第2話の6『百貫落とし』

 地表を見下ろせばそこは、広大な森林地帯だった。男爵領主星は北半球に植生が強いらしく、資源となる木材の生産に適している。人の手が入った管理樹海だけど、業界ではこれでも総天然モノとして高額で取引されているらしい。

 半ばまで開けられたシルバーソードの後部搬入口から、ハヤテは高速で流れゆく緑面を眺めている。耐えられるレベルではあるが高度は三千五百を超えたあたりの薄く冷えた空気、いつでも機体が上昇できるように、いつでも自分が降下できるように、装備を調えたヘルメット姿のまま。

 時刻は四時過ぎ。

 すぐに暮れてくるはずだった。


「蠕動運動を確認しました」

「了解。ゴードン側にはホンダさんの観測の強化と、合流する旨を再度伝えておいてくれ。上昇のタイミングは任せるが、排泄の波が乗ってきたあたりの方が、ケツの穴そうはいせつこうがいちばん開いてるはずだから、その辺り確認したらで頼まぁ」

「どのみち、降りしきる百貫の中を上昇、降下しなければならないのですね」


 アゲハからの通信のあきれた色に、ハヤテもカラカラと笑うのがためらわれた様子で、申し訳程度に感謝を表しつつ「ハッチの端っこからこっそり落ちるし、シルバーソードがしばらく盾になるから大丈夫だよ」とアラハバキを構え直す。


「なんにせよ、今回は観測に相乗りしてシステムのサポートを受ける超精密狙撃だ。失敗はしないさ――俺ならな」


 へへんと得意げだが、それを迎え撃つのはアゲハの大きなため息だった。


「別にいいですけど~」

「おや、ご不満ですかなアゲハさん。ああ見えて巨大広大な体だが、ホンダさ個人のP器官は極小なんだ。なんたって数十万人分の体の中から個人のモノを撃つんだからな」

「そんなことは心配してません。今ちょっと調べましたら、先生が事故死した場合、随伴の巡検師アンドールメイト、つまり最高級汎用鳳型巡検アンドールメイト№ヘ-128『アゲハ』64号改五の護衛責任が問われる事態になるわけでして」

「……何かあったら、死ぬ間際に『やめろアゲハ、裏切ったな!』って公開通信で叫ぶからヨロシク。……あ、ごめん、嘘嘘、冗談冗談、通信遮断して搬入口のレーザーガンで狙うのやめてください」


 宇宙服を着ていたらいくら搬入口内の酸素濃度を落としたところで梨の礫なので、物理的に撃ち抜こうとしたのだ。通信遮断は証拠隠滅のためだろうなあと思うと、やっぱり怖い。


「……排泄が始まりました。流星反応を確認。機体をやや傾けます。先生、ハッチの影からまっすぐ上空をご覧ください」


 壁を磁力で掴みながら、ハヤテは暮れ始めの上空を見た。


「こいつはきれいな流れ星だ。昼の部分でも夜の部分でも、派手に見えるだろうよ」


 三百七十五キログラムに分割された形さまざまな装甲板などが、炎の尾を引きつつ灼熱して大気圏を落下していく。ときに青白く、ときに白熱しては残光を遺して消えてゆく。


「斜入角、排泄量、ともに許容値です。排泄終了まで四十一時間弱を予想。……予定通りです」

「予想通りじゃないのは、こっからだな」

「はい。消化の進んでいないの排泄物は、空気抵抗も受けやすく、落下する軌道が見えにくいため、燃え尽きやすく躱しにくいという厄介な感じですね」

「かまわんさ、頃合いを見計らって上昇してくれ。いちばん流星がきれいなときがいいな。降りしきる星の中、身を投じる。いいねえ、星の海を大気圏内で飛ぶなんざロマンだねえ」

「焼け落ちる前にエアジェッター使ってくださいね。あと落下死もやめてください」


 アゲハは少し言葉を止めると、「十五分後に流星雨に突入します」と静かに告げる。ハヤテも「おうよ」と承けると、姿勢制御用のエアジェッターの調子を確かめる。調子は良さそうだ。


