第1話の4『ただそこにいるだけで』

 人工恒星の周りを回る星は、四十数個在るとか。そのうちのひとつは地域地域、星系から星系を旅する者たちが使う、無人の補給星となっているのが常。この名もなき恒星系の中にも、それはあった。


「オクさん、こんな田舎のうらびれた星で補給したりしたら、水も食料も燃料も腐ってるんじゃないのかしら」

「んなわけあるか。リカの部屋じゃあるまいし。この大銀河の辺境に整備不良の中継星などあり得ない。無人だが、ネットに繋がったマザコンは常に最良の状態を維持させているはずだ。……ほら、案内だってきてる」


 田舎暮らしに慣れていないのだ。エグゼリカは千年前でもなければおこらない食料や水の腐敗を気にしている。

 彼女の名誉のために重ねるが、彼女の部屋で水や食料の腐敗が進行しているのは、あくまで開封した物がすべてだ。あと、そもそも腐敗するものというのはそれだけ高級品とされているのは周知の通り。出回っている物は流通基準が厳しいために、品質が相当管理されている。開封したからといっておいそれと腐ることはできないものだったりする。


「手作りの物は、保証期間が短いから」

「全部食べちゃえばいいのだ。どうせ運動で痩せられるだろう?」

「そういうことじゃないのよ~」


 高級な手作り物は、食べきれずに残すから腐敗する。

 食べきってしまえばいいのだが、全部食べると女子として看過できぬ有様になってしまう。


「太古の昔より、美容痩身は女子の夢。安易に金で買える物ではない。地道な努力が大事だ」


 オクさんにいわれなくても分かっていた。というか、何度も言われてることだった。

 では男の夢は何かと彼女が聞き返したことがあるが、「精力剤と、毛生え薬」と返された。さすがにそんなものかと思ったが、わりとその手の保険商品がゴードン総合生命にもあるから、ホントなのかもしれない。


「詐欺の手口よ。惚れ薬、やせ薬、精力剤に毛生え薬。先史文明以前からだまされていると知りながらも金銭を費やす輩が多いカテゴリーね」

「こんな科学が発達した現代でも、克服不可能な事案て多いのね」

「そんな事案はともかく、生まれ直せば良いだけだからまだましだろう? 普通市民は」


 何気ない言葉だが、普通市民は葬式を挙げた後に生まれ直せば、また新しい体だ。そこそこのデザインは効くし、毛根も復活させられるだろう。

 しかし、オクさんのようなエニグマは、それを望まないし、認められていないのだ。それを思い出す。意識させられてしまう。


「またそんな顔をする。……ほら、気を取り直してお客様の情報を開示するぞ。リカ、これだ」


 そんなことは気にすることもないと、オクさんがエグゼリカにボイルドの契約内容を見せる。詳しいものはすでに目を通して記憶していたが、こうして実際に目を通して確認すると、また思えることが違ってくるようだった。


「農家の男性が入る、ふつうの保険内容ですよね。事故保険と、あとは治療補償と入院補償。掛け金も安いものですし」


 なんの不審もない、額も知れたものだった。不正を働いて何かをするにしても、病気になるか入院するほどの被害を被らなければいけない。事故ならなおさら公的機関が動くだろうし、補って余りある利益を生み出せる案件ではないように思えた。

 大戦中や、現役の戦地周辺星域の方々なら死亡保障もついた商品が遣り取りされることもあるが、このご時世、あまり人気の物ではなかった。


「肉体も壮年期だし、DNAだって劣化しきってないから、寿命まで、お葬式と生まれ直しも何回も出来そうだし。どうなのかしら」

「監視しろというのが、社長からの指示だ。特に、こんな辺鄙な田舎の恒星を回る砂粒みたいな星に住む、あばら屋みたいな診療所の草臥れた男相手にとはいえ、元狙撃手スナイパーだ。用心に越したことはない」


 エニグマとしては思うところもあるのだろう。

 しかしエグゼリカにはそれがあまりない。大戦事態の終結は二十年前だけれど、大戦から飛び火した戦争自体はまだまだ散見される。しかし銀河は広い。大銀河だ。すべてを掌握しているアコンカグア帝国とはいえ、広すぎるのだ。中央の貴族など、辺境の、端の端の田舎の名もなき恒星系の姿を見たら絶望して引きこもるかもしれない。たぶんあってる。


「監視――観察期限が決まっていないのが苦痛よね。オクさん、無人偵察機流して寝て待つというのはダメかしら」

「それは私に任せっきりということか? 別に構わぬが、賃金の発生を鑑みると、社長の叱責が飛ぶのは明白と考えるが。いかがか?」

「だよねえ」


 言ってみただけ。

 でも、エグゼリカは偵察機の準備を指示。オクさんもそれを承知の上で、先行して飛ばすものとして装備を調えている。


「偵察用カナブン、準備できたぞ」


 甲虫のような姿の羽根を持つ汎用型飛空機がモニターに表示される。オクさん曰く、カナブンという虫にそっくりと言うが、生憎カナブンを知らない。ただの虫に見えるあたり、虫というものは生きてる機械なのかもしれないなと、エグゼリカは少し思う。


