど、うまくいかなかった」
「さらっと物騒な告白しましたね」
「俺たちにも色々あったからな」
と、それだけで済ませようとしたので、アゲハもそれだけで済ませることにした。簡単な間柄でとても微笑ましい。
「でもまあ弱点は弱点だ。こんな状況でなければ、もはや狙撃すら不可能だろう。……まあ、曖昧な今のうちならまだ望みはある。弾丸はミニマムサイズ。まずはオクさんにも気がつかれないだろう」
オクさんの船の停泊場所と、迎えの病院直属の宇宙船の間には、距離がある。審査から乗り込むまでの、彼女らとゲンジョーとの距離も離れる。
「細工は流々、あとは仕上げをご覧じろ……ってことさ」
「うまくいくといいんですが」
「んじゃまあ、あとはたのむ。俺はひとりでスケベホテルに行くよ」
「変なサービス呼んだら駄目ですよ?」
「そんな金はない」
「知ってます」
アゲハは笑った。
***
「嗚呼、我が身すでに不退転。心涅槃、肉体は未だ囚われたままか」
ゲンジョーは宇宙港、その搭乗口の脇にある喫茶店へと入っていく。待ち人はすでに来ていたので待ち人ではないのだが、つまりのところ、オクさんとエグゼリカがすでに奥まった場所の席に座っていた。
「拙僧、ゲンジョーと申します」
「ゴードン総合生命、エグゼリカです」
「同じく操船担当の、オクリーヌです」
すん、とゲンジョーは鼻を少し鳴らした。
鼻孔に女の匂いを感じるが、心拍は落ち着いている。大丈夫。
席に着き、あらかじめ教えられていた手はず通りに、脳波チェック用の端末を指に嵌め、お互いの合意のもとに開始する。
「今回は誠にお手数をおかけ致します」
頭を下げるゲンジョーに、オクは「ふむぅ」と唸る。これがあのエニグマクラッシャーかという唸りだが、いやはやどうして生身で拝むとその迫力たるや相当なものだった。相当なものであるうえに、いまの本当の病状すら知りうるこの茶番に於いて、彼のその……アレが、こう、なんというかそっちも怖かった。
「それでは商品の内容と、審査に入ります」
「
心配と緊張を孕んだ審査は、しかし驚くことにあっさりと進む。
ゲンジョーの体内からは総ての成分が緻密な一覧にまとめられているが、投薬された薬剤はいちから最後まで正常な範囲内に収められている。これはハヤテの手腕ではなく、どちらかといえば診療所のコンピューターであるカミングスーンの能力によるものだと思う。ものすごく多才なコンピューターなのがカミさんの凄いところだった。
「あなたたちと、ハヤテとの――藪崎医師との間にどのような話があったのかは、知らぬ。しかし、感謝を。ありがとう、エグゼリカどの、オクリーヌどの」
しっかりと、頭を下げる。
ゲンジョーは、しっかりと、エグゼリカとオクさんの目を見て……目を見て……。
「あの?」
エグゼリカは首をかしげる。
ゲンジョーがぽかんと、口を開けている。開けてはいるが、目を閉じている。やや息を深く吸い、大きく吐く。
そのまま「いかん」と呟くや、ゆっくりとその血走った目を開くと、オクさんに一瞥をくれる。
「エニグマというものは実にかぐわしいのだ。血の臭いというか、その毛穴のひとつひとつから染み出す妖気は法力僧にとってはまたとないものとなる。その力でいかに幻術を駆使したところで、それを嗅ぎつける力さえあれば少しも惑わされるものではない。ましてや力在る者同士ならなおのこと。聞こえるだろうかこの胸の高鳴りが。この手にはその鼓動の強さと、相手の血潮の熱さが、嗚呼、なんということだ、私は何をいっているのだ、そうつまりだ――」
と、瞬間、テーブルが持ち上げられた。
ゲンジョーが蹴り上げたのかと思うほどだったが、さにあらず。
「きゃあ」
「なんという」
女性陣が息をのむ。それもそのはず、テーブルを持ち上げたのはゲンジョーの凸だった。そのあまりにも巨大に勃ち起きた