「よし、じゃあ『流星百貫落とし裏当て表落ち』作戦、開始――」

「了解」




***




 その少し前からホンダさんは悶絶していた。


「あああああああ、気持ちえええええ……! なんじゃこりゃあ、腹ン中がグゥルグゥルいうとる! 未曾有の便意や! こ、こら、たまらん、我慢できそうにないわ! さすがやでお医者はん! あんなちっこいのでほじくられても、こないな気持ちよさガッガガガガガガッ!」


 ウニウニ動くその巨体のせいで、ひっぱたかれた大気圏は高気圧と低気圧を生み出し、北半球朝側はひどい台風になっているそうだ。そんな中、それでも総排泄孔はしっかりと下を向いている。


「あああああああ~、出るゥッ! 百貫が出るゥ! 出していいんか、姐さん、百貫出していいんかいのぉぉおおおおおおおお!!」

「どうぞ」


 エグゼリカからの通信。

 排泄のお許しが出た! ただそれだけでホンダさんの総排泄孔は決壊した。


「百貫落としじゃーいっ!」


 音が聞こえてきそうな映像が炸裂した。

 観測機器に任せてモニターへの直結を切断。プライバシーは守らねばならない。が、しかし――。


「見ろリカ。思いのほか綺麗じゃないか」

「あ、ほんとだ……」


 波往く排泄物の固まりが、無数の、それこそ星の数ほどの炎の尾を引き煌めき落ちていく。それはすぐさま星の自転に引き留められるかのように帯状に広がっていく。

 流星雨を宇宙から見るのは初めてではなかったが、これは規模が違う。エグゼリカが「流星作戦か」と陶然と呟くのも頷けるというものだった。


「きもちええ、きもちええのぉー! なあ、エグゼリカさんや、オクさんやー! きもちええのぉおおおおおおガガガガガ――」


 通信重要度の高い物だけフィルターを通すようにすると、そこで音声を切る。さすがにこれも、聞いていいような物ではないだろう。何せ向こうはもうこちらの言葉も聞こえなさそうなほどに勤しんでいる。


「蠕動活性化。二十分もすれば排泄は安定するだろう。排泄終了まで、四十時間と少しを想定。しかし凄いな、セロガンというのは。ここまで効くものなのか」

「伝説の秘薬って聞いてるわ。眉唾だけどね。でも、こうしてみると効いてるように見受けられる。……でも、ナノマテリアルの作用のが大きいんじゃないの?」

「謎だ。でも、あの臭いが少ないカプセルタイプも販売してるらしい。試しに一個買っておくのもいいな」

「やめてー、割れたりしたら嫌だし、なにより保存期間が短いじゃない」

「消費期限が短いものをよく食べるリカにはうってつけだろう。便秘も治るかも知れないぞ」

「うう」


 他通信をチェックする。

 オクさんは十五分後のシルバーソードの上昇信号を受諾し、観測回線を開く。今回は杞憂か、いや、今回も杞憂かと、ゴードン社長からの指示を反芻し、頭の隅に追いやる。


「我が社の損はなし。社長も、エニグマパニッシャーへの恨み骨髄なのはなんとなく分かるが、考えすぎなのではないだろうか」


 オクさんは残りの二日弱をプログラムされた観測機器に任せるとして、主星周辺に広がる炎の――光りの帯に目を向ける。

 大戦の残りカスが、こうして光りとなっていく。

 そんなカスはこの星域だけでも相当な数量に上る。今回の作戦で消費する物量など、それこそ総量観測上の誤差にもならない。飛空巡行の際は機械的に無視され回避するそれらだが、こうして目を背けず直視すると、身近にうじゃうじゃと蠢く大戦の名残なのだと実感する。


「まだ、終わってないか」

「なんかいった?」

「いや。……アンドロメダ映画でも見るか? リカ」


 おや珍しい。

 エグゼリカはそう思ったが、お茶と映像ソフトを用意するべく落とし穴ピットホールから出るのであった。


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