第1話の結『狙撃手に乾杯』

「このたびは大変申し訳なく!」


 オーガがその巨体を丸く縮めるように、医療ポッドのわきに土下座をしている。エニグマに伝わる伝統的な謝罪の仕草だという。顔向けできない気持ちがよく表れているうえに、姿勢が低いために背中まで――鬼の巨体なので頭の天辺くらいまでですが――丸見えになる。


「いえいえ、事故ですから――」


 医療ポッドの中のボイルドが苦笑するが、ゴードン総合生命社長、赤鬼ロジャー=ゴードンは恐縮の極みであった。


「……………………」


 ゴードン社長の向かい、ポッドの反対側には、阿修羅のように憤怒を湛えた微笑みを浮かべるネルコさん。鬼が携えてきたお見舞いの花束が、彼女の恐ろしい握力で切り口を絞られプルプルふるえている。すごく怖い。無言だし。


「事故の保障と、肉体再生の補助はすべてこちらで負担させていただきたく……」

「いや、事故ですから。社長、顔を上げてください」


 ボイルドは吹っ切れたような顔で笑う。首から下は保護筒の中だが、申請通り、希望した体が再生されるだろう。

 宇宙線ではなく、高濃度の推進剤が浴びせかけられたヘリコプターは、夥しい放射線をコックピットのボイルドにもたらせた。推進剤そのものは恒星の熱にさらされ蒸発、無毒化されたが、噴射の影響でオクさんの船がヘリに追突、巻き込み事故をも起こしてしまった形となった。

 ヘリは爆散、半死半生のボイルドは宇宙を漂い、エグゼリカとオクさんは救助信号を発信。予定通り、待機していたシルバーソードがワープで救出に入り、ボイルドを回収したというわけだった。

 薮崎診療所での治療では追いつかなかったため、アゲハに救助されたボイルドは、そのまま隣恒星系の無人病院に収容される運びになったということで、いまの状態。


「まことに、まことに……」


 オーガは頭を下げたまま、脇から背後に赤光輝く鬼の目を向ける。


「お前らからも、謝罪を!」

「ひぃっ!」


 鬼の巨体で見えなかったが、社長の後ろには事故を起こしたエグゼリカとオクさんがさらに身を縮めるように立っている。


「何をしている! ドゲザをせんか!」と怒髪天の鬼。

「は、はい社長!」とエグゼリカ。

「わ……わかった……」しぶしぶなオクさんといったてい


 もたもたしている社員に苛立ち、ついには仁王立ちで社員を見下ろす。大きい体で、殺気というか迫力が凄く、目は爛々、筋肉はスーツが張り裂けんばかりときている。恐怖そのもの。


「貴様らのぼろ宇宙船が恒星近くでタンク事故を起こさなければ、お客様は――逢田さまはご健康を損ねることなく、大事な仕事道具であるヘリも……ぬああああああああ、この馬鹿もんが! この馬鹿もんが! この馬鹿もんが! この馬鹿もんがああああ!」


 烈火のごとき罵倒だった。

 保険金詐欺を疑ったら、自社の検査官が接触中に事故を起こし、顧客を巻き添えにして重傷を負わせたのだ。

 しかも事故の影響で頭脳体に心的障害を持つようになり、宇宙に出ることができぬようになってしまった。お葬式アップロードの際に高いお布施を支払えばその宿業も取り払えるだろうが、まだまだ先の話になる上に、その支払いもゴードン総合生命が負担する運びとなっている。というか、刑事事件や裁判沙汰にならないよう、社名大事の保障を提供したのだ。すごい。でも、はるかに安上がりな条件だった。

 足りない分はこうやって思い切り頭を下げる謝罪。


「も、申し訳ございませんでしたああああああ……ぁぁああ」


 あやうく業務上過失うんたらになるところだったエグゼリカは、恐怖と安どのためにぺたりと座り込んでしまう。やや土下座であった。


「ほんとに……も、申し訳……。うぅ」


 しぶしぶと思っていたが、オクさんもかなり堪えていた。後から知るが、どうも推進剤パイプの破損は、その焦げ跡から耐熱塗装の劣化が原因とみなされたからで、彼女自身もそうであろうと己が非を認めていたからに他ならなかったのだ。

 怪しい人物の話を意識するあまり、いもしない影を疑い、自分の体ともいえる宇宙船の整備不良に気付けなかったことに対する、激しくも深い後悔の呻きだったと思う。

 ほら、ふたりともすごい涙目。


「ほんとにこの、この馬鹿もんが! この馬鹿もんが! この馬鹿もんが! ……申し訳ありません!」


 ふたたび土下座の鬼。


「まあ、夫もああいっておりますし」


 と、やっと憤怒の表情のままだが落ち着いた声のネルコ。

 許されたか!? と一瞬顔を上げた鬼だが、彼女の笑っていない目に息を飲む。


「あ、まことに……その……」


 鬼の絶句と社員のすすり泣きの中、ふとドアがノックされる。


「ややや、どうですかな具合は」


 現れたのはズボンにシャツ、そしてくたびれた白衣。サンダルをスパスパ鳴らして入ってきたのは、薮崎ハヤテ。

 その声に、鬼がのそりと立ち上がる。


「…………やあ、薮崎医師。あなたの宇宙船と応急処置のおかげで、逢田さまや、うちのバカ社員の命が助かりました。なんとお礼を言ったらよいか」


 声こそ感謝の意を示しているが、彼を見下ろす鬼の目は、憤怒などを通り過ぎた氷の視線だった。思わず、エグゼリカも、オクさんも、ボイルドも、ネルコすらも、息を飲むほどに。