「あくまでも仕事とは無関係の、大辺境を注意して航行する一般航宙機が飛ばしているで、先行して飛空させて」

「距離は?」

「百八十光秒くらいかなあ。シカト通信使えるくらいで」


 概ねそのあたりだろうと、オクさんは素早く設定し、シカト通信の糸を繋げたままカナブンを先の宙域にワープさせた。


「信号、受信。感度良好。映像は記録中。対照的に位置を保持。――補給が済み次第出発でいいかな?」

「オクさんは下におりなくていいの? 無人惑星でも、地面と空があるわよ?」

「尻尾を振る相手もいないのに? めんどうくさい」


 エニグマらしからぬ物言いだった。

 エグゼリカも、終の棲家として星を持ちたいと思っているが、エニグマは本性的に大地を恋しがる物と思っていた。その気配が少ないオクさんだが、今はそれでも仕事優先らしい。


「じゃ、出発しますか」

「リスタートまで三分。航行は?」

「シーカートー……で、いいでしょ?」


 お金は節約するに限るからだ。




***




 それからしばし。


私の宇宙船シルバーソードの中で鼻と耳をほじったら酸素濃度下げますからね?」

「ドロイト三原則があるだろうこの汎用品! いいから俺が乗る落とし穴ピットフォール作ってくれって。キレイに使うから」


 乗船するまでに五回の洗浄光線を浴びせられたハヤテ。その前には入浴と着替えも済ませ、やっと受け入れられたらしい。

 渋々といった口調だが、宇宙用の運動着に着替えたハヤテの指示にはすんなりと従うあたりが素直なアンドールメイトだった。


「ではそこに」

「艦長待遇ですかァ~さすが分かってらっしゃる」


 滑らかな銀の板金が溶けるように落とし穴ピットフォールを形作る。その場所は艦橋の最優先席、指揮官が座る場所だった。もともとは彼女の最初の雇い主が座っていた場所だったのだろうか。


「場所だけは。しかし、指示系統はあげませんよ?」

「それは任せる。口頭の指示には従うか?」

「指揮下に入ります。藪崎ハヤテ特務曹長どの」


 ほほーう、とハヤテは眉根をひょうきんに上げてみせる。特務曹長といえば、階級を与えにくい技術者に贈る名誉階級のような物だと聞く。それを肩書として持っていたことをハヤテはアゲハに言ってなかったし、アゲハも調べようとはしていなかった。


「あのこと調べられなかったのがそんなに癪だったのか?」


 アゲハの後ろで右手の人差し指を、左手の指の輪っかの中にスコスコと下品に出し入れするジェスチャーをしながら笑うあたり、意趣返しの一種と知ってのことなのだろう。


「大丈夫だよ、疑ってねえよ。特Aだか特Sだかのランク持ちなんだろう? だから俺の階級も知ってたんだろう?」

「ふっふーん」


 すっごく得意げに鼻を鳴らす。


「頼りにしてるってばよ」

「ならいいです。――では、発進します。向かう先は外縁部の彗星でよろしいのですか?」


 向かうのは構わないが、何のために? という問いかけだった。


「いやほら、うちの家庭農園が在るし」

「たくあんですか? たくあんの収穫ってこの時期でしたっけ。安いからって、無人配達機のない彗星なんか借りるからですよ?」

「知ってるか? たくあんて大根を塩漬けにして作るんだぜ?」

「うそ……」


 ほんとうだった。


「まさか加工品たくあんが木に成ってるとか思ってた? やだなあ。知識データはあっても環境整理できてないお子様はコレだからな~! か~! 知らんか~! か~! …………かひゅっ」

「さすが環境適応のできる大人は違いますね? 酸素濃度を落としても意識がまだ在るとは。さすが軍用素体。いやー、さすがだなー、いやー」


 すぐにハヤテが謝って許された。

 無駄な喧嘩というかおちょくりはしない方がお互いのためだということがよく分かったらしい。


「ゆっくり覚えればいい。知識を活かすのが知恵。頭でっかちはいけねえからなあ」

「偉そうに。……じゃあ、向かいますよ?」

「なんだ、もう動いてるのか?」

「先生の使う超古代規格の個人用輸送船と、私の船シルバーソードを一緒にしないでください。慣性制御のない船なんかいまどき存在しませんよ?」

「お前とは一回話し合わなきゃならんようだな」

「高級品についてですか?」

「男のロマンについてだよ」

「あっはっはっはっは」


 ハヤテは落とし穴ピットフォールからのぞくアゲハの後頭部を指で思い切りグリグリし、報復に酸素濃度を落とされて悶絶した。


「まあいいでしょう。ワープしますよ?」

「金かかるんじゃないのか? うちは貧乏だぞ?」

「この船は、巡検期間中は使いたい放題なのです。そういうプランに加入しておりまして」

「まじか!」


 驚きだった。


「さすが高級品と思いましたか? 思ったでしょう。思いましたよね?」

「すごいなあ、巡検師の財布事情!」

「む」


 さすがに否定できなかったらしく、アゲハは素直に準備に入る。


「だるまさんが……ころんだ!」


 航行用システムをインストールしたアンドールメイトが使うワープ用のかけ声らしいのだけれども、何故そう言うのかは分からない。世の中には分からない言葉が多く残っている物だなあと、感心する。