「つまりだエニグマの
「い、いけませんお坊さま!」
オクさんはその獣欲に満ちた坊主が、もはや正常な判断力を有してるとは思わなかった。しかし顧客、しかし病、ざっと飛びすさるや距離を取り、空いているテーブルを片手で掴むや壁のように立てて面を向けたまま投げつけた。エニグマの力で投げつけられたそれは、しかし衝撃を感じさせぬ拳で受け止められた。
「はんにゃ~は~ら~」
バサリと。
バサリと、そのそこそこの固さを有しているテーブルが、文字通り粉々になった。粉々である。さらさらな砂状の粒となって足下に落ちる。
その影から、己が正中線――頭の天辺から股間までその股間からそそり立つモノで覆い隠しながら、突き出した右の拳を柔らかく開き直す。
「ちょ、ちょっと、オクさん!?」
「………………」
隅っこで震えているエグゼリカに一瞥をくれるゲンジョーだが、興味なさげにオクさんに向き直る。もはやその標的は、エニグマの彼女に向けられている。
「オクさん、いいだろう?」
「だめでございます」
ジリと間合いを計る。
これが、エニグマクラッシャー。
オクさんは息をのんだ。もはや、戦うしかない。いやしかし、彼女はいまは、ゴードン総合生命の社員。顧客に暴力を振るうことは許されない。
「オクさん、
「!?」
その理由はすぐに分かった。いや、思い出した。
コイムナーゲ議員。
その名前はともかく、経歴を思えばピンとくる。
これを機に、ゲンジョーを亡き者にする手はずは整えているだろう。
それに気がついているエグゼリカでありオクだった。
そして恐らくは…………。
***
アゲハが「なんかおかしいな?」と思った矢先、空港喫茶店の窓硝子を破ってオクさんが宇宙港へと飛び降りてきた。二階からの落下だが、このくらいの高さならエニグマであれば全く問題はないだろう。
いや、そういうことではなく、なんで二階から彼女が飛び出してきたかということなのだが、それを考えようとした矢先、
「先生、なんかすごいものが現われたんですが」
アゲハは1キロメートル先にいるハヤテに通信を送るが、要領を得ていないのは自分でも分かっていた。しかし、返ってきたハヤテの言葉は実に冷静だった。
「いかんな、エニグマで女性で、しかもなかなか可愛い系のリアルを目の前にし、その存在を五感で感じ取り、表面張力が決壊してしまったんだろう」
索敵用の両眼スコープ越しに確認したらしき言葉に、アゲハは頷く。
その間も、オクさんは窓下で身構えて様子を伺っていたが、会場窓辺のゲンジョーはそのままふわりと身を躍らせる。巨漢が地に降り立つと、オクさんも弾かれたように間合いを取っている。
「アゲハ、オクさんに自分の宇宙船に戻るよう伝えろ。彼女が宇宙船端末のエニグマなら、その力でゲンジョーに対抗できるはずだ。あいつを倒せなくとも、凌げるはずだ」
「わかりました」
アゲハが声を上げて促すと、オクさんは即座に理解した。身を翻し、自前の宇宙船まで一気にかけ始める。さすが獣系のエニグマだけあって、その動きのしなやかさと速さは相当なものだった。
しかし。
「オクさん、嗚呼、オクさん!」
まるで横に崩落する岩塊のような体移動で、ゲンジョーがオクさんの疾走を追い始める。凸がやや揺れたが、水面を往く船の如き滑らかさで獣の疾走にいまや追いつかんとしていた。人間だけど。たぶん人間なんだろうけれど。
「アゲハ、オクさんを援護。彼女が宇宙船に入るまで守り切れ」
「了解」
最高級汎用鳳型巡検アンドールメイト№ヘ-128『アゲハ』64号改五は、巡検用の最高級戦闘マシン。利用者の許可のもと解放されたスキルと性能は、一切の初期動作を経ずに解放される。
ばびゅんと放たれた矢のような疾走で、エニグマと人間に追いつく
っガキン!
