第3話の1『災友記(縁起)』
「うう……
宇宙を漂っていた救命ポッドの中で、冷凍処置を施されていた中年期の男は覚醒していく意識の中で、そう呟いた。まず自分が誰なのかを確かめたかったようだった。
「起きたようですね。ではお嬢様、私はこれで」
「ご苦労さま」
ビアンカは町一番の医者を見送ると、何年かぶりに蘇生を果たした男に「大丈夫ですか?」と声を掛ける。健康を気遣ったのだが、それ以上に彼の姿が異様だったのだ。
「う、うむ。しかし、ここは……」
上体を起こしたその男は上半身丸裸であり、下半身はゆったりとした白い綿の筒ズボンを履いている。はだけてしまった袈裟はその腰に黒帯でしっかりと締められていた。異様な格好だった。わかる。しかも筋肉は陸戦隊のようなムキムキ具合だった。
「あなたはアンドロメダの空域で撃破された船に乗っていた兵士ですか?」
「……おお、思い出した。儂の名はゲンジョー。アコンカグア軍……のどこだったかな? 従軍僧侶をしておった」
「従軍僧侶?」
いやはや、確かに袈裟というものは僧職が身につけるものであった。けれど、このムキムキ具合は何だろう。少なくとも無数にある――ほんとに無数にある宗教にはこのような坊主もいるだろうが、それにしても兵士の方がしっくりくる格好だった。禿げ上がった四角い顔の眉は太く、口もでかい真一文字。声も太い。
「IDは残っているだろう。照会してくれ。どのくらい寝かされていた?」
「今はAG第一五〇三期二〇一八年ですよ」
「そんなにたってるのか。いやはや。そうか、
肝練り砲が発射されると一期重ねられる。暦自体は、主星アコンカグア準拠であるのは常識として、しだいにゲンジョーの頭がはっきりしていく。
「いやはや助かった。こうしてまた日の目を拝めるのは法の導きよ」
合掌して礼。
「蘇生しきったばかりです。まだ二三時間はゆっくりしておかないと。その間に事情をお話しいたしますわ」
「かたじけない。その間にIDの照会を頼み申す」
あとでいくらでも分かる戦の詳細は省き、政治環境や状況を端的に教えるビアンカ。ゲンジョーもそれで良いとばかりに頷き聞いている。
「エニグマとの融和政策?」
「ええ。あれだけの戦いでしたが、エニグマももう帝国民ですわ」
「なんということだ、拙僧の救いの手なくとも、かの者たちにも光りが」
はらりと落涙しながら合掌瞑目。その言葉に偽りはなさそうだった。
ビアンカは少し疑った自分を恥じたが、手元の端末に照会したIDの結果が出てきた瞬間に、言葉を失った。息をのみ、顔色が青くなる。
「…………どうしましたかな? お嬢さん」
落ち着いているゲンジョーの声がこのときほど怖く聞こえたことはなかった。目はにっこりしている。嘘偽りのない笑顔だった。
「ふむ。まあそれはいいとして、身元の引受人ですが」
ポンとその手を打つゲンジョーは話を変える。ひとつ安心したビアンカだが、身元についての引受人と認識し直したとき、改めて手元の照会内容を思い出す。
どうしても、この僧侶の身元引受人にはなりたくはなかった。
「……大銀河法では、身元の照会が完了した時点で、ムラクモ
「助かる。なにせ葬式を挙げる前にこの始末だったからなあ」
はははとゲンジョーは首筋をぱしぱし叩きながら笑う。
「年金や慰労金、口座の凍結が解除されるまで時間がかかりますから、大銀河法に則って、我が男爵家が身元の引受人に――」
と、言いたくなかったその言葉は、言いたくなくさせたゲンジョー本人に手で制される。
ゲンジョーは「伝手がある」と袈裟を着直して立ち上がり、帯を締め直し「先ほどの
「気になる名前を聞いた」
「気になる名前?」
「藪崎ハヤテ。我が朋友であり、生涯の好敵手、エニグマパニッシャー。医者なんてやっていたとは解せぬ。解せぬが、ヤツには貸しがある。男爵さまの手を借りるのもいいが、ここは
「全力を尽くします」
身元引受人になりたくなかったビアンカは、すべてをハヤテに丸投げしようと決め、全力を尽くそうと心に決めたのでした。
***
「ぶっきょう、ですか?」とアゲハは聞き返す。
「お前、漢字分かるか?」とハヤテが聞き返し、端末にグリグリと指で文字を書く。
――『
「こんな字なんですね。どんな教えなんです?」
「宗祖は
「
「エニグマの古い、古い名前だ。怪物や魔獣魔物悪魔なんかも含めてる場合が多い。そのあたりは教義の派閥によるが、ゲンジョーはその中でも過激派と知られる一派の坊主でな」
ハヤテは端末に映るゲンジョーの四角く太いはげ笑顔をジト目で見ながらため息をつく。
「改心するなら良し、さもなくば死して仏にするという破天荒坊主でな」
「なんですかその殺し屋は」
「いやまあ、殺す場合は必ず素手でなければいかんという教義があってな。近代戦闘ではまず問題はあるまい? ……と思うだろ?」
「素手でしょう? 相手はエニグマでしょう?」
エニグマはたとえ銃器を使ってもその死をもたらすにはなまなかなものでは届かない。ましてやそれを素手でとなれば、おおよその人類、このゲンジョーなるハヤテと同じヒューマノイドタイプには難しいのではなかろうか。と思うのは当然。
「
「この人がヨーカイなんじゃないんですか?」
「俺もそう思うが、実は人間なんだよなこれが」
麦茶を一服。