「着きましたよ」

「はえええええええええええええ」

「彗星まで相対速度マイナスちょいで停止中。いかが致します?」

「通常航行で併走してくれ。……あ、下の方から頼む。そっちのがうちの農場に近いんだ」

「承知いたしました」


 こんなに早く着くとは思っていなかったのか、ハヤテは入ったばかりの落とし穴ピットフォールから抜け出ると、幅広のケースを片手に勝手口ミニハッチへと向かい始める。


「やっぱり、土いじりにはコレだろう」

「クワでしたっけ? 仕事道具は持ち込みですか?」

「借りてるのが俺ひとりとはいえ、表道具を置きっぱなしにするほど腐っちゃいねえよ。……相対速度維持、そのまま待機していてくれ。小一時間で大根担いで戻ってくるから」

「承知いたしました。あ――」

「分かってるよ。泥が落ちないようにする。言っとくけど洗浄しちまうと劣化が始まるから、帰って加工する日まで土は付けたままだぞ?」

「かまいませんよ? いかな堆肥を使っていたとしても、耳や鼻をほじられるより数兆倍マシですから」

「ははは、こいつゥ」


 じゃあいってくると去るハヤテ。

 メインマシンとリンクしているアゲハは、ハヤテが勝手口ミニハッチに到達するのをモニターしながら、それを開く。

 簡易ヘルメットを付けたハヤテが無重力に足を浮かせつつ、消える。


「小一時間、ですか」


 ハッチの外にハヤテの存在を感じながら、安全のためにモニタリングを続ける。そんな中、ハヤテが彗星に降り立つ前だというのに、道具鞄を開けて何やら動いてる様子に小首をかしげる。

 ここに来て忘れ物の確認かと思ったのだが、どうでもいいかと彼女は背を伸ばす。目を閉じ、映像ではなく感触で彼をモニタリングする。

 心拍も落ち着いている。慌てた様子がないということは、クワはちゃんと揃っていたのだろう。

 しばらくごそごそとやっていたが、ピタリとその動きが止まる。止まったなと気がついて、アゲハがモニタリングの精度を上げようかと思ったとき、ハヤテが何事もなかったかのように立ち上がるのを感じたらしい。


「なんだったのかしら」


 小首をかしげるも、その後は何もなく。

 話の通り、小一時間で籠いっぱいの大根を背負い倉庫に戻ってきたハヤテは、モニター越しにいい汗を掻いたとばかりににこやかだった。

 そして五度の洗浄光線を浴びた彼が戻ってくると、アゲハは「おかえりなさい」と落とし穴ピットフォールをもう一度作る。今度は彼女のとなりだ。


「なんだ? 今度はお隣さんか?」

「背後だとなにをされるか分かりませんし」

「信用ねえなあ」


 けらけらと笑うが、その笑みには何か真剣味を滲ませる何かを感じる。


「どうしたんですか?」

「いやあ、ちょっと虫が湧いてて」

「虫ですか? 考えられません。タネにでもくっついてたんでしょうか」


 ハヤテは「かもなあ~」と一息つく。


「まあ、一匹だけだったし、もういないよ。いや、もうすぐいなくなるよ」

「大根と一緒に持ってきたりはしてませんよね?」

「洗浄はなしだぞ、大丈夫だから!」


 説得に一分かかった。しかし、彼らが診療所に戻るのは、もっと早く済んだ。ワープ、やっぱり凄い。




***




「信号途絶」


 オクさんがエグゼリカにそう告げたのは、星系に入った翌日のことだった。


「映像確認。――見てくれ、リカ」

「どうしたの?」

「カナブンが壊れた」

「中古だったから? 困ったわね、ほんと」

「いや、飛来物の直撃を受けたらしい。映像からは、そのくらいしかわからない。直撃したのは、おそらく鉱物。硬度の高いものだったのだろう、相対速度はかなりのものだ。認識バリアを張れない偵察機だったのがあだになったな」

「飛来物の衝突なんて、凄い確率ね。……ほら、スペースデブリ保険でだって、相当掛け金高いし配当安いし。新しいの買うほうがいいのかしら。ああ、これ経費で落ちるのかしら……」

「いや――」


 オクさんが首を振る。

 彼女は、しかしそのあとの言葉を飲み込む。

 ――もしかしたらこれは、かもしれない。

 その言葉を。


「エニグマパニッシャー……」


 ただそこにいるだけで、壁になったと言われる伝説の男のあだ名。


「こんな保険金詐欺じみた案件で聞きたくない名前ではあるがな。やはり」


 エグゼリカには聞こえない呟きだった。

 聞こえていたのなら、もしかしたらこの先何かが変わっていたのかもしれないと、もしかしたら悔しがったかもしれない。

 しかし、エグゼリカには、やはり聞こえてはいなかったのである。


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