とても素手で殴ったとは思えない音が響く。
アゲハの強化された骨格と皮膚組織越しに、ゲンジョーの頭蓋が立てた音だ。あろうことかアゲハの拳には鈍い痛みが走る。僧侶の肉体はややブレただけである。
「…………カハーっ」
そのときやっと、ゲンジョーはアゲハに気がついた。すぐさま標的のオクさんに目を戻すも、彼女は宇宙船に飛び込んだ後だった。
ゲンジョーのその一瞬の隙に、アゲハは彼の目の前に立ちはだかり、彼はさすがに疾走を止めて眼前の
「目前の
僧侶の正中線を守るようそそり立つ凸が、ビクンと震える。よく前が見えているなと思ったが、アゲハは彼のそのサイズがやや膨らんだのを確認した。確認したくはなかったが最高級戦闘アンドールメイトだから分かっちゃうのだ。ごめん。
「……アンドロイトか。いやまてよ? アンドロイトにも、穴はあるんだよな」
アゲハの息をのむ声。
ゲンジョーが標的を切り替えたのを、凄く嫌だけどその肌で感じたのだ。
「そそそそ、そんなオプションは付けられておりません! せ、先生! ゲンジョーさんは一体ナニをいってるんでしょうか!」
「アゲハひるむな、来るぞ!」
「え!?」
彼女が一瞬の判断を誤った瞬間、ゲンジョーは半歩踏み込み、その巨大な拳をアゲハのみぞおちに存分に叩き込んでいた。
胸骨装甲が悲鳴を上げ、衝撃で吹き飛んだ看護服の下からシルバーメタルの内骨格が砕け散りながら露出する。宇宙船の内装甲にも使用される素材が、人の拳で容易く打ち砕かれてしまった。
衝撃は体内を駆け巡り、ぶるんと五体を震わせてアゲハが天を仰ぐようにその場に倒れる。
「打教奥義、
ヒョイと自分の凸の影から顔を覗かせながら、大の字に伸びたアゲハの様子を伺う。胸部の装甲は外皮装甲も内皮装甲も内骨格共々ハデに吹き飛んでいるが、下半身は看護服のスカートも、恐らく下着も、生足も無事だった。ウヒョーと手を叩き、そんな彼女の足下にかがみ込むゲンジョー。
アゲハの両足首をガっとばかりにむんずと掴み、さあ晴天の下に広げてその穴を味わわんと公然わいせつに及ぶためやや腰を浮かせた瞬間だった。
「ふた呼吸もあれば、充分でしょう」
アゲハが苦悶の表情で、しかしニヤリと笑った。
ゲンジョーはそんな彼女の口元に一瞬意識を奪われたが、次の瞬間、ビシっと頭蓋を震わせる。
「あがっ……! ――!?」
「どうですか、ゲンジョーさん。さしものあなたでも、感度三千倍はいささか堪えるのではなくって?」
ゲンジョーの頭蓋、南向き。左の耳孔から飛び込んだ弾丸は頭蓋で砕け散り、薬剤を存分に耳粘膜にぶちまけたのだ。一気に吸収された薬剤はゲンジョーから一瞬にして動きを奪い去った。
ばたりと大の字に仰向けに倒れ、ビクンビクンと白目で痙攣している。
「先生、お見事」
「状況がよく見えないが、ゲンジョーは無事か?」
「はい、このまま送迎用の宇宙船が来るまで待ちましょう」
よっこらしょっとと立ち上がり、アゲハは看護服を残念そうにぱたぱたとはたく。埃も付いてしまったが、胸部前面が派手に破けてしまっている。破けているというより、衝撃で打ち飛んでいた。
「これが打教界最強の僧侶か」
彼女がぼそりと呟いた瞬間、オクさんの声が彼女の宇宙船から響く。
「アゲハさん、危ない!」
「え?」
何が? と思ったときには、アゲハの体はゲンジョーの固くそそり立った
「――
白目血涙のゲンジョーは、落ちてくるアゲハの股間を貫かんと、天に凸を向け、その落下地点で両腕を広げ哄笑を放っていた。
このままではケンダマのようにサクっと貫かれてしまうだろう。
あやうし、アゲハ!
どうするハヤテ!
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