「…………ゴードン社長、人として当然のことをしたまでですよ。応急処置とはいえ、セロガン飲ませて搭載ポッドに入れたくらいです。まあ、うちの看護婦がですが」


 ス……と、右手を差し出すハヤテ。握手のようだった。


「これからの処置や申請は、薮崎医院、この薮崎ハヤテの名前で出します。通信口座は開けておいてくださいよ?」

「なあに、が残っているでしょう。そちらをお使いください」


 差し出された手を、鬼がつかむ。

 ぎゅ。


「――まあ、?」


 鬼がにやりと笑う。


何度か」


 ハヤテはとぼけて笑う。

 握手はゆっくりと離された。


「じゃあな、このやぶ医者」

「あばよ、業突く社長」


 ゴードンは半泣きの部下を立たせると、「では、後日改めまして」と退出する。その背中を見送ったハヤテは、一息ついてネルコに向き直る。


「奥さん、このたびはどうも……」

「いえいえ先生。先生のおかげで主人は助かりました。感謝してもしきれません」


 対照的な対応だった。

 しかしハヤテは「いや」と、エニグマの女性からやや視線を外すと、頬をかく。


「もうね、誰にも死んでほしくはないですから」


 誰も殺したくないですから。

 そう言ってるようにも聞こえる。

 エニグマのネルコに、今度は正対し、ほほ笑む。


「ま、会社ゴードンもあの状態だし、医療保険の方だって大丈夫ですよ。旦那さんは、今生のうちは宇宙に出にくくなりますが、地上作業は問題なくできるでしょう。医療サイトに、復元データを申請しておきます」

「よろしくお願いします」


 深々と頭を下げるネルコ。ポッドの中のボイルドも、困ったような笑いをしている。


「じゃあ二枚目さん、またな。今度は出るとにき」

「ええ、ありがとうございました」


 ふたりに見送られつつ、ハヤテはカルテの写しを手に、無人病院惑星を後にする。あとは、まあ、あの夫婦次第だろう。

 あまり読めぬカルテに目を通しながら、ハヤテはボイルドの状態に冷や汗をかいていた。


「いやあ、補充惑星で推進剤を入れといてくれてよかったよ。うまい具合に回ったからな」


 そしてじっと手を見る。

 鬼の恐ろしい握力で握られた手には、真っ赤な跡が残っている。

 鬼の手にも、ふた回り小さい狙撃手の指跡が残っているだろう。


「まあ、これで終わりじゃねえだろうなあ」


 面倒くせえとため息交じり。

 ハヤテはそそくさと病院を後にした。




***




 後日。

 逢田農場から一本の通信が入った。


「ハヤテ先生、アゲハさん、おふたり宛に通信が入っています。画像と短文です」


 カミさんの受け持つモニターパネルに、彼女の顔が映し出される。

 そしてそう告げると、辺りを見回してふたりを促すように笑う。


「おやおや、私はともかくハヤテ先生にですか? どんな酔狂人でしょ」

「てめえ……」


 ふたりが揃うや、カミさんは「ボイルドさんと、ネルコさんです」とページを切り替える。


「新しい体の具合が悪いんですかね? 往診してもどうせ先生はセロガンしか処方できませんが」

「てめえええ……」


 くしゃくしゃしていても仕方がないので、ハヤテは開封指示を出す。

 すると、農園を背にした、ネルコの肩を抱くボイルドの写真。ともに笑顔だ。


「読み上げます。『子供ができました』――です」

「うわあ、赤ちゃんできたんですか! すごい!」


 はしゃぐアゲハ。

 しかしハヤテは、これを茶化さずに椅子に深く腰掛け、天井を見上げる。


「ははは、やりやがったか。時期的に、あれからすぐじゃねえか」


 笑顔だった。

 指でスコスコからかわれるかと思ってたアゲハだが、そんな素直なハヤテの泣き笑いのような表情に、小首をかしげる。


「おめでとさん。そうか、おめでたか、大命中か~!」

「どうしたんです? なんか神妙な顔をして」


 ハヤテは首を振り、こんどはからからと笑う。

 コップの麦茶をモニターの写真に掲げ、頷く。


「俺なんかよりも優れたスナイパーに、乾杯」


 やっとひとつの仕事が終わったと感じる。

 そんな心地好い脱力と、やけに甘く感じる麦茶だった。

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