カミさんが申し訳なさそうに一言差し挟む。
「ID照会の結果が送信されてきました。問題はないように思えるのですが。先生?」
「問題がないのは、戦争だったからさ」
カミさんに、視線を外して頭を掻く。
戦争だったからこそ許されてきた所業の数々。それはそのまま、自分自身への弁明にも響くのだろう。彼自身も、手を染めた殺傷行為は数知れずに違いはない。
「戦場の倣い、というやつでは?」
「そんな言葉で片付けてはいけないよアゲハちゃん。アホかお前は、けっきょくお国に尻を持ってもらってるだけで、殺傷行為は殺傷行為に違いはないんだ。まったく、その手で何かを殺傷したことがない平和なアンドールメイト――いやすまんすまん最高級! 最高級! 汎用鳳型巡検アンドールメイト№ヘ-128『アゲハ』64号改五さまにこんなこと言ってもなー、いってもなーああああああああああッ痛ェええええ! なんで思い切り殴るんだよ!」
「ムカついたからです」
ひどく正直な理由でノーマルモードの全力でハヤテの頭を右の拳でぶん殴ったアゲハ。
「そういやお前、酸欠攻撃とか主砲とかビームガンとか未遂はかなりのものだったな」
ゴクリと息をのむハヤテ。
それはそれとして。
「……まあ、教義があったんだろう。他の理由もあったのかもしれない。ただ、ただ、ゲンジョーはエニグマを殺せるから従軍僧侶になった。教えを広めはしなかったが、その強さには根強い信奉者がいたよ。考えても見ろ、エニグマの戦艦に単身――誇張じゃないぞ? ほんとに単身で乗り込んで落とすんだぞ?」
「ばかじゃないの?」
アゲハの言うことももっともだった。
検索すれば戦果も参照できるだろうが、探るのもおっかなかった。
「なもんで、信奉者よりも危険視する者も多かった。あいつは恐らく、上層部に煙たがられて、所属の戦艦でなんかしらの事件に巻き込まれて命を落とした。そう思っていたし、おそらくそうだったと思う」
「暗殺ですか?」
「銃も筋肉ではじき返すし、刀刃はもとよりレーザくらいなら耐えるからな」
「ばかじゃないの?」
言ってるハヤテは真面目だった。
その目の光りに、アゲハも息をのむ。
「ほんとなんですか?」
「打教界最強の僧侶、それがゲンジョーだ」
「……人間の強さに果てはないんでしょうか」とカミさんも微笑む。
ハヤテのあんぐり口を開けたため息天井仰ぎ。
「だが弱点があった」
「なんなんです?」
ハヤテは指を三本立てる。
「酒と女と飯だ」
「破戒僧じゃねえか!」
ここにきてだんだん言葉が汚くなってるアゲハを、カミさんが「あらあらまぁまぁ」と微笑んで見守っている。
「しかしまあ、本人もそれを知ってるらしく、それを大いに楽しむときは身近にいる者を充分警戒した上でしか楽しまない」
「というと?」
「戦時下、戦争地域、まずリアルな女は無理だ。あいつはリアル派だったからな。俺はどっちでもよかったのだが……まあそれはそれとして拳はしまえ、アゲハ」
「なんかむかついて」
なんかむかついて握りこぶしを振り上げたが、アゲハはそれを開いて下ろす。
「なもんで、酒と飯だ。毒は盛られなかったが、睡眠薬を盛られた」
「ずいぶん詳しいんですね」
「一緒だったからな。俺とアイツは、チームだったんだ。……なんで距離を置く」
「いや、だって」
「俺は普通の人間だよ?」
それはどうだろうというカミさんとアゲハの視線を無視し、ハヤテは瞑目。当時を思い出す。
「唯一気心の知れた俺とアイツは、祝杯を上げたんだ。店が裏切ってな。俺もアイツも、もろとも眠らされた。三日後、気がついたらアイツは隊の別部署に異動したと知らされた。俺は深酒が原因で任務をおろそかにしたと、部署異動だ。その後、いろいろあって、アイツの部隊がアンドロメダで壊滅したと聞かされたとき、なんかこう、な」
つまり、アイツには貸しがある。
「俺がチームを組んでたら、アイツを死なせなかったかもしれないと、少し悔やんだ。が、まあ、それこそ戦場の倣いだ。きっかけは俺が気を許しすぎ、気を許させすぎたせいだ。それだけは、悔やむよ」
「なるほど、それで身元の引受人に……」
「ああ、迎えに行かなくちゃならない。しかし、よく生きてたなあ」
その疑問の答えを、カミさんが読み上げる。
「どうやら無期時限式で冷凍睡眠させられていたそうです。通常の
「従軍僧侶、だ。……まあそういうことか。宇宙漂って、ホンダさんたちに回収されたってことか。縁は奇なものだ」
あの作戦がなければ、いや、あったとしてもスライム星人自活プランが立てられなければ再会は出来なかっただろう。
「まあ、うちにはエニグマもいないし、こんなご時世だ、アイツも自重するだろうよ。いまはもう戦争はしてないんだしな」
ハヤテは一息ついた。
画面の中のゲンジョーの笑顔、今も変わらずだろうか。
「シルバーソードを貸しますよ? 迎えに行くなら、私もその打教界最強の僧侶という人の顔を拝んでおきたいですし」
「ん、じゃあ受諾の返信を、ええと――」
「ビアンカさんに送信しておきます」
「そうそう、ビアンカさん。……じゃあ、日が決まり次第行こう」
「わかりました」
迎えの日は、三日後と決まった。
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