第2話の4『摂氏六千度の狙撃』

 エグゼリカはホンダさんの北半球側少しの位置に、相対速度ゼロでオクさんを併走させつつ、ゆっくりと回転するアンドロメダ第五番主星三丁目、男爵領に目を留めている。


「なんかすまんの~、お嬢さん。せっかく来てもらった上に、わしの尻なんぞ見せてもぅて。ほんま、えろぅすまんの~」

「いえいえ、ホンダさんの早い快癒を祈っております」


 通信機からスライム星人の声を受け、返事を返す。しかしその目は、大気圏内から通常出力航行で真っ赤に燃えてやってくるシルバーソードに向けられている。


「こちら藪崎ハヤテ、ゴードンさん、聞こえますか?」

「聞こえております。……今回立合いを担当するエグゼリカです。お久しぶりと言うべきでしょうか。どうもこの大銀河辺境の担当ですので」

「辺境といったらうちみたいなとこを言うんですよ。えーと、エグゼリカさんで? あとそちらの船のオペレーターは確か」

「オクです」


 と、これは落とし穴ピットホールに収まったオクさんがモニターを見ずに答える。今見たら、きっと気もそぞろになってしまうだろうから。


「こちらシルバーソード、オペレーターの最高級汎用鳳型巡検アンドールメイト№ヘ-128『アゲハ』64号改五です。お久しぶりです」


 と、こちらもアゲハが答える。

 いままさに大気圏外に出ようかというところで、停止。いや、ホンダさんとの相対速度をゼロにして併走を開始している。科学が発達したこの時代でも、ここまでの慣性制御は難しいところだが、さすが高級宇宙戦艦、難なくこなしている。しかし、それでも大気圏内に留まっている関係上、空気の圧縮熱と摩擦抵抗は無視できるものではなかった。


「こちら藪崎です、ホンダさん、聞こえます? これから受診受付と診察に入ります。総排泄孔を大気圏内に入れてください、そうしたら『大気圏内で受診診断処置した』ことにできます。ここまではうちのマザコンであるカミさんが瞬時に手続きいたします」

「ケツの穴な! よっしゃ! まかせとき! スライム星人は火に弱いが熱には強いんじゃ! ケツの穴だけでいいんか?」

「大丈夫です。そうしたら、総排泄孔をこのシルバーソードに向けてください。薬剤を射出して、体内に直接お届けいたします」

「浣腸か~! 初めてだわ、手加減よろしゅうな! たのんまっせ!」


 人格が統合した影響なのか、ホンダさんの言葉は妙に熱っぽい。もしかしたら大気圏に触れている箇所が他にもあるのかもしれない。


「オクさん、ホンダさんは地表に落ちないために星の周りを高速で回転し、遠心力を以て重力と拮抗している状態なのよね?」

「そうだ。だがしかし、徐々に星に引っ張り込まれている。早くしなければ落ちるだろう。それだけ、お腹の中に溜めた宇宙ゴミスペースデブリが重すぎるんだ」


 彗星一個抱えている計算になる。


「よし、位置づけ完了。受診手続きに入る」


 藪崎ハヤテの声が、全員に行き渡る。


「よっしゃ、いくで! ごめんくださ~いよっと!」


 うにうにと、スライム星人の一部がヌルゥっと伸びて大気圏内に差し込まれる。一部とはいえ、差し渡し十数キロメートルはある。それが真っ赤に燃え上がる。


「あ~、ケツの穴が燃えるぅぅうう、なんちゅう熱さじゃあああああたまらんわぁぁぁあああ、先生ェ、たまらんわぁああああ!」

「受診手続き完了」とハヤテ。

「確認、不備なし」とオク。


 ゴードン総合生命の仕事は、この治療が正規に行われた物と金融機関官庁などに報告する第三者の証人として記録、見届けること。


「これより治療に入る」

「ハヤテ医師、その――」

「時間がない、手短に」


 エグゼリカは、治療方針をチラリと見ながら、息をのむ。


「本当に船外活動にてホンダさんの総排泄孔を狙撃なさるのですか?」

「おうよ。……じゃあ急いでるから、また」


 通信がいったん切れる。

 いくら医療行為のためだからとはいえ、自分が燃え尽きる前に治療を完了させるなんて無茶な話だ。しかも、相対速度はゼロとはいえ、船体がシールドを張るとはいえ、およそ人体が保つ環境ではない。

 何がそれほどまでに彼を促すのか。

 エグゼリカには分からなかった。




***




「相対速度キープな、あと、シールドより船体の慣性制御優先。グレスコ式の宇宙服なら五分は保つ。――銃弾は装填してあるか?」

「アラハバキに装填済み。ドラチャン式圧縮弾頭が一発。――相当な重量ですが、ほんとにあの中身、セロガンなんですか?」


 ハヤテはヘルメットから聞こえるアゲハの声に「ははは」と笑う。


「実に人体に投与する量の、五十六億七千万倍の濃度だ。計算上、ナノマテリアルで練ったコイツは予定通りの仕事をこなしてくれるだろう。まあもっとも、少しでも弾頭が割れたら、あまりの臭気にシルバーソードといえども、臭気で撃沈される恐れがある」


 こいつを病院から転送するために、いっかい主星地表に下りていたのだ。


「先生のヨダレよりましです」

「ははは、こいつ~」


 ヘルメットがなかったら壁をペロペロなめていたところだった。

 しかし、すぐに外壁部分へのハッチが現われた。


「船外温度、六千度です」

「え、マジで? 普通そんなに行く?」

「シールドが薄いせいでもあり、慣性制御による無理のせいでしょう。保って二分でしょうか。……慣性制御とシールドのバランスに気を遣えば、五分は保つかと。いかがいたしますか?」


 立てかけてあるベルクファスト六道型対魍魎多層式徹甲ライフル『アラハバキ』を手にすると、そのずしりとした重さにハヤテの表情は、スっと静謐に戻る。


「即座に一発で決めりゃ済む話だ。慣性制御優先。射撃体勢に入ったらハッチを開けてくれ」

「承知いたしました。地場展開します」


 空のハッチの床に伏せたハヤテの宇宙服が、すさまじい磁力で床下に引きつけられる。相当な力だ。

 それでもハヤテが構えるアラハバキの銃口は、閉ざされたハッチに向けられている。


「よし、開けてくれ。狙撃後、薬剤到達を以て処置終了とする」

「――了解。ご武運を」


 普段は大気圏突入時に開閉する物ではない、倉庫のハッチ。しかし、船体を大気の奔流から身を守る盾にする場合、この場所から狙撃するしかない。

 ガチリという音とともに、ハッチが徐々に開きだす。灼熱の大気が赤い光りとなりその隙間から漏れ入ってくる。

 すぐさまハッチ内部の温度がうなぎ登り。廃熱が追いつかない極点まで、やはり一分と少し。

 ――見えた。

 そんな赤い視界の中、煌々と燃え煽られているホンダさんの総排泄孔が踊っている。


「ホンダさん、聞こえますか」

「熱ゥい! 聞こえる! 聞こえてる! たまらん、これこんな熱いの初めてじゃあ、たまらんわあ!」

「総排泄孔に力を入れてください。イキんで! そうすれば緩みます!」

「こう、こうかァア! こうなんかぁあああああ、尻の粘膜が燃えるゥ! じんじんするぅううう」


 ピンクの穴が、くぱくぱしてきた。

 上下幅、良し。

 相対速度、良し。

 大気圏内の抵抗は、しかしそれでも心地いい。


「そのまま、そのままです……ホンダさん」


 熱された空気が鼻を焼き始める。

 それでもぴたりと、銃口を操作する。


「我が大尊、願わくは正中真処を射させ給え。避けはせぬ、逃げもせぬ、我が一意専心は必ずや的を射るであろう」


 声には出さず、心の中で唱える。

 彼我の距離を、弾丸は音よりも早く飛ぶ。それでも、抵抗はある。そのすべてを勘という経験に裏打ちされた才能に乗せ、感で支え、観に促される形で引き金を引いた。


 ――かみよご照覧あれ!


 ズドォン! と、地場固定慣性制御を以てなお重く響く振動がシルバーソードを揺るがす。重力制御を施さねば実に数千トンもの弾頭を撃ち出したアラハバキは、外気と砲身の灼熱によって真っ赤に加熱している。


「ハッチ閉じます」

「まだだ、銃弾観測を続けろ!」


 アゲハの声を遮りつつ、ハヤテは汗を掻くのも間に合わぬ中、じっとスコープ越しにそれを見ていた。肉眼では追い切れぬとも、スナイパーの感覚は、当たればそれと必ず分かる物だ。


「アッ!!」


 短い悲鳴が上がった。

 瞬間、ホンダさんの総排泄孔がキュンと締まる――いや、閉まる。


「なんやこれ、そこは入っちゃいけないところやで!? でも何この感覚ぅぅううううう、あかん、こんなんヤバいでえええ、あかん、ヌルヌルんなっちゅう! あかん~」

「着弾確認。先生!」

「ハッチ閉鎖、冷却頼む」


 開く速度以上に早く、ハッチが叩き閉められる。


「慣性制御オフ、シールド全開、相転移素子充填します。――放熱完了まで、あと十五秒」


 アゲハの一声一声のうちに、床に接した腹の方からどんどん熱が奪われていくのを感じていた。密閉されたハッチの中の熱を、外側に転移させているのだ。それは即座に摂氏マイナス五度まで達する。灼熱の中では厳しかったが、極寒であるなら宇宙服の中では常温同然だ。

 それでも循環する空気を取り込むと、やっと一息を付けるようになる。


「磁場解除」

「了解」


 ハヤテの命令に、磁場が解除される。

 仰向けになると、今度は寒いながらも冷や汗がどっとばかりににじみ出てくる。


「こんな自殺行為、軍にいたときだってやっちゃいねえよ」

「お疲れ様です。――薬剤が効くまで、およそ……五時間。一休みしてください。いったん、成層圏以下まで降ります」

「ゴードンの方は?」

「観測されてますよ。いい仕事しています。騙すのがかわいそうですね」

「まあそういうな、こっちもそれが『仕事』なんだしな」


 ハヤテはそれでも、はははと笑う。

 細工は流々、あとは仕上げをご覧じろ――といった顔つきだった。

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